253暦法学院戦3苦しむことが恵みの雨
クイ、と目の間にかけたメガネを直した。ヘルメットの下の眼光はメガネの反射で見えていない。
四番――古暮廣亥。地区大会打率.784の巧打者だ。
相川(オーラってのはこういうことかね)
申し訳ない気持ちにはなるが、県や原田と比べると吉田や真田がバッターボックスに立ったときの独特のあの空気。投手に、打たれるんじゃないか?…そんな疑心を一瞬でも生み出す力。
冬馬「…」
暦法学院は守備力中心のチーム、しかし中心打者はいる。
そう、この古暮、そして五番の岳だけは打率、本塁打ともに他の選手とは一線を画している。つまり…。
海部「このチームは柱が二本」
関都「んあ?」
将星のセーラー服に身を包んだ海部が、相川の方を身ながら鋭い口調で言った。
額には先ほどクラスメイトから無理やりつけられたがんばれ将星、の鉢巻が巻かれている。
蘇我「ほえ?」
柳牛「でも確かに…」
不破「あの2人は違う」
三塁側、暦法学院のベンチの前で肩を作る岳。そしてバッターボックスの古暮。
海部「他の選手とは纏うオーラが段違いだ。今まで温存してたのか知らないが…向こうの監督は馬鹿だな」
柳牛「さ、流石にそこまで言うことないんじゃ…」
海部「馬鹿さ。仮に女子ソフトとはいえ全国レベルのあたし達に勝ったんだよあの野球部は。奇跡があったとしても、あたし達は偶然で負けるようなチームじゃないさ」
関都「ま、それは確かにな」
海部「その野球部に対して、こんな地区予選程度のレベルで手加減するなんて、あたしらをなめてるのと同意義だね」
不破(キャプテン怒ってる?)
蘇我(こ、怖い感じー)
舞台はマウンドに戻る。
確かに雰囲気は違う、この打者―――古暮、だが。
相川(データはあるんだ)
秘密兵器ではないのだ、しっかりとこの2人を軸にして勝ち上がって来たチームなのだ。だからそこまでの対戦成績はしっかりと残っている。
古暮「…」
相川(すかした顔してられるのも、今のうちだぜ)
しかもこちらは、今まで使ってこなかったミラージュがある。
これで負ける訳が無い。
冬馬は相川の出したサインにゆっくりとうなずいた。
ワインドアップモーションから…第、一球!
古暮「貴方は」
相川(あん…?)
古暮「すでに選択しました」
相川(何言ってんだこいつ)
古暮「つまり、それは運命の輪。決定した事実からは逃れることはできないのですよ。神でも無い限り」
冬馬「行けえッ!!!!」
ビシュン!!!
古暮「外角低めストレートかスローボール」
相川「―――え?」
古暮「そして冬馬君のコントロールの良さ」
ゆっくりと、古暮のバットが、相川のミットの前を通過していく。
ボールは曲がることなく、金属に吸い込まれていった。
――――キィンッ!!!!
吉田「うおっ!!」
御神楽「ちぃっ!!」
ボールは三塁手と遊撃手の間を鋭く抜いていき、レフトの真田の前まで転がっていく。
『ワアッ!!!』
当然古暮は悠々と一塁を踏み、バッティンググローブを優雅に外していた。
古暮「何も、データ野球をやっているのは貴方だけではない、ということですよ、相川君」
相川「…なるほどね」
古暮廣亥。
その高打率は、決してバッティングセンスのおかげだけではない。
むしろセンス自体は他のバッターとはあまり変わらない…が。
古暮「君が要注意と感じるバッターに対しては。一球目、とにかくセオリー通りに外角低目を要求。しかもボールかストライクゾーンかになるギリギリにね」
相川「俺の思考を読みきった、って訳か」
古暮「こちらとしてはありがたかったんですよ。むしろ荒れ球の西条君よりも冬馬君のほうが、僕のデータ野球とはウマがいい」
相川「面白い」
古暮「カモなんですよ」
…そう。
相川がバッティングセンスがなくてもヒットが打てる理由と同じ。
この古暮も相川同様、データを中心とする野球を心情としている。
そして対戦相手のデータは容赦の無いまでに集め、分析、解析、そしてシミュレーション。
相川と同等の相手、そういっても差し支えは無い。
ただ、データを読んでいるという情報。
今こうして戦って自らの思考を読まれた相川は、この時点で初めて気づいた、そしてこの選手に対する認識を改めた。
何が巧打者だ。
相川(こいつは…赤城や俺と同類だ)
『五番、ピッチャー、遠田君に代わりまして…岳。岳君。背番号1』
『ワァーーーッ!!!』
『やっと出てきたぜ岳の野郎!!!』
『やってやれーー!!』
一気に向こうの野球部を含む応援団一同のボルテージが上がった。
やはりこの岳と古暮が中心人物なのだ。
この勝負…ここからが、本番。
『ま、負けるなーー冬馬きゅん!!!』
『冬馬くーん!!』
吉田「やっと盛り上がってきたところ、って感じだぜ!」
真田(ふん、二点リードしてる分、一歩リードした状態でスタートだがな)
盛り上がる応援を尻目に、不自然なほど静まり返った男がバッターボックスに向かっていく。
岳隼人。
こちらは巧打者というよりも、強打者。
貧打揃いの暦法学院の中で唯一本塁打5本を越える長打者であり、得点圏打率も高い。
まさに自分で点をとって自分で抑える、を体現している投手である。
相川(俺がお前らのデータをとっていることは、お前らには筒抜けな訳、か。その上で俺は打者と…)
古暮。
2人を同時に相手しなければならない、この感覚。
相川にとっては霧島工業の赤城との対戦のときに、嫌な思い出がよみがえるスイッチでもある。
が、同じ轍は踏まないのも相川の信条だ、前のように思考のループにはまって自分を失うのはもうごめんだ。
相川(俺は俺のリードをするしかない、ってことか…。変にずらしても、悪いイメージしか…わかねぇ)
だがしかし、自分のリードをしたところでも、悪いイメージしかわかない。
岳「…神よ」
ぼそり、と岳がつぶやいた。
目線はマウンド上、セットポジションの冬馬に向いている。
冬馬は背中に嫌な汗をかいていた。
岳の顔は心臓に悪い、ギョロついた目つきはどこか異常者を思わせるほどに見開かれ、血走っている。
頬は削げ落ちているせいで、ワシ鼻が余計に目に付く。
刃物みたいな顔をしている、冬馬はそう感じた。
しかし、岳は左打者。
左の冬馬にとって、岳は投げやすい相手だ。
左打者に対するファントムは、まさに幽霊。
背中から来た球が一瞬視界に現れ、また消えていく。
相川(要注意打者に対する…か、それでも俺はそこに投げさせるべきかね)
相川は外角低めに、ストレートを要求して見せた。
古暮(愚かな)
外角低め、それを見た時点で古暮は相川の底を見た気がした。
何故このチームがここまで勝ち上がって来たか。
本人はそれ程意識してないかもしれないが、おそらく他チームの見る人が見れば、このチームは誰のものかすぐに理解するだろう。
センスの塊の吉田、御神楽。
元桐生院だが一身上の都合により転校させられてしまったため出場が許されたらしい真田。
何故か負傷?してベンチにいる降矢。
一風変わった変化球を持つ冬馬、元中学野球西のエース西条。
クセモノ揃いのこのチーム、だがそれだけで勝ちあがれる訳がない。
野球は超高校級の四番でエースがいれば勝ちあがれる。
だがこのチームには、超高校級のエースもいなければ四番もいない。
投手は2人をやりくりしてるし、野手まで出るおまけつきだ。
四番にいたっては、脇を固める吉田と真田の方が向いてるぐらいだ。
古暮(君なんですよ、相川君)
将星というチームと対戦することが決まって、古暮は赤城と同じ思考に落ち着くのに時間はかからなかった。
―――相川大志、守の要。
この男さえ封じてしまえば、簡単にこの2投手は打ち崩せる。
特徴にばかり驚いてしまうが、冷静に解析してみれば、一人は変化球こそすばらしいが、ストレートも軽いし遅い、牽制も下手、ボールを裁くのも下手。
もう一人は、球はそこそこ速いが所詮右から左への付け焼刃、肝心なところでは制球難がネックとなり、頼れるほどの変化球も無い。
なのに、何故今までこの2人を完全に打ち崩し、このチームに引導を渡したのが桐生院だけだったのか。
相川大志、この男だ。
山田「なかなか進まないんだけどーアカギ状態なんだけど」
夙川「だから理穂…メタ的なセリフはやめてくださいとアレだけ」
赤城「呼んだかー?新聞部の姉ちゃん」
山田「う、うわぁ!?い、いつのまに!」
赤城「え、だって名前呼んだやろ?」
夙川「…あえて私は何も言いませんです」
赤城「ま、それはともかく気づいたみたいやな、古暮君は」
一応説明しておくと、山田も夙川も今日はおとなしく将星側のスタンドで応援している。ちなみに、冬馬や相川、真田、吉田の顔がプリントされたシャツを売ってたり、クーラーボックスのジュースを売ってたりする。商魂たくましいことだ。
氷上「あら、山田さん。紅茶は無いのかしら?」
山田「午後ティーならありますけどー」
氷上「わたくし、ダージリンじゃないと駄目なんですの」
山田「死ねよセレブ(ぼそっ)」
夙川「午後ティーで我慢してください。で、何に気づいたっていうんですか?赤城さんとやら」
赤城「相川君を封じれば、あの投手は羊頭狗肉や。派手な看板で飾り付けてても、中身はそんなたいしたことない」
「ちょっと!あんたいきなりウチのチームの悪口!?」
「冬馬きゅんにケンカ売ってんの!?」
赤城「品行方正なお嬢様学園でも、口の悪いギャル予備軍はいるんやなーやっぱ」
氷上「中身はたいしたことない、ってどういうことですの?」
赤城「そらそーやろ、125が最高ぐらいの投手と、スーパー荒れ球投手の2人やで。よっぽど良いリードせんと、滅多打ちや」
夙川「荒れ球、ならリードは関係ないのでは?」
赤城「あほぅ。だからって適当にリードしたら、絶対に球が一本調子になるやろ。人間は意識によって運動のベクトルを変化させることができるんや。それがたとえ100思い通りにならないとしてもな」
山田「あ、アクエリは200円だよー」
生徒「た、高くない!?」
赤城「だからあの古暮とかいうメガネはわいと同じ、ファントムを打ち崩すんじゃなく、まず相川君の思考を読みきることから始めたんや」
バシィッ!!!
『ボール!!!』
冬馬の第一球は外角に外れるボール。
そして…。
『ストライク!!』
カウント1-2、左の強打者、ここまでファントムは無使用。
ミラージュでストライクをとったが…。
古暮(確かに前のRシュートとやらよりも変化は増しています、だがそれでも『それだけ』で岳は打ち取れませんよ)
古暮は、自らのヘルメットのふちを二回叩き、ひざを軽く払った。
相川(…サインか)
古暮(冬馬君が相川君に首をふることはまずありません。ならば、相川のサインさえ読みきれば、コース、球種どちらかは当たります。ならば…岳にはそれだけで十分です)
古暮は確信していた。
次の球はおそらくファントム、カウント的に見せ球にはしたくない。
カウントが悪くなればそれだけ岳に痛打される率もあがる。
ここは平行カウントにしたい。
岳はヘルメットを被りなおして、バットの先を地面につけ。
静かに、一度叩いた。
岳「…神よ感謝します」
相川(不気味な野郎だぜ)
古暮(ならば、確実に高めのストライクにいれてくるファントム。痛打される危険も無い、低めを弾かれることもありません。…ですが)
冬馬「行きますッ!!」
セットポジションから、古暮の方を一度ちらりとみて、目線を打席に戻した。
右足を胸まであげて、そのまま少し沈み込み、左手が体の横から出てくる。
古暮「高め!!!」
ボールは115km/hぐらいのゆるゆるとした球、だが、そこから意志をもったように曲がり…。
曲がり…!
古暮「!?」
スローボール!!
岳「…」
ガキシッ!!!
完全にファントムだと読んでいた岳は体制を完全に崩してしまう。
それでもなんとかボールにバットを当てるが…。
吉田「おらよ原田ちゃん!」
原田「了解ッス!!大場さん!」
大場「どんとこいとです!」
バシィッ!!
サードゴロからの5-4-3、この場面において一番理想的なゲッツー!!
『ワァァァァアアア!!!』
「ちょっと!誰よたいしたことないっていったの!」
赤城「い、いひゃいいひゃいいひゃい!品行方正ちゃうんかい!降矢のせいやな!」
氷上「失礼な人間には失礼な態度をとってもいいのです」
赤城「なんやねんそのハンムラビ。あー痛。にしても…」
赤城と古暮の思考は完全に一致していた。
―――Fスライダーじゃなかった。
偶然にしては、狙ったかのような印象しかない、したたかな相川だからだろうか、それとも。
赤城(しかし、なんか妙やな…なんか足りない気が………あ!)
そう。
赤城「…流石やな相川君。わいともう一回当たっても準備万端って訳かいな。にしても、自らの情報すら武器にするとはな…裏の裏をかくなんてわいとあのメガネ以外に通用するんかいな」
夙川「な、何かわかったんですか!?」
赤城「わからんか?最後に投げたスローボールの時だけ、冬馬君が相川君のリードに『うなずいて』ないんや」
夙川「は?」
赤城「だから、相川君は。相川君一辺倒になるのを避けて、『冬馬君に投げる球を決めさせた』んや。だから違ったボールが来た」
山田「なにそれ?当たり前のことじゃん」
氷上「そんなに驚くことかしら?」
赤城「まぁ、普通やったらな。ところがこれが相川君しかリードしないと思わされていたわいとあのメガネ君やったからこそ、この作戦の威力は跳ね上がるんや」
同じ轍は踏まない。
だから最後の選択肢を相川は二つに増やした、ただそれだけの話だ。
相川「ツーアウト、ツーアウト。しまっていくぜ」
吉田「っしゃあ!!」
バチィンッ、と吉田のグラブが景気の良い音を立てた。
御神楽「エラーするなよ吉田」
大場「どんとこいとです!!」
原田「内野の守りは堅いッスよぉ!」
古暮はベンチでメガネを押し上げた。
古暮「岳、打席に立ったということは…」
岳「遠田では見えない。やはり、私が投げるべきだ」
古暮「肩は」
岳「マウンドで作る。これも神の導きのままに」
監督「…よし、頼んだぞ岳」
岳はさほど気落ちした様子もなくこくり、とうなずいた。
古暮(認識を改めなければなりませんね…相川大志。こちらの思考の、更に上を行くとは…。たとえ私と当たらなくても、私のような人間が出てきたときのための準備は万端、ということですね)
相川の本当の恐ろしさは頭の良さでもリード力でもセンスでもない。
先を読み、そこにある可能性全てを探り出し、それに対してある程度のシミュレートを行うことだった。
古暮(この二点は…重たくなるかもしれませんね)
二回裏、暦法0-2将星