254暦法学院4主よ、喜びあらんことよ
結局、岳の後の六番曽我部も冬馬のFスライダーで三振にきってとり、二回表もゼロがスコアボードに刻まれた。
二回裏…将星の攻撃が始まる。
『ワァァァーッ!!』
しかし…岳隼人、背番号1。
マウンド上、暦法のエースがついにマウンドに立ちふさがった。
相川「ついに出てきたか」
森田ほどではないが、それでも長身といえる高い場所から、右腕が振り下ろされる。
バシィンッ!!
古暮(…完璧にまだ体にエンジンがかかってはいないですね。しかし…)
将星の打順は下位、七番のライト野多摩から。
ここはさほど苦も無く抑えられる、その間に岳には本調子に戻ってもらう。
『七番、ライト野多摩君!』
将星側のベンチ、左目に包帯をした降矢がぼそりとつぶやいた。
降矢「二点、か」
桜井(うーん…やっぱりちょっと降矢君は怖いなぁ)
冬馬「どしたのさ降矢」
降矢「…いや、まぁなんとなく、な」
ナナコ「?」
降矢は隣に座っていたナナコの頭をぐしゃぐしゃとなでながらグラウンドを見つめていた。
なんとなくではあったが、今までの試合で、先にリードしてそのまますっと最後までいった記憶があまりない。
なんとなく、この苦戦するはずの相手だったチームに対してこんなにも簡単に先手を打てたことに、気味悪さを覚えたのだ。
野多摩が右打席に入る、当たり前のことだが追加点は何点だって欲しい。
古暮(さぁ、いきますか。桐生院に向けて。もう点はとらせませんよ)
相川(古暮とやら、さぁどう出る)
古暮のサインはど真ん中ストレート。
岳はゆっくりそれに頷いて……。
投げる。
―――バァンッ!
吉田「…!」
御神楽「…む」
県「は、速い!!!」
長身の右腕から繰り出されたのは、ストレート。
何の変哲もないストレートだが、ただ速い。
相川「球速表示は、142km、か」
西条(確かに速い…やけど)
降矢(それだけなら、森田の方が格は上だ。周りがこんなに騒ぎ立てる意味がわからん。…それとも)
真田(何か隠し持っている、か)
相川(あの捕手がそう簡単に手の内を明かすようには見えねぇな)
バァンッ!!!
『ストライク!バッターアウッ!』
野多摩のバットが空を切り、審判が勢いよく右腕を引いた。
カウント2-1からの、外角ストレート。
ボール球ではあったが、思わずつられて野多摩はスイングしてしまった。
六条「ドンマイドンマイ!」
野多摩「う〜。やっぱり速いなぁ〜…」
三澤「あ、小春。とりあえず三振だからそこは「K」ってつけといてくれる?」
桜井「あ、うん」
緒方先生「流石エースってとこかしらねぇ…あたしでも違いがわかるほど速いわ」
大場「原田どん!がんばるです!!」
しかし健闘むなしく、原田もカウント2-2から外野フライに倒れ、これで二死。
『九番、ピッチャー、冬馬君』
『冬馬きゅーん!!がんばれーーー!!!』
御神楽「…おい、原田」
原田「あ、はい、何ッスか師匠?」
ベンチに帰ってきてヘルメットを脱いだ相川に、御神楽が話しかけた。
一瞬眉根を寄せてマウンド上の岳を見やって、口を開いた。
御神楽「…いやにあっさり倒れたな…と怒りたいところではあるが、だ」
原田「うっ、す、スンマセンッス」
御神楽「…どうも、あっさりだな、と思ってな」
原田「…?」
御神楽「いつも粘れって言ってるであろう?吉田のような天性のないお前は、粘って相手の根気負けさせるしかないと」
原田は力強く頷いた。
原田「ファ、ファールで逃げようと思ったんスけど」
御神楽「ことごとく裏をかかれた、か?」
原田「…あ、はい。なんというか…」
御神楽「で、あろうな。全ての球に体制を崩していた。最初は球種を読むなんてしない方がいいぞ」
原田「す、スンマセンッス」
御神楽(…なんなのだ、この違和感は。うまく言葉にできないが…森田よりも格は劣るはずであろうこの投手のピッチングが…)
まるで、高く高く聳え立つ壁のように感じてしまった。
冬馬(球種はストレート、スライダー、カーブ、シンカー。どれもそんなに曲がっているイメージはないんだけど…。球が速い…でも、それも柳牛さんの球に比べれば…でも)
打席上の冬馬も御神楽と似たような違和感を覚えていた。
打てないはずは無い球を投げているはずなのに、こんなにも打ちにくく感じる。
バシィッ!!
『ボール、ワン!!』
そして決して勝負を焦らず、絶対に一球は外してくる。
負けているというのに、余裕さえ感じられるほど冷静なリード。
真田「相川」
相川「…なんだ?」
真田「あの岳という男。本当にあれだけなのか?」
相川「…いや。決め球は『カーブ』なはずなんだが…」
吉田「カーブ?…おいおい、さっき投げてたじゃねーかよ。…しかも決め球ってほどの威力か?」
原田「いや…おそらく冬馬君のカーブのほうが曲がっているような気がしたッスが…」
野多摩「他のも、そんなに打ちにくいってほどじゃなかったけどなぁ〜」
真田「…」
降矢(なんか隠してるってことかな)
ガキィンッ!!
打球はセカンドゴロ、この回は予想通りというかやはり三者凡退だった、が。
やはり、想像していたほどの投手ではなかった、というのが将星の中心人物たちの感想である。
三回表、暦法0-2将星。
『七番、ライト、野栗君』
烏丸「これは、落ち着きそうだね」
望月「んー…ッスね」
南雲「冬馬君もあのシュートとスライダーが安定してきた、暦法も岳と古暮が出てきた…。投手戦になるかもしれんぜよ」
南雲の予想通り、試合は拮抗した展開となる。
三回表の暦法の攻撃、七番野栗をミラージュで打ち取った冬馬は、続く八番丹波に四球を与えるも、九番西橋、一番鶴丸を打ち取り、またもやゼロに抑える。
三回裏、将星も御神楽、県、吉田と岳の前に、三者凡退に抑えられてしまう。
打てそうなのに、打てない奇妙な感覚…どこか陸王の九流々と戦ったときのような既視感。
しかし、リードは保っているのだ。
青竜の時のような迫り来る不気味な感覚が背後にいるような気分になりながらも、相川-冬馬バッテリーは四回表も、二番粕英、三番織田…そして。
冬馬「ええい!!」
古暮(…くっ!)
ボールは、右打者の古暮にまるで向かってくるかのように鋭く曲がり…古暮は体をのけぞらせる、しかし。
『ストライッ!バッターアウッ!!』
ヒューゥ♪
赤城は、Fスライダーの切れ味に思わず口笛を吹いた。
山田「ちょっと棗!もうジュース切れちゃったから、早く氷とジュース買いに行くよ!」
夙川「このクソ暑いのに商魂たくましいです…」
赤城(いくら古暮君がFスライダーを読みきっていても、あれだけ良いコースに投げられたら流石に手も足も出ぇへん。…これはいよいよ初回の三点が大きくなってきたで)
おいおーい、と大きな声でヤジを飛ばしていた西条が組んでいた足を組みかえる。
西条「これは、今日はもう俺の出番はなさそうやなー」
六条「さ、西条君ガラ悪いですよー?」
桜井「…このまま行くんじゃないかな?」
二点リードしてるんだから、と肩までそろえた桜井のショートヘアーが可愛らしく揺れた。
三澤「うーん、そうだったらいいんだけど…」
ナナコ「んー。なんか…」
六条「?ナナコちゃん、どうしたの?」
六条の膝の上に座っていたナナコが、マウンドから帰ってきた冬馬をじっと見つめていた。
冬馬「どうしたの?ナナコちゃん」
ナナコ「んーん」
なんでもない、という風にナナコは首を振る。
それでも、ナナコが何かあると思ったときは本当に何かあるのかもしれない。降矢はなんとなくそう感じていた。
相川(…いや、何事もなく行くだろう。…普通なら。それでも、なんとなく不気味な感じしかしないな)
四回裏の将星の攻撃、四番大場、五番真田がそれぞれ打ち取られ、相川が粘って内野安打で出塁するも、七番野多摩が三振に倒れてまたもや数字にはゼロが刻まれた。
速い試合展開のまま試合は五回に突入する。
五回表、暦法0-2将星
手には冷えた麦茶、先ほど200円をぼったくられた代価に受け取ったそのジュースももうぬるくなってきていた。
今日は秋にしては暑い、長袖の制服だと汗ばんでくるぐらいだ。
海部「…このまま行くと思うか?不破」
不破「うーむ」
蘇我「なんでー!?勝ってるんだよ二点、しかも冬馬くん絶好調だよ?」
柳牛「先ほどからヒットらしいヒットは打たれていないし…四番もスライダーで打ち取りましたし…」
関都「ま、確かにこのピッチングならそのままいくような気がするんだが…」
何か腑に落ちない。
今まで話に聞いてきた将星の試合が劇的すぎたからだろうか?
どうにもこうにもなくていい一波乱がありそうな気がするのだ。
不破「逆に考える」
海部「ふむ?」
不破「…冬馬きゅん、を打ち崩すにはどうするか」
関都(っていうかこいつら別に他人の試合なんだから普通に見てればいいのによー)
海部「そうだな…まぁ野球は違うから核心をついているかどうかはわからんが、とにかくあの変化球をなんとかしなければ、だろ」
柳牛「シュート、とスライダーですね」
海部「一種類なら厄介ではないんだがな…」
そう、このY字作戦。実はかなり効果覿面なのだ。
今までの冬馬はFスライダーさえ何とかすれば、もう他には何もないような、そんな門だけが丈夫な張りぼての城だった。
ところが、だ。
ミラージュにおいては古暮も今まで全く予備知識がなかったためここまで苦戦しているのだ。
本来ならRシュートは捨ててもファールで逃げれるほどの球だ、ストレートもカーブもそれほどではない冬馬において、Fスライダーにさえ球種を絞れば甘く入れば打ち返せる。
古暮「岳…どちらかは捨てた方がいいですよ。中途半端なイメージを抱いていては、どうしようもありません」
岳「…」
岳はこくり、と頷いて首もとのロザリオをきつく握り締めた。
『五番、ピッチャー、岳君』
この回の先頭打者は、岳から。二打席目だが…。
古暮(あのシュート…あれがある分どうしてもいざファントムが曲がってくると反応が遅れてしまう)
人間の脳内は、無意識下においてすでに神経は運動に反応すべく電気情報を送っている。
たとえ自由意思の元で、スライダーを待っていたとしても、先ほどのシュートの映像がどうしても前意識効果として無意識下に残ってしまう。それが本来の動作を妨げる、これを回帰抑制という。
日常ではそれほど問題にはならないが、1時間で140km飛べるボールが飛び交う野球という競技においてその0.01秒の反応の遅れが、バットの動きにモロ出てくるのだ。
古暮(頼みますよ岳…まさか冬馬投手がこれほどまでとは思ってはいなかった…初回の二点があまりにも重過ぎる)
表立ってはいえないが、古暮は心の中で桐生院戦に向けて温存すると監督に進言した自分に悪態をついた。
もう五回…そろそろ追いついて置かないと…。
キィ―――ンッ!!!
古暮「えっ!?」
軽快な金属音、ボールはセンターの頭上を超え…。
県「くっ!!」
フェンスに当たって、グラウンドに帰ってきた。
『ワァアーーーーーーッ!!!!!』
古暮「が、岳!!」
ちぃっ、と相川は舌打ちしている間に、岳は二塁へ楽々到達。
ノーアウトでランナーは得点圏、嫌な展開だ。
望月「初球打ち…!」
南雲「かっかっかっか!!こりゃあ古暮も相川君も一本とられたぜよ!」
烏丸「狸と狐が化かしあいをしてたら、結局猪が獲物をさらっていったような感じですね」
細い目をさらに細めて烏丸がニヤリと、笑った。
前のような悪意はなく、それは人畜無害な穏やかのものだ。
岳「…アーメン」
ただ、岳は自分を信じて初球を打った訳ではない。
無駄な思考にとらわれず、神を信じていただけだ。
自分はそれに従ったに過ぎない。
コキィッ!!
続く六番の曽我部は、二球目を手堅く送ってきた。
バントされたボールはグラウンドを転がり、ピッチャーの前に。
相川(そりゃそうだわなっ!)
御神楽「三塁は駄目だっ!ファーストだ冬馬!」
バントシフトから前に突っ込んだ吉田の変わりにサードへ入っていた御神楽が一塁を指差す。
冬馬「くっ!!」
バシィッ!!
『アウトーッ!』
古暮(…これは、なんとしても…!)
古暮も、首元にかけてあったロザリオを強く握り締めた。
ナナコ「んー…」
降矢「おい」
ナナコ「何?えーちゃん」
降矢「言いたい事があるんならはっきり言ったらどうだ」
ナナコ「んー…?えっとね」
降矢「…なんだよ」
ナナコ「あのピッチャーのお兄ちゃんね」
ナナコ「…えーちゃんと同じ感じがする」
五回表、暦法0-2将星