176成川高校戦12Impregnable defenses
『九番、投手、降矢君』
シーン。
今までは、あの大場でさえも声援を送っていた将星女子生徒。
だが金髪がベンチからゆっくりと出てきた瞬間にその声援は鳴り止んだ。
六条「わ。静かになっちゃったです…」
西条「嫌われてんなー降矢」
六条「…どうしてですか?降矢さん…本当悪い人じゃ無いのに…」
野多摩「ごくあくにんだよ〜」
西条「…お前たまに毒はくな、めっちゃ笑顔で」
極悪人は静寂に戸惑うことも無く、孤独で打席に向かう。
むしろせいせいしてるようだった。
『お、おい。どうして向こうの応援急になくなったんだ?』
『わ、わからん、なんか不気味だなあの金髪…さっきから味方にずっとブーイングくらってるし…』
森田「随分と嫌われているようだな金髪。まぁ、その性格ではいた仕方ないが」
降矢「テメんとこのブラコンクソガキよりマシだ」
荒幡劉「何ぃ…」
降矢「おやおや、地獄耳だね」
相変わらず不適。
将星側の応援が全くなくなったのに戸惑い、成川側の応援も口数が少なくなる。
さっきの真田の時とは全く違う沈黙だったが、これはこれで怖いものがある。
静寂の中から滲み出てくる気迫が森田の目の前で弾けて消える。
森田(…さて、どうする伊勢原。前から言っているように、この男は半端じゃあない)
伊勢原(森田ぁ、確かにパワーや不気味さはあるべが…データを見る限りそんなにややこしい奴に見えないだべが…)
そうなのだ。
作中では今大会の一回戦二回戦をそれぞれ描いてきたわけだが、他の試合では正直降矢が活躍したのは四打席の中で一回くらいしかない。
さらに言うと、一回戦の青竜高校戦では降矢は冬馬と共に途中出場なのだ。
二回戦の陸王では、いい打撃成績を残しているが…三回戦の準々決勝、四回戦の準決勝共に降矢の成績は四打数一安打、五打数二安打。
だが、降矢の恐ろしさはデータでははかれない。
確実に敵の弱点や均衡を突き崩す要となる「本塁打」を打っているのだ。
それは得点圏打率『.798』が物語っている。
本塁打4本、打率.215でも、この男の存在は将星に置いてあまりにも大きい。
意識的だとしても無意識的だとしても、降矢の存在が『勝てそうな気がする』気持ちにつながっている。
たとえ、伊勢原がデータしか見て判断していなくても…森田は一度身をもって降矢の恐ろしさを知っている。
いとも簡単にスカイタワーを弾き返されたから。
森田(侮るなよ伊勢原、コイツの恐ろしさはパワーでも変な打撃でもどっちでも無ぇ。…ここぞという時にしか発揮されない『試合を左右する打撃』だ!)
伊勢原(むぅ…お前がそこまで言うだば…それなりの実力がこの男にあるんだろうな)
降矢「オラオラ、早くしろよ。びびったか、今更作戦タイムしても無駄、無駄」
右打席、バットを肩に担いでトントンと音を鳴らす。
森田(まずはグライダーか?)
伊勢原(そうだな)
ようやくサインが決まり、頷くバッテリー。
森田、振りかぶって…第一球!!
森田「ぬぅぅあああああ!!」
ビシュッ!!
頭上遙か高く、森田のてっぺん2M60cmからボールが投げ下ろされる。
ボールは降矢に近づくにつれて、徐々に地面に並行滑走…!
バシィィッ!!
『ストライクワンッ!!』
『オオオオーッ!!』
『速ぇーな!森田、また一段とストレートが速くなってる』
『バカ、ストレートじゃねーよスカイグライダーって奴だ』
降矢(ストレートのようでストレートじゃない…。いや、ストレートなんだが。縦の変化を基準とした特殊球か)
降矢は一球目、内角高目のグライダーを全く打つ気無しで見送った。
その目は何を見ているのか。
西条「降矢は―――ここはどんなバッティングするやろな。負けてる以上、やる気無しで凡退は無いはずや」
緒方先生「どんなバッティングって…打つのに、何かあるの?」
西条はじと目で緒方先生を見る。
緒方先生「な、何かしら」
西条「何やあらへん、アンタホンマに顧問か?今までの降矢のバッティングを見とったらわかってくる」
野多摩「全然わからないです〜!」
大場「おいどんもわからんとです!」
西条「…二人とも、胸はらんでええから、な」
三澤「あ、あはは、じ、実は私もわからないんだよね」
原田「どうなってるッスか?」
西条「……六条、お前やったらわかるやろ。四六時中降矢見とるし」
六条「え、ええっと…」
六条は少し思案にふけると、静かに喋り出した。
六条「んー…今まで降矢さんは、試合の流れを変えるバッティングをしてきたと思います。それを意識してるかは、わからないですけど…」
西条「まぁ当たりや『試合の流れを変える』、それがアイツがやってきたことや。確かに勝利打点やらもあるやろうけど、何よりも試合の流れを完全にウチに傾けるためのバッティングをする」
緒方先生「じゃあ、ここでは降矢君はどうするの?」
西条「そうやな…まだ森田は『吉田先輩に投げたシュート』の正体を俺らに見せてへん。まだ降矢は第一打席、まずは敵の持ってる武器を全部さらさせようと、するやろ」
三澤「つまり?」
西条「…ツーストライクになるまでは、待ちやな」
真田(…あの金髪がそこまで考えているかね)
実際考えているか、考えていないかは別にして、降矢はその後もボールを見送り続けた。
グライダー×2、タワー×1、スライダー×1、カウントは2-3だが、降矢はここまでの五球全く打つ素振りさえしない。
狙い球が全く読めない不気味さ、相変わらず口元はニヤニヤと笑い不適さを隠そうともしない。
この不気味さに慣れている森田はともかく……伊勢原は徐々に不安さに押されていく。
伊勢原(こ、コイツ一体なにが狙いなんだべか?やる気が無いのか?普通なら反応くらいするはずなのに、変化球にも直球にも全く反応しないべ…!)
荒幡劉(この野郎…)
やはりどこか荒幡に似ている、直感的に森田はそう思った。
特に手の内を見せようとしない所や、それを楽しむような所。
さっき打席に立った荒幡と、似ている…。
しかし、決定的に違うものがある。
それは、この降矢を相手にした時に感じる言いようの無い、不安だ。
「何がどうあって、そうなるのかはわからないが、打たれる気がする」
という、威圧感のようなもの、本気の降矢からは常にそのオーラが漂う、それは彼自身が負ける訳無い、という根拠の無い自信から来るものなのか。
…いや、根拠があるかどうかは、彼にしかわからない。
伊勢原(フルカウント…コイツは何かわからないが、とてつもない嫌な予感がする…!!森田!あのシュートを使うべ!)
森田(…俺もそうしたい所だが…)
森田もうすうす勘付いている。
降矢は、俺にあのシュートを投げさせようとしている。
一度でも対戦させれば、アイツは絶対に何か弱点の糸口を掴んでくる。
将星が手ごわくなったのは、そういう考え方をする「真田」という奴が増えたことだ。
すでに、グライダーの欠点は見抜かれている。
変化するまでは、タワーと軌道は同じなのだ、それでも140近く出ているのでよほどバットコントロールが無いと打てない、打たれる奴は絞られてくるだろう。
だから、まだあのシュートという「兵器」がある以上、勝機はある。
だが…この厄介な降矢という存在に「兵器」を見破られれば…。
森田(後々不利になるのは間違いない)
伊勢原(ノーアウト走者無しで敬遠させるわけにもいかないべ…どうする森田)
森田(……)
降矢「さーどうするノッポ」
森田「…」
コイツに似たような奴がいた。
いつもへらへら笑っていて、自分ではなく、条件をつけ相手側に判断を迫る。
そして自分の実力と相手の判断と天に運を任せる。
―――南雲要。
どうにもこうにも、相手にかけるフェイクやブラフは通じる所がある。
森田「たいした野郎だ…だが、その手にはのらねぇ!」
降矢「…?」
それなりの、対処があるっ!
『ザワァ―――ッ!』
辺りがどよめいた。
森田は右手を大きく天にかざしている。
森田「金髪、今から俺は…『シュート』を投げるぜ!!」
降矢「…」
捕手の伊勢原、内野陣も驚きを隠せない、将星ベンチも目を見開いている。
吉田「どっ、どういうつもりだ!?」
西条(何考えとるんや、あえて見せるなんて…)
真田(問題はどこまでがウソで)
相川(どこまでが本当かということ…)
森田は目を見ひらいたまま、止まる。
降矢を睨みつけて、見据える。
降矢「で?」
だから、どうした、と言った感じで余裕の表情。
ここいらにどうじない辺り、ギャンブラーとしての心意気がある。
ただ心の底ではどう考えいるのか。
伊勢原(ど、どういうつもりだべ森田!)
森田(あの降矢のことだ。俺が正直にシュートを投げるとは思ってはいまい。…が、降矢はその裏をかいてくるだろう。つまり、降矢は俺が「シュートを投げない」と読む)
伊勢原(この打者、そこまで狡猾か?)
森田(コイツは…狡猾なんて生易しいものじゃない。凶悪だ)
降矢(…)
森田をしてそこまで言わせるほどの人物、まだ一打席目だというのに。
左上を見上げるとその金髪の顔が半分だけ見える。
伊勢原の不安は言いようもなく広がっていく。
森田(あんずるな伊勢原。俺はコイツに勝つ為にここまで血の滲むような練習に耐えてきた。…簡単に打たれるか!)
伊勢原(シュート…勝負だべか?)
森田(ああ、このシュートは一打席で見破れない!絶対的な自信が俺にはある!)
伊勢原(よし!)
しかし、この降矢を相手にしても森田の堂々さがちっとも薄れてはいかないのをみて、伊勢原もまた平静を取り戻しつつある。
森田はグラブの中で、握りをシュートに変えた。
森田「行くぞ!!」
フルカウントから!勝負の六球目!!
森田「らああああああああ!!!!」
森田、力の限り投げる!!!!
ビシュアッ!!!!!!!
コースは、内角高目!
降矢「…最初から、狙いはシュートでもそれ以外でもどっちでもねー。俺がこの打席することは…吉田キャプテンの『来た球を打つ』バッティング!!」
森田「!?」
―――フッ!
ボールは少しホームベースの手前くらいで消える!
消える!?いや…世の中消えたなんてありえねー。
降矢「―――!!!!」
これがキャプテンに投げたシュート。
シュート?…いや、ただのシュートじゃねぇ…何かが、何かが違う!!
だが、打てない球じゃねーーーー!!!!!!!
ガキィンッ!!
森田「何!!」
伊勢原「このシュートを、初見で当てただべかっ!?」
降矢(駄目だ、完全につまってやがるっ!)
バッテリー陣は驚いたようだが、勝負的には森田の勝ちだった。
黄色いバットの完全に内側、つまらされた!
『ワアァッ!!』
県「うわ…すごいつまった音…!」
西条「やが、これはいいところに落ちるでっ!」
西条の言うとおり、つまってはいるもののあのスイングとパワーがあるものだから打球はセカンド、ライト、センターの間にふらふらと上がっている。
吉田「落ちるぜっ!」
森田「いや…うちの、外野は、鉄壁だ」
ひゅっ、と軽く息を吐くと、右翼手は加速する。
まるで戦闘機が突撃する時のように加速してそのまま足でブレーキをかけながら、前に滑り込む。
座ったままの体制で、ボールの落下地点へ滑り込む。
ズザアアッ!パシィッ!!
『アウトォッ!!!』
ボールを捕球した男は、息を吸い込むとゆっくりとズボンをはたいて立ち上がる。
高杉「ふぅ。・・・やれやれ、森田め、ようやく見せ場を作ってくれたな」
『ワアアア――――――ッ!!!』
県「っ!」
三澤「わぁっ!取られちゃった!?」
森田「…ふふ、さっきは金髪、お前にお株を捕られたが…うちの外野陣も、鉄壁の守りを誇る」
森田はファーストキャンバスをゆっくりと駆け抜けた降矢にニヤリと笑う。
…だが、対する降矢もニヤリと笑った。
降矢「…いやぁ、捕ってくれて嬉しいぐらいだ。あんなクソな当たりでヒットを打っても、ちっとも嬉しくはないからないからなぁ」
森田「…何ぃ」
降矢「次の打席は、お前の全てを、もっと完璧に打ち砕いてやるよ」
森田「…野郎」
降矢はそれだけ言うと、内野を後にする。
西条「降矢、投げてきおったな、あのシュート…」
六条「降矢さん何かわかりましたか?」
しかし、降矢は問いかけには答えず、ゆっくりといつもの指定席に座る。
西条「な、なんやムシしおって」
三澤「うーん…降矢君のことだから、何か弱点を見つけたのかと思ったんだけど…」
真実は逆だ。
冷静をよそおってはいるが、頭の中は軽くパニックに陥っていた。
降矢(…あの球は…なんだ―――?)