175成川高校戦11true or not
相川(ファントムの弱点、というか特徴は…まったく同じ軌道で来ることだ)
ありえないことであるが、事実だ。
練習の時から相川はうすうす感じていたことだったが、ありえないので気のせいだと思っていた。
…だが、ここまで荒幡に打たれたのではそれも事実として認めざるをえない。
人間ロボットではない、ストレートにしても同じ球速で投げ続けられる訳はないし、変化球も全て同じ軌道で曲がるわけじゃない。
だが、ファントムは全く同じまでとはいかなくても、変化をはじめるスピードはともかく、変化量がほぼ一定なのだ。
そうでもなければあのような変化球を、決して捕球が人並み外れて上手いといえない相川がいとも簡単にとり続けられるわけが無いのだ。
相川(そうか…ファントムをとり続けられる訳は、やはりそうだったのだ)
キレる変化球は諸刃の剣。
野手に打てない球は、えてして捕手もとりづらい。
魔球ナックルのように。
しかし、ファントムは変化量とキレの割に、高校生の相川にでも捕れる『簡単』な球なのだ。
それを、何故かはわからないが…この荒幡は気づいている!しかもほぼ核心に近づいている。
荒幡劉「…ニヤニヤ」
相変わらずニヤニヤしながら、冬馬に向かい続ける荒幡。
完全に冬馬を破壊する爆弾を何個も抱えながら、相手の怯える様を見続けている。
カウントはツースリー。
相川(…対する手立ては一つしかない)
スッ。
『!!』
冬馬「!」
相川はゆっくりと立ち上がる。
―――敬遠だ。
相川(無理して勝負する必要は無い、まだ回は三回)
点差は二点。まだまだ挽回できる。
ここで勝負して打たれてまた流れを向こうにもって行かれるよりは、一度逃げて機を待つしかない。
荒幡劉「…やっぱり逃げる、か。それが懸命懸命、力の無い弱虫バッテリーにはお似合いだね。良くここまで勝ち上がってこれたもんだ…本当疑問」
その言葉に、カチンと来た吉田と御神楽。
吉田「相川!勝負してやれ!」
御神楽「そうだ…愚民如きに言いたい放題させおって。こんな奴程度に逃げていたら、桐生院相手なら全員敬遠になるぞ!」
荒幡劉「…あっはっは!へぇ、桐生院か。ふぅん、随分と雲の上の相手を目標にしてるんだねぇ。…ふふ」
吉田「何がおかしい!」
荒幡劉「敵うわけ無いのに」
冬馬「な、なんだって!」
相川「…黙れ!」
内野陣全員の睨みが荒幡に集中する。
だが、荒幡は臆することなくニヤニヤと笑い続ける。
相川「俺はいつだって勝利へ向かう『ベストな作戦』を立て続けている、ここでムキになっても負けるだけだ」
荒幡劉「あのさぁ、どうでもいいけど。相談ならマウンドどしてよ、側でやられちゃうるさくてうるさくて」
相川「いちいち、人の逆鱗に触れる奴だな」
荒幡劉「アンタ達が気が短いだけでしょ」
相川は血管を額に浮かび上がらせながらも、タイムをかけ無言でマウンドに向かう。
内野陣もそれに続く。
吉田「勝負しろ相川!あそこまでコケにされちゃ黙ってられねぇ!」
相川「駄目だ、ここで勝負しても冬馬じゃ確実に負ける」
冬馬「…っ!」
大場「相川どん、そんな言い方は無いとです」
相川「…」
御神楽「…ここで、勝負して、抑えれば。間違いなく流れはこっちに来るぞ」
相川「だが、今じゃ確実に負ける。ここまで全ての球を試したが、全て確信的にファールにしたようなファールだ。しかも打球は本塁打級…勝負にいくのは無茶以外の何者でもない」
原田「で、でも1%くらいは勝機が…」
相川「勝機は無い」
冬馬「……そうです、か」
吉田「相川!お前一人でバッテリーやってるんじゃないだろ!そんな言い方冬馬が傷つくだろ!」
冬馬「…キャ、キャプテン」
相川「落ち着け吉田。ムキになっても勝てん」
吉田「落ち着くのはお前だ!それじゃ例え試合に勝っても勝負には負けたことになる!」
御神楽「…」
相川「俺は、常に「試合」に勝てるように試合を見ている。…吉田、目を覚ませ。甲子園に行くのだろう。…甲子園に行くには、そんなに甘くない。泥にまみれて、プライドを捨てないと行けないんだ!」
…。
吉田「…」
大場「よ、吉田どん」
吉田「…相川、悪ぃ。今回ばかりはお前が正解でも、納得できねぇ」
相川「納得しなくていい。勝負するのはバッテリーだ」
吉田「冬馬、冬馬はそれでいいのか!」
冬馬「…あ」
大場「そうとです…冬馬どんは、どうするとですか」
冬馬「俺は…」
気づけば、左腕は震えていた。
相川「…下手な意地で打たれるか、冷静に勝利を掴むか」
吉田「勝負して勝つ、その気持ちが無いと勝ち続けていけねぇ!」
難しい所だった。
…西条なら、性格的に吉田と似たような所がある、だから勝ち負けはおいておいて、迷わず真っ向からの勝負をするだろう。
だが、冬馬は今まで相川の言うとおりに投げてきたという感が否めない。
だからこそ、冬馬は迷っていた、投手のプライドと相川の勝利への道との間で。
冬馬「…俺は」
吉田「冬馬!」
相川「…冬馬」
大場「そ、そんなに責めたら駄目とです二人とも!」
原田「そ、そうッスよ」
御神楽「愚民は黙っていろ、今はしっかりと方向を決めなければならない。中途半端では一番いけない」
原田「う…」
将星は実に個性が豊かだ。
だからこそチームカラーというものが存在せずここまで短所を長所で補う理想的なスタイルが築かれていた。
しかし、ここに来て各人の個性の強さが性格の違いが表面化してきた。
荒幡という亀裂によって。
冬馬「…俺は、勝ちたいです、勝負して勝ちたいです。…でも…」
冬馬「投げられる球が…もう、無いんだよぉ…」
あまりにも悲痛な呻きだった。
相川も吉田も、黙ってしまった。
勝負して勝ちたい、その気持ちはわかる、だけど、勝負して勝てない。
絶対に、それが冬馬にはわかっていた。
それでも気持ちと現実とで、どうしようもないやるせなさに覆われる。
吉田の言う事も、相川の言う事も正しい。
だけど、現実として勝負できない。
冬馬「…だから…逃げるしか……」
悔しくて、悔しくて仕方が無かった。
それでも冬馬は言葉を搾り出す。
冬馬「…………逃げるしか……」
???「―――うぜー」
急に体が影の中に入った。
右手のグラブに入っていたボールを、上から取り上げられる。
金髪の男が後ろに立っていた。
冬馬「…ふ、降矢!?」
降矢「いつまでネチネチネチネチやってんだ日が暮れるだろうが。こっちはクソ暑い外野でずっと我慢してんだボケ、人の気持ちを考えろ、死ね。打たれようが打たれまいがどうでもいいんだカス、早く投げろ」
冬馬「なっ…お、俺だって悩んでるんだ!そっちこそ人の気持ちを…!」
降矢「あーん?悩む?はぁーボケ、カス、クズ野郎。あんなハエ相手に何悩む事があるってんだ、ウジ虫」
親指で荒幡を指す。
相変わらずこの男、不適すぎる。
今までの勝負を全く見ていなかったのか、この男は。
苛立ちを隠そうともせず、不機嫌な表情で冬馬を見下ろす。
相川「いきなり外からやってきてえらい口の聞き方だな」
降矢「いい加減俺の性格もわかってんだろ」
吉田「降矢、今はふざけてる場合じゃない。ここはこの試合のポイントとなるん」
降矢「投げる球が無いとか、このちんちくりんほざいてたね」
吉田の言葉を遮るように喋る。
無駄に威圧感があった、思わず吉田も言葉に詰まる。
降矢「情けねー。で、勝負するか敬遠するか悩んでたんだろ」
冬馬「…う、うん」
降矢「勝負しろよ。逃げるなんて、冗談じゃねー」
相川「降矢、試合に勝つ為には逃げることも必要なんだ」
降矢「知ってるよ」
御神楽「貴様ふざけているのか、ふざけにきたなら時間の無駄だ、帰」
降矢「―――理解が遅ぇー奴らだな、『勝負に勝って』『試合に勝ちゃ』いいんだろーが」
その場にいた全ての人間が呆気にとられた。
それは、今までの疑問を綺麗簡単に解決する、素晴らしすぎる理想の答。
原田「ふ、降矢さん」
冬馬「…馬鹿」
御神楽「それが出来れば苦労するか」
大場「降矢どん…?」
吉田「…」
相川「…」
相変わらず理解しようとしないメンバーに、降矢はイラだってマウンドの土を思い切り蹴飛ばした。
降矢「頭悪ぃーな!そりゃあな、このちんちくりんが投げりゃあ、無茶かもしんねーよ。ホームラン連発されてんだからな」
相川「西条を投入する気か?…いや、早過ぎる。ただでさえ西条には先発で無茶をさせてるんだ、せめて冬馬を五回までもたせないと…」
トントン。
相川の言葉を遮って、親指で自分の胸を指す降矢。
降矢「俺だろ俺」
さらに全員が呆気にとられた。
原田「…」
吉田「お、おい降矢!確かに陸王の時は、『軌道を読まれる』っていう特殊な前提があったからこそ、お前が投手をやるっていう奇策でなんとかなった!…だが今は相手も違う!」
御神楽「今回はそういう特殊な相手じゃない、本格的な敵だ」」
冬馬「そ、そうだよ降矢!無―――」
急に冬馬は言葉を止めた。
それ以上誰も言葉を発す事は無かった。
降矢の目が、これでもかというほど『本気』だったからだ。
それは恐怖を伴うものであり、味方と言えど悪寒が背筋を走る。
冬馬はともかく、吉田や御神楽まで気圧されていた。
降矢「やるかやらねーか、やるまでわかるか、ボケ」
御神楽「ぬ…」
吉田「…」
降矢「ちっ、こいつらじゃ話が通じねーよ。相川先輩どーすんスか、頭のいいアンタならわかってるでしょ」
そう、降矢もただふざけて言ってるのではない。
確信があるからこそ、言っているのだ…!
相川(…なるほど、荒幡がアレだけのフルスイングでも打てるのは『フルスイングでも球速に間に合うから』だ)
勘の良い相川は気づいていた。
荒幡があのフルスイングで打てるわけを。
―――今までのデータを頭に叩き込んでいる相川は、成川の『今までの相手チーム』のデータを引き出した。
相川(…確かに、成川も弱小にばかり勝利してここまで来たわけじゃない。…が、相手には一定の法則があるじゃないか)
―――そう。
成川高校が決勝まで戦ったチーム…その相手チームの『投手』は冬馬と同じく誰も彼も『軟投派』投手なのだ。
相川(そうだ、冬馬みたいな軟投派投手からならあの『フルスイング』でも打てるかもしれないが…)
―――果たして、降矢みたいなどちらかというと、速球派で、あのフルスイングは球に間に合うのか!?
相川「…冬馬、お前はライトに行け」
冬馬「え、ええ!?」
吉田「あ、相川!?」
御神楽「正気か!」
相川「…冬馬じゃあ、100%ない。が、降矢なら、20%は可能性がある」
冬馬「…」
吉田「…」
降矢「はん、ドイツもコイツも…そんなに俺が信用ならないかね」
なるわけがない。
あの陸王戦以来ノーコメントを決め込んで投球練習を一切していないのだ。
フォアボールじゃ、冬馬で敬遠するのと変わらない。
相川「…ここは任せてくれ。俺だって勝負に勝って試合に勝ちたい。…別に、お前らともめたい訳じゃないんだ吉田」
吉田「……………わかった」
吉田はそれだけを言うと、三塁キャンバスへと戻っていった。
それに伴って皆も、守備位置へと帰っていく。
冬馬「…ふるや」
降矢「お前は後ろで見とけ」
ガンを飛ばされて、冬馬は後ろ髪を引かれつつもライトへと向かう。
マウンドには相川と降矢だけが残された。
相川「速球なら打てないと踏んだか?」
降矢「さすが相川先輩、わかってんな。…後ろから見てて、あのスイングじゃあ間に合わねーと踏んだ。…俺と違って、アイツはスイングスピード自体は、俺ほど速くねー」
相川「確かに」
実の所、二人ともほぼ確信的な予感があった。
降矢は勘に近いものではあるが、ここ一番での降矢の読み…洞察力は半端ではない。
相川「…ストレート勝負」
それだけを言うと相川もホームへと帰る。
マウンドはついに降矢一人になった。
気持ちいいね。
…一人きりで、打者を見下ろすんだ。
『ピッチャーの冬馬君がライトに変わりまして、ライト冬馬君。ピッチャー、冬馬君に変わりまして…降矢君!』
『ザワザワザワッ…!!』
荒幡劉「おやおや、この暑さで頭もイカレたのかね…。一か八か…いやいや、『八』もない。待ってる結果は『一』つだ」
降矢「黙ってなガキ、死ねガキ。さっきから黙ってりゃえらそうにグダグダとボケ。死ね、自分で死ね、同じ空気も吸いたくねー」
荒幡劉「口ばっかり達者、少なくとも冬馬よりは口はたつねぇ。…でもさぁ、俺冬馬以外には興味ないんだ。さっさと消えてよ、目障りだから」
降矢「目障ってんのはどっちだ、気づけよボケ。死ねボケ、喋んなボケ、うじ虫が、死ね」
物凄い口げんかである。
口げんかの域を超えて、脅し合戦にもなりつつある。
少なくとも降矢のは本気が含まれている、打席の荒幡を覗いてほとんどの人物が凍っていた。
荒幡劉「…うるさいな。とっとと打つから、投げてこいよ」
降矢「…はぁ?やだね、お前の思い通りになんかなる訳ねーだろ。何様のつもり?バーカ、死ね」
荒幡劉「…!」
降矢の方が人の神経を逆撫ですることにおいては一枚上手のようである。
降矢は涼しい顔で罵詈雑言を並べ立てているが、荒幡はすでに怒りの血管が浮き出ている。
ようやっと、プレートに足をかける。
周りはボークでもやらないかと、不安でいっぱいだったが、それを裏切ってスムーズにセットポジションに入る。
…その辺りは、体に染み付いてる記憶なのだろうか。
荒幡劉「…絶対に打つ」
降矢「やってみろや」
打席と同じように、足を一本残したまま、思い切り腰を捻る。
荒幡劉「!」
森田「気をつけろ劉!陸王戦を見る限り…そいつはただの選手じゃねー!!」
降矢「サ――――………イクロン。」
ゴバァアウッ!!!!!!!
荒幡「な!速―――――!」
――バッシィィィィィィ!!!!!!!!
スイングが半分くらい出たところで、ボールはすでに相川のミットにおさまっていた。
ど真ん中ストレートっ!
『ストライク!!!バッターアウトォッ!!!!!』
荒幡劉「…は…速ぇ…!!」
驚きで、体中の力が抜けた。
カラァーンッ…。
スイングの体勢のまま、バットを地面に落とす。
降矢「まぁ、ガキは帰ってクソして寝ろ」
荒幡劉「ぐっ…!!」
『な、なんだあのトルネード野郎!』
『あ…!荒幡が三振!?』
『つーかなんだ今のストレートは!?150kmくれー出てんじゃねーのか!?』
『…む、な、なによ。中々やるじゃない』
『な、なに言ってんのよ、アイツは冬馬きゅんの敵よ!』
だるそうに、マウンドからベンチへ帰る降矢に、冬馬が声をかける。
冬馬「ふ、降矢…」
降矢「言っとくけどな、情けねーとか自分を責めんなよテメーは」
振り返り様に、額に人差し指をおかれる。
冬馬「え…」
降矢「俺はだりーからな、アイツん時は俺が投げるけど、後はテメーでやりな」
冬馬「…」
降矢「完全分業制って奴だ。わかったな、お前は『アイツ』以外には通用するんだからな」
冬馬「う、うん、ありがと降矢」
降矢「うっぜー!あのな、俺はお前に借りを返し続けるだけだ…お前が会いたい奴に会えるまでな」
降矢はそれだけ言うと冬馬にでこぴんして、だるそうにベンチに座った。
冬馬「痛たた…どうして、いっつも暴力振るうんだよ、もう。せっかく見直しかけてたのに…」
野多摩「にやにや〜」
冬馬「…何、野多摩君」
野多摩「ううん、なんでもないよ〜」
西条「降矢んやろー。…もったいぶりやがって、あんだけ良い球持ってるくせに、何考えてんだあの野郎」
冬馬「あ、あはは…」
言わなくても冬馬にはわかってた。
あの球はきっと…あの『D』の力のせい。
だから…取って置きのときにしか使わない。
西条「アレやな冬馬。まぁ、あの外ハネ野郎は降矢がやるとして、せめて五回までは後無失点でいけ。後は俺が抑えたる!」
冬馬「う、うん!」
森田「…まさか劉が押さえられるとはな」
荒幡劉「あの金髪…ふざけやがって!…ふふ、次の打席、楽しみだ。冬馬にしても金髪にしても、どちらでも叩きのめす」
森田「…まぁ、試合の方は心配するな。グライダーが完璧に打たれたとは言ってもあの真田だけに気をつければいい、まだ俺には『あのシュート』がある。少なくともこの試合はもらった」
森田「次の、金髪を抑えれば、の話だが」
森田の額から一筋汗が滲む、だが口元は不適に笑っていた。
三回裏、成3-1将
降矢「さて、と…あのノッポを一発ぶちかまして、コールドで勝つとするかね」
『九番、投手、降矢君』