172成川高校戦8cause's





















幸せな家族だった。

姉は随分と年が離れた弟を子供のように可愛がった。

あの日、弟は聞く。

「お姉ちゃん、僕のこと忘れない?」

あの日、姉が言った。

「ずっと、悠一のこと忘れないから」

姉弟は複雑な家庭環境だった。

親は姉の由美子が中学生に進学したぐらいから仲が悪くなった、父親が事業で失敗したらしい、幼い弟にはよくわからなかったが。

度重なる暴力の末、母親は別れることを決めた。

姉は母親の実家の沖縄へ、弟は今のまま関東へ住むこととなった。



そして姉が家を出て行く日、弟は姉の服にしがみついた。

「お姉ちゃん、僕のこと忘れない?」

「ずっと、悠一のこと忘れないから」



母親は父親の顔に似ている弟を引き取る気にはなれず、息子に申し訳ないと思いながらも父親の元に残したのだった。

しかし、それが悪かった、別れてからも父親の弟への暴力は続いた、体は傷ついていった。

その傷のせいで小、中学校でも一人だった、その年頃はほんの些細な理由で人を嘲笑の対象にする。

愛されない、友もいない、歪んだ環境の中で弟はあの言葉を繰り返した。

『姉は、ずっと悠一を忘れない』と。

唯一自分に優しくしてくれた姉、その言葉だけを糧に生きてきた、その言葉だけが弟にとっての愛だった。

そしてそれはいつからか感情と同じように歪んでいく、唯一自分をはぐくんだ姉に盲目的なまでの愛情。

しかし。

姉は、弟を裏切った。

忘れないはずの姉、しかし連絡先も何もかもが無かった。

母親は父親と完全に縁をたちきるために、母は何もそこには残していかなかった。

そして酒臭い息をまきちらしながら、父親は吐き捨てた『アイツらは俺達を忘れたがってんだ』と。

(ずっと忘れないから)

弟の心にヒビが入った。

想う気持ちが、うずまく負の感情に変わっていく。

『どうして、お姉ちゃん?僕を裏切ったの?』

そして、何のいたずらか、姉と弟は出会った。

心にしまいこんだ歪んだ愛情が奔流のように溢れた、そして溢れたその思いをコントロールするすべは弟は持ち得なかった。

彼は、ずっと混乱しているのだ、心の奥で。


「お姉ちゃん、ふ、ふふふ」


今までかろうじて狂わずに来れたことへの感謝や自分の愛の深さをどう示せばいいかわからず、今野球という形式を借りてそれを果たそうとしていた。

自分が活躍すれば、姉への気持ちを表せる事が出来る。

そして野球という形式を借りて、裏切りへの復讐を果たす。

彼自身も今、冷静に考える余裕は無かった、今彼は感情の赴くままに暴走する。

バーサーカー。






三回表、成3-1将

『一番、セカンド、綾村君』



気を取り直して、コールが再びかかる。

異常な目の色、バーサーカー綾村が静かに、不気味に打席に入った。


『一打席目の綾村のヒット…あれでいきなり成川に流れが傾いたからな』

『ああ、今二点差だが流れは将星だ。だけど、将星からすればここで再び流れを戻されると厳しい試合展開になるな』

『だけどよ、綾村があんなに気合入ってたことあったか?』

『そういえば、そうだな。一打席目の綾村のヒット、二塁打だったけど…いつもならあんなに気合もいれずに一塁どまりだろ?』

『確かに、今日の綾村は一味違うな』


興味深い会話が隣で交わされる、中年くらいの高校野球ファンか、やたらと成川の事情に詳しい会話をさっきから繰り広げている。

バックネット裏、九流々の横での会話だ。


九流々(と、隣のおっちゃんたちやけに詳しいナリね)

笑静「そうだな。だがまぁ、事実には変わりないだろ」

赤城「確かに、綾村のプレースタイルは飄々として…悪く言えばやる気が無いスタイルや。二塁打もそうやけど、先制のホームインもかなり強引なもの。あんな無理してホームインするような奴やないで」


舌にをペロリとなめると、そのまま分厚いデータブックをめくる。


赤城「むしろ逆やな。ホームインするところでも走らへんし。そのやる気の無さからチームメイトとの仲はあんまり良くは無い。やけど、バッティングセンス、走塁センス、守備のセンスどれをとっても成川にそれ以上のセカンドはいない。やから使わざるをえない、っちゅーとこや」

笹部「なるほど…」

赤城「やけど、今日の綾村は随分気合が入っとる、一体なにがあったのやら」

九流々「何があったのやら、じゃないナリ!冬馬がまた打たれてどうするナリかっ」

笑静「お前将星に肩入れするなぁ…」

九流々「当然ナリ、我輩たちに勝った将星がこんなところで負けてもらっては困るナリっ」

吉本「こくこく」

赤城「はてさて、あのおチビ投手が強打の成川打線にどこまで耐えられるかね」





ボールは外角低目、わずかに外れてボール。

『ボール、ツー』


冬馬「くっ…」


カウントは0-2不利なカウント、冬馬は審判の判定に軽く声を漏らした。


相川(今のがボールか…今日の審判は随分厳しい判定だぜ)

綾村「…」


対する綾村はピクリとも動かない。

雰囲気だけは異常なのに、それを越える冷静な構えが余計に不気味に見える。


相川(しかし、ここはなんとしても冷静にならなきゃならない)


一回はこの綾村のヒットから怒涛のように三点を奪われた。

ここでまた綾村に打たれてしまっては一回の繰り返しになるのは目に見えている、なんとしても無死でランナーに出るのは避けなければならない。

ファントムを使う、としても使いどころの問題、相川のコンピューターが0と1を刻む。

いくら素晴らしい必殺技があっても乱発は危険だ。

それに、ファントムはすでに半分くらい相手に攻略されかけている。


相川(こればっかりは予想外だったが…)


ミートをあわせ、飛ばすだけでパワーのあるバッターなら内野を越えるヒットを狙える。

Fの弱点、球質が軽い事を成川はすでに知っていたのだ。

それでも精神的に弱いはずの冬馬が凹んでいないのは、さっきの降矢のキックのおかげだろう、Fが打たれる不安よりも降矢を見返す強気で投げている。

降矢がその効果を狙ったかどうかは知らないが。


冬馬「せあっ!!」

綾村「…!」


冬馬、第三球はストレート、しかも高目!

パシィッ!!

『ストライクワンッ!!』


綾村(へぇ…精神的に弱いと聞いていたんだけど、どうしてどうしてなかなか強気じゃないか)

相川(よし、物怖じはしてない。まだ負けてないぞ冬馬)

冬馬(…)


冬馬の頭からは完全にファントムを打たれたショックは消えていた。

それよりも股間が痛い。


冬馬(う、うう…ふ、ふるやめ〜〜!も、もし大変な事になったらどうするつもりなんだよ〜〜!!)


自分でも気づいてない密かな想いを真っ向から蹴飛ばす男に、何故か無性に腹が立ってきた。

最近良く感じる、訳のわからない怒りだ。


冬馬「降矢めーーーっ!!!」

相川「おおっ!」

綾村「っ!」


もう一度直球!!

バシィンッ!!!


『ストライクツー!!』

『キャアーー冬馬きゅん、かっこいい〜〜!』

『でも今あの不良の名前読んでなかった!?』

『さっきのケリの恨みをはらそうとしてるのよっ!!』


相川(…まぁ、強気は結構だが飛ばしすぎるなよ冬馬)

冬馬(…あ、す、すいませんっ)


不利なカウントから一点、高目のストレート二つで一気に平行カウントに。

綾村は少し困惑した、ファントムが打たれて崩れ気味かと思えば、今の球は随分と気合が入っていた。


相川(幸か不幸か、今のストレートでちょっと困ったろ。おそらく、狙いはファントムだろうが、何故か今のストレートには中々の威力があった、同じ球を内角高めに投げれば三振をとれるかもしれないからな)


が、相川のサインはファントム。

裏をかく、ファントムかストレートか決めかねている所にファントムを投げれば、気合の入りすぎている綾村なら、力が入りすぎて打ち損ねるかもしれない。


冬馬(…はい)


ファントムに対する不安は、無い。

それよりも降矢を見返すのだ、自分のピッチングであの金髪を凹ませてやるっ。

最近六条さんとちょっと仲いいしっ(気のせい)


冬馬第五球はっ!

外側から、いきなり『キレ』るファントム―――!!


綾村「…狙いは、それなんだよね」

相川「!?」


―――ヒュザッ!!

パキィィンッ!!!



冬馬「えっ!?」

御神楽「し、芯でとらえただとっ!?」


いや、確かに芯でとらえている!

あのすさまじいファントムを、二打席目でいとも簡単に。


綾村「悪いけど、生贄になってもらう」

冬馬「!?」

吉田「っ!冬馬しゃがめ!!」







バキィィッ!!




ボールが左腕からぽろりとこぼれたところを大場はかろうじて目撃した。








相川「冬馬っ!!」

















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