166成川高校戦2coral reef
ぴょこん、と後ろでまとめた髪が天に向かって立つ。
それはいわゆる、ちょんまげ、と言われる髪型である。
九流々「笹部〜、早く来るナリよ。試合が終わっちゃうナリ」
笹部「待ちたまえ、まだまだ九月と言っても暑い。飲み物の一つでもないと、ひからびてしまうぞ」
将星と二回戦で戦い、接戦の末敗れた陸王学園の選手、九流々と笹部が市民球場前を歩いていた。
しかし、笹部は九流々の台詞が示すように球場に向かおうとせず、離れたところにある自動販売機へと足を進めている。
九流々「そうナリが…吉本と笑静に席をとっておいてもらうように、先行させてるナリ。速く行かないと二人にも悪いナリよ」
笹部「それだ」
笹部は音を立てて落ちる缶と同時に、九流々を指差した。
笹部「席をとってもらうとは言うが…たかが高校生の、しかも地区の試合だぞ。決勝といえど、席ぐらいいくらでもあいてるだろう?」
九流々「それがすごいらしいナリよ。将星戦は日に日に観客数が増えていくし、成川は成川でもともと地元には人気がある高校だし」
笹部「しかし…」
そこまで、言いかけたとき台詞をさえぎるように球場の方から大歓声が聞こえてきた。
九流々「なっ、何事ナリか!?」
笹部「す、すごい声援…いったい、どれだけの人が入っているというのだ」
九流々「笹部、ワガハイは先に言ってるナリよ!」
言うが速いが九流々は後ろで何かを言った笹部を放って球場に走り出した。
球場真正面から、切符を買って係員に渡す。
そのまま通路を駆け抜けて球場内に入ると、そこは…異様な熱気に満ちていた。
『ワァァァーーーッ!!!』
大音量に思わず九流々はのけぞった。
九流々「なっ、なんナリか!?この観客は!?」
バックネット裏から内野、外野を見渡す。
この市民球場は外野席こそ無いが、内野席は結構な人で埋まる。
その内野席にほとんど空席が無い、思わず口をあけてしまった。
笑静「九流々!」
と、側から聞き覚えのある声が聞こえた。
九流々「笑静!一体なんナリか、この観客は!ここまで多いとは思わなかったナリ!」
笑静「あー!?なんだって!?」
九流々「観客がここまで多いとは思わなかったナリ!」
笑静「俺も驚きだ!試合が始まる十分前にはもうほぼ満席だ!」
相変わらず大歓声が続いてるので、二人とも大声で話さないといまいち伝わらない。
ようやく歓声がおさまるかと思えば、次打者のコールにあわせて…一塁側、成川サイドの観客が大いに盛り上がる。
九流々「何があったナリか!?」
笑静「スコアボードを見てみろ!」
九流々は首だけを外野の最奥、スコアボードの方に向けた。
そこには、一番左上の隅に、『1』の文字が。
『三番、レフト、竜神君』
『ワアアアーーーッ!!』
対照的にマウンド上の小柄な少年は、早くも額に汗をかいていた。
予想以上のプレッシャー、緊張からくるものではない、打者から来るものだ。
一人一人の意気込みが半端ではない。
相川「冬馬!落ち着け、まだ一回だ!」
しかも、アウトカウントは一つも取れていない。
手のひらを上下して、落ち着けとボディランゲージを示した。
それに応じて冬馬は帽子をぬいで、汗をぬぐう。
―――始まりは突然だった。
将星の先発は冬馬、対する成川の一番は綾村。
まだ両者とも組み合ったばかりで、中腰の状態で、それは起こった。
キィィンッ!!
いきなりの衝撃、切り裂くような鋭い当たりが一二塁間を抜く、初球攻撃!
少し赤みがかった髪が風になびく、センターの県が捕球した時に綾村はすでに一塁を駆け抜けていた。
そして、目線はちょうど向かい合う方向の一塁側将星ベンチに向かう。
緒方先生の背中に、冷たいものが走った。
三澤「どうしたんですか?先生」
野多摩「さっきから調子悪そうだよ〜?」
緒方先生「あ、ううん。何でもないの…」
それはそうだ、あんなこと言えないことも無いが言う事でもない。
疑問符を外せないまま三澤は緒方先生から目線を外した。
『二番、ショート、甲賀君』
相川(ちっ…まずいな、落ち着く前の先制ヒットか。あの一番が意識してやったのかやっていないのかは知らないが、冬馬の足をすくう先制パンチにはもってこいだ)
今までの試合が示すように冬馬は精神的に非常に弱い所を持つ。
ピンチに弱い、ということだけではなくて、落ち着いた精神状態でないと自慢のコントロールも定まらないのだ。
相川は頭を悩ませた、Fを使う所か、使わない所か。
やはりどうあがいても冬馬は先発としては使いづらいのだ、それはスタミナであり精神的強さであり、得意球を見切られてしまえばどうしようもなくなる。
この秋、今までの試合…青竜高校、陸王学園、河原橋高校、山川商業、陸王をのぞく全ての試合で冬馬は抑えとしてピッチングに回った。
やはり、抑えの方が冬馬の味が出る。
つまりFにしても、Rにしても、初見では恐るべき威力を発揮するからである。
それが先発となると…まず変化球を見切られてしまった時点で冬馬の魅力は半分以下に激減する、それを嫌がってストレート中心でいくと、コントロールでそこそこはいけるがどうしても力負けする。
冬馬は抑えで使う方がいい、相川はそう判断した。
バシィッ!!
『ボール、ワン!』
甲賀「ボール1.5個分、外に外れ候」
相川「…」
際どいコースだったが、完全にストレートを見切られた。
やはり球速が無い分、見切られる。
それでは何故相川はこの試合、冬馬を起用したのか。
前にも記述したとおりに、準決勝の山川商業では将星は延長の末、試合を制した。
その際、西条は十回を投げきり、残りの一回を冬馬が投げきるという投手リレーの形をとったのだが、まだ野球というスポーツに復帰して間もない西条にとって、やはり連日の八回、十回は相当ダメージが来るらしく、練習でも肩が重そうに投げていた。
よって、この成川戦は冬馬を先発にするしかなかった、降矢はまだ未知数なので見通しがきかない、ここが選手層が薄い将星のアキレス腱である。
バシィッ!!
『ボール、ツーッ!!』
続いて冬馬の二球目、カーブが低めに外れる。
黄色いスカーフの上にある黒い目玉が、ぎょろり、と弧を描いて相川の方を向いた。
甲賀「…F(ファントム)は、いかに」
相川「そう簡単に見せるほど、世の中甘くないぜ」
甲賀「すでにわかり給うもの、Fさえなければあの投手は並以下と申す」
流石に決勝まで来たチームは言う事が違うな、と舌打ちした。
相川(夏とは雰囲気も段違いだ)
冬馬を並以下、と言い切れる辺り、その実力が伺える。
冬馬(う…やっぱり、ストレートじゃ…悔しいけど、悔しいけど駄目だよ相川先輩)
相川(しかし、陸王の時はライトニングがあったからいいものの、今は投げれない。ファントムを打たれたら終わりだぞ!)
冬馬(…う)
ファントムは冬馬の生命線である。
…そして、もう一つ、冬馬はファントムの二段階版、ライトニングを失っている。
もちろんあれは手首にDが刻まれていたせいで生み出されたものだったのだが、そのDは今はもうあとかたもなく消えている。
それと同時に、しびれるような感覚も、おかしなくらいの変化もなくなり、もとのファントムに戻ってしまった。
相川には、冬馬はあれ(L)はたまたま投げれたもの、と説明するしかなかった。
だからもうどれだけ投げても投げられないのだ、それは準々決勝、準決勝で相川の淡い期待も裏切られた。
相川(せめて、三回まではファントム無しでもたすしかない。打者の打ち損じを期待するしかない)
甘い考えとはわかっているが、そうしなければとてもじゃなければ最低六回までは投げきれない。
冬馬、第三球は内角高めにRシュート!
ボールは、わずかにライズしながらに曲がってくる。
甲賀「あがるシュート…確かに、始めてみる。が…変化量はわずか、打てない球ではござらん!」
相川「!!」
内角に食い込んでくるRに甲賀は上体だけをそらし、上手く…打つ!
カキィイィンッ!!
『ワアアアーーーッ!!』
冬馬「!!」
相川「ちいっ!!」
上手く流し打って、打球はレフトのさらに左を抜けて、フェンスにあたる!
それを見た綾村は好スタートをきり、あっという間にセカンドを回る。
ようやく真田がボールに追いついた時に、後ろで何か大声が聞こえた。
『ワアアアーーッ!!!』
県「真田先輩!ランナーサードを回ってます!!!」
真田「なんだと!?」
勢い良く振り返ると、ショートの御神楽が速く、と手を振っている。
視線をずらすと、三塁を回る一塁ランナーの姿が見えた。
真田「なめるなぁっ!!」
体、振り向き様に鉄砲玉のようにバックホームを返す真田。
強肩レーザービーム、中継の御神楽の必要もなく、ツーバウンドで相川に向かう。
吉田「相川!刺しちまえ!」
相川「当然だ…暴走というものをコイツに教えてや…!」
相川の動きが止まった。
グラブに入れたボールをタッチしにいく足はすでにホームベースに触れていた。
綾村「ふ…俺とお姉ちゃんを遮るものは何も無い」
―――速い―――!
『セーーフッ!!』
『ワアアアーーッ!!!』
御神楽「相川!三塁だ!打者も三塁を狙っている!」
相川「くっ、ふざけるなっ!」
すぐさま、立ち上がって三塁へ送球!
吉田も捕球してすぐにタッチしにいくが。
『セーフ!!』
吉田「ぐえ!!」
御神楽「な、なんという足の速さだ!」
甲賀「速くなどはない。綾村はエンドランをかけたおかげでホームインできた、小生は綾村へのバックホームを確認してから三塁に向かっただけで候」
吉田(判断力の速さってか…!)
『ワアアーーーッ!!』
一気に成川応援席のボルテージはマックスまで上がる!
歓声に迎え入れられるように、綾村はゆっくりとベンチに帰ってきた。
森田「ナイスバッティング綾村!」
伊勢原「いい走塁判断だべ、綾村」
成川選手達は笑顔で迎え入れるが、綾村は当然といった無表情でベンチに座る。
そして、少しだけ笑う。
綾村「ふ、ふ。早く…お姉ちゃんの悲しむ顔が、見たい。ふ、ふ」
森田「…」
異様なオーラに、思わず言葉は喉でつまった。
―――そして、九流々が球場内に駆け込む。
『三番、レフト、竜神君』
『ワアアアーーーッ!!』
九流々「と、冬馬が一回から打たれた!?」
笑静「まだファントム投球はゼロだ。相川君らしくない、成川にファントム無しで通用すると思ったのか」
吉本「…(こくり)」
そして一塁側。
忸怩たる思いで、西条は試合を見ていた。
握った左手は真っ白くなっている。
西条「冬馬ぁっ!!落ち着け!まだ一回や!!あわてるんやない!」
六条「冬馬君頑張れーーっ!!」
成川の大声援に負けじと、将星の方も大声を張り上げる。
球場内はまるで地区予選とは思えないくらいの熱気で満たされた。
吉田「相川!ファントムだ!ファントムしかねえっ!」
冬馬「…」
冬馬は帽子を被りなおした。
相川(ちっ…甘かったか。夏の成川とは、違う、ということだな)
竜神「夏のわし達とは違うぜ、わし達は打倒将星を目標にやってきたからのぅ」
いつの間にか、大柄な男が側に立っていた。
口の下に生えている髭が高校生以上の迫力を与える。
竜神「さぁ、ファントムを投げてくるんじゃ冬馬とやら。先輩らの雪辱はわしらが果たす!」
冬馬「…!」
相川はゆっくりと目を閉じた。
そして、出したサインは…。
―――ズバアアアアンッ!!
竜神のバットが大きく空を切った。
竜神「…来たのぅ…これが、ファントム!!!」
冬馬「まだまだ…これからだっ!!!」
冬馬はロージンバッグを地面に投げ捨てた。