157陸王学園戦17リミットとの戦い
笹部は自らの守備位置まで歩きながら、さきほどの吉田の言葉を思い返していた。
笹部(野球しようぜ、か)
紳士的などと振舞っておきながら、笹部はしっかりと西条を挑発していた。
もちろんそれは長嶺監督の采配だったのだが…。
笹部「…」
確かに頭脳や策略も必要だが、その根本にあるのはもっと純粋なものなのじゃないのか?
少なくとも自分は、そのようなものを目指していたはずだ。
だからといって、今更自分をここまで指導してくれた長嶺監督を裏切るわけにはいかないだろう。
長嶺監督(笹部、向こうはすでに八人のようなもの。持久戦に持ち込みさえすれば、勝てる確率は増えるじゃろう、ほっほ)
笹部「持久戦、か」
九回裏、陸2-2将。
そう、将星はリミットと戦っている。
真田「もって、あと少しだ」
真田はベンチに帰るなり強い口調でいきなり切り出した。
そのまま動作で次打者の吉田を除いた選手達を集める。
緒方先生「何があと少しなの?」
真田「野多摩君が守備を変更してレフトについているとはいえ、この金髪と俺の二人で外野を守っているようなものだ。絶対的に穴は大きい、あの長嶺監督の事だ、狙ってくるに違いない」
相川「…」
西条「いや、俺が」
真田「西条君、君も無理しているはずだ」
西条の言葉を遮って真田は言う。
西条「…んなこと」
真田「この前の青竜戦はストレートで勝負しても十分に対抗できたが、今回は打たれている。明らかに青竜を打力で下回っている陸王に対してだ」
相川「…確かにな」
真田「次、また一番笑静からの流れになると…次は無限軌道に掴まる」
西条「…!」
六条「じゃ、じゃあ…」
ドガンッ!!
いきなりベンチの端の方で打撃音、見ると降矢が椅子を蹴飛ばしていた。
降矢「馬鹿いってんじゃねー、あのコロ助もバテてきてんだろーが。リミットと戦ってるのは俺らだけじゃねーよ」
真田「だが、まずはあの『球』を攻略しなければ始まらないぞ」
そして舞台は打席に移る。
『―――三番、サード吉田君』
『ワァァァァーーー!!!』
歓声に背中を押されながら打席に入る吉田。
先ほど野多摩に対して投げた『弧月』。
まずは体験しなければなんとも言えないところだが…。
吉田「そうもうかうかしてられないってとこだ」
マウンド上の九流々。
見たところ、体力が切れてきているのは明らかだ。
一つの呼吸の感覚が短くなってきている。
九流々「さて…いくナリよ」
しかし…あんなクソ遅いボールなら体力の減りも抑えられてしまう…。
第一球!
九流々「弧月!!」
ふわぁっ…!!
九流々の右腕を放れたボールは、高く舞い上がりふわふわと浮かんでから落ちる。
ほぼ、ベース上でバウンドするように。
ポーンッ。
『ボール!!』
弧月が落ちてきた時点でのボール判定、今のはわずかにベースの上を外れていた。
しかし…かなり際どいコースで、だ。
吉田(なんてコントロールのいい奴だ…!)
遅くて浮かんだボール、簡単に討てそうに見えるのだが…実際はそうでもない。
九流々が第二球を…投げる!
吉田「っ!」
バシィッ!!
『ストライクッ!!』
吉田は、おい、という口の形のまま一歩引いた。
先ほどの遅すぎる球とはうって変わって快速球。
吉田(やっぱな…打ちにくいぜこりゃあ)
先ほど、弧月の一つの打ちにくさに『ストライクかボールの判定のしにくさ』をあげた。
選球眼の良くない選手にとってはそれだけでかなりの難度のボールとなる。
ボール球は打てないからボール球なのだ、ボールとわからず手を出すとバットが届かず凡打になるのは避けられない。
そして…今のような、『緩急の変化』!
笹部(あんな70kmも出てないような遅い球の後に、あの速球だ…なかなか手が出ないはずだ)
そう、人間緩急には弱い。
あの遅い『弧月』が目に焼きついた後では、速球がまるで150kmにも見えてしまう、そうなるとまた難度があがる。
吉田「ただのスローボールかと思ったら…結構厄介じゃねぇか」
九流々「ただのスローボールじゃない…弧月ナリ!!」
吉田「(来るかっ!!!)
バシィンッ!!
吉田「うぐっ!」
またもや速球が内角高めに決まる、まったくタイミングがつかず手が出ない。
『ストライクツーッ!!』
吉田(んにゃろう…タイミングとりづらくてしゃーねーぜ。ここは一つ、決めて打つしかねーな…)
弧月かストレートか、絞って打たなければ到底手が出ない。
目線を下に移すと、茶色い地面が見えた。
二三度、足場をスパイクで蹴飛ばして考えを決める。
吉田(…いよし、あの遅い奴だ。決めたぜ)
決めたら速い、吉田はグリップを握りなおして勝負の体制に入る。
対する九流々も、グラブを胸の前に構える。
第四球…!
ふわんっ。
ボールははるか上空、ふわり浮きながら青い空を裂き、月のような弧を描く。
真田「っ!」
相川「来たっ!!」
吉田(来たぜ!!)
弧月が来た!
待ってましたとばかりに吉田は一度間を置いてから、左足を上げる。
十分なタメ、タイミングはばっちりだ!!
吉田(行けるぜ、三遊間抜いたっ!!)
ガキシィッ!!!
吉田「!?」
しかし、予想外だったのは弧月がストライクゾーンに入ってなかったことにある。
手首に伝わる振動…芯から、外れている。
…当然、つまった当たりは二塁に。
笑静「この俺のところに来たからには、アウト間違いないね」
吉田「何言ってんだ!そこからグラブで捕ったら時間差で俺の方が速い!」
しかし、笑静ははねたボールをグラブに当ててそのままファーストに弾き飛ばす。
吉田の悲鳴は審判のアウトコールにかきけされた、相変わらずのトリックプレイである。
御神楽「速くも一死か…」
相川「三澤、野多摩はどうだ?」
相川はベンチの隅で、濡れタオルを顔にかけられた野多摩を見やった。
三澤「うん…意識はしっかりしてきてるけど、まだしっかりとは動けないみたい」
野多摩「す、すいません…」
野多摩はフラフラと頭を下げる。
まだまだまともに守備にはつけそうにない。
吉田「くぁー畜生!!ありゃ厄介だぞ相川!」
そんな中大声をあげて吉田が帰ってきた。
野多摩君に悪いから騒がしくしたら駄目、と三澤にたしなめられた後、すごすごと腰をおろした。
相川「なかなか、か。あれは」
吉田「あー、ストライクかボールの判定がつきにくい上に、速球来たら全く手が出ないな。絞って打たないとやられるぜ」
真田「…」
赤いバットを右手に真田はネクストバッターズサークルに向かう。
吉田「真田、どっちかってぇと弧月は見ない方がいい。速球狙いの方がいいかもしれないぜ」
真田「…ああ」
言ってから、やけに先ほどは雄弁だった事に気づく。
こんなにもペラペラと喋るような人間ではなかったはずだが…。
真田(必死さにのせられたか?)
後ろは無い、という状況が気分を高揚させたのか。
白線で囲まれた円の中で膝を折った。
真田(笑静が塁に出る、その状態で九流々に回ればおそらく失点はまぬがれん)
特に西条はインプットされている、長打はまぬがれない。
そうなれば今の守備位置では、一塁からでも長駆でホームインされてしまう。
真田(一番に出る前に片をつけなければ…)
大場は弧月に手を出し、あえなく外野フライで二死。
二死からランナーに出たところで、どうしようもないが…。
とりあえず、野多摩の回復を待つ意味で粘っていかなければならないだろう。
真田「…?」
どうしたことか、いつのまにか『協力的』になっている。
思わず真田は苦笑した、あのギリギリの状況、もしくはチームの雰囲気がそうさせるのか…。
少なくとも堂島がいた頃の桐生院よりは随分と居心地が良い。
『五番、センター、真田君』
真田(さぁ、まずは欠点を見抜かなければ)
どんなものにも必ず弱点はある、悔しいがあの金髪なら見抜けばスタンドに放り込むほどの力はある。
まずは弧月を丸裸にしなければ。
九流々、第一球!!
真田「!」
ふわあっ。
いきなり弧月が空中高く舞う、ゆっくりと弧を描きながらふらふらと落ちてくる。
ボールは、ベースの端ギリギリで大きく跳ねる。
『ストライクワンッ!!』
真田は息をついた。
真田(流石のコントロールだな…ストライクっつってもベースの端をかすってるだけだ)
自慢じゃないが選球眼には自信がある。
その点は弧月を攻略可能と言えるが…、速球を混ぜられた時の対処法だ。
対しての第二球、その直球が高めに決まる、真田は手が出ずあっという間に追い込まれた。
真田(吉田君の言うとおり、まったくタイミングが合わないな。これは…)
今のストレートが先ほどより何倍も速く見える、ただの直球のはずなのに弧月がそれの見え方をも変えていく。
投球は錯覚を用いる時もある、人間はものをイメージで見ている、と何かの本で見たことがあった。
ならば、吉田のアドバイスを信じて打つ球を絞り込むしかない。
真田が決めた答えは…『弧月』待ち!!
赤い風が吹くのか、月が弧を描くのか…。
第三球!!
バッシィィンッ!!!
九流々渾身のストレートが、外角低目いっぱいに決まった。
十回表、陸2-2将。
…延長戦、突入。