147陸王学園戦7失点を許すな!
三回表、陸1-0将、一死、ランナー一塁。
セットポジションから目線を真っ直ぐに向けると、一塁ベース上に走者がいる。
奇妙なバントで、出塁した陸王の一番笑静。
ワンナウトをとっていると言えども、また九流々の前にランナーを出してしまった…。
冬馬(やっぱり…気になるなぁ、ランナー)
冬馬は可愛らしい目でちらちらと笑静を見る。
何故か笑静は苦笑していた。
おそらく、また走ってくるのだろうか、笑静選手は中々に足も速い。
そうなると、また冬馬が慌ててしまって失点するかもしれない可能性はゼロではない。
一回の時のように津波のようにあっという間に一点をかっさわれる。
しかし、冬馬は何かおかしなものを感じていた。
冬馬(なんだか…Fスライダーの威力が上がってきてる)
それはある意味喜ばしいことなのだが、どうにも感覚がおかしい。
特に…軸となる左手首。
冬馬(ん〜…)
ぶらぶらと軽く手首を振ってみる。
冬馬(やっぱり…違う。なんだか軽くなったし…いつもより速く動く)
Fスライダーの投げ方をおさらいしておくと、ファントムとは冬馬から見て投手プレートの一番左端に立ち、そこから左打者のベースの一番外側をこするようにスライダーを投げる変化球、それがまるで左打者から見れば消えたように見える球だ。
冬馬の場合はもともと手首が柔らかいため、変化自体はたいしたことが無いが、より打者の手前で曲がるキレのある変化球を投げることが出来る。
さらにサイドスローで投げるスライダーは手から離れる瞬間に手首を捻ることによって回転が増していく、よって冬馬のスライダーは元々威力がある。
…が、しかし。
冬馬(この前の青竜戦もそうだったけど…もともと俺のFスライダーは”変化量”自体はたいしたことないんだ)
そのはずだ、なのにこの前の青竜戦といい、今日の試合といい、ファントムはキレだけでなく変化量も上がっている。
そして、左手首にある妙なあざ。
この前から気になっていたのだが…前はこんな所にあざなんてなかったんだけど。
冬馬(…んー…まぁいいや、今それどころじゃない)
首を振って相川を見ると、ウェストのサインが出てきた。
ウェスト、とは相手がバントをしてくると読んでボールを大きく外に外す技術である。
ということは、この二番吉本は確実に笑静を二塁に送ってくる。
とすると…。
冬馬(九流々選手勝負…)
九流々には一打席目、無限軌道によってFスライダーを完璧に捉えられている。
得点圏内に走者がいれば…失点はまぬがれない。
冬馬(それに…これ以上点差が開いたら…)
厳しい。
それは相川達の表情が物語っている。
相川(とにかく、絶対にランナーを二塁に送らないことだ。そうすれば九流々に打たれても失点しないかもしれん)
冬馬(…とりあえず、バントはさせないですね)
ジャリ、と足場を固めて定位置に立つ。
そこから、第一球…ウェストボール!
投球を大きく外し、ホームベースから随分放れた所で相川は捕球。
バシィッ!!
『ボール!!』
だが…打席の吉本はバントの構えすらしていない。
冬馬(ば、バントじゃないのかな…?)
相川(悩むな冬馬、悩めば悩むほど長嶺監督の思い通りだ)
横目で陸王ベンチを見る。
白髪の老人は相変わらず微笑しながら試合を傍観していた。
今の所はなにもサインを出していないようだが…。
相川(そうだった…忘れてたぜ、そう簡単に送りバントさせるような人じゃなかったな…あの爺さんは)
相川は、少し間を置いて考えをめぐらせる。
相川(いや…あえてバントさせるかここは。そして九流々を敬遠…っていうのも手だが…いや。次は四番の笹部だ、一発でも喰らったら九流々に打たれるより取り返しのつかない事になる)
やはり何とか吉本で二死をとるしかない。
相川は吉田にサインを送った。
吉田「うん?なんだ相川ー!?」
相川「馬鹿野郎!喋るな!サインの意味がないだろうがっ!!」
吉田「お、そうか?スマンな、ハッハッハ」
相川(駄目だアイツは…)
これで内野ダッシュの作戦も使いづらくなってきたぞ、あの大馬鹿のせいで。
流石にファントムもバントなら当てられるだろうし…手詰まりだ。
やはり、吉本にバントさせる以外どうしようもない。
冬馬(低めストレート?)
相川(ここは大人しくバントさせよう)
冬馬(…はい)
大人しく冬馬は頷く、そして第一球を…。
笑静「俺のことを忘れてもらうと、困るっつうんだよ」
冬馬「!!」
相川(し、しまった!!)
完全にモーションを盗まれている!!
冬馬は少し動揺したのか、コースが真ん中に…。
吉本「…!」
カキィンッ!!
ボールはふらふらと上がり…センター前にぽとりと落ちる。
ヒット!…これで、一死、一塁二塁!
『ワァアアーーーーッ!!』
冬馬「また…」
相川「く、クソ!なんてこった!」
相川は地面に拳をたたきつけた。
相川(一番マズイ自体だぞこれは…!)
『三番、ピッチャー、九流々君』
そして、無限軌道が立ちふさがる。
冬馬(う…また俺が動揺したせいで…どうして、どうして俺はこんなに心が弱いんだ!!)
右手のグラブを握る力が強くなる。
冬馬(降矢…)
心細くなってライトの彼を見るも、彼はたいして興味もなさそうに戦況をうかがっていた。
冬馬(な、なんだよ!人の気も知らないで…!)
何故か苛立たしくなって、視線を打席に戻す。
九流々「逃げるナリか?」
冬馬「そ、そんなことないっ!」
しまった、ついムキになってしまった。
九流々「じゃあ、勝負ナリか?」
冬馬「う…」
九流々「悪いナリが…もう冬馬君は、インプットさせてもらってるナリ」
どうする、俺。
自分の心に問いかけてみても、答えは返ってこない。
わかってるのは、九流々の威圧に負けて激しくなっているハートビートだけだ。
気がつくと、相川がマウンドに上がってきている、どうやらタイムをとったようだ。
周りの内野陣も集まってきている。
相川「まずいな…」
冬馬「スイマセン…俺のせいで」
吉田「気にすんな冬馬、キリないぞ」
御神楽「馬鹿の言うとおりだ。コイツのように堂々していろ」
吉田「馬鹿ってなんだよ馬鹿って」
相川「サインを大声で確認する奴のことだ」
吉田「…」
原田「は、はは…」
大場「でも、どうするとですか?」
相川「問題は九流々と勝負するかしないかだ」
御神楽「逃げた所で、次は笹部、か」
吉田「かぁ〜っ!嫌な打線だぜ」
皆の口の動きが止まる。
誰もが逃げなければいけないのがわかっていても、次の四番に打たれるのを恐怖している、走者一掃のタイムリーを打たれでもすればもう勝負は決まってしまう。
勝負しなければいけない。
だが対抗策が見つからない。
冬馬(俺のせいだ…俺にもっと実力があれば…)
そして、股間に向けて足は蹴り上げられた。
ドコォッ!!
冬馬「んやあああああ!?」
悲鳴が木霊した。
そして皆が目を丸くした。
冬馬が崩れ落ちた先に、金髪の長身がいた。
降矢「ガタガタ言ってねーで勝負してこいやオラ」
相川「ふ、降矢」
吉田「じゃなくて冬馬!大丈夫かっ!?」
原田「いやにえぐい音が聞こえたッスよ…」
冬馬「…ぅ、ぅぅ…」
降矢「ほぉ、そこ蹴られて意識失わないとはたいしたもんだ」
冬馬「な、なななな何すんだよーっ!…すごく、すごく痛かったんだからぁっ!」
降矢「ウジウジしてねーで勝負してこい。ここ逃げたら結局この試合ずっと逃げていかなきゃなるぞ」
相川「…!」
降矢「ここで蹴りつけて来い。打たれてもいいじゃねーか。負けなければよー」
御神楽「しかし、これ以上点差が離れては…」
降矢「俺がなんとかする」
降矢はいとも当然そうにそう言った。
降矢「だからお前は全力で投げてろ、ちんちくりん」
冬馬「じゃあ口で言え!!」
降矢「めんどくせーんだ」
原田(ひでぇ!)
相川(鬼だ…)
冬馬「うっく…痛いよ、痛いよ…」
股間を押さえながらへなへなとうずくまる冬馬。
そうとう痛いのか涙目で訴える。
冬馬「こんなの初めてだし、痛いし…もっと優しくしてよぉ…」
大場「むっはあああああああああああああ!!」
降矢&吉田&相川&御神楽「せいっ!!」
メキョッ。
原田「あー…潰れたッスね」
冬馬「…ひぃぃ…」
大場は股間を抑えたまま動こうとはしない、口からは液体も漏れている。
降矢「普通はこうなるんだ、こう。お前ついてんのか」
冬馬「セクハラだよ!!」
降矢「男同士で何がセクハラだ。…とにかく、お前は全力で投げろ、Fスライダーをな」
降矢はそう言うと、スタスタと外野に戻っていった。
相川「アイツも丸くなったな」
冬馬「どこがっ!!」
相川「ああやってわざわざ外野から歩いて来てくれてるほどだ」
冬馬「…あ…………じゃなくて!俺は蹴られ損ですよぅ…くすん」
相川「気合も入ったろう?」
冬馬「ひどい…」
吉田「よし、とにかくなんとかなるだろう!もし九流々を抑えられれば、何か見えてくるかもしれん」
御神楽「うむ」
相川「よし…行くぞ冬馬」
冬馬「…ふぁい…」
『プレイ!!』
ヒリヒリする股間の痛みに耐えながら、冬馬はプレートの端に立った。
なんだか変な気分である、しかしその気分を認めてしまうとどうしようもなくなりそうなのでやめた。
冬馬(うう…降矢の馬鹿)
恨みつらみを心の中で叫ぶ。
九流々「随分とデンジャラスなチームメイトナリね」
冬馬「だよね!?降矢のバーカバーカ!!」
御神楽「言い過ぎるとまた蹴られるぞ」
冬馬「…う」
九流々「まぁ、どうしようとワガハイの無限軌道からは逃れられないナリよ。…ストライクゾーンを通る球であれば!」
相川(真っ向から勝負だ冬馬、Fを投げて来い!)
冬馬(はい!)
少しアンダーの時の癖が残っているフォームから…放つ!
消えるスライダー。
冬馬「ファントム!!」
湧き上がる不思議な感覚。
黒い光が、手首から出ているような錯覚が見えた。
―――バシュアアアッ!!!
九流々「甘いナリ!!」
そのスライダーの軌道はすでにインプットしている!
同じ球種は通用しな―――。
九流々は目を疑った。
九流々「―――軌道が、軌道が違うナリ!?」
変化量が、さきほどの軌道を大きく上まっている!!!
まさか、本気を隠していたというのか!?
九流々(とにかく、カットするしかないナリッ!!)
カキィンッ!!
しかし、ボールはセンター方向に飛ぶ…そう、ファントムはその性質故、球質が軽い。
九流々は思い切り引っ張ってファールを打とうとしたが、球質が軽いのでボールはふらふらとショートの後方に上がる。
吉田「打ち上げたかっ!」
笑静「だが、こりゃあ…落ちるぜ。一点いただきだな!」
相川「いや…センターは野多摩だ」
パシィッ。
吉本「!!!」
笑静「な、なんだと!?捕りやがった!?」
野多摩「と…捕れた〜?」
定位置から遙かに放れた場所だというのに、野多摩はすでに打球に追いついていた。
前に飛びついた形のまま、膝をついて上半身を立てた状態でグラブの中のボールを確認した。
相川「セカンドランナー飛び出してるぞ!野多摩、セカンドだ!!」
野多摩「は、はい〜!!」
そのままの体勢から、セカンドの原田に送球!
ノーバウンドで原田のグラブに収まった!
バシィッ!!
『スリーアウッ!!チェンジ!!!』
ガタリッ!!
席を揺らして長嶺監督が立ち上がった。
笹部「先生、いかがされました」
長嶺監督「…笹部、お前は気づかんか」
笹部「え…?」
長嶺監督「あのセンターの小さい子が、あの打球を捕球したのも素晴らしいが…あの座った状態からセカンドへ送球したんじゃ…。つまり、ノーステップで」
笹部「!」
長嶺監督「高校生がノーステップで外野からセカンドに…しかもノーバウンドで送球するなんて話、ワシは聞いたことが無いぞ」
笹部「ま、まさか…」
長嶺監督「…この将星というチームが寄せ集めでこれだけの実力を持っている気がわかって気がするぞい。…偶然か必然か知らんがこのチームはまるで…」
長嶺監督「原石しか入っていない宝石箱じゃ…!!」
吉田「野多摩ぁあーーーー!!」
野多摩「わ、わ、どうしたんですか、キャプテン〜?」
相川「気にするな、吉田はナイスプレーの選手を体ごと褒める」
吉田は野多摩の手をとってブンブンと上下に振っていた。
野多摩「わぁ〜〜〜」
吉田「よくやったぞ!よくやったぞ!はっはっはっは!!」
真田「おめでたい奴だ」
県「野多摩君がこの試合の鍵になるって、こういう事だったんですね」
相川「ああ…アイツは人一倍守備に対しての反応と、送球技術がずば抜けていい。今まで誰も気づかなかったがな。おそらく、この試合の守備の鍵はコイツにかかっているだろ」
冬馬「すごいよ、野多摩君!!」
野多摩「えへへ…」
西条「…それにしても降矢はどうしたんや?姿が見えへんけど」
原田「あそこッス」
原田が指差したそこには、メガホンまみれで倒れている降矢がいた。
智香「と、冬馬きゅんに暴力を振るうなんて…」
美香「許せない!!」
梨香「滅殺するわよ!滅殺!!投げれるものなんでも持ってきて!」
降矢「…何すんだオラ…」
智香「…ひっ」
美香「下がっちゃ駄目!」
梨香「大丈夫よ!ここから観客席までにはネットがあるか…」
ズバアァッ!!
降矢のバットがネットを切り裂いていた。
降矢「死ぬか、一回」
三人『い、いやああああ〜〜〜〜!!』
六条「わぁあ!降矢さんストップストップ〜!」
三澤「三人も逃げてーーっ!!」
「キャーキャーーー!!」
その光景を苦笑しながら見つめていた冬馬は、自分の左手首を見た。
冬馬(確かに、あの瞬間ここが黒く光った気がしたんだけどな…気のせいかな)
左手の青黒い痣が少し不気味に見えた。