140ミステリーサークル
青竜高校の赤竹兄、試合後に自ら退部届けを出したらしい。
曰く「自分を評価してくれる人を見つけた」らしい、その後転向して目的地は定かではない。
赤城は後にそう言った、流石本地区の人間週間○ライデーである、噂も事実も全て一応彼の耳には入ってくるらしい。
そんな事はどうでもいい。
降矢はそう思った。
帰り道が同じ冬馬と二人、電車に揺れる。
疲れたのか安心したのか、冬馬は穏やかな寝息をたてて目を閉じていた。
少しは焼けてもいいはずのその肌は雪のように白く、男といえども美しかった。
…もちろん降矢はそんなことは微塵にも思わない。
流れ行く景色を車窓から覗く、町景色と振動音が意識を静かに奪っていく。
冬馬「ん…」
こつん。
急に隣の人が降矢の方に倒れてきた。
うっとおしいから反対側に倒す。
こてん。
支えを失った体は、誰もいない座席へと倒れた。
すーすー。
それでもまだおきることなく、穏やかな寝息を立てている。
降矢「のん気な奴だ…」
気になるのはあの言葉だ。
四路(大切な…人だからよ)
アイツ…あの赤い髪の女は、俺を知っている?
降矢は腕を組んだ、おそらく…いや俺は絶対にあの女を知らない。
あの真田とか言う奴に会った時が初めてのはずだ。
待てよ、確かあの時もアイツは…。
四路(それにしても…こんな所で……えっと、今は降矢君と呼んだ方がいいかしらね。貴方に出会えるなんて、運が良かったわ)
…どういうことだ、俺はあんな奴に名前を教えたことは無い。
一体、なんなんだ。
連れ去られてから、自分自身に対しての謎は深まるばかりである。
一番知っていなければいけないはずなのに。
冬馬「うーん…」
ごろり。
そんな真剣な俺の隣で、ちんちくりんはふてぶてしく寝返りを打つ。
ここは電車内だぞ、もうちょっとは行動を慎んだらどうだ。
それにしても。
こいつは何もされなかったのだろうか。
俺は…訳のわからない診断をされたが、その間コイツはどこで何をしていたのだろうか。
そして、俺は冬馬の手首に、ある印を見つけた。
降矢「これは…?」
透き通るように白い冬馬の肌に刻まれた、黒いDの文字。
それは凝視しないとわからないほど小さいものであったが、確かにそれは意図的に刻まれたものであった。
手をとる。
降矢「ま、まさか…」
――――どこかで。
『まもなく〜………お忘れ物の無いように…」
その状態のまま、降矢は身動きをとるのを忘れていた。
電車の揺られる音と、車内アナウンスだけが妙に気味が悪く聞こえた。
そして、冬馬と別れ、一人家路に着く。
アパートの二階、自分の記憶を揺り戻す。
ニューエイジだとかプロジェクトだなんて、そんな記憶は一切ない、それは確かだ。
俺はこの家で生まれ育った…一人で。
降矢「写真だ」
部屋に入ると、勢い良く自分の部屋を漁る。
降矢の部屋はシンプルなもので、必要最低限のものしか置いていない。
白と黒を基調とした、ひどく生活感の無い部屋だった。
ガラリ、と物置を開けるも、中には何も入っていなかった。
そこかしこを開けまわす、が全て最新のもの。
おかしい、何かがおかしい。
この部屋には…年季が無いんだ。
そうだ、俺の最古の存在を証明するものがこの中学卒業のアルバムだけ。
それ以来の記憶が全く抜け落ちている、小学生なら旅行の一つでも行くだろうに、どこで何をしたか、それを自分は全く知らない。
部屋の柱にも幼少時にふざけて傷つけたであろう跡がない、どこもかしこもいやに綺麗だった。
引っ越した、と言えば当たり前だろうが、俺はこの家以外の自宅を知らない。
…何かが、おかしい。
あの俺が誘拐された場所で見た、子供達が野球をしていたという…ニューエイジプロジェクト、俺は…あそこに、いた?
博士(君ハ、元々”ニューエイジ”ノ一員ダッタデース)
No.229君は逃げて、記憶は消しておくから、普通の人間として…。
ザザ―――。
記憶にノイズがかかる。
ザザ―。
ノイズが。
ザザザザザ。
オレハダレダ。
降矢「ああ…」
意識が薄れていった。
相川「…はい、県の様子は?…はい、はい、わかりました」
耳から話して、通話ボタンを押した。
画面の電話番号の上に緒方教諭と書いてある。
辺りはまだざわめきが残る試合会場、陸王戦が終わってまだ間もない頃、客席にいた相川の元に緒方先生から連絡がかかってきた。
六条「あ、相川先輩」
御神楽「先生からであるか?」
相川「ああ、病院の先生からの連絡だ」
赤城と尾崎はすでに他の球場へ旅立って行った、本日のこの球場での試合は今の陸王で終わりだ。
もっとも赤城と違って相川は必要最低限かつ、絶対必要なデータしかとらないので、行動を別にした。
御神楽「どうであったのだ?」
相川「県は…右足首の骨にヒビが入ってる」
六条「…え」
沈痛な面持ちで言った後、グラウンドの方に目をやった。
すでに球団業務員の人が整備を始めている。
相川「ただ、西条はもう身体疲労を除いては回復、大場も別段支障は無いようだ」
御神楽「不幸中の幸いか…」
六条「でも、県君がそれじゃ、次の試合は…」
相川「痛いな、県の足は守備でも役に立っていたからな」
そう、決して捕球技術が高かったり、肩がいい訳ではないのだが、県はなんといっても足が速い、それはセンターというポジションにつくことによって幅広い守備範囲を将星に提供していてくれた。
攻撃面でもところどころでセーフティバントを決めていた県の欠場は、将星にとっては将棋の香車を欠くようなものだ。
相川「降矢が戻ってきてくれた事で打撃的には、まったく問題が無いと思うんだが…守備面で見ると…」
御神楽「じゃあやはりセンターは真田か」
そこで、相川はニヤリと笑った。
相川「普通ならな」
六条「普通?」
相川「まぁ、いい。次の試合はまた一週間後だ、それまでには俺の中でも考えをまとめてみる」
御神楽「頼んだぞ」
相川「ああ」
三人は球場を後にした。
セミの声。
…ここはどこだ?
目を開けると、視界に広がったのは焼けつくされたアスファルトだった。
…ああ、そうか中学の入学式から帰ってきたんだっけ、俺は。
名札を見ると、降矢、と書かれていた。
あー…暑い、早く家に帰らなくちゃ…。
そして俺はドアノブを開けた。
その日から、そのアパートが俺の家だと認識した。
四路「おはよう」
ガバァッ!!
降矢は飛び起きた。
降矢「ハァッ!ハァッ!」
四路「うなされていたみたいだけど、大丈夫?」
降矢「…!」
ギロリ、と視線を女に向ける。
降矢「テメー…どうしてここに」
四路「伝えに来たのよ」
降矢「伝えに…?」
何をだ。
降矢は素早く体勢を立て直し、身構えて目の前の女を見る。
赤い髪に、見たことのない制服、目は猫目で何か狂気のようなものや優しさ、悲しさ、そんな感情が全部混じった複雑な風に見える。
不思議と…懐かしい感じがした。
降矢「何を伝えに来た、俺の正体か?」
四路「あなたがそれを知るのはまだ早いわ…時が来れば、それは告げる」
降矢「ふざけるな!殺すぞ!!」
降矢は女の襟を掴んで引き上げる。
降矢「お前たちは何を企んでいる、なんなんだ、俺は誰だ、何者なんだ!」
四路「落ち着きなさい」
降矢「どうして…お前は俺を知っているんだ!!」
四路「貴方のことじゃないの…冬馬君の、ことよ」
降矢「…ちんちくりん?」
透き通るように白い冬馬の肌に刻まれた、黒いDの文字。
…!
四路「貴方ももう気づいているかもしれないけど、博士に吐かせたわ。…冬馬君はいじられている」
降矢「い、いじられてる?」
四路「一般人には危害を加えない約束だったのに、彼は約束を破った。…始末するはずだったけど、逃げられた。…今はどこかで一緒にいなくなった看護婦と研究を続けているんじゃないかしら」
降矢「そんなことはどうでもいいんだ!」
四路「そうね…あの博士が冬馬君の体に施した魔法、きっとそろそろ何か異変が出始めるはずよ」
降矢「異変…?」
四路「ただそれは、諸刃の剣。あんな体で…もし無茶をしたなら、栄光と同時に失う」
失う…?!
降矢「…だから、なんなんだよ、俺にどうしろって」
四路「勝ち続けて」
降矢「は?」
四路「貴方はこのまま試合を勝ち続けていきなさい、そうすれば自分の正体にもいずれ行き着くはず」
降矢「そういうのは好きじゃねーんだ」
四路「負ければ、冬馬君の体に異変が起きるわよ」
降矢「な…なんだと!?」
四路「あのDサイン……あれは、ニューエイジに施される”刻印”…敗北は許されない」
降矢「何が…何が言いたい!」
四路「運が悪ければ…耐性のついていない普通の人間…。つまり、死ぬ可能性も」
降矢「…な、に」
ザザザ―――。
嫌だ!嫌だよ!どうして!
ザザザザ―――。
嫌だ!僕にだけは名前を教えてくれたじゃないか!
ザザザ―――。
降矢「また…繰り返すのか」
四路「…え?」
降矢「冗談じゃない!もう負けはまっぴらなんだ!」
四路「結果的に…また貴方を巻き込むことになったのは私も辛かった。…でも、貴方があの三澤博士の娘、そしてno.8、の側にいてしまったのは運命」
降矢「運命…?」
四路「…勝ち続けて、その間に私達も急いで博士の居場所を探すから」
降矢「…」
四路「お願い。…それに、貴方も同じ」
降矢「俺…?」
四路「貴方もすでに…負けているはず…。耐性があるとはいえ…いつどこで何が起こるかはわからない」
言うなり、四路は降矢の手をふりほどいて、窓から飛び降りた。
降矢「お、おい!ここは二階…」
一回転して着地して、こちらを見上げる。
猫か、アイツは。
四路「…今回で終わりにしたい、私も。…だから、勝ち続けて!」
そして、走って闇に消えた。
降矢「勝ち続ける」
言葉にしてわずか六文字、ただその言葉は俺の過去によって重大な意味を秘めていた。
それだけは何とか思い出せた。
前を向くと辺りはすでに暗くなっていた、いつもより涼しい夜風が頬を叩いた。
嫌な予感がした。
いつもなら、ありえねーと笑い飛ばす所だが、降矢は嫌な予感がした。
冬馬のあの印、昔どこかで見たことがある。
自分の、腰の右側にそのDマークは刻まれている。
シャツの下に、その印はしっかりと刻まれていた。
そしてその印を刻んだ者が負けた時、そいつは…。
風が何故か冷たい夜だった、だからこそ余計嫌な気がした。
ただ、元から負ける気なんざさらさらねー。
負ける為に野球やってる奴なんかどこにいる、少なくとも降矢は違う。
言われなくても勝ち続ける、その旅が終わるまで。
かすかな記憶と、予感は風にまかれて消えた。
そして…一週間後。
地区予選二回戦、対陸王学園。