129青竜高校戦9一点差のマムシ
六回表、将4-3青。
相川はベンチに変えると、プロテクターを外す。
ここまで、よく三点でしのげたものだ。
相川「吉田、ありがたい」
吉田「おう!任せろい!」
軽く手のひらを合わせた。
こういうチーム状況が苦しい時の吉田の性格は、やはりなんとも頼りになる。
六回で三点、さらにストリームを削ってそれだ、残り三イニング、なんとかなるかもしれないが…このままで行くと、確実にもう一度滝本との三打席目の対戦が残っている。
四球で逃げてもいいが、やはり一点だと、そう不安がよぎる。
別に後ろ向きに考えているわけではなく、勝利への可能性としてこの試合を捉える相川にとってやはり追加点は欲しい段階だ。
そして、この六回は再び吉田に回る。
なんとか、もう一点、もぎ取って欲しい。
『一番、ショート御神楽君』
マウンド上には相変わらず見下した態度の和哉。
そして表情とは裏腹に、徐々に冷静さも取り戻していっている。
狂気の野獣に冷静さがつけば、百獣の王の如きしたたかさになる。
バシィッ!!
「ボール、ワン」
御神楽は一歩、後ずさっていた。
まず確実に初球は内角際どい所に放り投げてくる、すでに和哉のコントロールは、いいのか悪いのか将星の打者には判断がつきにくい。
左右で揺さぶってくる上、たまに大暴投すると思えば、外角ギリギリに決めてくるから相変わらず吉田と真田以外は打ちあぐねていた。
バシィッ!!
「ストライク、ワンッ!」
次は冷静に外角低めにストレート。
これが直前の内角球のため手が出ない、特に一発死球を喰らっている御神楽と県は尚更外角に踏み込めなくなっていた。
御神楽(く…頭ではわかっているのに、体が動かん!)
恐怖は人間が死なないためのストッパー。
そして、その恐怖を操られた時人は思うように動けないようになる。
御神楽の頭には、”死球”という、恐怖が刻印されていた。
赤竹和哉、振りかぶって三球目。
投げ出されたボールは低め、ストレート。
ストライクゾーンだ、確信する。
そしてカウント1-1、勝負してもいい、ローボールヒッターである御神楽はスイングに行く。
…が、そこでボールはわずかに落下する。
御神楽「ぐ、カットフォークかっ!!」
和哉「死ねやクソが!」
ガキィンッ!!
ボールの上を叩いてしまい、地面に叩きつけられたボールはショートの真正面に。
そのまま軽快なグラブ捌きから、一塁へ送球。
ファーストミットが音を立てる。
バシィッ!!
「アウトーッ!!!」
御神楽「ぐっ…」
三澤「ああっ!」
緒方先生「また、あのカットフォークにやられちゃいましたね…」
ベンチからも落胆の声が上がる。
どうしても一点以上点差を開くことが出来ない状態だ。
真田「マムシ、って知ってるか相川」
相川「マムシ?」
唐突に真田が口を開いた。
相川だけでなく皆が耳を傾ける。
相川「マムシ…って獲物を後ろから狙うアレか?」
真田「…一点差を後ろから追いかけられる、ひたひたと、音も無く獲物を刈るチャンスを待つ」
ごくり。
全員が息を呑んだ。
真田「早めに点差を開かないと…」
西条「な、なんスか」
真田「お前は持たないぞ」
西条「!?」
真田「だから俺は下手な情けなどせずに、点を取っておけ、と言ったんだ」
西条「う…」
真田「…さっきからお前の汗の量がいやに多いように、俺は思えるがな」
西条「…?」
原田「そういえば…」
大場「四回くらいから、急に疲れ始めましたよね」
真田「精神的重圧は予想以上にお前にのしかかっているぞ」
西条「て…点差なんか開かなくても、一点あれば十分や!」
真田「…」
その言葉は自分自身に言ってるようにも聞こえた、おおよそ真田の予想は的を射ているだろう。
西条はベンチの奥、ロッカールームへと入っていった。
そして真田は思い出した。
(…桐生院なら、誰も助け合わない、自分に勝てないからだ)
今、自分は知らず知らずの内に、助言を与えていた。
『二番、センター県君』
緒方先生「マムシ…」
野多摩「ヘビヘビ〜」
相川「逃げるためにもなんとかアイツを攻略しないとな」
吉田「真田、あんがとよ!このままじゃ西条は自滅してたかもしれねぇ!」
真田「…」
おかしな所だ、将星。
皆、真田の言葉にビクとも動じない。
相川「内には金髪の変わった奴がいてな」
真田「金髪?」
相川「そいつが言う言葉はもっとキツイから、少々言っても俺達は凹まないぜ」
真田「…ふん」
吉田「よし真田!あの赤竹を攻略するにはどうすればいい!」
真田「…とりあえず、球数を投げて粘らせることだ、大谷が出れない今、青竜に対した投手はいない」
吉田「よっしゃーーー!県、粘れ…」
目線の先には、ネクストバッターズサークルから、バットを杖にしてようやく立っている県がいた。
思わず吉田も言葉を失った。
県「粘れ、ですね、わかりました!」
吉田「…」
相当痛みは大きいはずだ、立っているのも辛そうに見える。
それでも、県はバッターズボックスに立った。
吉田は県の姿を見て、何か今までと違うものを感じ取っていた。
野多摩「降矢さんは県君をパシリパシリって使ってたけど…」
吉田「あいつは根性のあるパシリだぜ」
和哉「ちっ、次は足が役立たずのチビか、さっさと終わらすぜ」
県「…」
踏み込むほうの右足に痛みはある。
守備でこそ相川が考慮してくれているのか、あまり打球は飛んでこないが、それでも立っているだけで、じわりじわりと痛みはやってくる。
それでも、ここで弱音を吐くわけにはいかない。
和哉「さっさとベンチに帰りな、坊ちゃん刈りよぉっ!」
内角、ボール球!
真田「まずい、当たるぞ」
吉田「県!避けろぉぉぉ!!」
脳内信号を変換させて、足にエスケープの命令を出す。
だが、痛みで全ての思考が一瞬シャットアウトされた。
県「つっ!」
ボールを避けなければ、と思った瞬間、痛みで動きが止まった。
そして、避けきれない分、ボールは県の体に重なった。
ドボォッ!!
みぞおちに突き刺さるような痛み。
足が宙に浮いた。
県「―――っ」
声にならない、息ができない。
世界がグルグルと回る。
ドサッ!!
そして地面に倒れこんだ。
吉田「県ーーーっ」
相川「二度までも…!」
和哉「避けれただろうが」
だが、和哉は相変わらず県を見下ろしていた。
謝るような様子は全く見せない。
和哉「今のボールは避けれたはず」
御神楽「この愚民が、どこまで…」
スッ。
右手が、伸びてきた。
視線の先は、歯を食いしばって立っている県。
県「大丈夫です…いけます!」
大場「あ、県どん」
緒方先生「しばらく安静にしないと…」
県「大丈夫です、それにこれでランナーに出ましたよ、また」
疲弊しながらもへへへ、と笑う県。
根性あるじゃねーか、吉田は目から流れる汗をぬぐった。
吉田「よし…野球のケリは野球でつける!」
和哉「ちっ…」
吉田「点差を広げて…ここで決めてやる!!」
『三番、サード吉田君』
『キャアアーーーッ!』
『吉田くーーんっ!!』
目には炎を、そしてたぎる闘志を。
踏み込んだ足から、湧き上がる気持ちを。
和哉(ちっ…助け合いとか、友情とか、そんなのは大嫌いだ。他人を頼ってなんになる、だから俺はピッチャーだ、一人でも勝てる)
そして何よりも負けるのは大嫌いだ。
次の打席で同点に追いつけるが、これ以上離されれば和哉一人では辛い。
この男は、どこまでも自分本位だった。
そしてそれこそが、この男の力。
吉田「あの空の向こうまで、かっ飛ばす!!」
和哉「やってみろやクソがーーーっ!」
第一球!
外角ストレート!
吉田「好球必打、打つべし!!」
得意のバットコントロールでまるでボールはバットに吸い込まれていく。
そのまま振り切るべし!!
吉田「どぉぉりゃああーーーっ!!」
バキーンッ!!!!
ボールは、ピッチャーライナー!!
だが、自分本位かつ、負けることが何よりも嫌いな和哉は病的なほどの行動に出た。
和哉「くあっ」
ボールに、頭突き!!
ガキィンッ!!
グラブで届かないと見て、顔の側顔面から打球に向かい、思い切り叩き落す。
吉田「なっ!」
和哉「ふんっ!!」
そのままセカンドに送球、1-4-3!ダブルプレーが完成!
『スリーアウトチェンジッ!!』
県のチャンスが一瞬にして潰した、和哉の行動。
額からは血が流れ出ているが、吉田の方を睨み続ける。
和哉「そーいう、人のためとか、うぜぇんだよ、死ね」
吉田「ぐぅっ…」
一点差、その重圧がまた将星の方にのしかかる。
赤竹和哉、未だ崩れず。
そして、ロッカーでは…。
西条「くそ…」
眩暈が鳴り止まない。
スタミナが確実に切れている、そして鼓動が速い。
息切れている、これが精神的重圧か。
野球を諦めてから約一年、わずかなブランクでこれだけ体力が落ちているとは思いにもよらなかった。
だが、冬馬がいない今西条は奮闘するしかない。
西条は、アンダーシャツを着替えると再び、グラウンドへ飛び出した。
六回裏、将4-3青。