112長期休暇終了直前





















部室の奥にあったホワイトボードに『緊急事態宣言』と書かれている。

それを思い切り手のひらで叩くと、吉田は口を開いた。

バァンッ!!


吉田「緊急事態だ!」

御神楽「またか」

原田「二回目ッスね」

三澤「す、傑ちゃん!あんまり強く叩くと、壊れる…」

相川「今度は何なんだ」


吉田はもう一度ホワイトボードを手のひらで叩いた。

バァンッ!!


六条「きゃうっ」

吉田「今日は何日だ!!」

県「えーと…」

大場「今日は確か」

野多摩「8月の19日ですよぉ〜」

西条「それがどないかしたんですか?」

吉田「もう…」


吉田は一拍置いて、言った。







吉田「夏休みも日が無いだろうがーーーーーーーーー!!!!」































あまりにも、悲痛な叫びだった。

…が、他の部員は「なんだ」という表情で練習に戻ろうとする。




吉田「ちょ、ちょっと待てってお前ら!!」

相川「俺達はそのためだけに練習を中断してミーティングか」

吉田「違うっ!重要な事だっ!!」

相川「…?」

御神楽「…僕はなんとなく読めてきたぞ」



ドサァッ!

吉田は相川から離れ、自分のバッグから大量のプリント、冊子を出した。


野多摩「わ〜」

冬馬「なんですか?これ」

降矢「夏季長期休暇中の課題…………はっ!!!」



野多摩「あ」



野多摩がぽん、と手を叩いた瞬間に吉田と降矢が声をそろえた。


















吉田&降矢「宿題やってねぇぇーーーーーーーーーっ!!!」








一つ音声が重なり、悲痛な叫びがステレオになった。


相川「…計画性の無い奴らだ」

御神楽「小学生か」

冬馬「あはは…」


吉田「お前もか降矢!」

降矢「…そんなものがあったような気が」

吉田「よし!じゃあ早速今から一緒に」

降矢「やりません」


降矢は言い捨てると、再び自分の重いバットを取り出した。


吉田「な、何!」

緒方先生「な、何言ってるのよ!やらなきゃ駄目よ!」

降矢「俺がそんなものをするような奴に見えるか」


…。

皆が降矢を遠目で見る、その後、苦笑するもの、首を振るもの、おろおろするもの。


六条「だ、駄目ですよ、やらなきゃ…」

県「そうですよ降矢さん」

降矢「ガキじゃあるまいし。やらないのが偉い訳じゃないが、今更やっても無駄だ」

緒方先生「待ってよ!まだ野球部は多くの先生の目につけられているのよ!」

降矢「それがどうした」

緒方先生「貴方たちの本業は学生なんだから平常点が下がると、また野球部が隅に追いやられるわよ!前みたいに…」



そうだ、今は夏の大会でベスト8という結果を出せたおかげで前よりも立派な部室、練習器具で練習をできるようになっているのだ。

もしかすると、ささいなきっかけでまたオンボロ野球部に戻るかもしれない。


降矢「それがどーした」


しかし、降矢にとってはそんな事はどうでもいい。

人の見る目などどこ吹く風だ、自分はこのバットさえ振れればいい。

皆が降矢を遠目で見る、その後、苦笑するもの、首を振るもの、おろおろするもの。


吉田「あのなー、降矢」

冬馬「待ってキャプテン、俺にいい考えがあります」

吉田「?」


ひそひそと冬馬が吉田に耳打ちをする、その後必死に緒方先生と六条に説教を喰らっている降矢の前に立つ。


六条「冬馬君?」

冬馬「へー降矢、自信がないんだ」

降矢「…何ぃ?」


そのイヤミぽっく放った一言は、降矢の目の色を変えた。

くるりと冬馬の方を向いて、ガンをとばす。


降矢「んだよ、ちんちくりん、その口調はよ。ケンカ売ってんのか?」

冬馬「降矢は、自信がないんだろ〜。たったこれだけの宿題を終わらせることの」

降矢「はぁ?」

冬馬「だってそうでしょ?降矢はできることしかやらないもんね…」


ガツンッ。

降矢は冬馬の服を掴んだ。


降矢「…もう一度言ってみろテメェ」

冬馬「ふーん、できなかったらそうやって怒るんだ、暴力で訴えるんだ。スポーツマンの癖に」

降矢「…関係ねぇっ!!」

冬馬「…っ!」


冬馬は目をつぶった。

…が、拳は飛んでこなかった。



降矢「…俺を怒らして何になるのかね」



降矢はそそくさと荷物をまとめて、帰り支度を始め出した。


降矢「…やりゃあいいんだろ。俺は帰るぞ」





バタン。

扉の閉める音が、部室内に響いた。


県「か、帰りましたね…」

相川「ほぉ、やるじゃないか冬馬。なかなか奴の使い方を覚えてきたようだな」

六条「…メモメモ」

野多摩「冬馬ちゃん、やるね〜…?」











冬馬「ふぇ…」







ぽて。

冬馬は、へなへなとその場に力なく膝をついた。


冬馬「怖かったよぉ…」

西条「…」

県「ま、まぁ、降矢さんが怒ったら怖いですからね」

冬馬「野多摩く〜ん、怖かったよぉ〜〜!」

野多摩「おーよしよし、もう怖い人はいなくなりましたからね〜」


などと、寸劇をやっている場合ではない。


相川「…ったく、この時期に…。まぁいい、三澤」

三澤「は、はい、なんですか!」

相川「お前は吉田を見てやってくれ」

三澤「はっ!わかりました隊長ー!」


ぴっ、と可愛らしく敬礼される。

相川は苦笑して、部員の方を振り返った。





相川「いいか、もう秋の大会まで時間はない。できる限りピークを大会に持っていくようにする為、激しい練習はもうするな」

大場「はいとです!」

相川「…大場、お前はギリギリまで守備練習だ」

大場「とほほとです…」

相川「特に西条、冬馬!」

西条「はいっ!」

冬馬「は、はい!」

相川「うちに投手はお前らしかいない。二人でまわすつもりだ、下手に体を壊すなよ。健康管理には気を使え」

西条&冬馬「は、はいっ!!」

相川「それじゃ各自、練習を再開しろ」

全員『おおーーっ!!』





吉田「ぐあああ!!」

いきなり奇声を上げて机から飛びのき、のた打ち回る吉田。


三澤「きゃあ!大変!傑ちゃんが!」

緒方先生「また発作!?」

野多摩「バットは〜バットは〜?」

御神楽「今回は間隔が早かったな」

相川「こんなんで終わるのやら…」




















そして、日が暮れて夕焼けの朱がグラウンドに差す。


相川「行くぞ野多摩!!」

野多摩「はいっ!!」




カキィッ…パシィッ!!

野多摩がグラブでボールをキャッチした瞬間ノックが終わり、今日の練習が終わりを告げた。


相川「よし!じゃあ今日はここまでだ!」

県「お疲れ様でした〜!」

相川「…と言っても、ミーティングはやるがな」

御神楽「まだ敵は決まっていないのか?」

相川「ああ。抽選会は明日だからな」

大場「ついに、明日にはおいどん達の次の相手が決まるわけですね」

冬馬「…でも、そう考えると、まだあんまり実感わかないですね」

相川「いや、光陰矢のごとしだ。そう思ってるうちに試合だぞ」






相川としては将星の現在の戦力的なものは、なかなかだと思っている。

降矢と吉田と御神楽のセンスの高さを筆頭に、他の高校に負けない実力は備えている。

冬馬の変化球、西条の精神力、県の足、そして原田や野多摩も守備は人並みにはできるまでに成長したし、守備ができない大場も相変わらずパワーは桁が違う。

良くも悪くも個性的なチームだが、トータルすれば随分と面白い戦力だ、戦略を組み立てる相川としても中々楽しい。




ガチャリ。

軽く談笑を交わしながら、部室のドアを開ける。



中には三澤の膝枕の上で寝息を立てている吉田がいた。



御神楽「きっさまぁぁぁーーっ!!」


御神楽は県もびっくりな恐ろしいスピードで吉田の首を絞めた。


三澤「きゃあっ」

吉田「のわうっ!なんじゃぁっ!?」

御神楽「貴様ぁっ!少々の事例なら許すものの…そのような羨ま…いや三澤さんに対して無礼な態度をとっていいと思っているのか!この狼藉者が!!」

吉田「ぐっ!苦し!苦しいって!!」

三澤「わーわー!み、御神楽君!?」

御神楽「ご心配無く三澤さん、この無礼者は僕が…」

三澤「あ、その別に私は嫌じゃないから…」



グァァァーーーンッ。


そんなショッキングな効果音を残しながら、御神楽は膝を真っ直ぐにしたまま倒れた、なんて面白い倒れ方だ。


相川「…馬鹿なことやってないでミーティング始めるぞ。で、吉田、宿題はどうだ」

吉田「あー、まだまだ…」


吉田はばつが悪そうに頭をかいた。

その光景に、また相川はため息をついた。


相川「明日は抽選会だってのに、大丈夫かよ」

吉田「む?」

相川「…まさか、覚えてないのか」

吉田「…いやあ」

相川「いやあ、じゃない」

吉田「よーし!皆!ここは一つ気合を入れて引いてきてやるぜ!!」

全員『おおおーーっ!!』



…なんだか、上手くごまかされた気がしないでもないが、皆の士気が上がったので、まぁよしとしよう。


相川(それにしても不思議だ。吉田の一言でいつも皆がまとまる)


中身も無い、筋書きも無いでたらめな言葉でも、吉田が発すると不思議と皆を盛り上げる力を持った言葉となる。

それが、この男の魅力なのだが。


三澤「傑ちゃん!お行儀悪いから机の上には乗っちゃ駄目!」

相川「吉田、いいから机の上から降りて来い」



















まだ、相手が決まっていないためミーティングは簡単なものだ。

明日の練習予定などを決めて詳細を伝える…しかし、相手が決定する明日からは本格的なものとなるだろう。

相川は適当に他チームの様子などを話すと、最後にこう締めた。


相川「…まぁ、こんな所だ。後一つ、明日は抽選会だから俺と吉田、そして緒方先生と三澤もいないが、練習はしっかりやるように」

全員『はーい!』

相川「まぁ、サボるような輩はいないだろうがな」


全員が苦笑する、確かにこの部員は真面目なものが多い…いや、一人例外がいた。


相川「明日、降矢は来るのか?」

西条「さぁーどうでしょう。アイツのことやから本気で宿題終わらしてるかもしれませんね」

冬馬「むぅ…俺、ちょっと手伝ってあげようかな」

県「あ、僕も僕も!」

六条「わ、私も行きますっ!!」

野多摩「僕も〜じゃあ、今から降矢君の家に行こうよ〜」


このメンツが降矢の家か…なんとも微妙な光景だが。


相川「まぁ、いい。行くならついでに今言った事を伝えといてくれ」

四人「はーい」


…やっぱり微妙な光景だった。


















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