108意地と意地と意地と






















和久井「いいか、これが、ラストイニングだ」


ナインの皆が頷いた。


和久井「これ以上後ろに引っ張るつもりは無い。この回に俺は全てをかける」


再び、ナインは頷く。

横濱の野手が円陣を組む、その中心に向かって和久井は語りかけるように言った。

甲子園の土が黒いのはこの暑さで焦げているのか、そう思えるほど気温は上がっていた、和久井の心臓は激しく脈打ち、目の前が霞んでくる。

それでも、波野の一点を取らせるわけにはいかない。

それでも、点を取らせない。


和久井「…死んでも…守りきるぞっ!!」

『オオオオオオオオオオオオ!!!!』


九人の戦士の咆哮が、グラウンドを揺らした―――!!









九回表、桐生院0-1横濱。







『九回表、桐生院高校の攻撃は、二番、サード、後藤君』


『さぁ、ついに最終回ですが、ここまで横濱が一点リード。和久井に対して桐生院高校はランナーは出すものの打ちあぐねていますね』

『そうですねぇ、どちらかと言うと今までは大きなスイングが多かったのですが、先制されてから先ほどの八回でもは桐生院の灰谷選手が見せたように、バットを短く持ち、コンパクトに構え喰らいつくようなバッティングをしてきました』

『はい、そうですね』

『それがあえてね、僕はいいんじゃないか、と思うんですよ。今までの桐生院は綺麗に勝とうとしすぎていた気がしますね。それが和久井を後一歩打ち崩せなかった原因じゃないか、と思っています』








宗「…くそ、後藤!…打ってくれ!頼む!」

神野「…」

「…」


桐生院ベンチでは皆が祈るようにバッターボックスに立つ二番を見つめる。

笠原監督も腕を組み、じっと戦況を見つめていた。

出した指示はあくまでも、和久井のストレートを狙うこと。


南雲「もろいように見えてなかなか崩れんのぉ、和久井投手は」

真田「ふっ、うちとは正反対だな」


真田はちらりと堂島のほうを見た。


真田「さてさて、三年生が引退すればどうなるやら…」

南雲「今はそんな事はどうでもいいぜよ」

真田「…そうだな」


真田の言葉に答えながらも、南雲の長い前髪に隠れた目はひたすらグラウンドに向いていた。

口先のつまようじも、ゆらゆらとゆれ続けている。


南雲「…」

真田「南雲、何を考えている」

南雲「和久井投手を、どうやって打つか、ぜよ」









『和久井、バッターの後藤に対し、第四球!』

カウントツーワンからの第五球、和久井が投じたのはシュート!!

「…くおっ!!」


ガキィンッ!!


右打者の内角に鋭く喰い込むシュートに、思わずバッターはつまらしてしまう!

打球はサード方向への、ボテボテのゴロ。


「ちくしょおおっ!!うわあああああ!!」


それでも、あきらめずにバッターは勢いよくバットを投げ捨てて、走り出す。

黒いグラウンドに走る白いラインの向こうにある薄汚れたベースをめがけて。


『バッターヘッドスライディングーー!!しかし、しかし届かない!アウト!!!横濱の和久井、勝利まで後、アウト二つ!』

『ワァァァァアーーーッ!!!』

『アアアア…』


盛り上がる横濱サイドとは対照的に、ため息が漏れる桐生院サイド、そんな中この男がバッターボックスに立つ。






『三番、ピッチャー、大和君』


入れ替わりに、ネクストバッターズサークルに、四番の神野が入る。




神野「…大和」

大和「神野君」


今まで、名門の中で鬼のようなきつい練習に耐えてきたチームメイト。

たとえ、口で言わなくても、目で分かり合えた。


神野「勝とうぜ」

大和「…うん」





『さぁ!!さぁ!!桐生院、この土壇場でクリーンナップを迎えます!!!ここでまずはバッティングにも定評がある、三番エース大和!!』


和久井は流れる汗をふくめて、額を手でぬぐった。

和久井(はぁ、はぁ…)


確かに、和久井が疲労しているのは周知の事実だ。

しかし、それとは別に和久井はもう一つ、汗をかいていた。

痛みによる、冷や汗―――。


和久井(くそ!さっきから腰に走るこの痛みは何だ?!)


ズキリ、と球を放る度に、腰を捻る度に悲鳴を上げる。

キリキリと言いようの無い痛みが何度も何度も走る。










和久井「…」


バシィッ。


右手に持っていたボールを思い切りグローブに叩きつけた。

マウンドを降りる気なんて、まったくない。



和久井(ここまでくれば、意地だ!)



痛くても勝つ、打たれても勝つ、とにかく勝つ、抑える、意地で抑える!

頭の中はもうボールを投げることしかなかった。



和久井「ぬがあああああああ!!!!」



『和久井!第一球!!!』






―――ドバァアッ!!!



『ボ、ボール!!』

『惜しい!わずかに外れた…!し、しかし、今日最速の145km/hをここで出してきたァ!!!』


大和(…意地が体の限界を超え始めた…?)


和久井の球数はすでに100球に到達しようかという所だ、だがそれでもここに来て最速の球を投げてくる。

それが、エースだ。


大和(意地、か…)


それが、和久井のエースとしてのプライドだ。


大和(…)


ならば。

大和も、意地を見せるしかない。

今まで、そんな事は一度も無かったのに。

不思議と、大和の中には高揚感が生まれてきていた。



和久井「ぐああああああああああ!!!!」

大和「…ぅ、ぅぉぉぉっ!!」



カキィンッ!!!


『ワアアアアアアアアアアアッツ!!!』


打球は思い切り引っ張ってサード線!


『ファールボール!!!』


和久井「ハァッ!ハァッ!…」

大和「…はぁ、はぁ…」







桐生院のベンチの誰もが、息を飲んだ。


「…おい、今、確かに大和さん…」






















「叫んだ―――よな」






















それはあまりにも弱々しく、叫びと呼ぶには小さすぎる声だったが。

確かに、大和は無意識のうちに声を出していた。


「お、俺…大和さんが叫んだ所始めて見たよ」

「俺もだ!…絶対に、そういうことしない奴だと思ってたのに」

「……あの、大和が」


笠原「そこまでする試合ということだ」


全員「監督!!」


笠原「この試合にはそれほど価値がある。皆、心の底を見せきって勝負してる。下手に格好つけてる奴なんてもう、誰もいない。…向こうの和久井も大和も、そうだ。…見せ掛けだけの青臭いプライドなんかじゃない!本当の…真の勝利へのプライドだ!!」

望月「大和さん!!ファイトーーー!!!」

「も、望月!?」

堂島「馬鹿が!でしゃばるな!!」

望月「応援しなくてどうするんですか!!俺は…俺は…」

真田「大和キャプテン!!!絶対打てますよーー!!」

望月「さ、真田先輩…」

南雲「おまん…なして?」

真田「…いいじゃないか、この方が俺は好きだぜ」

「…そうだ!打てる!打てるぞ!!」

『大和ぉぉぉーーー!!!!!!!』








大和は自分の手が震えていることに気づいた。

今まで決して震えたことのなかった右手が、今震えていた。


和久井「…ハァ!ハァッ!ぜ、絶対に負けないぞ!俺は!!」

大和「はぁ…はぁ…ふふ、僕も、だ」



『和久井…第三球!!!』



ビキィィッ!!!


和久井の腰にまたも激痛が走る。



和久井「んぐぅっ…!!!ぐ、がああああああああ!!!」



それでも、和久井は右腕を振り下ろす!!!


ゴォウッ!!


大和(速いっ)



ブ…バシィィィィンッ!!!


スイングし終わる前に、すでにボールはミットに収まっていた。

『ストライク!!ツーーーッ!!!』

『ワアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!』


和久井「どうだラァッ!!!」

大和「ぐ…」



『諦めるな!大和!やまとーーーっ!!!』

『いけるぞ和久井!わくいーーーーっ!!!』




和久井(無駄球投げてる暇は無い!!)


ボグゥッ!!

痛む腰を思い切り拳で殴る。

顔が歪むが、少しは痛みを忘れられるか。



和久井「大和ぉぉぉぉぉぉ!!!!」



『和久井!第三球!!勝負に行ったぁあああ!!』


大和「ぅ、ぅぁぁぁぁああああああ!!!」




カキィンッ!!!

望月「う…」

神野「打った!!!!!」


大和の打った打球はピッチャーの左、和久井の右手の方向を…抜ける!!



和久井「させるかぁぁああああああああ!!!」


ミシィ――――――ッッッ!!!



「う、うわああ!!」

「キャァァァーーー!!」

観客席から悲鳴にも似た声があがる。

『う、うわあああ!!なんだ!和久井、素手の右手で無理矢理止めたぁ!!』


和久井「ぬぎぃっ!!!」


素手で打球を取るなんて投手生命を失いかけない自殺行為だ、しかしそれよりも抜かせない気持ちの方が大きかった。

激痛が体を電流のように通り抜けていく。

しかし、右の手首に当たったボールはそのまま地面にポトリと落ちた。


和久井「ぐ…おおああ!」


しびれる手を我慢してそのまま拾いなおし、ファーストへ送球!!

パシィッ。


大和「…や、やられた…」

『ツーアウトーーー!!』

『あ、アウトーーーーーーーーー!!アウトだ!!和久井!!勝利まで、これでついに、ついに、後一つーー!!横濱、勝利目前…!!』

























カキィィィンッ!!!



和久井「っ!!!」

神野「…諦めるんじゃ、ないっ!!」


『出た!出ました!!土壇場九回二死から四番の神野が塁に出ましたーーーーー!!!!桐生院!まだ終わらない!まだ終わらない!!望みをつないだーーー!!』



神野「諦めるな!!諦めたらそこで負けだ!!!俺達は桐生院だろうが!!」





大和「神野君…」

望月「…監督、俺、涙出てきました…」

笠原「…望月、この試合、勝っても負けても、結果をしかと目に焼き付けろ!」

望月「はい!!」








そして、ベンチのこの男の口にくわえていた爪楊枝が静かに立ち上がった。


南雲「監督、わしに行かせてくださいぜよ」

全員『!!??』


桐生院の選手全員が一斉に南雲を見る。


堂島「貴様!次はクリーンナップの遊佐先輩だぞ!!立場をわきまえ…」

南雲「おまんは黙ッとれ!!!!!!!!!!!!!!」



一喝。



笠原「理由は」

南雲「勝負は時の運です。運が強い方が勝ちます」

堂島「ぬ、ぬぬぬぬ!!どこまでもなめきった事を!」

南雲「わしは、運を引き寄せます」

笠原「…いいだろう、行って来い」

堂島「なっ!!」

南雲「…はい!」

大和「南雲君」

南雲「大丈夫です。この爪楊枝が立った時の勘は、100%当たりますんで」



そういうと、ヘルメットを被り、南雲はバッターボックスへと歩いていった。












真田「さぁ、和久井を何とか攻略しないとな」

『バッター、遊佐君に変わりまして、南雲君!!』

南雲「わしに任せるぜよ…!!」





九回表、桐生院0-1横濱、二死、走者一塁。







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