107もう一つの武器、大和の黒い牙





















『八回裏、横濱高校の攻撃は…』


アナウンス上の声が柱の上部に設置されたスピーカーから聞こえてきた。

それにあわせるように、歓声がそれに重なっていく、球場はオーケストラだ、いまや廊下を歩くものは少なく、誰もが名試合になるだろう試合を見届ける為に観客席へと足を速めていた。

背の高い涼しげな男と、頭にバンダナを巻いた目つきの鋭い男がその光景をいぶかしげに眺めていた。

暁大付属高校のレギュラーである一ノ瀬と二宮は三塁側内野観客席、その裏の通路上のあわただしさに少々戸惑いを覚えていた。


「お、おい!!桐生院、また点入らなかったみたいだぜ?!」

「ま、マジかよ!おいおい、もしかして負けるのか?!」

「わかんねぇけど、早く見に行こうぜ!タバコなんて吸ってる場合じゃない」


喫煙室でテレビを見ていた客が、自分も生で見ようと次々と走って出て行く。

その光景を見て、バンダナの目つきが鋭い方、二宮が口を開いた。

二宮「…何?大和が打たれた…?」

それに答えるように長身の男、一ノ瀬が口元を少し動かす。

一ノ瀬「へぇ…意外とやるね横濱も」

二宮「どうします?中に入りますか?」


一ノ瀬も先ほどまでいた客と同じく甲子園球場内の廊下にそえつけてあるテレビに目にやった。


『八回裏の横濱の攻撃は八番の清水君からでしたが、すでに外野フライに打ち取られ、一死を取られています。…いやー、しかし、さきほどの一年生、波野君には本当に驚きましたね』


少し、眉を寄せて不服と言った顔をした一ノ瀬。


一ノ瀬「一年生?」

二宮「や、大和が一年に打たれただと…?」

一ノ瀬「一年如きに打たれたか、大和君。…桐生院も落ちた、かな」

二宮「どうします、一ノ瀬さん」

一ノ瀬「うーん、でもまだ試合はわからないな。『一応』桐生院だし」

二宮「しかし…大和もやりますね、もう八回だというのにあれだけキレる変化球を投げるとは…」

一ノ瀬「いや、見る限り、大和君も大分疲れているよ」


二宮には多少大和が汗をかいているようにしか見えなかったが、一ノ瀬は同じエースとしてのオーラを持つからかわかるのか。

それは、和久井も同じだった。










『九番、ピッチャー、和久井君』


和久井(大和め、球威が落ちてきてるな)


少なくとも和久井の目にはそう映った。

一回にはとてつもなく高い壁に見えた大和が、今はもう決壊しそうなベルリンの壁だ、理由は明らかにあのストレートの連発だろう。


和久井(感謝するぞ、波野)


あそこまで波野が粘り、あのストレートを数多く投げさせたのが今になって効いてきている。

他の奴にはわからないが、少なくとも和久井の目には大和がひどく疲弊しているように見えた、同じ球速でも重みが違う。



『大和、第一球!!』


まずはシンカー、失速しつつシュート方向にボールは落ちる。


『ストライク、ワンッ!!』


ストライクを取られたものの、やはり和久井は大和の球の威力が落ちていると見えた。

普段なら絶対にストレートで初球は勝負してきたが…ここに来て変化球の比率が増えてきている。

さきほどの八番もサークルチェンジで打ち取られた、投げた配球は全て変化球。


そして、大和はロージンバッグに手を伸ばした。


和久井(…来るか、『消えるストレート』!)


今まで大和が『白翼』を放ってきている時には全てロージンバッグを触っている、それに気づかない和久井ではなかった。

和久井は、白翼に狙いを定める。


『大和、振りかぶって…投げました!!』



―――グンッ!!



ボールはアウトロー!

確かに、ノビはいまだあるものの…すでに見えないほど速くはない!

和久井のバットが、白翼を捉える!




キィンッ!!!


『ワァァーーーッ!!!』


金属音の後を歓声が追う、打球はショートの頭上!


『抜けたーーー!!和久井、一死から塁に出ました!!!』


宗(く…くそっ)

大和(白翼を狙われたか…流石にもう威力も落ちてきている)


大和は自分の手の平を見た。

所々ロージンの粉はついている白い手、段々握力がなくなってきていることは自分が一番良く知っていた。

ここで、後一点奪われれば、それこそ負けは確定してしまう。




コキィッ!!!



『おおっと!!横濱一番の古泉、バントで送ってきた!!…キャッチャーは二塁を見るものの一塁に送球!アウトーー!横濱、得点圏にランナーを進めてきました!』


宗(くそっ!二死だが、二塁…これ以上傷を広げると、まずい!)

大和(いくら和久井君もつかれてきているとはいえ、二点は厳しい…!)


ネクストバッターズサークルでバットを勢いよく振る二番を前に、桐生院内野陣はマウンド上に集まった。


大和「…ふぅ」

神野「大丈夫か、大和」

大和「うん、まだいけるよ。こんな所で降りられないしね」

宗「…やはり、アレを使うしかないか」

大和「そうだね、ギリギリまで隠しておこうと思ったけど…今のままじゃ絶対に打たれる…やるしかないだろうね」

灰谷「その指で投げれるのか?」


すでに白翼が威力をなくしていた。

もしもまだ大和に何かがあったにせよ、ソレの威力は半分に半減してしまうはずだ。


大和「うん、確かに威力は落ちると思う。僕も、この指で投げれるかどうかは自信がないんだ」

宗「だが変化球も威力が落ちてきてる中、一番相手に対して有効なのは、この球しかねぇ」

神野「…やるしかねぇってことか」


一同は頷いた。


灰谷「俺達は必死で守る」

神野「ああ、任せろ、泥だらけになろうと捕ってやるよ」

宗「…灰谷、神野」

大和「絶対に上にはあげない。いや相手は『上げることは出来ない』、絶対に転がしてみせる」

灰谷「よし、行くぞ。勝つのは…俺達桐生院だ」

『オオオーーッ!!』


一同がマウンド上で気合を入れなおす。


『二番、ライト、西山君』




大和(…打たせない)


大和は表情に表さず、心で誓った。

そして、指をボールのU字の縫い目に今までと違う形であわした、セットポジションから、大きく天を仰ぎ、息をつく。

失投は、確実に失点になる、許されない。

だが大和は常人が震えるプレッシャーも感じない、その代わり燃えるような闘志もない、あるのは淡々と成功を続ける冷静さのみ。

この場面で、大和の腕は全く震えていない。

この男はきっと人より感情が欠落しているのかもしれない、それが大和という投手の長所である。



『大和、ランナー無視して振りかぶった!?』


和久井(な、なんだと!?)

大和(…どうせ、打たれれば点が入る。それなら…)


大和は全ての力を指先に集中させた。

そして…投げる!!!


西山「!?」

和久井「な!!」

浅田「ど」

周防「ど真ん中!?」


だがボールのコースはど真ん中!

しかも球速は打ちごろ、以前のストレートよりも遙かに球威は無い。

バッターは当然スイングに行く!!



西山(行ける!打てるぞ!二点があれば…勝てる!!)






















―――ヒュッ。

















『お、おおお落ちたーーー!!』

西山「――――――な、なんだと!!!」


ボールはバットの手前で落下!


浅田「スプリット!?」

周防「いや!それにしてはストレートに球すじが似すぎている!」





西山(だが、打てない球じゃない!!)

バッターは落下を気にせず、思い切りスイングにいく!



ガキィ―――ンッ!!



大和「!!」


打球はピッチャーの足元を抜く!!


『抜けた!!!センター前ヒッ…』

バチィッ!!!


和久井「!!」

西山「っ!?」


『なっ!と、と止めたーーー!!ショート灰谷なんと右足を伸ばしてボールが抜けるのを防いだーーー!!』


灰谷「神野!!」

神野「任せろ!!うおおおあああ!!」


ショート灰谷が弾いたボールを神野は素手でキャッチ、そのままファーストへ送球!!



バシィッッ!!!



『あ、アウトーーーッ!!スリーアウト、チェンジ!!』


『ワアアアアーーーーーッ!!』

『な、なんて事だ!センター前に抜ける当たりを足で止めて防いだ!!桐生院も横濱に負けじとウルトラファインプレー!!』



灰谷「は…、こんな感じで?」

神野「上出来だろ」


神野は二塁ベース上で倒れてる灰谷に手を差し伸べた。


灰谷「よぉ、大和。防いでやったぜ」

大和「…」


大和は帽子を取って深々とお辞儀した。

その大和を捕手の宗が出迎える。


宗「何とか、うまくいったな…ムービング『黒牙』」

大和「ええ…。この指でどこまで変化するか不安だったけど…」


ムービングとはムービングボールのこと、大リーグでは有名な打者の手前で微妙に変化する特殊ストレートだ。

大和はどの指の強さをいかして回転を増して、普通の変化球並みに変化させる事が出きるのだが…流石にこの指ではスプリット程度に落とすのが精一杯だった。



西山「…くそ!なんだ今のは!」

和久井(ジャイロの次はムービングか…大和め、どれだけ力を隠している…!)


スライダーと『白翼』に加え『黒牙』。

この大和のストレートを考えると、やはりもう点を取ることは難しい。

だとすれば…この一点で、勝負を決めるしかない。




和久井は、ラストイニングに向けて、自分のグローブを手にはめた。






九回表、桐生院0-1横濱。








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