098合宿は続くよどこまでも
激動の練習試合から数日が過ぎた。
ただ、別に練習試合が終わったとは言え、合宿が終わるということではない。
今日も将星の選手達は砂浜の元、猛練習を行っている。
しかし、降矢だけは旅館「日田」の部屋の二階で床に伏せっていた。
準和風のその部屋にぽつんと一人だけが残される、冷房の低い音だけが聞こえてくる。
降矢「…」
降矢は重度の日射病と脱水症状がたたって、体調を崩してしまっていた。
実はあの試合、気温変化に弱いこの男が一番ダメージが多かった。
西条や冬馬は体にすぐ出た時点で体が悪化を知らせたが、降矢は最後の最後までそれを我慢し続けた、それが一気に出た、という形になった。
意地だった、何が何でも人に自分の弱い所を見せたくは無い。
降矢(試合後に倒れてちゃ、どうしようもねーけどな)
悪態をついても、体が治るわけではない、とりあえずはこの冷房空間を満喫しておこう。
…しかし、環境はいいのだが、暇で暇で仕方ない。
降矢「テレビ、か…」
降矢は部屋の端にある、テレビに目をつけた。
一体何がやってるというのだか、降矢はテレビにつけて机に置いてあった新聞欄に目を通した。
降矢「…なんだ、こりゃ」
番組欄の表示が全然違う、沖縄テレビってなんだよ…。
しかし、その時テレビのほうから随分と馴染みのある音が聞こえた。
『カキィーーンッ』
『打った!この回の先頭打者、三番捕手二宮がまずは塁に出ました!』
降矢「っ!?」
振り向いた先のテレビでは、高校野球の模様が映し出されていた。
さっきまで静かだった部屋に音が増えていく。
興奮する実況、冷静な解説者、そして試合の模様。
新聞欄には、大会五日目と書かれていた。
その第三試合、東東京代表、暁大学付属学院高校−山形県代表、坂田商業高校。
テレビの中、真夏の甲子園では、その試合が行われていた。
試合はすでに五回、暁が三点リードしている。
しばらく見ていると、次は暁の守備に場面が変わった。
『いやー、やはり一ノ瀬君はいいピッチングを見せますねぇ』
『そうですね〜。予選では一球も投げていないので、不安がありましたが、このピッチングを見ている限りいいところまでいくんじゃないでしょうか』
『おおっと!また三振!!なんと一ノ瀬、今日最速の145kmを出しました!!』
降矢「…」
いつのまにか、ベッドから出て、正座してその試合を見ていた。
先日見た、桐生院の時もすごかったがこの暁もヤバイ。
怪物は大和だけかと思ったが、何人もいやがる。
降矢「一ノ瀬塔矢、か…。」
スクリュー、カーブを自在に操り打者を翻弄していく、打たれたヒットはここまでわずか二本。
そしてその一ノ瀬を要する暁大付属の打線は捕手二宮を筆頭に中心打者の三本松、鉄壁の二遊間、セカンド四条、ショート六本木など、個性的な選手を従える。
全体的にバランスの取れたいいチームだ、五回を終わりグラウンド整備に入った間、解説は暁大付属をそう評価した。
確かにその通りだ、全体的に弱点らしい弱点が見られない、ただ個々の力の能力が違いすぎるのが桐生院と違う。
甲子園の桐生院を見た時の感じは、個々の選手全ての能力が平均的に高い、といった感じだった。
対する暁代付属の選手達は、何か一つ秀でているがそれ以外は…という感じだ、実際あのセカンド、守備はいいが打撃はいまいちのようだ。
絶対的なエースを要し、評価も高い、だがこの二校似ているようで、どこか違う。
降矢には、桐生院の選手は『個性を潰されて、全体的に平均して高い能力』を手に入れたように見えた。
『ゲームセット!暁大付属、3-1で坂田商を下しました!』
結局、一ノ瀬は八回被安打四本でマウンドを降りた、後続は抑えの背番号13平野が一失点を許したものの、そのまま暁大付属が逃げ切った。
やはり、こうして見ているとレベルは高い。
敗れたとは言え、坂田商の選手達と将星が戦ったとしても今の実力なら確実に負けるだろう。
ガラガラ。
六条「…あーっ、降矢さん。寝てなきゃ駄目ですよぉ〜!」
降矢「…ああ?」
振り返ると六条が立っていた、降矢が聞き返すと相変わらず少しビビッたように体を震わせる。
しかし、それでも勇気を振り絞って降矢の前に座る。
六条「ね、寝てなきゃ、直らないです…よ…?」
降矢「知らねーよ、んなもん」
六条「あぅぅっ、そんなこと言わないでください〜」
コイツといると、どうも調子が狂う、降矢は髪をかいた。
仕方なく承諾すると、再びベッドの中に入った、どうせ次の試合はまだ始まらない。
六条「あ、あの…お、おかゆを作ってきたんですが…」
降矢「…?お、気が利くじゃねーか。ちょうど腹減ってた所だ」
時刻は一時の少し前、きっと選手達も下の食堂で昼食をとっているだろう。
六条「か、体は大丈夫なんですか?」
降矢「まぁな、だけど一応医者はゆっくり休むように、だとよ」
降矢は机に置かれたおかゆを食べようと、さじに手を伸ばした。
…だが、おかゆはあるものの、さじが無い。
降矢「…おい、さじがねーじゃねーか」
六条「ありますよ、ほら」
降矢「…早く貸せよ」
六条「ま、待っててください!不肖この六条、すぐにあつあつのおかゆを冷ましますので!」
降矢「はぁ?」
六条は持っていたさじで湯気の出ているおかゆをすくうと、その可愛らしい小さな唇で息を吹きかけた。
すぐに温度は冷めていき、あっというまに湯気は消えた、そしてそのまま左手を下添えられて、差し出された。
六条「あ、あーんしてください…」
降矢「アホか!!」
六条「はぅぅっ、だ、だって降矢さんは病人だから、あんまり動いちゃ駄目だって、あぅぅ…」
降矢「…あんな、俺は別に全身複雑骨折してる訳じゃねーんだ。ほら、貸せ」
六条「あっ!…はぅ〜…」
降矢は六条から素早くさじをひったくると、すぐにおかゆを平らげた。
その様子を目を潤ませながら呆然と見詰める六条。
降矢「ふぅ、ごちそーさん」
六条「え、あ、はい」
降矢「…これ、お前が作ったのか?」
六条「は、ははは、はいっ!!」
降矢「中々やるじゃねーか、まずくはねー」
ドキュン。
六条の胸に天使の矢が突き刺さった。
六条「ほ、本当ですかっ!?」
降矢「うおっ!…ああ、まぁな」
六条「あ、ありがとうございます!失礼しますっ!!」
六条はすごい勢いで部屋を出て行った。
…あとには、何が起こったのかわからない様子の降矢一人が残されてしまった。
一体、なんだというのだ。
廊下を走る六条は一人小さくガッツポーズを連発していた。
六条(あ、『あーん』は出来なかったけど…はにゃあん…幸せですぅ…)
さっきの「中々やるじゃねーか」のセリフが脳内で何度もリピートされる。
六条はとろけきった笑顔で、調理場へとスキップしていった。
空っぽになった、おかゆの鍋を抱えて。
砂浜では、相変わらず練習が続いていた。
試合後何故か仲良くなったのか、相川と日田、そして金城がしきりに会話を交わしている。
相川「シーサーのヒントはやはりドロップなのか?」
日田「まぁ、そうさ〜」
相川「しかし、今になって何故あえてカーブではなくドロップに…?」
日田「向こうの方に嘉手納っていうアメリカの基地があるさ」
金城「そこの軍人達がたまに那覇まで遊びに来るんだが…」
日田「その時、たまたまこの砂浜で野球をやってるわー達を見て、アメリカンベースボールを教えてくれたのさ」
金城「結構年はとっていたから軍医かもしれなかったんだが、大の日本好きらしくて、昔は日本はカーブじゃなくドロップだったんだ、と教えてくれたのさ」
相川「それでマサカリか…珍しい事もあったもんだな」
日田「でも、まだまだわーたちも知らない事だらけさ」
ストリーム、サイクロン+、Fスライダー、Rシュート。
相川は苦笑した、これは特別だ。
本土に行っても、面白いことも無いさ、と。
日田「どうしてさ?」
相川「基本的な野球しか教えないから、選手の個性が消されていくんだ。だから同じような選手しかいない…もっともそれは弱点が無くなるからいいことなんだがな。いわゆる、勝つための野球さ」
金城「沖縄にも私立で推薦選手ばかり取ってくる学校があるけど、あそこの選手みたいなもんか?」
相川「選手が悪いんじゃない、来る奴は希望を山ほど持ってやって来る。それが、大人たちに潰されていく。だからこそ、俺は個性をいかしてやりたかったから、今まで誰も考えもしなかったようなことを、できたばかりで規則も違反も無い将星の野球部でしようとしたんだ」
日田「もし、わーがそんな所に行っていたら」
相川「間違いなく、シーサーは捨てられて普通のカーブを投げろ、と言われていただろうな」
金城「…」
相川「別にたいそうな事を言うわけじゃないけどよ、このまま面白い野球を俺は続けたい。それで少しでも、この国の野球が面白くなるならな」
日田「相川君…」
吉田「おーい相川ー!次ノックだろーっ!」
相川「ああ、今行く。剛…だから、例え何を言われようとも、せっかくそれだけの球が投げられるんだ。シーサーを捨てるなよ」
日田「…わかったさ!」
相川は、ふっと笑うと砂浜を駆け出していった。
まだまだ、合宿は続いて行く。
沖縄の空の下。