093大漁水産戦8Fスライダーin沖縄。
投球練習は何度もおこなってきたが、マウンドに立ったのは夏の予選で桐生院にコールド負けして以来。
随分と久々のマウンドに、少しドキドキしながらも冷静に投球練習を行う。
プレートの端から、体の一番遠い所を通って左手が背中からでてくる、サイドスロー。
バシィッ!!
相川(よし、悪くない)
冬馬「OKです!!」
『プレイ!!』
『三番、サード、今来留須君』
審判の声と共にプレイが再開された。
そして将星は投手が変わってからいきなりクリーンナップを迎える。
まず冬馬の前に立ちふさがったのは、巨漢の肥満体、今来留須!
今来留須(ず、随分可愛い奴が出てきたんだな…あの子マネージャーじゃなかったんだな?)
身長はかなり低い上に、女のような顔をしている、いや女なのだが。
冬馬はその小さい体を命一杯使ってボールを投げ込んできた。
バシィッ!!
まずは初球、右打者今来留須の外角ギリギリのコース。
「ボール!」
判定はボールだが、ストライクと判定されてもおかしくは無いほどのボール。
やはり西条よりはコントロールは格段に良い、それもこの合宿で足腰が鍛えられたのか更にそのコントロールは上がってきていた。
冬馬、ゆっくりと相川のサインに頷いて、二球目!
サイドスローから放たれる、カーブ!
グ、グンッ!…バシィッ!
今来留須「…!」
「ストライク!」
打者の虚をつくような遅いカーブでまず、ワンストライクを取った。
相川からすれば球速こそ落ちるが、やはりコントロールの良い冬馬のほうがリードはしやすい。
今来留須はまずこの二球目を見送った、まずは様子見と言ったところだろうか。
ただ、次ぐらいは手を出してくるだろう。
相川はスローボールのサインを出す、冬馬も拒否することなく頷いた。
ゆっくりと足を上げて投げる、そして対角線上にボールは向かってくる。
今来留須「だなーーーっ!!」
ガキィイーーーンッ!!
今来留須、強振!!
打球は思い切り引っ張ってライト方向!
降矢「…」
しかし、打球はポール側に切れていく。
スローボールの分、振るのが速かったのだ。
これでカウントはツーワン、冬馬は早くも追い込んだ。
今来留須(くー、待ちきれなかったんだな)
相川「今来留須、とか言ったかな」
今来留須「だな?」
相川「そっちの日田君もシーサーっていう武器を持ってるけど…うちの冬馬もあるぜ?」
相川はニヤリ、とマスクの下で笑みを浮かべた。
対する今来留須はがはは、とそのセリフを笑い飛ばす。
今来留須「そんな訳ないんだな!あんな可愛い奴に何ができるっていうんだな!」
相川「くくっ…ま、見てなよ」
相川が出したサインはもちろん『Fスライダー』、左打者にとっては消える球、右打者にとっては直接向かってくる変化球!
冬馬はもう一度プレートの位置を確認すると、握りをスライダーのそれに変えた。
冬馬特有の肘の柔らかさと、手首の柔らかさを活かして極限までボールに回転を与える!
―――Fスライダー!!
ビシィッ!!!
指がボールにかかる音が冬馬の鼓膜を振るわせる、しかしボールは外角に大きく外れている、失投か?
今来留須(?どういうことなんだな、ただの失投なんだな…)
―――しかし、ボールはそこから大きく軌道を変える。
ヒュザァッ!!!!
今来留須「だなっ!!???」
いきなり、横に激しくスライドしてボールは真ん中に入ってきた!
バシィィッ!!
もちろん今来留須は失投と決め込んでいたので、Fスライダーの威力に驚いて体を動かす事も出来ず。
その膨らんだ頬の上にある目を丸くしたままにするのが精一杯だった、そんな今来留須の後ろで審判が大きな声を上げる。
『ストライクバッターアウトッ!!』
相川「どうだい?アイツの、Fスライダーは」
今来留須「…」
今来留須は喋る事が出来なかった、例えるなら縦の変化と横の変化を入れ替えた日田のシーサードロップだ。
『四番、キャッチャー、金城君』
今来留須「気をつけるんだな、金城…!」
金城「ああ、すげぇ変化さ、見てるだけでわかる」
今来留須「変化だけじゃないんだな!」
金城「え?」
今来留須「あのボールが内角に投げられてたら、と思うとぞっとするんだな…」
金城「…?」
相川「いい感じじゃないか冬馬、いいキレしてるぞ」
冬馬「はい!西条君のためにも俺、打たれませんから!」
相川「…」
そんな理由で調子が良くなるなら、いつも西条に疲れてもらうぞ。
相川は苦笑してしまった、感情的な冬馬らしいといえば冬馬らしい。
金城「…Fスライダー、か」
打席に入った金城が足場を慣らす。
内角に投げられる?左投手が投げたスライダーを右打者から見れば、内角に食い込んでくる変化球。
金城(…恐ろしく食い込んでくる、スライダー?)
恐ろしいキレで食い込んでくる球なんて滅多に経験する事は無い。
金城は若干不安を覚えながらも構えに入った。
相川はカーブとストレートを巧みに使い分け、ツーツーと簡単に金城を追い込む。
今来留須の言葉のせいで金城はFスライダーが頭から離れない。
金城(追い込まれたさ…!来るか、Fスライダー!)
金城が見上げるマウンド上の冬馬の握りはFスライダーのそれ。
冬馬「行くよっ!!」
金城「…!」
冬馬、Fスライダーを投げる!
コースは先ほどとは違って、真ん中に飛んできている!
金城「ど真ん中!?」
ボールはまだ変化を起こさない、ストレートよりも少し遅い速度で向かってくる。
しかし、Fスライダーのキレは尋常じゃない、まだ球種を特定する事は出来ない。
…が、金城はFスライダーと決めてかかっていた、食い込んでくる球に対し肘をたたんで上手く打ちにいく!
しかし!Fスライダーのキレをなめてはいけないっ!!
ヒュザゥッ!!
まるで空気を切り裂くような音を残して、いきなり自分の方に食い込んでくる!
金城(あ、当たる―――っ!!)
危険だ、近状は瞬時に判断した!
スイングを途中で止め、Fスライダーから逃げるようにのけぞった。
バシィッ!!
「―――ストライク、バッターアウトッ!!」
金城「な!」
今来留須「何ぃ!なんだな!?」
ボールが収まったミットは金城が元いた場所の真後ろ!
立っていたら間違いなく当たっていた…それがストライク!?
いや、ストライクなのだ。
ボールがベースの上を通ってさえいればストライク判定だ!
金城「え、Fスライダー…」
今来留須「なんて球なんだな…!」
この変化量と、キレ。
しかし、Fスライダーの本当の恐ろしさは左打者の時だ。
『五番、ショート、西藤君』
金城「西藤は、左か…」
西藤「俺からすれば逃げて行く球ってことになるな」
今来留須「ど、どういうことになるんだな!?」
日田「ファントムの意味は…幽霊さ」
金城「…消える、ってことさ?」
西藤「高速スクリューの次はキレの良いスライダーか?…まるで手品みたいに次から次へ見たことないのがでて来るな…」
日田「世の中広いさ…わーのシーサードロップみたいなのがたくさんあるなんてさ!」
相川(さぁ、冬馬。待望の左打者だぜ)
冬馬(はい、全部Fスライダー、ですね)
冬馬がFスライダーのサインを自分で出すと、相川は苦笑しながら指でOKサインを出した。
西藤「左打者の俺には、どう見えるのかね」
相川「…聞いてびっくり、見てびっくり」
西藤「へぇ…」
冬馬は二三度帽子のつばを直した、ロージンバッグを触った手で触ったのでその後が白くはっきりとつばに残る。
目指す先は相川のミットただ一点、コースは外角大きく外れたところ、そこから曲がっていくFスライダーを。
冬馬「てやあーっ!」
西藤「!」
ボールが…消える!
西藤「な、何っ!?」
左打者に左投手冬馬のサイドスロー、背中のもう一つ向こうに投げて来たのでまったく西藤の視界に入ってこない。
西藤(み、見えない!)
ここで初めて西藤はFの意味と、恐ろしさを知った。
消える、スライダー!
ヒュザアッ!!
そこから球にボールは曲がり、真ん中に入っていく!!とんでもないキレだ!
当たる可能性が右打者より低い左打者に対してのFスライダーは先ほどの今来留須、金城の時よりも遥に曲がる、曲がる、曲がる!!
バチィッッ!!
『ストライク、ワンッ!!』
西藤「うぐっ!」
マウンド上では冬馬がどうだ、とばかりにその小さな胸を必死に張っていた。
西藤にとってはいきなり視界に現れた形となる、それも真横からボールが飛んできた感じだ。
Fは夏のときよりも確実に威力が上がってきている、受けた相川はそう思った。
それはミットに収めきれずに弾いてしまったからだ、ファントムが曲がりすぎて捕れない。
相川(どんどん変化量が増してきている…冬馬め!)
二球目もFスライダー!
全く斉藤の目には映らない、必死に体を傾けてようやく見えるくらいだ。
ヒュザッ!!
そこから思い切り殴られたように横に飛んでくるFスライダー!
幽霊がいきなり現れたようだ!
西藤「ぐっ…うおおっ!」
西藤もスイングに行くが、かすることなくボールはどんどん外角へそれていき、今度はしっかりと相川のミットに収まった。
ブンッ!
バシィッ!!
『ストライクツー!!』
西藤「ぐ、かすりもしないだと…!」
冬馬、間髪入れずに三球目もFスライダー!
西藤「三球連続同じ球?!なめるなあっ!!」
しかし、やはり西藤のバットがFを捉えることは無かった。
ブンッ…バシィッ!!
『ストライクバッターアウトォ!!チェンジッ!!』
西藤「…っ」
三者連続三振。
冬馬はマウンド上で見とれるほどの笑顔をこぼした。
冬馬「どぉ〜だっ!」
西藤(こ、こんな奴が…)
人は見かけによらない、そう痛感した西藤だった。
そして、冬馬は外野からのろのろと歩いてくる降矢を待つ。
冬馬「へっへ〜!すごいだろ降矢」
降矢「調子に乗んな」
バシィッ。
そのまま頭をはたかれる、それでも冬馬は笑いっぱなしだ。
どうやら三者連続三振が相当嬉しかったらしい。
冬馬「痛っ!痛い〜にゃはは〜…」
降矢「…うわ」
何か嫌なものを見るような目つきで冬馬から離れた後、降矢はバットボックスから一本重たい奴を取り出した。
黄色く、鈍く光る金属バットが、しっかりと手に感触を残す。
『九番、ライト、降矢君』
冬馬「降矢も頑張ってね!」
降矢「…まぁ、見てろよ」
そろそろ熱さに嫌気が差してきたのか、気だるそうに答えると降矢はゆっくりとバッターボックスに歩いていった。
降矢「お前なんかに、負けてられねーからな」
六回裏、沖2-2将。
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