069火を灯した男























一週間前、つまり西条が野球を始めたその日、朝から降矢は一人で将星高校からかなり離れたある砂浜にいた。

両手で握ったのは、浅田から預かった黄色いバット。



降矢「…ちっ」


降矢は力を込め、バットを振り回す。


ブォーンッ…ドシャアッ。


大きな風切音の後、降矢はバットに振り回される形で砂浜に倒れこんでしまった。

降矢はバットを思い切りにらみつけた。


降矢「…なんだこりゃあ」


砂まみれになった服をはらい、口に入った砂を吐き捨てた。

再びバットを睨みつける。




―――明らかに、前使っていたバットよりも重い。



両手にかかる負担が前よりも全然違う、一回振り回すたびに手首に激しい衝撃が走る。

その感触は霧島高校の尾崎のアイアンを打ったときといい勝負だ…いや、それは言いすぎか。

今のでスイングはちょうど十回目になるが、未だまともに振り回すことすらできない。



降矢「あの野郎…こんな馬鹿みてーに重てーのを振り回してたのか…」



その上浅田は地区予選決勝戦、このバットであの大和からタイムリーをかっとばしている。

グリップのテープは汚れてボロボロになっていた、それほど浅田は何度も何度も振り回したのだろう。


降矢「けっ」


前の降矢ならすぐにあきらめていただろうが、今は意地と、そして心に灯った確かな炎がその行為を脳裏によぎらせすらしない。

降矢は再び、体のバランスを崩されながらもスイングを始めた。


降矢「これぐれー振れないで、戻れるかよ」


このバットを自在に操り、振り回せるようにならなければ、戻った所で冬馬や他の皆に合わせる顔がない。

そういうことに関しては降矢は人一倍気にする男だ、額に汗をかきながらも降矢はスイングをやめようとはしなかった。









初夏の海には人が多いが、今日は平日だからこの時刻は誰もいない。

学校をサボって時刻は真昼、太陽は真上で輝く。

夏の日差しは降矢から容赦なく体力を奪う、素振りの回数が三桁を越えた時降矢の体はすでに汗だくになっていた。


降矢「ぜーぜー…」


西条と違いもともと体が出来上がっていない降矢は、すぐに疲労の津波が押し寄せた。

ずるり、手からバットが落ちた、それほどに手は汗まみれになっていた。


降矢「馬鹿野郎…がぁ、負けるかよ!」


再びあの球を弾き返した時のぞくぞくする快感を、耳を裂く金属音を聞かせろ。

降矢も西条同様に、馬鹿みたいに野球をやりたがっていた、一度手にした快感をやすやす手放さないのは人間の性だ、降矢とて例外ではない。

タバコより、ケンカより、よっぽどスカっとする。


ブオン!!


目にかかった前髪を全て後ろでまとめると、再びスイングを開始した。












夜、降矢は自室で倒れていた。

降矢の家にクーラーは無い、扇風機の前で体中に湿布を張った情けない格好で、口をあけてすこしでも冷気を取り込むことしかできない。


降矢「…」


特に今夜は暑い、熱帯夜だ。

カレンダーはすでに七月の中盤にさしかかろうとしている、しかしその光景が少し見えにくい。


降矢「うっとおしー」


降矢の金色の前髪はすでに目を隠すほど伸びきっていた。

前切ったのがいつかも覚えてはいない。


降矢「…」


親指と人差し指でその前髪をつまむと右眉をしかめ、引き出しからはさみを取り出し、ベランダに出た。














降矢の練習、二日目。



別に降矢は迷惑をかけたからという理由でも、けじめをつけるという理由でもないが―――髪の毛はばっさりと切られていた。


随分と軽くなり、短くなった金髪を浜風になびかせる、

降矢は昨日同様に朝から砂浜でスイングを繰り返した。


降矢「ふんっ!」


全力で振り回す、振り回す!振り回す!

二日目だというのに、昨日よりは随分とスイングは安定していた。

しかし…。


降矢「くっ!」


ズルゥッ…ドサァッ!


やはり砂浜という足場が不安定すぎるのか、『サイクロン打法で』スイングしようとすると一本足になった時、どうしてもバランスを崩してしまう。




ここでサイクロン打法をもう一度説明しておこう。

サイクロン打法というのは降矢の打ち方を周りが勝手に呼び始めたので、降矢もそう呼んでいる名前だ。

その打法は随分と個性的で、相手に半分背中を見せた状態で構え、そこから左足を上げ、背中を完全に相手に見せるほどバックスイングをとり、体をねじった後、爆発的にスイングする打法だ。

特に降矢は体が柔らかいので、背中を見せるほど腰の筋肉をねじればねじるほど、バネのように力は蓄積されていき、スイングしたときにそれは開放される。


それが降矢のバッティングの力強さの正体だ、その体のバネは天性といえよう。

だが、基本となる足腰ができていないため、こういう不安定な場所でスイングするとバランスが簡単に失われてしまう。


それは変化球に対応する一瞬待てる動作ができないこと、それにクサイ球をカットできないことにつながる。

プロでも一流選手であればあるほど、足腰が強い、だから『体勢を崩されても打つことができる』のだ、そうすれば自然と打率は上がっていく。




だからこの前の桐生院と東創家の決勝を見ていて、自分のバッティングと違うのは『足』だ、と気づいた降矢はあえて砂浜でスイングの練習を行ったのだ。


このバットがここまで重いとは思わなかったが。






再び、スイングする!


ブオンッ!!…グラッ!


降矢「ぬあ!!」


ドサァッ!

そしてバランスを崩して倒れてしまった。


降矢「ちっ…駄目だ、これじゃ同じことの繰り返しじゃねーか」

先ほどから同じタイミングで倒れてしまっている、ここが第一の難関だ、と降矢は思った…その時。





???「それじゃ、あかんぜよ」

降矢「!?」



突然背後から声がかかった、振り返ると堤防の上に誰かが座っている。


???「ちゃ、ちゃ。さっぱりあかんぜよ、そのスイングじゃ」


ふふん、と人差し指で差された。

降矢は思い切り睨みつけると、お返しとばかりにバットでその男をさした。


降矢「誰だテメーは」


平日の昼間にこんなところにいる事からして、学生ではないのかもしれない。

男の容姿は、目を隠すほどに伸びきった長い髪に無精ひげ、その上爪楊枝を咥えている、ますます高校生に見えない。



???「わしか?わしは南雲要、いうもんやか。最近ここらに来たばっかでのぅ」


ははは、と笑う顔は第一印象よりは爽やかだった。

どちらかというと、吉田キャプテンに雰囲気的には似ている。



南雲「まぁ、ほがなことはどうでもいいやか、それよりもおまんのスイングやが…」


男は軽快な動作で、堤防を飛び降りると、降矢に近寄ってきた。

降矢「ああん?…ってなにすんだテメー!」


いきなり降矢のバットをひったくられた。

良く見ればこの男、降矢と同じくらいの背丈だ、いやそれ以上…190あるか、ないか。

見た目は痩せているが、力はあるのか、降矢が苦労していたバットをいとも簡単に振り回した。


南雲「まぁ、見とおせ」


男…南雲は降矢のバットを持つと、降矢とまったく同じフォーム…サイクロン打法で、思い切りバットを振った!



ビシュアッ!!!!




降矢(…コイツ)


降矢があれだけ苦労したバットで、サイクロン打法で、しかもこの砂浜で完璧に振ったのだ!

しかも、そのスイングは明らかに降矢のそれとは質が違った。

まるで、日本刀を振り下ろしたような、そんな鋭い音だった。



降矢「…」

南雲「な、おまんのスイングとわしのとじゃあ、まっこと違うだろ?」


確かにこの男の言うとおりだ、明らかに違う。

一体何が違うのだ、見た目どう考えても南雲は降矢よりは細く見える。


降矢「俺のとじゃ、何が違うんだ」

南雲「おっ、聞く気になったか?うんうん、よしいいか?」


笑顔で首を縦に振ると、南雲は降矢と同じ構えを取った。


南雲「ええか?まずおまんのスイングはまっこと個性的ぜよ。初めて見た時はわしもそりゃあおったまげたぜよ?」

降矢「初めて見た?」

南雲「今朝振ってたときから、ずっとあそこで見てたぜよ」


降矢はクビを捻った、まったく南雲に気づかなかったからだ。

そう、今朝もさっきも南雲のいた気配は全く感じられなかった…何とも不思議な奴だ。

と、いうか南雲もサボりなのか。


南雲「まぁ、見ときや…まず、おまんが片足一本で立つまではええんじゃけ…」

降矢「…」


口早に説明をする南雲に、とりあえず降矢は黙ってみている事にした。


南雲「まず、おまんは足をあげるのが早すぎるぜよ」

南雲はひょいと足を上げて見せた。

南雲「これじゃ、まだしっかと重心がもう片方の足にかかってないから、すぐにバランスが崩れるぜよ」


南雲はわかりやすすぎるほどに砂浜に大げさにこけて見せた。

どうもいけすかない野郎だと思ったが、言っていることはまともだ。

降矢は苛立ちながらも、思い返してみれば納得する所はあった。



降矢「だけどよ、それだとストレートに手が出ないだろーがよ」

南雲「そこはスイングスピードで補うっちゃ、おまんのスイングスピードなら大丈夫ぜよ」

降矢「だけどよ、俺は大和の球には手が出なかったぜ?…いや、あんたは大和を知らないか」

南雲「大和…?」


一瞬、南雲の表情が真剣なそれに変わる。


降矢「…知ってるのか?」

南雲「ま、それなりにゃあ…っちゅーことはおまんは大和と対戦したんか?」


降矢はまぁ、と頷いて見せた。


南雲「あれは大変なお人ぜよ、そうか…おまんはあのストレートを打とうとしてるがか?」

降矢「当たり前だろ、あれぐれー打てないでどーすんだ」

南雲「あれぐらいて…ありゃあプロ級の投球術ぜよ」


降矢は勢い良くバットを南雲の顔に向けた。


降矢「知らねーよ、プロ級だか何だかしらないけどよ、俺が打つっつったら打つんだよ」

南雲「…!」


降矢はそれだけ言うと、もう一度スイングの練習に戻った。


南雲「…おまんのような奴には初めて会うたぜよ…」

降矢「アホか、俺が何人もいて欲しくねーよ」





南雲は一瞬きょとん、と無表情になったが次の瞬間に腹を抱えて笑い出した。


南雲「ガハハハハハ!!ほうかほうか!おまんはまっことおもしろい男ぜよ!」

降矢「なんだよ、まだ何か用があんのか?」

南雲「もう一つ、教えちゃるきに。おまんがもし大和さんの球を打とうとしちゅうなら、もうちょっと最初から背中をねじっとくぜよ」

降矢「…最初から?」

南雲「そう、投手と打者の決闘は0.001秒速いほうが勝つぜよ、おまんがもし、まっこと速い投手の球を打とうとしちゅうなら、その0.001秒を縮めることが勝利につながるぜよ」

降矢「…なるほどな」

南雲「また、わしは明日もここに来るぜよ、まぁ頑張りぃや」


そう言って南雲手を振って去っていった。


降矢「…やってみる、か」


とりあえずは振ることだ。

南雲の言っていた事を頭に置きながら、降矢は再びスイングを繰り返した。












そして、南雲のアドバイスと、降矢のスイング練習はその後も続き…。

ついに始めた日から一週間たった。

その日の夕刻、黄昏時に染まる砂浜に、スイングの音が響く!



降矢「しっ!!!」



ドヒュッ!!!



降矢の不安定だったサイクロンはしっかりと固定されバランスを崩す事は無かった、さらにスイングも以前とは比べ物にはならないほど鋭さが増している。


ビヒュッ!!


南雲「うんうん、前とは桁違いぜよ…本当におまんのセンスは飛びぬけとる」

降矢「ありがとよ」


ビヒュッ!!



南雲「…完璧やな、わしが言えるのはここまでや」

降矢「アンタのおかげだな」

南雲「違う、そりゃおまんの努力ぜよ。見てみ?おまんの手を」


降矢は南雲の言った通り、自分の手を見た。



その手は、すでにまめがつぶれ、皮が破れ、グリップのテープは汗と血で赤く汚れていた。

浅田の言った『汗と血がびっしりしみついた』という意味が、今ならわかる。



南雲「一週間で手がそこまでボロボロになるほど練習した奴はわしは今まで見てないぜよ」

降矢「…意地があるからな」

南雲「でもおまんはこれから高い壁にまだ当たるかもしれん、ほじゃきそこからはおまん自身で乗り越えるんやで」





降矢「…そろそろ正体を言ってもいいんじゃねーか?」




降矢は夕暮れの向こうに消えようとしていた南雲に、そう言った。

この男の顔、見たことがある。



南雲「そうじゃな…対戦するのを楽しみにしてるぜよ、将星高校一年、降矢毅君。―――わしは『桐生院』でまっとるぜよ」










南雲はそう言って、消えていった。





降矢「やっぱ桐生院の奴だったか」


あの桐生院との試合、向こう側のベンチにやたら髪の毛の長い男がいたのが記憶の片隅に少々残っていた。

まぁ、いい。

降矢もバットを肩に担いだ。


降矢「戻るか、将星によ…!」


























そして舞台は、将星高校のサブグラウンド。

吉田と相川の前に西条と野多摩が立っていた、もちろん入部届を出しにきたのだ。



吉田「おう!じゃあ名前を言ってくれ!!」

西条「一年生の西条友明です!ポジションはピッチャーです!」

野多摩「一年生の野多摩大河です〜。ポジションは…どこだろ?」

相川「どこだろ、ってお前な…」

吉田「はっはっは!まぁいいじゃないか!」



そしてぞろぞろと他のメンバーもサブグラウンドに出てきた。


緒方先生「あら!西条君じゃない!」

冬馬「あっ!新入部員ですか!?」

原田「西条君じゃないッスか!」

吉田「おうよっ!!」

冬馬「こんちわっ、俺冬馬優、よろしくっ!」

西条「ウィッス!」

野多摩「よろしく〜」

大場「…新たな可愛さの予感…」

野多摩「…寒気?」

御神楽「おい、新入り。この大きな奴には近づかない方がいい」

県「気をつけてくださいね」

吉田「はっはっは!安心しろ!いつでも蹴っ飛ばしてやるぜ!」

三澤「傑ちゃん、でもあんまり暴れちゃ駄目だよ」


新入部員のおかげで野球部の面々に笑顔が灯っていく。

相川の悩みも一つは消えたことになる。


相川(投手、か…コイツにかけてみるしかないかな)

冬馬「ポジションはピッチャー?」

西条「ウィッス!」

冬馬「ならライバルだね〜!負けな………」

県「…!」

相川「―――!」





全員が、サブグラウンドの端に目をやった。















「ずいぶんと、賑やかじゃねーか」


















そこには黄色のバットを背負い。

金髪を短くし。

以前と違い確かに目の奥に炎を灯した男がいた―――。











冬馬「――――――降矢っ!」



















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