048霧島工業戦21吉田主将と相川先輩と三澤先輩
ラスト、イニング。
九回表、将8-8霧。
将星高校の攻撃は、三番の吉田から。
『三番、サード、吉田君』
吉田は、ボックスからバットを一本取り出した。
吉田愛用の木製バットは折れたので、もちろん、金属バットを。
その金属バットでももちろん打てないことはない、さっき五点を返した七回も吉田はタイムリーを放っている。
だが…何か違うのだ。
はっきりとは言えないが、きっとあのバットならあの打席、ホームランを打っていたのかもしれない。
だが、そんなことを悩んでいる暇はなかった。
吉田「…」
吉田がこの学校に入ってきたのは、母親のためである。
学力はさほど高くはなかった吉田だったが、共学校になる将星にとって、男子が一人でも多く入るなら、これにこしたことはない、入学はさほど難しくも無いだろう。
将星の教諭と仲がよかったため、吉田は将星高校へ進学することとなった。
しかし…吉田の意思はもちろん別の方向にあった。
吉田はもちろん野球が大好きだ、それこそ今もそうだが、中学時代は時がたつのも忘れて野球に明け暮れたものだ。
だからこそ吉田は、強豪ひしめく近畿高校の野球部へ行って自分を試したかった。
しかし、吉田の母親は体が悪かった。
…吉田はなるべく遠くの高校に行きたくはなかったのだ、苦渋の決断だったが、吉田は将星へ進学することに決めた。
中学時代、吉田の母校、楢樹中学のグラウンド。
夕暮れの朱がさす中、吉田は一人でベンチに腰掛けていた。
相川「どうしたんだよ、こんな所で」
吉田「相川?…お前こそなんだよ」
相川「別に、ただ卒業前にもう一度世話になったこのグラウンドを見ていこうと思ってな」
吉田「…そっか」
吉田はそれきり何も言おうとはしない。
相川「なんだよ、今更悩んでんのかお前。もう入学手続きも終わったってのに」
吉田「…まぁ、な。将星ってよ、女子校だったから、もちろん野球部なんて無いし、男子の数も少ないしさ。決めたはいいけど、やっぱ不安になっちまってよ」
相川「ふん…まぁ、気持ちはわからんくもないが」
吉田「でも、俺の家って貧乏だからさ…。やっぱ留学とかしたら親に迷惑かけるし…親父が漁に行ってる間、お袋体弱いから一人にさせらんないし…」
吉田の母親は昔から体が弱かった、幾度となく入退院を繰り返し、静養の為にこの町に来た。
元サラリーマンだった父親も漁師になり、吉田は地元の中学に転校した、そこで相川に出会ったのだ。
吉田「…なんとなくさぁ、ネガティブなのよ」
相川「馬鹿らしいぜ、吉田。お前らしくない」
吉田「え?」
相川「お前がバットを、俺がミットを持ちつづけてる限り、野球なんかどこでもできるじゃないか」
相川はベンチをたって、グラウンドに向かって歩き出した。
吉田「相川…」
相川「グラウンドの向こうには、まだまだ知らない奴がいっぱいいるんだ。もしかしたらお前みたいな奴も将星にいるかもしれないだろ」
吉田「…言われれば、そうだな」
吉田もグラウンドに向かって歩き出した。
二人は少し離れたところに立ち、相川はポケットから軟球を取り出し吉田に投げる。
吉田「お前は何で将星に行こうと思ったんだよ」
吉田はそれを取り、ボールを投げ返した。
いつのまにか、二人の間にはキャッチボールが成立していた。
相川「そこにお前がいるから、だよ」
吉田「俺が?」
ぱしっ、と少し強めに相川は投げてきた。
相川「憧れないか吉田?創部したての野球部が、甲子園に乗りこむんだぜ?」
吉田「え?」
相川「ないなら、『作る』ってお前言ったろ?」
吉田は持っていたボールを、空中に放り上げた。
ボールはゆっくりと弧を描いて、再び吉田の手に戻ってくる。
相川「俺達が最初になればいい。将星野球部の伝説になるんだ。…お前、その啖呵忘れたとは言わせないぜ?」
吉田「…相川」
そう言った吉田の顔は、少し笑みが浮かんでいた。
相川「吉田、俺たちはバッテリーじゃないけどよ、お前となら甲子園行ける気がするぜ」
吉田「なんでだよ」
相川「お前には、人を期待させる何かがあるのさ。それがなきゃ俺も野球なんてやってない」
吉田「はっはっは!そう言えばそうだなー、俺が誘うまではお前はガリ勉君だったもんなー」
相川「勉強くらいしかする事がなかったんだよ…野球とお前に出会うまではな」
バシィッ!
吉田「行くか、相川!」
相川「ああ…」
二人は世話になったグラウンドの、その遥か向こうにある聖地を見ようとした。
『この先にある、OVER GROUND!』
一年生の間は耐えに耐えた、そして二年生になり、男子生徒の数も増えた。
冬馬が投球したとき、降矢の特大の打球を見たとき、そして九人が揃った時の感動は今も忘れられない。
そして、九人と言うギリギリのメンバーで地方大会に出て、勝ち進んで、しかもこの試合では六点差もおいつくという奇跡を見た。
決して、強豪高校では味わえない感動かもしれない。
吉田は嬉しさと、喜びで溢れていた。
吉田「相川!」
相川「おう!!」
吉田「俺は…俺は将星に来て良かったぜ」
相川「…わかってるじゃないか」
三澤「…傑ちゃん」
吉田「…ん?」
三澤はそっとバットを握る吉田の手に自分の手を添えた。
吉田が三澤と会ったのは小学生の時、だ。
当時の三澤は今の三澤からは想像できないような女の子であったのだが…その話はまた別の機会に。
なんとなく吉田と仲良くなって、中学も一緒、家族同士でも仲が良かった。
吉田「柚子ー、お前も将星に来るのか?」
それはいつもの帰り道のことだった。
三澤「そうだよ?どうして」
吉田「どうしてって…まー、何だ。また三人一緒だな」
三澤「そうだね」
くすくすと三澤は笑い出した。
吉田「何がおかしいんだよ」
三澤「別に〜」
あははっと、かわいらしく笑いながら、スカートを翻した。
吉田「はー」
つくづく、女と言うものはわからん、と吉田はため息をついた。
三澤「むー、私と一緒じゃ嫌なの?」
吉田「別にそんなんじゃないけど、お前が笑う理由がわからん」
三澤「え?…んー、私もわかんないや」
吉田「なんだそりゃ」
三澤「なんだろ?えへへ」
そのときの三澤はいつもより、ちょっと可愛く見えた…。
いやもともと容姿はいいのだが、吉田はとんとそんなことに興味がなかった。
それよりも「野球!」の男である、だが、そんな彼でも今の三澤は可愛く見えた。
三澤「そう言えば、傑ちゃんって高校に行ったら金属バットに変えるの?」
吉田「いや、俺は変わらずに『木』だな、なんてったって握ってて気持ちいいからな」
三澤「ってことはまだアレ使うの?」
吉田「当たり前だろ?あのお前からもらったバットは何故か持ってるだけで打てそうな気がしてくるからな」
そのバットは、三澤が親戚からもらったものを吉田に渡したものだ。
吉田は金属バットよりも、木のバットを愛していた、理由はしっくり来るから、だそうだ。
そしてちょうど、子供の頃から自分の使っていた木のバットが折れてしまった時に、三澤からそのバットを貰ったのだ。
そして、吉田はそのバットを持った日から部内でも目を見張るほどの強打者になった、言わば吉田はこのバットと、それをくれた三澤には感謝してるのだ。
吉田「俺があのメンバーの中で四番を打ってるのもいわば柚子のおかげだ、感謝感謝」
三澤「うふふ、そう言ってくれると嬉しいかも」
吉田「と、言うわけで引き続きこのバットは使うぞ」
三澤「うん、えへへ〜」
何故かまた笑い出した、しかも今度はさっきよりも笑顔だ、ほっぺたが落ちそうだった。
吉田「…お前悪いものでも食ったのか?」
三澤「別に〜。るんらら〜」
それにしてもあんなに、嬉しそうな三澤を見たのは始めてだった。
重ねられた手をはらいのけることはしなかった。
しかし吉田は複雑な表情だった。
赤城(あのマネージャー…三澤さんが、かっこええ男と歩いておった所な)
あの赤城の言葉が何度も繰り返される。
吉田(…)
相川「…」
相川はため息をついた。
あれは赤城の嘘に決まっているのに。
三澤「…良かったね、傑ちゃん」
吉田「?…あ、ああ」
三澤「あのバットが折れて気にしてるなら大丈夫だよ。また、私が木のバットあげるから。…今度は私の気持ちだから」
相川「吉田」
吉田「ん?」
相川「この試合、絶対に勝とうぜ」
右手を握り拳にして、前に差し出した。
吉田もそれに応えるべく、右手を握り、拳と拳を合わせた。
吉田「おう―――!」
マウンド上、すでに尾崎はベンチに下がり、今は再び宮元があがっている。
吉田「赤城」
打席に立った吉田は、逆に赤城に話しかけていた。
赤城「ん?なんでっか?」
吉田「敵に言うのもどうかもしれないけどよ、俺はこの試合に感謝してるよ」
赤城「?」
吉田「あそこまで追い詰められて、みんなが一つにまとまっていった。この試合が一番俺達が結束した試合かもしれない」
赤城「…そうでっか。でも、わいら負ける気はおまへんで」
吉田「はっはっは!!もちろん、俺もだ!!」
マウンド上の宮元、首を縦に振り、第一球…投げた!!
カキーーーンッ!!
赤城「!」
吉田、初球打ち!!
打球はライト前に落ちる!!
吉田「絶対に負けない、負けないぞ!!俺は将星高校野球部主将吉田傑だーーーー!!!」
九回表、将8‐8霧、無死、ランナー一塁。