014桐生院一年戦5そう思ってんのか?
三回表 桐1-4将
軽くバットを肩に回し、ストレッチする。
弓生「…」
一回、いきなり目が覚めるような当たりを見せた弓生が、マウンド上を一瞥し、バッターボックスに立った。
相川「さて、バンダナ君」
弓生のバンダナの下からのぞく鋭い眼が、相川の視線とぶつかった。
弓生「ま、これでは終わらない、と思ったほうがいい」
相川「思ってるよ、天下の桐生院さんがこんな所で終わってもらっちゃ、つまらなすぎる」
再び、視線がぶつかり合う。
弓生「次に俺にバッターボックスが回ってくるときには、もう笑っていられない、と思ったほうがいい」
口癖なのか、何度も同じ語尾を繰り返し呟く弓生は、もうマウンド上の冬馬を睨みつけていた。
相川「さて、いくぜ…!」
サインは低めストレート。
もちろん、外れるボール球だ。
打ち気に焦る桐生院のバッター相手には、まずボール球から入る。
冬馬のコントロールがあってこそできる芸当だ、スピードボールで勝負できないなら、頭を使う。
相川(そう、頭を使え)
近代野球では頭脳プレーは王道である、キャッチャーである相川は情報戦を夢見ていた。
冬馬の左腕が地面すれすれから現れる、そこから放たれたボールは見事低めに決まる。
スパーンッ!
小気味よい音を残して、キャッチャーミットに収まった。
「ボール!!」
相川(ほぅ…)
こいつは、一味違う、と思ったほうがいい。
相川(おっと、アイツの口癖がうつっちまったか)
他のバッターは明らかに打つ気に焦って初球、相当なボール球でも手を出してきた。
だが、今のコイツはまったく焦っているという印象が無い。
むしろ、感情がまったく読み取れない、焦り、とも、怒りとも違う、ただそこには冷静な顔が浮かぶのみである。
相川(一筋縄ではいかない、か)
相川は表情を崩さずに再びサインを冬馬に送る。
次は、カーブを内角に投げさせる。
冬馬(はい、わかりました!)
コントロールミスは許されない、それは冬馬自身が一番わかってる。
自分の球威ではコントロールミスはそく失点につながる。
極めて慎重に、相川のキャッチャーめがけてカーブを放る。
カキィィーンッ!!!
冬馬「!!」
ジャストミート!打球はサードの横を勢い良く抜けていく!
…しかし!
「ファールボール!!」
ボールはファールゾーンを抜けていった、サードの吉田はそれがわかっていたから一歩も動かなかった。
冬馬「ふぅ…」
一粒の汗が冬馬の頬を滴り落ちた。
相川(いや、あそこのボールは打ってもファールになる)
しかし、見逃してもボール球、この弓生という男の選球眼なら、見逃してもおかしくない。
なら、何故打ったのか?
相川(あえて打った?)
キャッチャーマスクの隙間から見えた『奴』の表情からは相変わらず何も読み取れない。
相川(冬馬の球威じゃまともに勝負してもかなうはずがない)
ましてや、相手は一年とは言えど桐生院高校の野球部員だ。
どうする?
それなら、考えろ、知識を総動員して。
こいつを抑えれば、冬馬も乗れるだろう。
カウントは1-1、セオリーなら…困った時は外角だ。
だが、下手にコントロールをつけなきゃならないところに投げて、失投されれれば、痛い一発を喰らう事になる、そうなったら一回の繰り返しだ。
今、降矢が掴んでくれたこのチャンスを逃すわけにはいかない。
相川は覚悟を決めてキャッチャーミットを構えた。
冬馬(…え?!)
冬馬は戸惑った、そのコースは有効だが、あまりにも危険すぎたから。
そう、今の冬馬の球威では相川の構えた『高め』では。
直球を武器にする本格派なら高めのボールは空振りに取れる武器となるが、芯なら長打される諸刃の剣。
まして、冬馬は軟投派、危険以外の何ものでもない。
冬馬(そ、そのコースは危険すぎますっ)
冬馬は首を振った。
弓生「…?」
相川「…」
しかし、相川は頑としてキャッチャーミットを動かす気配は無い。
冬馬(ううっ…)
視線の先の相川はその目に絶対の自信を持っていた。
冬馬(くっ、…信じますよ!相川先輩!)
しばらくの逡巡の後、冬馬は覚悟を決めた。
右足を大きく上げる独特のフォームから、地面から浮き出てくるようなボールが、『高め』にいく!
弓生「…!?」
バシィッ!!
「ストライクツー!!」
が、弓生はバットを振らなかった。
というよりは逆をつかれた、という感じだ。
初めてこの男の顔に驚き、という表情らしい表情が浮かんだ。
弓生「…高めとは思わなかった」
相川(だろうな)
相川にとっても博打だった、ときには分の悪い賭けも勝負には必要になってくる。
その後、一球外角にスライダーを外し、ボールをはさむ。
カウントは2-2。
こうなれば、後は読み合いだ。
両者の中では静かなる戦いが火花を散らす。
そして、弓生は大きく息を吐いた。
弓生「本当にそう思っているのか?」
相川「本当にそう思ってんのか?」
両者の言葉が重なった。
作戦は二人ともかく乱だった。
だが、それは自分自身への疑問でもあった。
答えはない、絶対もない。
しかし、コイツを抑えれば試合の流れはこちらにくる。
相川「この試合、お前を抑えないことにはどうにもならないようだ」
相川は悩みを打ち切った。
コースははただ一点、ど真ん中。
冬馬(え、ええ?)
冬馬はさっきよりも愕然とした。
ど真ん中、打たれろ、と言ってるようなものである。
冬馬(そ、そんな無茶苦茶な!)
しかし、相川は覚悟を決めていた。
冬馬(……………はい!)
冬馬も、首を縦に振った。
ピッチャーとはキャッチャーを、相棒を疑った時点で100%の球をミットには投げれなくなる。
ど真ん中をめがけて、投げた。
そして、冬馬は目をつぶった。
相川(…)
打たれる?ど真ん中は危険だ、常識だ。
相川も一瞬目をつぶった。
本当にそう、思ってるのか?
自分を信じれなくなれば終わりだ。
つぶった目を開けば。
バシィィッ!!!!!
ボールはミットに、収まっていた。
「ストライクバッターアウトッ!!!!!」
審判の声がグラウンドに響いた。
弓生「…これで、終わりだ、とは思わないほうがいい」
相川が見た弓生の姿は後姿だけだった。
相川(…見逃し、三振か)
嫌な汗をかいていた、しかし、それはもう心地よい。
…自分の運も捨てたもんじゃない。
最初は桐生院に勝てるはず無い、と高をくくっていた。
しかし…柄にも無く心が高揚する。
今は少しだけ「勝てるかもしれない」という希望が見えている気持ちがある。
ボールをマウンドの冬馬に返すと、相手も苦笑を浮かべていた。
弓生「…」
望月「読み負けだったか?」
弓生「まさかど真ん中を投げてくるとは思わなかった」
布袋「普通のリードじゃない」
望月「しかし、振っていたら…」
弓生「…いや、凡打だったろう」
自分の手前で、変化した。
それがキャッチャーの意思だったのか、ピッチャーの意思だったのか、それとも自然になったのかどうかはわからない。
ただ、読み合いでここまで競える相手がいたことに弓生はすこし嬉しく思っていた。
弓生「相川、おもしろい相手だ、と思ったほうがいい」
その後冬馬が後続を抑え、望月もまったく打たれること無かった。
試合は中盤に突入する、と思ったほうがいい。