大急ぎで一階に飛び降りると、近松は受話器の前で廊下に倒れていた。
名前を呼ぶ。
「近松!」
抱き起こすが、顔色に生気は無い、呼吸はあるが目を開こうとはしない。
…まるで急に心のブレーカーが落ちたみたいだ。
「あ、わわ…そ、そんな、こんなに早く雷が落ちるだなんて…!」
「うろたえるより速く抵抗薬を出せ!!」
「は、はい!」
あせりながらも、と先ほど俺に見せた注射器を取り出す。
中身を確認した後、近松の手首にゆっくりと注入していく。
押し込んでいくと、透明な液体が少しづつ消えていく。
「…ちぃ!さきっち!チカを頼む!」
「え!?え、ちょっと!」
俺は近松をさきっちに預けて、外へ出た。
開けたドアを離すとすごい勢いで途端にしまる。
風が激しすぎる。
「ぐっ!」
叩きつけられる雨を含んだ向かい風は痛さすら覚えた。
右手を額にかざし雨を避けながら一歩一歩前へ出る。
先ほど着替えたばかりのシャツがすぐに色濃く変色していく、しばらく歩くと肩から上はびしょぬれになった。
『ウウウウウ』
かすかにサイレンの音が聞こえる。
パトカーか消防車か救急車か、入り乱れているのか、数はわからない。
騒ぎと悲鳴とが地面を、アスファルトを叩きつける激しい雨音の隙間から聞こえてくる。
西の方角からはやけに明るい。
「…ウィルスが発症したら、人は意識不明になる。…それが交通機関で起こったら…!」
ぞっとした。
俺が学校に向かう電車は少し離れた大都市へもつながっている、もしそこで大事故が起きたなら…。
『ガガーンッ!!』
近くでまた大きな雷が落ちる、思わず俺は飛びのいた。
…雷の方角を見ると、その方向の電柱の側で人が倒れている。
サラリーマンらしきその人物に俺は急いで駆け寄った。
「お、おい!アンタしっかりしろ!」
「…」
駄目だ、すでに意識が無い。
…電磁場による電流の蓄積による発症の加速、そんな非現実的なことが存在するわけがない。
だが、俺の目の前に現れた奴は未来人だ、もう非現実に驚いてる暇は無い。
恐れていたことが現実になりつつある、多数の人物が被害にあったなら、その人物が何かを操縦している人物だとしたら。
被害は、まるで肩の雨の染みのように広がっていく。
「さきっち!!」
Uターン、最高速度で未来人のもとへと舞い戻る。
「も、もう大丈夫です、この人は安定しました…二三日すれば目を覚ますでしょう」
「落ち着いたこと言ってる場合じゃない!」
肩をガクガクとゆすられて、さきっちは目を丸くした。
「わわわ!ど、どうしたんですか!?」
「悪い予感的中だよ…俺も余裕が無いから冗談抜きに言うぞ。『この街の人々がバタバタ倒れていってる』…多分な」
「ええ!!」
「さっきからサイレンの音がひっきり無しに続いてる。…近くの電柱にも一人倒れてる…このまま放っておくと、少しでも感染してる奴はすごい勢いで倒れていくぞ!」
「そ、そんな!私、私どうしたら!…あ、あの」
「落ち着け!こういう時に慌てたらどうしようもならない!お前は未来人なんだろ!落ち着け!」
問題は感染経路だ。
金属で電流が感染していくなんて、堀田の時みたいな悠長な事なら少しづつしか感染者は増えないはずだ。
「さきっち!俺の部屋の机にあるラジオを持ってこい!今状況がどうなってるか知りたい」
「は、はい!」
さきっちを二回に追いやり、横たわる近松を前に俺は必死に脳内細胞を回転させる。
どたどた、とすぐに上から戻ってくる、ラジオをひったくるとすぐにスイッチを入れる、確かこの街の専用チャンネルがあったはずだ。
チャンネルをあわせ、向きを調節するとすぐにノイズがかったアナウンサーの声が入る。
『ガ、ガー…現在、関東地方全域に警報が出ております。台風8号の接近に伴い、暴風、大雨、雷警報が出ており、海に近い地域では波の高さは3Mを越えるので注意してください。また、元暮街ではこの天気に伴い謎の意識不明事件が多発しております、火災や交通事故にご注意ください、また交通事故のため国道○号線の○○側出口は封鎖中で…』
「ヤバイな…」
「あわ、あわわわわ」
ジリリリリリンッ!!
ふと、近松がとる前に倒れたであろう電話が大声をあげる。
一瞬躊躇したが、急いで受話器を耳に当てる。
「もしもし!」
『あっ!もしもし桜庭です!』
「ラバーか!大丈夫か!?」
『どうしよ、どうしよぉ!望が…望がいきなり倒れちゃって…!目を覚まさなくて』
電話口の向こうの声は頼りなく、今にも泣き出してしまいそうなほどだった。
思わず歯をかみ締める。
「とにかく落ち着け桜庭!お母さんは大丈夫か?」
『う、うん。ママは大丈夫…』
やっぱりな、あのお母様は悩みごとなんか無さそうだ。
それにしても妹さんも倒れただと…?近松はともかく、一体どこからウィルスは感染してるんだ。
さきっちの話が正しければトランジスタウィルスは非常に感染しにくいはずだ、金属のような電気伝導率が高いものを媒介に両者が接触しないとウィルスは感染しないはずなんだ!
…もしかして、俺も桜庭も感染してる可能性があるってことか!?
「桜庭…とにかくネガティブになるな!」
『え?!』
「物事をポジティブに考えろ!」
脳にかかるストレスを抑えればまだ意識不明に陥る可能性は減るはずだ。
『う、うん…』
頷いたはものの、まだ不安な雰囲気はぬぐいきれない。
「お前は大丈夫!絶対に失敗しない!絶対に事態はいい方向に向かうから!」
『………』
駄目だ、余計に不安を煽いでるみたいだ。
ええと、どうやったらこういう時に…人を元気つけられるんだ!
(…未来達は、同じ人間ですから、人の気持ちになって考えれば、わかりますよ)
―――そうだ。
女心のノウハウを、桜庭に教えてもらったじゃないか。
今こそ師匠に恩を返すべく、それを実践すべき時!
『ねぇ…どうしたの!?大丈夫!』
「大丈夫…大丈夫だ!俺はずっとここにいるから」
『…え?』
「不安ならずっと電話してればいい、俺はずっと電話しててやるから」
『…え、ほ、本当?』
「ああ。だから大丈夫、俺がついてるから」
『…あ……ぅ、うん!』
おお!声に元気が戻ってきたぞ!
俺ってもしかして女心マスターしちゃった?
…すぐに舞い上がるクセ、直そう、今はそういう場合じゃない。
『ありがと…う、ぐす…』
「お、おいおい、なんで泣くよ」
『ううん、なんだかほっとして………ぐす…』
受話器の向こうからくすんくすん鼻をすする音が聞こえる。
「…よし、ちょっと待っててな、俺もやらなきゃならないこともあるんだ。受話器はつけっぱなしにしとくからな。大丈夫だから。」
『…うん、うん…わかった』
ごとり、と受話器を置く。
「さきっち」
「は、はい!」
かたずを飲んで俺達の会話を見守ってたさきっちに俺が声をかけると肩をビクリと震わせる。
「とりあえず…一人一人治していってもキリがない。さっきあの『ラジオ』で一気に抵抗電流を流せるって言ってたよな!」
「う、うん。…そ、そうだよ!とりあえずアレを完成させなきゃ!…PK7-5…アレさえできれば、この一体全域を完全にウィルスを無効化できる!」
「よし!とりあえず二階からここに持ってくるぞ!」
走り出した俺の後ろからさきっちが慌てて声をかける。
「ど、どうして二階で作らないんですか!?」
「俺は人命も大事だけど、一人の女の子も大事なんだよ!おら、早く来い!」
「………………ふーん…なるほど、ね……反則だねそれ、普段のギャップと。…君モテるでしょ」
「いいから速く来い!のんびりしてる暇はねー!人が倒れても大丈夫だが、交通事故とか火災は後でつぶしがきかねーんだ!」
「う、うん!」
二階から運び出してきたラジオ…さきっち曰くPK7-5なる物体を狭い廊下でつくり始める。
受話器を肩に挟んで桜庭と会話しながら、さきっちに指示をする。
「あ、あの…そこじゃ、ありません、もうちょっと上…」
「こ、こうか…?」
「違います…もうちょっと…もうちょっと下…」
「この穴か?」
「ち、違います、その横の…あっ」
「…よし、入ったな」
「も、もっと奥まで手を入れてください」
『わ、わわわわ!何をやってるんですか!』
「ケーブルが届かないです…!」
『…へ?』
「なんかこの物体を開発させると、皆が復活するらしい」
『ええ!?」
「詳しい話は省くが、とにかくそういうことなんだ」
『…じゃ、じゃあ未来、邪魔しない方が…』
「何言ってんだ!さっき約束しただろ!ずっといるって」
『……ぅん』
片手で工具箱から配線を取り出す、悪戦苦闘しながらも作業を続けた。
だがもうラストスパートにかかっている、とにかく足りない部品は置いておいてとにかくつなげなければいけないところを繋ぐ。
さきっちがいる分、スピードは早い。
説明書最後の図面まで完成させると、さきっちは顔をあげた。
「よし!後はどうだ」
「大体完成しました!後は…トランジスタを56番に繋げば…」
そこか。
…。
「さきっち…そこのSマーク、特殊なパーツじゃないと駄目なのか?」
「あ、はい。これは電量を特殊な状態にしてさらに電量を増幅させるものですから、わざわざ持ってきたんです」
…やはり。
足りないんだ、パーツが。
一個なくしてる。
「…さきっち」
「は、はい」
「実は…パーツがたんねーんだ。…しかも、そこのSんとこが」
「え…?」
ガガーンッ!!!
また雷が激しく音を立てる。
『きゃっ』
「お、おい桜庭!大丈夫か!」
『…』
「さ、桜庭!!」
『…う、うん』
胸をなでおろす。
「た、たりない…?」
「どうしてもそのトランジスタが一つ足りないんだ!代用はきかねーのか!」
「そ、そんな今から戻っても時間が…」
「じゃあ普通のパーツならどうだ!」
「…あ!威力は落ちますが…普通のケーブルなら…」
俺は急いで、そこら中に散らばっている残骸の中から落ちていたケーブルを繋げる。
…だが。
「だ、駄目だ…届かない!」
どうしても、後2cm届かない…作業中に出た残骸を探ってみるも綺麗に全部使い切ってもう何も残ってはいない。
二人とも絶望的な状況に陥った、血の気が引く音を俺は始めて聞いた。
「そ、そんな…」
さきっちの目が止まらない、ガクガクと震えて表情は青い。
「い、今から買ってくれば…!」
「もう、おそいです……歴史が変わっちゃいます…」
「れ、歴史が変わる…?」
お、おいおい、そんなことってあっていいのかよ。
さきっちの肩が震えている。
「わ、私…消えたくないです、死にたくないですよぉ…!!!」
「な、何言ってるんだ」
「…歴史が変わっちゃうと、未来は変わります。…私という存在がなくなってしまうかもしれないんです!!」
「…」
そんな話ドラえもんにあったな。
「落ち着け!お前一人の問題じゃねーんだ!」
「やだ…!やだ!う、うええええ!!!」
パニックに陥ったらしく、大声をあげて泣き始めた。
落ち着かせようとするも、手を払われてしまう。
『ど、どうしたんですか?』
「い、いや…なんでもない…」
どうするんだ、ここまで来て諦めるのか…?
必死の形相で『ラジオ』を見ても自体は変わらない、ラジオからはひっきりなしにニュースが流れ込んでくる。
『ここで緊急ニュースを放送します、元暮町で原因不明の交通事故が多数発生しており、その内のトラックの一台がガソリンスタンドに激突し一体に火災が発生しており』
『ウウウウ』
「うああああああ!!」
『大丈夫!大丈夫!?』
ザアアアアア。
サイレンも雨も声も今はうっとおしいノイズにしか聞こえない、耳を塞ぎたい気分だ。
自分の息遣いだけがやけにリアルに内臓に響く。
流石の俺も…手詰まりか…!
雷がまた一つ、大きな音をたてて落ちた。
「…!?」
ぐらり、とその時激しい痛みが頭を襲う。
がっ!?な、なんだこりゃあ!?
ま…まさか、俺も感染してたってのか!?…ネガティブな考えになったから…発祥?
じょ、冗談じゃない!!…前向きなことを…何か、何かこの場を打開する何かを…!
「…おい、人間って電気流れるんだよな」
「…へ?」
唐突な俺の質問に泣き崩れていたさきっちがこちらを向いた。
呆然とした表情で俺の眼球を覗き込んでいる、目をそらすつもりなんかない。
「人間って…電気が流れるんだよな」
「は、はい…一応」
「この物体は、どれくらいの電流が流れるんだ」
「…ま、まさか…」
俺はゆっくりと頷いた。
「む、無茶言わないで下さい!最大20000V流れるんですよ!!」
「他に手があるか!」
「…ぁ」
「あのな、勝算も無くこういうことは言わない。…俺は自分が一番大事だからな」
「勝算…?」
「ここに、いるかもしれない、と思って買ってきた抵抗器がある。結局使わなかったがな」
あの時、近松とデートする前に買った奴だ。
「…こいつを俺の右手に繋ぐ、そして左手にはまたトランジスタをつける。俺の体に入る瞬間だけ、電流を押さえ込むんだ」
「…む、無茶です…」
「お前だって自分が大切だろ、なんとかするしかないって。…アンテナから出される電波は、どれだけいるんだ?」
「ご、五秒です。…とにかく電磁波を打ち消せばいいだけですから…後特殊な電流なのでしばらく空気中に帯電し続けます。…五秒で、12時間は保ちます」
「十分じゃないか…五秒、か」
「む、無茶ですよ!!」
ドサッ。
ゴトリ、と硬い無機質な音をたてて受話器が地面に落ちた。
さきっちに、押し倒されていた。
「駄目です…私、目の前で人が死ぬなんて…見たくありません」
ぽつり、と涙が顔に落ちてきた。
綺麗で整った顔が歪んでいる。
「…嫌だよ…」
ぐすり、としゃっくりと嗚咽を繰り返す。
見て痛々しかった。
「…私…私は…」
「ばっきゃろー」
ぺちん、と頬を叩く。
「…ぁ」
「押し倒すのは女ではなく男の役目だ、どけぃっ!」
ちょわ、と声を上げゆっくり、できるだけ優しくさきっちを座らせる。
「あのな、こんなところで俺が死ぬわけないだろ、冷静に考えろ」
「…ひぐっ、ぐすっ」
首を横に振る。
「お前は知らんかもしれんが、俺は近松に殴られて二階の窓から落ちたことがあった!…だが俺はこうして立っている!」
冗談ではない、本当だ。
「お前ら大体心配性すぎんだよ、ぼけ、すかたん」
「うぐ…」
むにぃっ。
泣き続けるさきっちの頬を両手でひっぱる。
「い、いひゃいですよぉ…」
「いいか、お前には使命を与える」
「ひ、ひへい?」
「…ウィルスの感染源…つまり犯人を見つけて来い」
「…?」
「目星がついてるんだ…桜庭はかかってない、近松はかかった。…多分俺もかかってる。…そして事件は駅前で起こった事件。…確証は無いが、この三つだけだと俺達は駅の改札口か、何か…金属でできたものに大勢が障る場所で感染してる」
そう、考えてみればこれだけ大量に感染するには、場所は限られてくる。
電車の手すり、病院のエレベーター、とにかく金属でできたものに大勢の人々が触る場所は少ない。
「…うちの駅の券売機は、鉄で出来てるんだ。…環境デザインか何か知らないけど余計なことしてくれたぜ…」
さきっちは黙ったまま俺の話を聞いている。
「行け、犯人を捕まえないと、まだまだ感染は止まらないぞ」
「…で、でも」
「行け!!」
あたりが震えるほどの大声を出す。
さきっちの動きは完全に止まってしまった。
「行かないと、この場でお前を殴り殺す」
目は本気だ。
普段ヘラヘラしてる分、真剣な状況での俺の顔がかなり怖いことは各所で聞く。
「…」
腰を地面につけたまま、ゆっくりとさきっちは後ずさる。
「急げ!犯人を捕まえて来い!」
「…は、はい」
ようやくゆっくり頷くと、立ち上がって暴風雨の外へと向かう。
玄関のドアが開く音を聞くと、俺は一息ついた。
キィーン、とした耳鳴りと頭痛はいまだ続いている、頭が割れそうだ。
嫌な汗は背中をびっしょりと濡らす、手も震えたままとまっていない。
…これなら意識不明になる理由もわかる。
ゆっくりと、受話器を拾う。
『…大丈夫!ねぇ!どうしたの!?』
向こう側から桜庭の必死な声が聞こえてきた。
『…嫌だよ!未来をおいていかないでよ!』
「桜庭ぁ…」
『…!!どうしたの!?大丈夫!?ケガとかしたの!?』
「―――生きてもう一回会ったら、もっかいキスしてくれ」
―――ごとり。
地面にゆっくりと、受話器を置く。
大声が受話器からもれるが、耳から離すにつれ、それは雨音に溶け込んだ。
ゆっくりと息を吸う。
悪いさきっち、勝算ってのは、嘘だ。
今回のケースはハルウララに一生分の財産をつぎこむようなこと。
賭け、なんてもんじゃない。
「…」
視線をそらすと、近松が眠っていた。
ゆっくりと目を閉じてた姿はまるで眠り姫だ、普段コイツには無い荘厳さや美麗さを兼ね備えているように見えて、目をこすった。
コイツとは…まだ恋人『ごっこ』のまま、だったな。
もういいや、死ぬか生きるかの分かれ目なんだ、何したって死んだ奴を罪人にはできない。
「…チカチカ…悪い、生まれ変わったらもうちょっと白黒はっきりつける」
俺はグレーだ。
白にも黒にも染まらない。
「…ん」
眠ったままの近松の唇にゆっくりと、自分のを重ねる。
それは一瞬だけで、すぐに顔を離した。
「…駄目だ、俺はキスするときには目をつぶるタイプだな」
結局だ。
結局の話。
答えは出してないし、はっきりと言ってないし、自分にも素直にはなれなかった。
―――俺は近松も桜庭も好きなんだ。
近づくことで、別れることを恐れて。
離れることで、別れることを恐れて。
こんな反則みたいな駄目男とよく仲良くしてくれたと思う。
…いや、俺が二人の気持ちをあおってたのかな。
「だとしたら、俺は相当罪な『トランジスタ』だ」
思わず苦笑した。
近松とも桜庭ともチューした。
もう思い残すことは無い!
さぁ行けコメディオブザヒーロー。
「さぁさぁさぁ、やってまいりました」
右手に抵抗器、ゆっくりとそこからのびたケーブルの剥き出しになった金属線の部分を握る。
多分血圧が三倍速だ、動悸がヤバイ。
「はたして俺はこの町のヒーローになれるのでしょうか!!」
馬鹿らしいことを言ってないと、今にもウィルスで倒れそうだった。
ともするとネガティブになっていく気持ちを振り払う。
次の雷が落ちたら、俺も多分…。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
左手が、金属線を握れない。
ギリギリのところで止まる。
触ったら99%死ぬ。
触らなかったら100%意識不明、戻るかどうかも不明。
「………」
1%にかけるっていう気持ちで話すマンガのヒーローの気持ちなんか全くわからない。
どっちにしても怖さ100%だ…あたた!駄目だ駄目だ!気持ちをポジティブに持っていくんだ!
「はぁ、はぁ、はぁ」
目が血走っているのが何故かわかった。
汗が一つ、また一つ、地面に落ちていく、それはいつのまにか小さな水溜りを作っていた。
怖い、怖いぞ。
死んだら、もう桜庭とも近松とも、イイコトできねーじゃないか。
まだ捨てるものも捨ててないのに。
…。
…。
…。
一秒が二時間に思えた。
果てしない時間の中で自分だけが息づいている。
「人生のバッキャロー!!!!!!!!!!!!!!!!
金属線を、握った。
小さい頃は。
体も病弱で、今みたいな性格じゃなくて。
もっともっとおとなしい普通の奴だった。
そんな俺が。
始めて恋人関係になった少女。
そんな君と僕はたくさん近づいた。
至近距離の関係を保っていた。
…だから離れていった。
至近距離だからこそ、離れていってしまう。
それが悲しい人間だった。
離れていればわからないまま笑っていれたのに。
近づきすぎたから、わかってしまったことで二人は笑えなくなった。
彼女は…先天性の病気だった。
普通の生活をしていても、いつ死ぬかわからない。
そんな恐怖に怯えながら生きていた。
俺はそれを知ってしまったことで彼女を支えようと思った。
…だけど、彼女はそんな俺の行為を重く受け止めすぎた。
気持ちが空回りし始めたのはその頃だった。
妙に彼女が遠慮するようになり。
僕はそんな彼女に嫌われてるんじゃないか、と不安に怯えた。
二人とも気持ちがすれ違っていった。
ある日彼女は僕にこれ以上気を使わせたくない、と別れ話を持ちかけた。
それがあまりにもそっけない言い方だったから、俺は絶望した。
…でも、それは今思えば彼女の優しさだったのかもしれない。
あの頃友人に心配されるほどの状態にあった俺を解放しようとしたのかもしれない。
だけど答えはわからない。
俺が答えを出す前に、彼女は姿を消した。
あまりにもあっけなく。
病気の静養か、死んだのか、引っ越したのか、わからないままだった。
誰に聞いても教えてくれない。
その日から俺は、自分を出すのをやめて。
人に近づきすぎることをやめた。
「知らない方が幸せなこともある」
俺は望んだ。
もし好きな人がいれば。
君と僕は、知らない同士の他人。
…の、はずだった。
進学して、たまたま同じクラスになって。
席が隣になって話すようになったりして。
この年頃になればもっと、色々と遠慮とかためらいとかあるかと思ってたけど、予想外でこのクラスの仲は良かった。
そのまま、進級して俺はまたなんとなしに日々を過ごしていく。
なんとなしに日々をすごしていく。
足りない回線の電量は、大きくなるはずも無く。
それでいいんだ、それを望んだ。
なんとなくの日々で。
君の笑顔を見ているだけで、それでいいんだ。
いらないんだ、気持ちの電流は。
そのままの関係でいい。
俺は、心臓というパーツから、電量増幅器トランジスタを外したのだ。