翌日はなんか、そっけなかった。
「おい、近松」
授業中なのでひそひそっと語りかける。
なんだか放心状態っぽかったので、二三度呼びかける。
悪態が出る直前でようやく振り返った。
「…な、何?」
「何じゃねーよ、シャーペンの芯貸してくれって言ってんだろ」
「あ、う、うん、わかった」
「…?」
普段ならまたアンタ忘れたの馬鹿ね、ろくでなしねこの世のクズね死んでしまいなさいとでも言われそうなものなのだが、なんだかやけにすんなりと貸してもらえた。
どーもこのクソアマ昨日から様子がおかしい。
「なー」
「な、何?」
何でどもるんだ。
「お前さ、昨日から様子おかしーけど…」
「…」
「あの日か」
古典辞書を鼻に喰らった。
鈍い音にクラス中が振り返った。
「そこ何やってるんだ!」
「いえ、何でもありません(にっこり)」
これでもかというくらいの笑顔で先生に応対するクソアマ。
ええい、何故騙されるセンコー!そんな男らしい奴のにっかりピーカンの笑みが何だというのだ!
おっちゃん!三十歳未だ独身の先生!騙されちゃ駄目だ…いや、まさかホモ!?
(いや、今は鼻血を止めるのが先だ)
ティッシュで鼻を押さえてようやく窮地をだっする、ぜってーその内鼻の骨折れるぞ俺。
俺の鼻の骨を折るだろう(未来系)張本人はまた上の空で外の景色を眺めていた。
「変な野郎だ」
呟きも聞こえなかったらしく、近松は遠い目で空を見ていた。
そのままいつもと同じように一日が過ぎていく。
いや、いつも同じじゃぁねー。
いつもより、体に起こる悲劇は少なかった、つーかさっきの辞書の一発だけだった。
別に俺ぁMって訳じゃないが、何か物足りない、Mじゃないぞっ!ないからっ!
…じゃなくてよ、どーもおかしい。
悪態も悪口も左から右に抜けてってる、暇がありゃあぼーっとしてるし。
「近松、おかしかねーか?」
「ん?」
昼休みもそうそうにどこかへ出かけていった近松っちゃん。
なんだかつまんねーので今日は友人のN氏に話しかけることにした。
このクラスでは俺のぶっ飛んだ感性を理解できる奴は少ない、なんてことはない。
皆包容力のあるいい馬鹿、もといクソ野郎…いやいや生きてる価値の無いクズばかりだ。
「そーだなぁ、今日は夫婦喧嘩すくねーもんな」
「そうなんだよ、どーもアイツに殴られないとスッキリしねーんだ」
「Mか」
ケリをくれてやった。
「痛いのは大嫌いなんでな」
「じゃあMじゃねーか!」
アッパーをくれてやった。
「誤解すんじゃねー、アイツの攻撃なんて全くきかねーだけだ。なんつーか、マッサージみたいなもんだ」
「…鼻血流すのがマッサージって」
苦笑しつつあごの下を触るN氏。
「お前らケンカでもしたのか?」
「いつもしてる」
「…いや、そーじゃなくてだな…。こう、疎遠になるようなことでもあったのか?」
「なんで?」
「いや、なんでって言われても…。お前らつきあってるんだろ?」
血の気が引いた。
「冗談はよしてくれ、それなら俺はとっくに死んでる」
「あ?そーなの、いや俺はてっきり」
「てっきり?」
「らぶらぶなんかなーと」
「あんの俺の阿鼻叫喚を見て良くそんなこといえるな」
「いやーケンカするほど仲がいい、みたいな」
「あれはケンカじゃねー、一方的暴力だ」
「確かに」
笑うN、むかつくのでみぞおちに拳。
「ごふっ!お、お前、今のはきいたぞ」
「何がおかしいんだコラ」
「あぁ?大体聞いてきたのはテメーだろうが、なんで俺が殴られねーとならねーんだよ、殺すぞコラ」
「はぁ?俺はアイツの様子がなんでおかしいか聞いてるだけだ、それ以外は喋んな、殺すぞ」
「んだと…」
「よ、よしてくださいよ〜、ケンカは駄目ですよ〜」
なんとも気力をそがれるような間延びした声が隣から聞こえてきた。
背が高い割に行動が小動物じみてる心優しい桜庭未来図書委員長である。
「だ、だってコイツが」
「男らしくねーぞN、言い訳か」
「んだと」
「やめてくださいよ〜」
「そうそう、未来の言うとおり」
「男子は頭悪いわね〜」
桜庭と一緒にランチタイムをエンジョイしていた女子も加勢。
「ああ、確かにケンカは良くない。悪かったな、つい頭に血が上った」
「…お前なぁ、まぁいいや。…大体、俺は近松のことなんかしらねーよ」
「そっか、悪かったな」
「結衣ちゃんが、どうかしたんですが?」
「昨日から変じゃねーか?」
「そう言えばそうですね…話しかけても上の空だし、ぼーっとしてるし…」
「放課後昨日会ったけど、結衣ちゃんなんだか元気なかったよね〜」
「うん、どうしたんだろ?」
流石女子、同姓、頼りになる、見直した。
「近松さんのこと心配してるんですか?」
とまぁ、ふざけたことをぬかした、見損なった。
「ああ?ふざけんな、そんな事無ぇー」
「そんなこと言っちゃって〜、実は彼女のことが気になるんでしょー」
「あー北河、ソイツ近松とはつきあってないって」
「え、そうなの?」
「良かったじゃん未来」
「え、え?!も、もー舞!!」
「アハハ、ごめんごめん」
「つーか、なんだかアイツいねーと、勘狂うんだよな」
「とかなんとか言っちゃって、結衣ちゃんのこと好きなんじゃないのー?」
「虫唾が走る」
これ以上詮索しても無駄だと踏んだ俺は、自分の椅子に座って机に顔をうつぶせた。
「…良かったじゃん、未来。まだチャンスあるよ」
「も、もー!言っちゃ駄目だってば!」
…あ、近松に約束のパンもらってねー。
嘘つきはエンマに舌抜かれるんだぞ、バーカ。
そのまま近松は昼休みが終わっても、教室に帰って来なかった。
なんだアイツ、早退でもしたのか?だとしたらやっぱ、どっか悪いのかね。
目の前の空席、開いた空間がどーもしっくり来ないまま俺は午後の授業を聞き流した。
そして放課後。
「帰ったとしたら、約束なんて守れる訳ねーだろ」
とか言葉とは裏腹に、自分の足はしっかりと屋上へ向かっていた。
もし、アイツが約束を覚えていて、破った日には次の日はボコボコにされる、間違いない。
一応行って、いなけりゃ帰ればいい。
大体、約束破ったのはアイツの方だろうが、全くパン二つ用意しとけ、っつったのに。
なんか段々怒りがこみ上げてきた、ええい、理不尽だ!なんで先方が約束を守ってないのに、俺が守らなきゃならないんだ。
…これが、暴力の恐怖って奴か。
刻み付けられてるんだ、逆らえばやられる、と。
おのれ近松!なんて恐ろしい奴だ!これがパブロフの犬か!!(微妙に違います)
もやもやっと頭の中に近松の顔が浮かび上がる。
青がかった黒に、外はねの髪の毛、常時つりあがった目は恐怖さえ覚える。
しかし、男子に人気は高い、ついでに女子にはもーっと人気が高い。
しかし、本人はレズではないと言っていた。
しかし、その方が俺としては面白い。
しかし、その光景を想像しても、げんなりするだけだ、男のシーンなんて…。
「なんてくだらんことを考えていたら、屋上についてしまった」
分厚い鉄の扉を開けて、日の光を浴びた、俺は自由だ!
なんて刑務所から脱獄に成功した人のモノマネなんかしてる場合じゃない。
それにしてもうちの屋上があいてるなんて、うちの学校は珍しいな、誰か飛び降りねーのか?
いやいや、病院のようにしっかりとフェンスは内側に曲がっており、飛び降り対策は万全だ、流石アタシ立、いや関係ないか。
「…あ」
なんで、いるんだよ近松。
少女は物憂げな色を見せながら、頂上から見える景色を見下ろしていた。
その瞳は、顔は、雰囲気はいつもの元気はなく、触れれば割れてしまうガラスのようなもろさを感じた。
風が地面の埃を舞い上げる、太陽は西に傾き背中から光を照らして影を作る。
その影が重なってようやく、少女はこちらに気づいた。
「…アンタ、来てくれたんだ」
手すりを背中に回して、自嘲するような笑みを浮かべた。
なぜか、泣いてるように見えた。
「テメーが呼び出したんだろーがこのトンチキ!しかも昼飯は!?なんで午後から授業に出てねーんだ!」
「…なんか、調子、悪くてさ。約束は…ごめんね、一応買ったんだけど、渡せなかった」
「はぁ?意味わかんないッスよ近松っちゃん」
「今渡すから、いいでしょ」
そう言って、左手に握ったビニール袋を俺に渡す。
遅いーちゅーねん。
「つか、何。用って、生徒会とか言って、誰もいないじゃん」
キョロキョロと周りを見渡すけど、誰もいない。
つか、俺とコイツの二人しかいない。
ま、まさか…日頃の恨みをこめて殺され…!
「…あ、あ、あのさ!」
「うわー!ごめん!ごめんなさい!…許してくれ!それだけは!」
手を合わせて許しをこう、ごめん!せめて!せめて後十年は生かしてくれ〜〜!!一発やるまで死ねないッスよ!
「…!」
なんだか、雰囲気が変わった。
おそるおそる目線を上げると…。
「ご、ごめん、呼び出して、もう解決したんだ、うん、だからアタシ帰る」
固まった笑顔、無理した笑顔。
早口でまくしたして、俺の横をすり抜ける。
これは、ただごとではない、気がする、勘だけはいいのだ俺。
「待てよ」
手を引っ張るが、ふりほどかれる。
「離して!!」
「話あんだろ、聞かせろよ、聞くだけ聞く、そこから決める」
「…………」
大人しくなった近松はうつむいて止まった。
後ろ向きなので、その顔色は伺うことができない。
「…昨日さ。ここで、屋上で…」
ぽつり、と話し始めた。
それが俺に言ってるのか、独り言で言ってるのか。
構わず、近松は話し続けた。
「フッたんだ」
「…男、か?」
「…女の子、よ」
なんとも複雑な思いなのだろう、搾り出すようにして言う。
「皆が、アタシの事を好きになってくれるのは、すごい嬉しい、嬉しいよ…だけど、アタシはその思いに答えられない。…アタシも、女の子だから」
今は、OKしちゃえよ!百合百合でグーッスぐへへ、とはいえない雰囲気だった。
ぶん殴られるくらいならまだいいけど、それはこいつを傷つけることになる、それも一生消えない傷を。
「…でも、それは人を傷つけることになる、…アタシは、アタシはそんなことしたくないのに」
俺からすりゃー、勝手に相手が告白して玉砕してるだけじゃねーか、なんでテメーがショック受けてんだ、と言いたい。
どこまでもお人好しなんだテメーは。
「謝らなきゃならないけど、謝ればあの子は余計傷つく…こんなのの繰り返し。どうして、かなぁ、アタシは誰も傷つけたくないのに…。もう嫌だよ」
「…」
もてない奴が聞いたらお前刺されるぞ、まぁその優しさがあるからもてんだろーけど。
いつまでこんな愚痴を聞かなきゃならん、耳をほじくりたい気分だった。
「なんて…それ、だけ。ごめん、つき合わせて」
最後のほうは涙声だった、喉が震えていた。
「それだけなら一人で悩めんだろ、なんで俺を呼び出したんだ」
「お願い、があったの」
「お願い?」
「でも、アンタにそんなこと頼むなんて土台無理な話だった、ごめんつき合わせて」
「…なんだよそりゃあよ。無理かどうかは、俺が決めることだ」
「だって、アンタさっき無理だって言ったじゃないっ!!」
「…あ、あー。アレは…別に、特に意味は無い」
殺されると思ったからっていう冗談もいえない。
「ほら、なんだ言ってみろ、どーんと、おいちゃんが助けてあげますよ、ガハハ」
「無神経っ」
殴られた。
「…もー…あんたって奴は」
「へへ、いいパンチだったぜジョー。それでこそお前らしい」
「何だか悩んでたアタシが馬鹿みたい」
で、結局俺に何を頼みたかったんだ。
「………もう、いい」
なんだかふてくされたような態度で歩いていってしまった。
慌てて引き止める。
「何よ、もういいって言ってるでしょ、もう。はぁー…アンタに期待したアタシが馬鹿だったわよ」
「…言えよ、気になるじゃん。言わないって言ったら気になるのが俺じゃん」
「知らないわよ」
「なんだよすっきりしねーなぁ、な、な、このパンあげるからさ〜」
「それはアタシのパンよ!」
うーむ、仕方ない。
こうなったら俺の必殺技『真剣な表情』を使うしかないっ!普段ヘラヘラしてるからこそたまにした時にきくのだ。
「…教えてくれよ、近松」
「うっ…馬鹿。どうして急に真剣な顔になるのよ」
「俺じゃ駄目、かな」
「…
「………恋人」
は?
「アンタに、恋人役になってもらおうと思って」
え、なんて?
「…なんで?」
「だって、そうじゃない。…仮にも、相手がいれば誰も話しかけてこないじゃない」
そりゃそうだが…。
俺とお前が恋人?
「…うわー、想像つかねー」
「アタシだってそうよ。でも、ただ…『ごっこ』ができる男なんてアンタぐらいしかいないじゃない」
ごっこ、のところを強調されて言われた。
それでも恥ずかしいのか顔は朱に染まっていた。
「…もう、誰も傷つけたくないの」
「あんさー、ごっこで済まされた俺は傷いてんじゃねーの?」
「アンタはいいの」
差別だ。
「とにかくっ!そういうことだからよろしくね!皆にもそういう風に見てもらうから」
「…」
「でも、別にアタシはアンタのことなんかちっとも好きじゃないからね!ごっこだから!『ごっこ』!」
そない強調せんでも。
「なー、俺傷ついたんだけど」
「知らないっ!」
またもや一気にまくしたてると、そのまま走って屋上から出て行ってしまった。
なんやねん一体。
「近松、本当に大丈夫なのかね?」
言葉だけ、風にさらわれた。
っていうか、仮に『ごっこ』をするとして、一体どうしろって言うんだ?
「全く思いつかん」
というか恋人と言う事を考えたのも初めてだ、悲しいかな俺はいままでに他人とそれほどまで深い仲になったことがな〜い。
あれだろ、キスとかまーチョメチョメとかするんだろ。
スマン、下品なことしか思いつかんかった。
「アイツと『ピーーーー』とか……うわ考えただけでも吐きそう」
別に実際にする訳では無いからいいのだが、それはそれでどうも調子狂う。
しかし、恋人の真似ごとをするだけならそんなに慌てることでもないだろうに、勢い良く駆けていきやがって。
まったく本当にアイツの考えてることは良くわからん。
そんなことより、帰ってラジオだな、ラジオ…。