267誰かのためにいれるなら
風呂場から多少エコーがかかった声が聞こえてくる。
どうやらナナコがはしゃいでるようだ、一体何をしているのか気になる。
六条(はぁ…)
こんな時に変に耳年魔だと困る。
あることないことあるかも、と想像してしまう。
あったら犯罪なんだけども。
それにしても、やっぱり今日のナナコちゃんは楽しそうだ、と六条はルーを煮込みながら思った。今宵はカレーである。
肉じゃがなんて狙いすぎた物作ると逆に降矢に訝しげな目で見られかねない、だからどうしたという訳でもないんだけど。
六条「…ん、おいし」
味見ですすったカレーのルーの味はばっちりなようだ。
…ナナコちゃんに合わせて多少甘くしているが、今の降矢なら許してくれるだろう。
六条(今の降矢さん、か)
降矢「がっ!おい!暴れるなちゃんと体を拭け!頭を拭け!ドライヤーかけないと髪が痛むんじゃないのか」
ナナコ「きゃっきゃっ」
それにしてもナナコ幼すぎではないだろうか、9歳といえばもう少し大人びていてもいい気はするんだが。…六条自身はおそらくこれぐらいの年齢のとき同じぐらいの無邪気さだったから何も言えなかったが。もうちょっと無口で大人しかった気はする。
高校に入って本当に性格が変わった、と思う。
入ってから、というより降矢に出会って、勇気を出して野球部に入ってからか。
最初に出会ったときは自分と正反対の人間だと思った。
自分に正直で、わが道を行く人。
暴力的で、人の気持ちなんて考えない。
六条にとっては、そんな人間が好きになるはずがない。
なのに、何故降矢に惹かれたのだろう。
降矢「服を着ろ服を!」
六条(…ナナコちゃん裸…///)
はっ、何を考えているのだ、私は。
降矢さんは冷静ではないか、まるで親子のような自然さで振舞っているというのに。ふしだらな私をお許しくださいお母様。
ナナコ「ぶかぶかー!」
六条「あれ?ナナコちゃん着替えもってきてなかった?」
降矢「俺の服が着たいんだとよ…よくわからん」
ナナコ「えーちゃんのにおいー」
降矢「汗臭いんなら脱いでいいんだぜ」
ナナコ「やー!」
ナナコぎゅっと抱きしめた服は、は袖は倍ほど、丈は上だけで膝下ぐらいまであるパーカー。ちゃ、ちゃんと下着はいてる?それはおっきなお兄ちゃんたちにとっては隙だらけな格好だから駄目なんだからね!
六条(…降矢さんのにおい…はっ。な、なにを言ってるんですか私は!これじゃ本当の変態じゃないですか!)
降矢「なんだ、もうできてるのか」
ナナコ「良いにおいー!おなかすいたー!」
六条「…あ、はい!すぐに盛り付けますね」
ナナコ「かれー!かれー!だよ!」
降矢「スプーンを鳴らすな行儀悪い。自分のぐらい自分でちゃんと持ってけよ」
ナナコ「はーい」
六条「くすくす」
…あれ?
何コレ?超いい雰囲気じゃないですか?
ま、まるで新婚夫婦のような…。
ナナコ「梨沙顔赤いよ?」
降矢「コンロの火にやられたんじゃないだろうな」
六条「はっ!…だ、大丈夫です!た、食べましょう!」
ぱたぱたとエプロンを着たまま食器を、リビングの机に運んでいく。
カレーが三つ並んだ所で、三人が腰を下ろした。
普通女子高生のエプロン姿とかもう少しありがたみをもってもいいような気がするのだが、降矢は全く意に介さずに騒ぐナナコをたしなめるので精一杯だった。
それにしてもナナコのはしゃぎっぷりのすごいことすごいこと。
ナナコ「おいしい!おいしいよ!」
降矢「わかったから食いながら喋るな!」
六条「おかわりならたくさんあるからね、ナナコちゃん」
なんとなく六条もその気になって、にこにこと笑顔でご飯をよそう。
降矢「あんまり食いすぎるとお腹を壊すぞ」
ナナコ「えーちゃんは細かいんだもん、むー」
降矢「作ってもらってる身の癖に偉そうに」
六条「まぁまぁ、降矢さんもお代わりいりますか?」
降矢「ん?…ああ、いや、俺ぁいいよ。満腹って奴だ」
ずっとナナコのおしゃべりの相手をしていると思ったが、いつの間にか降矢の皿は空になっていた。いつ食べたんだろう。
六条は首を傾げながらも、ナナコにはいと二杯目のおかわりを渡した。
ナナコ「おいしーよ!!」
六条「ふふ、隠し味に摩り下ろしたりんごとウスターソースを入れたんです。喜んでくれるならなによりです」
ナナコ「ほへー」
降矢「ふうん、得意なのか?料理」
六条「へ?!」
降矢「え?あ、いや、なんというか別段困ってる様子もなかったしさ」
思いもよらない言葉が降矢からかけられたせいで、六条は驚いてしまった。カチャン、と机の上の食器が揺れる。
合わせるように、パシャ、とコップの中の液体がこぼれた。
六条「きゃ!!」
ナナコ「あーびしょびしょだぁ」
降矢「…何やってんだよ」
飲み物は冷蔵庫に入っていた麦茶、将星の女子制服の上は白を基調としたセーラー服なので…。
六条「ど、どうしよう…色が…」
麦茶がど派手にこぼれてそのままにすれば、当然染みがついてしまう。
ナナコ「早く脱がなきゃ!梨沙!」
六条「うわぁー!!ぬ、脱がさないでくださぁい!」
降矢「とりあえず風呂場いってこいよ…。ほれ、俺のジャージでよければこれでも着てろ」
六条「あ、ありがとうございます」
ぱたぱた、と六条は降矢から投げられたジャージを持って風呂場に駆け込んでいった。降矢にとってはなんとも慌しい夕食になってしまった。
が、なんとなく悪くはないかな、と思っていた。
六条(やばい)
六条は一人お風呂場でラブラブコメコメしていた。
いや、妄想にふけりそうになる自分と対峙していた、というべきか。
すでに制服は脱ぎ、下のシャツにも色移りしそうだったので、両方脱いで…。
六条(ふ、降矢さん家で…し、下着…っていうかブラ姿)
自分は緒方と違って胸にそれほど自信があるとはいえない。
というか、話にならない。…普段はあんなこと言ってるが、実は三澤もそれなりにある、桜井も自分よりはある。氷上会長や、女子ソフト部の柳牛投手はとんでもない、自分と年が同じか一つ違うだけであんなにも変わるものか。
神様は非常に不平等である。実に不平等である。
六条(い、いけない…なんだか変な気分になってきました)
いやな汗をかいている。
実は六条、おとなしい顔をして実は結構アレな子である。
昔から読書が趣味とはいっても、難しい本を読んでいる訳ではない、大体恋愛小説とか詩集とかである。ちなみにちょっとアダルトな方向に寄ったこともある。
それのせいか、六条はおとなしいくせに耳年魔というどこかで聞いたような設定の子になってしまったとさ。
しかし、それでもまさか…。
六条(お、男の人の服の匂いをくんかくんかする日が来るとは)
変態である。
し、しかし正直好きな人だからいいのでは…と六条はブラ姿のままで降矢の服に顔をうずめ。
六条(…はぅ///)
変態でもいいや、と正直思ってしまった。
なんだろう、この胸をくすぐられるような妙な心地よさは。
人間とは非常に弱い生き物である。このまま快感に溺れて…。
降矢「おい、大丈夫だったのか?随分時間がかかっているが」
ビクーン!!!
風呂場の外側から降矢の声。
しまった、時間を忘れてどうやら随分長い時間悦にひたっていたみたいだ。
一応、最初に制服を脱いだ時点で、水に濡らしたから、そこまで染みにはなっていないが、流石に時間をかけすぎたか。
降矢「六条…?」
六条「は、はい!ただいま!」
堪能してる場合ではない、急いで降矢のジャージを羽織って…。
六条(でか…)
ナナコほどではないが、やはり自分と降矢も相当たっぱは違う。
比べれば、頭四つ分は身長が違うぐらいだ。下はスカートのままだが。
しかし、着た瞬間にふわりと広がる降矢の匂い。
香水と汗と煙草の混じったような…。
そういえば、降矢さん知らないうちに煙草やめてたなぁ。
煙草のにおいはあんまり好きじゃない。
けど、この男の人独特匂いは…。
六条(…あたし変態だったんだ)
ずーん。
降矢「…なんで暗いんだ」
六条「はは…なんでもないです」
ナナコ「スースー」
文字にすればzzzである、が寝息は静かだ。
たくさん食べてはしゃいで、トランプなどに降矢と六条を付き合わせたあげく、眠いといって眠りに落ちかけるナナコを無理やり洗面所に立たせ。
寝ぼけ眼で無理やり歯磨きをさせて、10秒後には夢の世界に旅立っていた。
降矢「ベッド占領しやがったこいつ」
いまだに制服のままの降矢は、はあ、とため息をついた。
冬用の毛布さえ出せば床でも寝れるが、最近寒くなってきたから床は辛いな、と苦笑する。時刻は九時を回り始めたぐらいだ。
六条「ふふ、可愛い寝顔」
ぷにぷに、と眠るナナコのほっぺたをつつくたびにナナコは小さなうめき声をあげている。
降矢「帰らなくていいのか?そろそろお前も遅いだろ」
六条「…んー…そうですね。私もそろそろお暇します」
降矢「ん、わかった。そこまで送ってくぜ」
六条「あ、はい。ありがとうございま…ええ!?」
降矢「…なんだ、嫌なら一人で帰れよ」
六条「めめめめ滅相もないです!」
降矢「面倒くせえ奴だなぁ…ほら、行くべ。ナナコ寝てるし、鍵かけときゃ大丈夫だろ」
玄関の電気だけ付けて、リビングの電気は消灯する。
六条はローファーを、降矢はスニーカーを履いて家を出る。
めっきり夜は深まっていて、通りの人も少なくなっていた。
降矢「あ、そうだ。晩飯代どうすりゃいい」
六条「ううん。全然大丈夫です、私が勝手にやったことですから…」
降矢「そうかい」
そのまま無言で夜の街を歩いていく。
会話が続かない、それに話題がない。
六条はあわわわわわと頭の中がパニックになっていた。
六条(せっかく向こうから話してくれたのにぃいいい!!)
心の中でサンドバッグをぼこぼこに殴っていた。
六条(…はぁ。せっかく二人きりなのに)
先ほどまでのナナコと三人ではしゃいでいるのも楽しかった。
今も…恥ずかしいけど、なんだか嬉しい。
冬馬は結局降矢のことをどう思っているんだろう。
話だけを聞くと、幼馴染の波野君のことが好きなんだろうと思うんだけど、正直たまに優ちゃんが降矢さんを見ている目は…女の子のそれだ。
野球部で半年以上一緒にやってきた仲間だから、やっぱり情もうつるのかな。
ナナコちゃんとの関係も不思議だ。従姉妹って言ってるけど、本人は恋人って言ってたし…それに、なんでえーちゃん、だなんて呼ぶんだろう。
こうして考えてみると。
六条(びっくりするぐらい、降矢さんのこと、知らないんだなぁ)
何も知らない。
彼がどんな人なのか、どんな人生を送ってきたのか、好物は。
六条(好きなだけ…なんですね。馬鹿みたい)
あしながおじさん、という話がある。
見も知らない男性に思いを寄せてしまう少女。
似たような物だ、自分は降矢のことを何も知らない。
好きなのに。
今なら、言える。
自信を持って自分に言える。
今まで六条は自分に自信を持てることが一つも無かった。
それでも、今のこの気持ちだけは。
降矢「なぁ、六条」
六条「…え?あ、はい、なんですか?」
降矢「…お前も、俺が変わった、と思うか?」
六条「え?」
降矢の右目が六条を見下ろしていた。
いつも六条がおびえながら見ていた、そんな降矢の鋭い目でなかった。
ナナコの面倒をため息をつきながら見ていた、あの目だ。
六条「…なんだか、優しくなったかな、って思います」
降矢「…やっぱ、違うか、前とは」
六条「…でも、今の降矢さん、私は好きですよ」
降矢「え?」
―――!!!
わ、わあわわわわわあああわわわ!!
私は何を何を何を言っているのだ!しまった口が滑ったなんてことをなんでこのタイミングであわわしかもこんな中途半端なでもこれって事実上の告白みたいなもので、あたしいったいごめん優ちゃんあたしやっぱり降矢さんのこと好きであわわわ。
降矢「今の俺、か」
六条「…ひ、ひゃああ////」
ぽん。
六条「へ?」
わしゃわしゃ。
降矢「…俺は、いても大丈夫かな?将星に」
自分はエイジであって。
今まで君たちがすごしてきた降矢毅とは、延長線上にはいるがきっと違う人間だ。それでも君たちは俺のことを許してくれるかい?
目覚めた時はそうでもなかったが、徐々に降矢の中のエイジが覚醒していた。
本来なら怯えながら戦う、そんな少年なのだ。
そんな、いつもより弱気な姿に、なんとなく六条もきゅんきゅんしちゃう訳で。
六条(/////)
頭の上に手を置いて、軽く頭をなでられただけで、六条のブレーカーは切れそうなほどだった。
沸点はとうの昔に超えており夜じゃなければ、顔が赤いのもバレバレだっただろう。
六条「…降矢さん、は、ふ、ふるやさん、ですから、だいじょうぶです」
降矢「…そっか。ありがとな。こんなことガラじゃねーか、くっくっく。どっちがいいんだか」
六条「ど、どどどっちでも私は!意地悪な降矢さんも…優しぃ…ふるやさんも…」
降矢「なんだか気が楽になったわ。こんなことになっちまってさ、試合にもろくに出れねえ俺がいていいのかな、って思ってたのさ」
六条「そんな、良いに決まってるじゃないですか!降矢さんにはいつもいてもらわないと!将星のヒーローなんですから!」
降矢「くっく…それは、相川先輩か吉田主将なんじゃねぇの?」
なんとなく、さっきの弱気さが消えた降矢、いつものからかうような口調も眼光の鋭さも戻ってきていた。
らしくない、確かにこの降矢はらしくない、が六条にとってはなんとなくこの降矢を見れただけでも天にも昇る気持ちだった。
降矢「じゃあな。カレーうまかったよ。あんがとよ。ジャージはくれてやるよ、いらなきゃそのうち返してくれ。じゃあな」
六条の家のすぐ側まで来たところで、降矢は手を振って道を引き返していった。
なんとなく、六条は自分の体を抱きしめた。
このジャージ。降矢のジャージを抱きしめることで、まるで本人に抱きしめられてるみたいで…。
六条(…私、こんなに末期だったんですね…)
はぁ、と吐いたため息はいつもよりも暖かかった、そんな気がした。
翌日。
西条「雨」
野多摩「雨だねぇ〜」
御神楽「雨であるな」
不破「…雨」
足利「雨ですね」
海部「雨…だな」
蘇我「雨だね!県君!」
県「ですね…」
冬馬「しかも土砂降り」
氷上「こりゃ練習は中止ですわね」
吉田「甘ったれるんじゃなぁーーーーい!!!」
まるで向こう側が見えなくなるぐらいのい豪雨、コンクリートを叩く雨の音でお互いの会話も聞こえにくいほどの土砂降りである。
にわか雨なんてレベルでもない、朝からずっとこの調子である。
このグラウンドじゃあ練習は無理だろう、せっかくの女子ソフトとの共同練習の予定だったというのに。
だがしかし、吉田の彷徨がその場を一発する。
気の弱い人間の何人かがビクーンと背筋を伸ばした。
吉田「筋トレタイムだ!いくぞお前ら!」
真田「…やれやれ、よっぽど気楽かな」
相川「おーいお前ら室内練習場に行くぞー」
西条「…せっかく投げれると思ったんやけどなぁ」
緒方「ほらほら!だらだらしない!練習するわよー!二人一組にわかれて柔軟から始めるのよ!」
さすがに野球専用の施設は無いが、そこはさすがお嬢様私立の将星高校、ある程度の練習器具は室内にもそろっているのだ。
女子ソフト部と野球部の面々はだらだら喋りながら室内へと乗り込んでいく。
女子ソフト部は野球部に比べてメンバーが三倍近くいるので、かなりの大人数となる。
六条(降矢さん…)
昨日から、六条はずっとぼんやりしていた。
今日はまだなんとなく気まずくて降矢には話しかけられていない。
ぽん。
と、そんな時肩を叩かれた。
降矢「よぉ。とんだ大雨だったな」
六条「降矢さん!?」
降矢「なんだその眼。昨日眠れなかったのか?」
そりゃ眠れなかったですよ!
っていうかジャージ抱きながら寝ましたよ!
何か問題でも!
…なんていえるほど六条は強気ではないし、やっぱり大人しい子だったので。
あはは、と気弱く笑うのが精一杯だった。
ただ嬉しくはあった、なんとなく雨で鬱々としてた気分が心なしか晴れた気分。
冬馬(…ふーん)
三澤(ね、あの二人何かあったのかな?)
桜井(なんかちょっといい感じね)
氷上(あんな暴力人間のどこがいいかわかりませんわ。…やっぱり相川様が)
六条(…あ!結局昨日告白したことスルー扱いになってる!)
それはそれでよかったかも、と思う六条であった。