260暦法学院戦10迷える奴隷
六回表、暦法3-2将星。
西条「あかんで、逃げさせたら。冬馬に投げさせたれや」
冬馬を代えようとした、相川の肩を西条が掴んでいた。
冬馬「さ、西条?」
西条「しょうもない。こんなんでベンチに下がれると思うなやドアホ。相川先輩、この回は冬馬に投げさせたりましょう」
冬馬「で、でも」
西条「なんや、自信がないんか」
ギロリ、と西条は冬馬を睨み付けた。
うっ、と言葉に詰まる冬馬。こういった場面では、何度も苦しい場面を切り抜けてきた元西のエースの方が重みがある。
西条「どうしたんや、いつもの俺につっかかってくるワレは。たかが一本打たれたぐらいで怖気ずいとんちゃうぞ」
冬馬「…」
西条「お前が百球超えとんのも、ファントムの威力が落ちてきてるのもわかっとるわい。それを承知で俺は言ってんねや」
冬馬「で、でも、もし俺がこれ以上打たれて…!」
西条「ピッチャーつーんはな」
西条は、冬馬の胸をどん、と押した。
西条「威張っとるぐらいで丁度いいんや。自分が打たれる訳がない、せめてマウンドにおる間はそう思っとけ」
冬馬「さ、西条…」
西条「ほな、相川先輩。邪魔してすんませんでした、七回からの為に俺は肩でも作っときますわ。降矢ぁ、捕れんのか?」
西条は来たときと同じように堂々とベンチに帰っていった。
やっぱり、違うなぁ。
冬馬は完全に圧倒されていた。常日頃はただの血の気が多いいけすかない男だが、こういう時には言葉と態度に重みがある。
経験だけで言うなら、多分、自分とは話に成らないぐらいのところにいるだろう、あの桐生院の望月とタメで喋るぐらいなのだ。
頑張らなきゃ―――!
冬馬はグラブを左手でボスンと叩いた。
吉田「おいおい、マウンドだけで盛り上がってんじゃねーぜ」
いつの間にかマウンド上には内野陣が集まってきていた。
吉田がパンパン、とグラブを鳴らす。
大場「おいどん達も忘れてもらっては困るとですたい」
御神楽「何、まだ一点差である。ここを抑えれば良いだけだろう?ランナーがいなくなったと思えば良い」
原田「冬馬君!落ち込んでるなんてらしくないッスよ!」
冬馬「みんな…うん、頑張るよ」
冬馬は自分の胸を左腕で叩いた。
その目から最早先ほどまでの迷いはなくなっていた。
西条「うげー…なんじゃいあの青春ごっこは」
降矢「いいんじゃねーの?本人達が嫌がってないんなら」
西条「そんなもんかね…おし、降矢、やるべぇさ。捕れんのか?」
降矢「お前の球ぐらい目をつぶってても取れるさ」
実際問題練習のときも、降矢は片手でいともたやすくノックのライナーを取っていた。片目だけでは遠近感がつかめないと思うのだが、感覚を覚えているのか、ただフライや遠投となるとやはり精度がガタっと落ちてしまうが。
ストレートを投げ込むぐらいなら、構わないだろう。
この回が終われば相川もベンチに帰ってくる、それまでストレートを投げ込むのみよ。
西条(打たれんなや冬馬、ここで崩れたら洒落にならんからな)
わざわざ自分がマウンドまで出て行った甲斐もなくなる、というものである。
『六番、セカンド曽我部君』
ワンナウトから、打順は下位に回る。
この試合冬馬は下位打線に対してほとんど良い当たりをさせていない、
しかもここまで励ましてもらって打たれたら、馬鹿そのものである。
ここは死ぬ気で抑えないと…!!
―――フヒュッ!
曽我部(うっ!!)
バシィッ!!ストライク、ワンッ!!
それでもやはり、球威が落ちてきたとはいえど並のバッターに対しては通用するのが冬馬のファントムである。
おあつらえ向きに曽我部は左打者だ、まだ目が慣れていないだろう。
二球目…!
冬馬「えやあああああっ!!」
ビシュッ!!!
曽我部(くっ…ど、どっちだ!)
ク、クンッ!グッ!
曽我部(シュート!)
ゴキィンッ!!
配球は、先ほどとは逆に自らの体に食い込んでくるミラージュ。
正にバッテリーの思惑通りの詰まったボテボテのサードゴロで、危なげなく冬馬は二死をとった。
冬馬「ツーアウト、ツーアウト!」
『わああああーー!!』
『がんばってーー!冬馬きゅーん!!』
『打たれたぐらいでへこたれない冬馬きゅんかわいぃー♪』
西条(…かわいさと関係あるんかいな、それ)
ギィンッ!!!
野栗「くっ!!」
岳の本塁打を引きずるかと思ったが、気をとりなおした冬馬は続く七番もセンターフライに打ち取り、なんなく六回の表を抑えきった。
冬馬「よし!!」
ここで崩れない、ということはおそらくとても重要だったろう。
打たれる打たれないは、時に天任せだが、心が折れるかどうかは、その人の精神に全て由来する。
いつものように落ち込まず自分自身の手で後続を抑えた事が冬馬にとって自信となっていた。
吉田「おっしゃあ!!冬馬ナイスピッチンだぜ!!」
冬馬「わぅ!?」
サードからベンチに帰る途中冬馬に駆け寄った吉田は、冬馬の頭をバシバシと二回叩いた。
相川「やめとけ、お前は力加減ができない」
吉田「はっはっは!それもそうだな」
冬馬「痛ひ…」
県「冬馬君!!ナイスピッチングですよ!このまま反撃といきましょう!」
野多摩「しょ〜〜」
冬馬「あ、ありがとう!…あ」
西条「…」
ベンチ前で西条が冬馬の顔をじっと見ていた。
さっきみたいな厳しい顔じゃない、いつもみたいな軽く馬鹿にするような顔だ。女々しいやっちゃ、が彼の口癖。
西条「男気見せたやないか、冬馬」
ニヤリ、と西条は笑った。
冬馬「あ…うん、あ…あり…が…とぅ」
西条「あん?なんやて?声がちっちゃいねんお前は」
冬馬「うるさいな!なんでもないよ!馬鹿!デリカシー無し!」
西条「男にデリカシー無いと言われる日が来るとは思わなかったな…」
三澤(そりゃ…)
六条(優ちゃん、女の子だもんね…)
六条と三澤はお互い顔を見合わせて苦笑していた。
西条(それにしても…あいつ胸筋ないなぁ。胸突き飛ばしたけど、胸板ふにゃんふにゃんやんけ)
そして西条はいい感じに思い違いをしていた。
六回裏、暦法3-2将星。
真田「…さて」
御神楽「反撃、とは言ったもののどうしたものであるかな」
励ましたり、喜ぶのが奴らの仕事なら、真田の仕事は悩み、熱気を冷ます事だろう。冬馬が抑えた、とは言っても一点逆転されたのだ。
―――しかも相手は、消えるカーブ、ホワイトアウトを持っている。
赤城「これで将星は厳しくなったなぁ」
山田「そうね…冬馬きゅんも頑張ったとはいえ、逆転されちゃった訳だし」
山田は取材記事にしようとしているのか、さっきからパシャパシャと首から下げたカメラで試合をファインダーに収めている。隣の夙川は試合の展開をノートに書き記していた。
実は赤城のこういった解説が試合を理解する上で非常に役立ってはいるが、赤城の人物像が気に食わないので黙ってはいたが。
赤城「しかも場面は終盤。相手は必殺カーブを隠し持ってたのおまけつきや。吉田君や真田君にはもう一度出番が回るとはいえ、最悪最終回やしなぁ」
夙川「他の打者ではあれは打てそうもありませんか?」
赤城「やろな」
赤城は組んでいた足を組み替えた。
赤城「あの『真田』君が何もできずに打ち取られたんや、同じ考えで行くと御神楽君も相川君も厳しいやろなぁ」
『六番、キャッチャー、相川君』
『キャアアアーーーッ!!相川君頑張ってぇー!』
意外なところで…いや、意外でもないが女性ファンが多いのが相川だ。人当たりも良いし、顔も悪くない。真面目すぎるのが玉に瑕だが、それも真面目な子が多い将星女子にとってはプラスに働いている。
氷上「あ、相川様ぁがんばってぇ!!キーーッ!!ちょっとぉ!うるさすぎですわよ!あなたたち!」
『会長ばっかりずるいもん!』
『私たちだって相川君応援するもん!』
氷上(うぐぐ…ベンチに入ってる小春さんがうらやましいったらありゃしないですわ!)
桜井「あ、相川君がんばって!」
相川(頑張って頑張って、か。頑張って打てたら苦労しないんだがな)
打席に入った相川は軽くため息をついた。
弱気になる訳ではないが、吉田、真田で打てなかった球をどうすればいいのやら。
打席に立つ前には、真田と御神楽にこうアドバイスはされたが。
真田(相川、打てるか打てないかは問題じゃない。あのカーブが一体どういう軌道を辿ってるかを見てくれ)
御神楽(僕の予想だが…おそらくあのカーブ。スローカーブだろう。しかも、恐ろしく曲がる)
それはなんとなくわかる。
ファントムが、近くで急に曲がる変化球なら。
あれはおそらく、投げた瞬間から大きな軌道で曲がり始めているのだろう。
円を描くように外側から…曲がり落ちてくる。
バッティングフォームというのは、必然的に投手に対して垂直になる。
人間の首が回る角度は決まっているから、背中から来るような変化球に対してはどうしても視界確認が遅れる。
それが極端に成れば…?
バシィッ!!
『ストライク!!』
初球、岳のボールは低めストレート。
相川(そりゃそうだな)
古暮(そう簡単にホワイトアウトを使うと思いましたか?)
おそらくホワイトアウトを使うのは、ピンチの時か限定的な打者の時だけだろう。
相川(その中に俺は入ってない、ってこった)
自慢じゃないが、バッティングは得意じゃない。
「攻」が吉田なら、俺は「守」、だ。相川自身もそんな風に自覚していた。キャッチャーとしてのスキルはおそらく非凡な物を持つが、こと打撃に対しては何度も記述してきたように、相川は凡人だ。
県、原田ともさほど変わらないだろう。
だが、打席に立っても、この頭は使うことが出来る。
相川(と、なるとどうやってあのカーブを投げさすか、だな)
幸い岳は今まで対戦してきた投手と比べると、そこまで、というほどではない。
なんとか見ていけば、粘れるかな。
当てていく…と、古暮が相川の思考を察すれば当然その狙いを外しにかかってくるはずだ。
と、なれば。ホワイトアウト狙いの四球待ち。
相川(これだ)
決まった、とばかりに相川はヘルメットに手を当てて足場を固めた。
その瞬間、後ろの古暮と一瞬目が合う。
古暮(…意地でも投げませんよ)
相川(なら塁に出るまで粘らせてもらうぜ)
『―――ワッ!』
第二球…!!!
相川(シンカー…!)
高めに外れてきてる。これは見逃せばボールだ。
『ボール!!』
相川は、ふぅーと息を吐いた。
なんとか呼び戻してみせる。
流れを。
第、三球!
―――直球。
ギィンッ!!
『ファールボール!!』
相川(吉田の野郎…普段練習の時は簡単に粘れ粘れとか言う癖に…結構神経使うだろうがこんなもの)
無理矢理に当てにいったので、フォロースルーが不恰好に成ったが、ファールはファールだ。
降矢「…カーブ待ちだな」
西条「相川先輩がそこまで粘れるか、って所やな」
降矢「五分五分」
西条「理由は?」
降矢「高めの釣り球ストレートに手が出るか、出ないか」
西条「ほほう、よく見取るやないか」
降矢「ナナコの意見だけどな」
西条「ほ、ほぉ…マジかいお嬢ちゃん」
ナナコ「本当だよ!首ぐらいの所に速い球がバシーって決まった時は大体皆振っちゃってるの!届かないのに!」
降矢「だとさ」
西条「…このガキほんまに何者やねん」
降矢「俺の親戚さぁ、なら説得力あるだろ?」
西条「……じろじろ。なるほどなぁ、可愛げは全く似なかったみたいやけど」
ガキシッ!!
『ファールボール!!』
これで七球目、カウントは2-2。
相川自体も、降矢達の読みはとっくに頭に入っていた。
追い込まれた段階で来る高めのストレート。これに手を出さないこと。
だが、それを意識しすぎると外角低めのストレートを見逃してしまう。
相川(バッティングってのは本当に厄介だな)
最後は自らの肉体頼みというのがいただけない。
まったく、センスのある人間がうらやましい。
吉田「相川ーーー!!粘れ粘れぇ!甘い球が来るぞーー!」
三澤「見えてる見えてるー!!」
相川(あの夫婦は相変わらずお気楽なこって)
対する自分がどれだけ神経を使ってるか。
相川は思わず苦笑した。
相川(さぁてそろそろ投げてこいよ、古暮。狙ってきてるんだろう)
高めのストレート。
カウント2-2からの…!!
八球目!!!
岳「…シッ!」
ヒャオンッ!!!
相川(来た…!!高め釣り球ストレート!)
相川は出そうになった手を止めてそのまま前につんのめる形でバットをとめた。
バシィィィィッ!!
『ボール!!スリーボール!』
『ォオオオオッ!』
相川(…っぶねぇ…わかっててもついついいっちまったぜ)
吉田と三澤は胸をなでおろした。
桜井「行けるよ!相川君!ふぁいとふぁいとー!」
『相川様ぁーーー!!』
赤城「…なんつうか、黄色い声援やのう」
山田「は?何言ってんの?」
赤城「うらやましくなんかないで?ほんまやで?」
夙川「…じゃあなぜここにいるのですか」
赤城「そら女の子分が足りないからやなぁ」
夙川「目がいやらしいのですっ!!」
赤城「ご、誤解や!」
なんにせよフルカウントだ、さぁどうする古暮。
カーブを投げてくるか、それ以外で勝負してくるか、ストライクを取りに来るか。
追い込まれてるのはこちらも変わらないのだ、意地でもホワイトアウトを投げない手もある。
相川(投げてくれたらお慰み、って訳だ)
投げてもいい材料が無いわけでもないのだ、これだけ追い込まれたら逆に使いたくなるのが心理というもの。
問題は、ランナーがいない、ということだ。
それなら歩かせても、見せない点に重きをおくこともできる。
相川はバットを一度ぎゅっ、っと横に構えた。
相川(なんにせよ、カーブが来たら終わり。高めなら見送り、低めなら粘る。これの繰り返ししかないな)
狙いは決まった、さぁ、どう来るバッテリー。
―――バシィッ!!!
『ボール、フォアボール!!』
相川(結局、見せない方を選んだか)
最後の球は外に逃げるスライダー。
あくまでも、バッテリーは見せない勝負を選んだ。
ただ、これでノーアウトランナー一塁だ。
もう一人つなげば一番の御神楽まで回る…!
相川(頼んだぜ御神楽)
御神楽(出来る限りのことはしてみせよう。回ってくれば、な)
続く七番の野多摩は送りバント、相川を二塁に送る。
八番の原田も相川と同じように粘るが、結局最後はキャッチャーフライに打ち取られてしまった。
これで二死、二塁。
吉田「よっしゃあ!代打代打だ!」
緒方「頼んだわよ西条君!」
野多摩「さいじょ〜君頑張ってぇ〜!」
膝を折り曲げて屈伸運動。
そして立ち上がる。
西条「うっし…行くべや!」
六回裏、暦法3-2将星
ランナー二塁、二死。
『九番、ピッチャー冬馬君に代わりまして、西条君。背番号10』