256暦法学院戦6眠れる森を抜けて















五回表、暦法1-2将星

『九番、ショート、西橋君』



南雲「後半に突入ぜよ」

南雲はベンチに行儀悪く肩膝を立てて座っていた。まるで賭博でもしそうな格好である。

望月「はい、将星が一回に二点先制してこのまま楽勝かな、と思ったんですが…やはりそう簡単に終わらせてくれませんね」

南雲「ま、地区ベスト8に入ったのは伊達じゃないきに」


先ほどの五回でスクイズ防ぎのウエスト失敗による暴投での失点、気持ちよい点の入れられ方ではない。失点に気持ち良いも悪いもないかもしれないが。
それでも、古暮と岳がグラウンドに足を踏み入れてからのこの試合の緊張感は凄まじい。
応援の声こそあがるが、両軍のベンチは静かなものだ。


相川は冬馬と話すためにマウンドにあがっていた。
キャッチャーミットで口を隠しながらつぶやく。

相川「いよいよもって、俺らに重圧が重くのしかかってきたな」

冬馬「こんなに緊張感を長く保ちながら投げるのは…ちょっと初めてです」

そういえば、前の青竜との戦いのときは先発が西条だったな。
緊張感は人を疲労させる、一点ビハインドのまま強打者と対決し続ける西条は緊張感で酸欠に陥った過去がある。


西条「おーい早よせんかー!」

冬馬「あーもう黙ってろよ西条!」

西条「おー怖い怖い」

相川(…だからああやってヤジを飛ばしてるのか?今日はいやに冬馬を挑発してるかと思ってたが…)


まだ相川は降矢が怪我した直後の冬馬と西条の仲違いが尾を引きずっていると思っていた。
だが、西条は西条なりに同じ投手として冬馬のことを軽蔑してる訳ではないのだ。人間的に相容れない部分はあったとしても、それはさほど問題ではない。
そんなことは、同じ勝利を喜べるチームに属していればそのうち何とかなる。

西条(…ったく、肩に力が入りすぎや。やからウエストなんて失敗すんねん)

素直にリラックスしていけ、といえないのが西条らしかった。
もっとも冬馬のほうもその言葉を素直に受け取るとも思えないが。
不器用な二人だったが、思いのほか上手くかみ合っていた。


『ワァァーーッ!!』

ガキィッ!!

冬馬「よしっ!!」

鶴丸(っちっくしょう!!)

九番の西橋をフォアボールで出したものの、一番の鶴丸はサード吉田の真正面。そのまま5-4-3のダブルプレー。
今日の吉田は守備で絶好調である。

二番の粕英も、冬馬はファントムで三振にきってとった。冬馬は五回のマウンドもゼロで抑える。

結果的に西条のヤジが、上手い具合に冬馬の緊張感を取り去っていた。冬馬はそのことには気づいてはいないが、普通なら縮こまるような場面でも、右打者相手でも自信満々にファントムを投げ込んでいた。

相川にとっては、今日の冬馬は非常に頼もしい相方である。
西条には悪いが、このファントムの鋭さならこのまま最後まで冬馬に任せてもいいぐらいだ。



五回裏、暦法1-2将星


それにしても、一点が重い。
両チームとも二塁までが遠い。
将星にいたっては、岳が投手になってからまだ二塁は踏んでいないんでないだろうか?

が、しかし。
いくら古暮のデータがあっても、岳の得体の知れない何かがあっても
、三順目ともなれば流石に目がなれてくる。

『二番、センター、県君』


『ワァアアーーッ!!!』

西条「行けぇー県ぁっ!根性見せたれ!!」

野多摩「県君ふぁいとー!」

『いけいけ県、いけいけ県!』

将星高校は女子が多いため、吹奏楽部の人数も多い。県に、おなじみのタッチの歌ともに黄色い声援が飛ぶ。


県「…」

古暮(無駄ですよ…僕のこの頭脳。そして、岳の無意識にかなうはずがありません。貴方たち相手なら、”ホワイトアウト”もいらないでしょう)

そう。
違和感の正体。
神のお告げ。
それは九流々と同じ…相手の動きから相手の読みを読み取る…。
ただ、無限軌道と違うのは、岳の場合は『無意識』でそれを行っていることにある。

古暮(まぁ、本人は気づいていませんがね)

だからこそ、岳はこの不思議な感覚を『神のお告げ』と呼んでいた。
もともと信心深い人間であるし、無意識に気づくことは人にはできない。だから、神という認識はあながち間違ってはいない。

ただ、この認識を始めに察知したのは古暮だ。
岳からすれば、なんとなく投げていても相手が打てないから不思議だったのだろう。ただ古暮は、実際に対戦する相手の感想と岳自身の感覚を知ることによってこの正体に気づいたのだ。

神のお告げは…しかし、完成形ではない。




なぜなら、岳はDをもっていないからだ。




ナナコ「…」

降矢「まだ、考えごとか」

ぐしゃり、と降矢はナナコの頭をなでた。
髪の毛が無造作になるが、ナナコは別段嫌がる様子は無い。
むしろくすぐったそうに目を細めるだけだ。

ナナコ「…えーちゃんはね、はっきりとわかるの」

六条「さっきから、なんのことかな?ナナコちゃん」

降矢(…説明のしようがねぇけど)

六条「降矢君が悪そうってこと?」

降矢「なんだそりゃあ」

駄目だ、六条がいると話がややこしくなる。
降矢はナナコをつまみあげると、自分のひざの上にのせた。

ナナコ「ふぁ…」

六条(あ、ちょっと羨ましい…)

降矢「まぁ、あんまり深く考えんじゃねーよ。そんなだからいつまでたってもチビなんだよ」

ナナコ「むー…でもね、あの人は、同じ感覚がする。でもやっぱりえーちゃんとは、違う…のかな。なんかね、えーちゃんを見てるとね、こう胸の奥がドキドキするんだけど…」

降矢(…Dじゃないってことか?…どういうことだか)

六条(っていうかナナコちゃんそれは恋なんじゃ…。でも、同じ感じって…う、確かに向こうの投手も怖そうな顔してますけど…はっ、まさかナナコちゃんは怖い感じの人が好みのタイプ…?)

ナナコ「…やっぱり、違うかなぁ。ドキドキ、しないもん」

降矢「あのなぁ、お前」

六条「駄目だよ!バイオレンスだよ!ドメスティックになっちゃうから、優しい人と結婚した方がいいよ!」

ナナコ「?」

降矢「もう黙ってろお前」


舞台はグラウンドに戻る。

県は左打席、足場を入念にスパイクでほぐしていた。

こうしておけばスタートダッシュがきりやすい、足場が安定していた方が走るのには適しているし、モロに地面を蹴って進むことができる。
吉光の走りはセンスだけでなく、こういった地道なところからも出来上がっているのだ。速さを…いや、全てのことを追求するということはそういうことなのだろう。


県「神のお告げだかなんだか知りませんが…」

岳「…」

県「負けません」

古暮(…ほほう)


県は明らかに野球部に入ることによって成長していた。
肉体的にも、そして精神的にも。
降矢が、西条が、冬馬が、吉田が、相川が、そしてミッキーと吉光が、教えてくれたことがある。
僕はこのチームにいていいんだ。
僕はこのチームで誰よりも速く走れるんだ。

県「僕にだって信じれるものはありますから」

どんなに苦しい時だって、つらい時だって乗り越えてきたんだ。
将星というチームと共に。


キィンッ!


古暮「!」

県は、岳の初球。
バットを寝かして、相手の意表をつくセーフティ。

岳「…!}

古暮(くっ!いつかやってくるとは思っていましたが、このタイミングでしかも初球からとは…!)

相川のサインでも出ない限り、今まで県は初球からセーフティなんてことは到底やりはしなかった。
自分に自信がついてきている紛れも無い証拠である。


県「―――ジャイアントリープ!」

一歩。
また一歩。
今までの走法から、ただひたすらに大きく一歩を前に踏み出すその走法は、県のスピードを劇的に変えた。
日常生活だって、野球だって、その一歩を大きく踏み出せば、誰だってこんなにも変われる。

岳「…サード」

織田「くそっ!!」

古暮「いや、もう間に合いません!」

しかし、サードの織田は焦って無理やりサードに送球。
…が!

鶴丸「くそっ!!」

織田「!」

送球はファーストの右に大きくそれる球。

『ワァアッ!』

相川「行けっ!県二塁だ!」

冬馬「走れ走れぇーーーっ!!」

『セーーフ!!』

クッションボールをファーストが処理する間に、県は二塁に滑り込む。ノーアウト二塁。追加点には絶好の機会が巡ってきた。

氷上「その調子ですわーー!!」

海部「痛っ!痛いって舞!首をしめるな!!苦しい!」

関都「仲いいなーお前ら」

蘇我「さんしろーくんナイスー!!」


県(よぉし、突破口は作った)


県だって自信だけでセーフティバントを行った訳ではない。
今までの二打席、県は冷静にじっくりと球を見極めていた。
そして県が変わったのは明らかに降矢の負傷とミッキー、吉光との出会いがきっかけである。そこから先のデータは古暮にはなかった。

岳の無意識…『神のお告げ』も発動はしたが、ウエストするまでにはいかなかった。
打ってくるだろう、と思ってボールに外した程度である。
これがこの無意識が不完全な予感である、本人からすれば外すも、当たるもないのだ。意識の外…神のお告げなのだから。
しかし、岳の心が揺らぐことは無い。
苦しみを与えるのも、また神だからだ。


古暮(まずいですね…ここで追加点を入れられては…!!)


古暮は思わずマウンド上に近寄り、内野手もそれに合わせて集まってくる。

織田「悪ぃ…焦っちまった」

岳「…それもまた、運命なのだろう」

古暮「気にしていませんよ、それよりも今はこの状況をいかにして凌ぐかに心血を注ぐべきです…岳」

岳「…それも、運命であろう」

古暮「桐生院と当たるまでは使いたくなかったのですが…仕方ない、ホワイトアウト…使いましょう」

岳は目を見開いて、首を縦に動かした。




相川(たいしたもんだな…あの慎重な人間が初球セーフティとはな、しかも冷静に決めてきた)

バントのうまさだけで言えば、県は原田と同じぐらい上手い。二人とも人よりさらに努力する人間だけに、そういった頑張れば誰でもできることは、人一倍伸びるのが早い。

降矢(…パシリ)

ナナコ「いけいけーー!!」

緒方「チャンスよ!追加点よ!狙うのよ!!」

桜井「吉田くーん!」

三澤「すぐるちゃーん!ふぁいとー!」



『三番、サード、吉田君』

『ワアアアアーーーッ!!』


吉田「よっしゃあ、いくぜ岳!!」




観客席の一塁側、将星の応援席からさらにバックネット側のベンチに彼女は座っていた。

蜜柑「…」

三澤蜜柑。柚子の母親でもあり、かつてプロペラ団で「D」に纏わる遺伝子系統、神経系統の研究を行っていた科学者でもある。

柚子と同じような髪の色に、同じポニーテール。
今日は落ち着いた色合いのカーディガンにワンピースという格好だった、年齢の割に見た目は若々しく見える。

柚子がこのまま大人になればこのような女性になるのだろう、といった雰囲気である。もっとも雰囲気は柚子よりもだいぶ落ち着いていて穏やかであり、母性を感じさせるものがあるが。

蜜柑「あなたも来てたのね、今日は鋼君は?」

蜜柑の隣に座った少女。
赤い髪をはねさせて、年齢の割に大人びた表情を浮かべる。

四路「いえ、一人ですよ。どうぞ」

自販で買ってきただろう、紙コップのミルクティーを蜜柑に渡す。

蜜柑「彼が気になって?」

四路「…ええと」

蜜柑「別に隠す必要もないでしょう?貴方がここにいる理由なんてそれぐらいしか無いはずだし…。大丈夫よ、今のところおとなしくしてるわ」

四路「…そう、ですか」

四路は幾分か漂わせていた緊張感を解いた。

蜜柑「流石にこんな状況だからね、あの子も頭は悪く無いと思うし…。でもすぐに血が上るから、それは止めようと思ってね」

四路「それで今日は?」

蜜柑「これからはちょっと、ちゃんと見た方がいいのかな、って。今までは一つのDしか発動してなかったみたいだけど…柚子の話じゃピッチャーもやったし、おまけにこの前のソフト部の試合じゃ左目なしで打ったって話も聞いたしね」

四路「皮肉ですね…こうしてまた野球をやっているだなんて」

蜜柑「ねぇ、智美ちゃん」

四路「なんですか?」

蜜柑「降矢君のこと、好きなの?」

四路「ぶふぉっ!」

四路は飲んでいたミルクティーを思い切り噴出した。

蜜柑「あら汚い」

四路「い、いきなり何を言うんですか!」









蜜柑「だってだから、あれだけ面倒を見ているんでしょう?真田君のことで野球連盟に裏から圧力かけたり、Dを完成させた神高やダイジョーブの情報を調べたり」

四路「…彼は、あたしの本名を知ってる数少ない人間ですから」

蜜柑「記憶がないとしても?」

四路「彼の本名を知ってるのも、私とナナコぐらいしょう」

蜜柑「あら、私も知ってるわよ?」

四路「蜜柑さんにはかなわないですよ」

蜜柑「うふふ。でもね、あたしが今日ここにいるのはそれだけじゃないわ」

蜜柑は視線をマウンドに見やった。

四路「…え?」

蜜柑「エイジ君がいなくなって、神高やダイジョーブがいなくなって…降矢君が疾走して。プロペラ団の中で大きな動きがあったのは覚えてるでしょう?あのいざこざで私もプロペラ団と手を切ることができたんだけど。といっても、エイジ君の観察は今も続けてるけどね」

そう、エイジが降矢毅としてプロペラ団のアジトから抜け出したとき、神高やダイジョーブ博士、そしてプロペラ団の首領も失踪した。
結果組織はバラバラになり、多くの研究者が殺されたり行方不明になったが…一時期分解しかけたプロペラ団をまとめたのが今の首領である。
ところが、ニューエイジプロジェクトはその騒動のせいで実験データはほとんどが消失。Dを埋め込む技術は失われた。それを知っているのは今、神高とダイジョーブのみ…だからやっきになって組織は二人を探しているのだ。

四路「…はい、覚えています」

蜜柑「当時のニューエイジプロジェクト。ハーフとして遺伝子を組み込まれたのは六名。ナナコちゃん、エイジ君、ユウちゃん、ツヨシ君。そして智美ちゃん。…あとの一人は?」

四路「…まさか」

蜜柑「…二人ね、怪しい人物がいたの。一人は今ほら、マウンドにいる岳君。でも、これはちょっと違うかな、って思うの。あの『ハーフ』独特のオーラというかそういうのが…見えなくてね」

四路「…そうですね。わかります、私だってそうだったんですから。ただ、Dがない、とまでは言い切れませんが」

Dの技術はプロペラ団からは失われた。
ところが、神高とダイジョーブ博士は今どこで何をやっているのかわからない。
神高に関しては、なにやら怪しい噂も聞くぐらいだ。
この前も、堂島という男を通して桐生院でいろいろやっていたぐらいだ。

四路「あとの一人…私はわからないです」

蜜柑「そうね、もともとあの子は違う世界で生きていたのだから。あなたと同じ。失敗作としても日常で生きれるのかどうか。…まぁ、貴方はこっち側の世界にいることを決意したけどね」

四路「…はい」

蜜柑「ただ…失敗作じゃなかったとしたら?」

四路「え?」

蜜柑は目を細めた。

蜜柑「神高は研究者の時から色々おかしな行動をしてたわ。エイジ君にスパイをさせたり、ナナコちゃんをたった一人で管理したり。誰も確認をとっていないのに、『あの子』を失敗作と決め付けたり」

四路「…私もそれは同意です。神高のことを調べてるうちに…どうも一連の行動には何か…壮大な計画があるとしか」

蜜柑「ドラフ島、冥球島…。彼女は、管理者として何を見ていたの?」

四路「…おそらく…彼女はプロペラ団を作ろうとしていると、私は思います」

蜜柑「おそらく、ね。…断定はできないけど…そして彼女が最後に目撃されたのは?」

四路「アンドロメダ高校…はっ」

蜜柑「多分、最後の一人は―――









アンドロメダ高校、一年生、大西聖樹」



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