249Red Flash









降矢「なんだ、お前か」


とっくに眠気はなかったが、じっとしているより他に無かった。

意識を取り戻した時点で、左目以外はいたって快調そのものだ。

手術は降矢の意識が無い時にすでに終わっていた、いま彼の左目には義眼がはめ込まれている。

ただ医者の言葉は絶対安静。

当然だろう、頭部に打撃を受けているのだ、今無事だとしても後々何が起こるかは一切わかっていない。

激しい運動は禁止、野球なんてもっての外。

ただ降矢はおとなしくしている気は一切なかった、なんとかして将星野球部に復帰するつもりだ、医者の頭をぶん殴ってでも。


六条「調子は…どうですか?」


意識を取り戻してから三番目の客は野球部のマネージャーだった。

いやいやいや、四路や鋼に何度も来られるよりもずっといい。


降矢「どうもこうもねーよ、絶対安静だとよ」

六条「そう…ですか」


誰が聞いてもわかるほど声のトーンが下がった。

相変わらずわかりやすい奴だな、と降矢は思った。

窓側に背を向けている状態では六条から彼の顔は見えず、ただ背中のみを向けていた。


降矢「ま、学校には二、三日で戻れるらしいけどよ」

六条「…へ?!そ、そうなんですか!?」

降矢「たりめーだ。こんなところで寝てたら体が腐っちまう。なんかよくわからん検査を受けたが、別段脳に異常は無いって言われたしよ。激しい運動はできんみたいだけどよ」


降矢はそこまで言ってようやく体を起こした。

ずいぶんと髪の毛が長くなっていた、おろしている状態では前髪が完全に目にかかっている。

六条はそんな降矢の横顔をぼうっと見つめていた。


降矢「のどが渇いた」

六条「……」

降矢「のどが渇いたっつってんだろ」

六条「…あ、は、はい!?な、なんでしょうか?!」


そばにかかっていた館内使用の上着から小銭を取り出して、そのまま親指で六条の方に弾き飛ばした。


六条「え!?わ!」

降矢「……のろま」


チャリンチャリーンと、音をたてて100円玉は地面に転がった。

慌ててそれを拾い集める六条を見て、降矢は笑った。


六条「ふ、降矢さん?」

降矢「いいな、お前ら。やっぱ俺、良かったよ」

六条「……?」

降矢「いいから行ってこい、コーヒーでもなんでもいい」

六条「は、はいっ!」


なんとなく。

なんとなく六条は、笑った降矢の目が少し優しく見えた。





ぱたぱた。

小足で急いで一回の自動販売機まで走ったのは、彼女の生真面目さのせいか。

少し息を切らして、小銭を自販に投入した。


県「あ、六条さん」

相川「なんだ、お前も来てたのか」

六条「県君、相川先輩」


平日の午後なので閑散としている病院の一回受付に、見慣れた人物。

私服姿の二人が六条の隣に立っていた。


六条「あれ?珍しい組み合わせですね」

相川「なんだそりゃ」

県「僕達、他校の視察の帰りなんですよ。もうすぐ県大会も始まりますしね」

相川「本当はこういうのはマネージャーに行かせるものなんだけどな」

六条「あっ!え、えとスイマセン…」


慌てて、頭を下げる。

相川はいつものように苦笑して、六条の肩をポン、と叩いた。


相川「ま、いいさ。まったく姿が見えないと思ったら…ここにいたとはな」

県「降矢さん、どうでした?」

六条「元気そう…かな?でも、なんだかいつもと雰囲気は違ったかも」

相川「雰囲気?」


首をかしげる。


六条「なんだか、その、いつもよりやさしい、というか」


後半ごにょごにょと声が小さくなっていく、顔もそれにあわせるかのようにピンク色に染まっていった。

あぅぅ、と何を思い出したのか、六条はうつむいて黙りこくってしまった。


相川「やれやれ、お熱だな」

県「でも、降矢さん元気そうで良かったです」

六条「でも…」

相川「でも?」

六条「激しい運動は、やっぱり医者に止められてるみたいです…」

相川「……ま、そうだろうな」


大きく息をついた。

むしろ片目が完全にやられているのだ、期待する方が間違っている。

…それでも、この前の試合で試合を決める一撃を放ったのはそんな降矢だ。

傾いた西日が病院の窓から入ってくる、白い壁がオレンジ色に染まる。

もうすぐ面会時間は終わりだ。


六条「…でも、私は…なんとかして降矢さんにはベンチにいてほしいです!」


六条が顔を上げた。

目は潤んでいるが、強い意思が感じ取れる。


県「そうですよね…たとえ試合には出れなくても、降矢さんがいないと、きっと僕達意気消沈しちゃいますよ」

相川「ふふ、かもな」


いつのまにかあの問題児が、将星の精神的支柱になっている。

相川はぼんやりと入ってきたばかりの降矢を思い出していた。

皆、変わった。

特にこの二人はきっと降矢に人生そのものを変えられたんだろう。

もてなかった勇気を、強い意志を、彼らはあの金髪から教わったのだ。

誰一人欠けても将星野球部はなりたたない。

全員で、甲子園を目指す。


相川「…六条、その缶コーヒー俺が渡してくるよ」

六条「え?でも」

相川「少し、あいつと二人で話がしたい。504号室であってるか?」

六条「…はい」

県「何を話すつもりなんですか?」

相川「いや別に。ただお前らがいると降矢が変にいきがりそうな気がしてな」

県「…?」

六条「どういうことですか?」


普段そんなそぶりはあまり見せないけど、やっぱり頼りにされてる奴の手前いいところを見せたいのが人間の性だろ。

まぁ、あいつは誰にでも威勢の良い言葉を吐きそうだが。

やれやれ、と肩をすくめて相川はエレベーターのボタンを押した。





病室は複数人が使用できるものの、今は降矢一人だった。

それはとてもありがたい、他人がいる前では基本眠りたくないからだ。

また変に同居人がいても気を使うだけだ、こうしてリラックスして横になれることは大いに幸運意感謝すべきだと降矢は思っていた。

ただ、この白い天井を見ているとどうしてもあの頃を思い出してしまう。

降矢「……」

まるで夢みたいだ。

これまで誰かがいなくなるような空間で生きてきたのに、今は普通の高校生として楽しいことをやれている。

これが三澤博士の望みだったとしたら、俺は感謝した方がいい。

………三澤か。

降矢「三澤先輩…」

どうなんだろう、でも、思い出してみれば博士の面影がある。

そして、ナナコ。

降矢「…謝らなきゃ。さっき六条に聞けば良かったな」


バタン。

と、ドアが閉まる。


相川「元気そうだな」

降矢「相川さん」


オレンジ色の空間に男が二人。

右手に持っていた缶コーヒーを降矢のベッド前の机に置いた。


降矢「六条に会ったんスか」

相川「そんなところだ」

降矢「…で、相川さんが来たって事は。なんか大事な話でもあるんスかね」

相川「………」


相川はじっと降矢を見つめていた。

それからふぅん、なるほどね、とつぶやいた。


相川「なんか悪いものが落ちたような顔だな」

降矢「…わかるんスか」

相川「なんかいやにすっきりした目をしてるから、な。いつもの刺々しい雰囲気も無い」


ベッド隣のパイプ椅子に腰掛ける。

もうすぐ夜が来る、空は赤に青が混じってきている。

昼が短くなってきた、もうすぐ秋が過ぎ、冬が来る。

外からは小学生達の遊ぶ声、列車の音、雑踏、日々のさざめきが揺れていた。


相川「降矢、もうすぐ県大会だ」

降矢「らしいスね」


相川は降矢の顔でなく、窓の外を見ていた。


相川「大会前に目が覚めてくれてよかったよ。どうもお前がいないと皆覇気が無くてな」

降矢「いーんじゃないスか?嫌われ者がいなくなれば野球部も人気出るでしょ」

相川「…くくっ、お前そんな卑屈な奴だったか?」

降矢「ちょっとね、アンニュイな気分って奴」


しばしの無言。

踏み切り音、また列車が通り過ぎる音がした。


降矢「やりますよ、野球」

相川「…は?」

降矢「見たでしょ、この前の試合。打てますよ球ぐらい。まぁ、守備はわかんないスけど」

相川「激しい運動はとめられてるんだろ?」

降矢「医者には。でも、『俺が止めてる』訳じゃないんで」

相川「…お前らしいな」

降矢「でしょ?」


ニヤリ、と二人は笑った。

半年も同じ場所で協力していると変な友情がわく。

吉田とはまたタイプの違った奇妙な親しみを相川は降矢に感じていた。


相川「勝手に桐生院にも乗り込んだらしいしな、元気は有り余ってるだろ」

降矢「…」

相川「とりあえず退院したら一度グラウンドに来てくれ、そこでどれぐらい使えるか見てみる」

降矢「使える、使えないで俺を判断するんスか?」

相川「…っと、言葉が悪かったな。…ただどっちにしても、お前は…」



相川「将星には必要なんだ」





――――。

降矢の心臓が、少し速くなった。


降矢「…ども」

相川「おいおい、礼を言うようなキャラじゃないだろお前は、そういうことだから」


相川が席を立ったところで、タイミングよく面会時間終了のアナウンスが流れた。


相川「月曜日には顔出せよ」

降矢「うぃす」


皆待ってるぜ、と言い残して相川は扉を閉めた。

…。

またこの空間には誰もいなくなった。

でも、自分で扉を開けて行けば、待っていてくれている誰かがいる。

自分は自分のために生きるのが、降矢の信条でもあったし、教えられてきたことだ。

でも、きっと人は誰かのための自分も、心のどこかで求めている。

だから人は一人で子供を作ることができないんだろう。

何かを生むためには誰かと一緒に生きていかなくちゃならない。


降矢「うわ、俺気持ち悪ぃ」


ベッドの毛布に、しみがいくつかできていた。

らしくねぇ。

らしくねぇ。

勢いよく毛布を頭からかぶった。

―――畜生。

満たされてやがる。

降矢は泣きながら笑っていた。












吉田「で、どーなのよ、一回戦の相手は」

日曜も野球部は練習だ、ソフト部とも仲良くなって使える場所も広くなった。

何よりこの前の一件で生徒会も協力的になり、いよいよ学校全体で将星唯一の男子の部活を応援する体制になってきている。

ドロだらけのユニフォームで綺麗な学生食堂にあがるのもアレだな、と思いながらも相川はお得なスタミナ定職の豚の生姜焼きをかっ込んでいた。

対面の吉田は三澤特製の重箱をすでに平らげている、お前三澤の分も残しておいてやれよ、と言ったところですでに時遅しだった。


三澤「暦法学院…あんまりぱっとしない雰囲気だったけど、順調に勝ってきてるね」

相川「一年エースと四番に力を借りてるチーム、って言ったらわかりやすいかな」


三澤はダイエットダイエットとつぶやきながらおなかを抑えている。

ソフト部の時で負った怪我ももう大丈夫だろう、結局鎖骨に異常はなかったし、軽い傷が残っただけだ。

夏でもないし、分厚い服を着てれば傷が目立つこともない、三澤はもういつものように吉田の側に寄り添っている。


三澤「くちゅんっ」


なんともかわいらしいくしゃみだ。


相川「おいおい、風邪か三澤」

吉田「大丈夫かぁ、柚子」

三澤「うん、大丈…へくしゅっ!うー…急に寒くなってきたから」

相川「ま、確かに今日は寒いしな」

吉田「おいおい、これでも着てろって」


と、上に羽織っていた野球部のブルゾンを吉田は三澤にかけてやった。


三澤「あ、ありがとう傑ちゃん」

吉田「おう、まぁ気にすんな」

相川「…」


まぁ、一つ変わったことといえば、柚子が怪我してから吉田が妙に優しくなったことだ。

こいつなりに三澤を気遣ってるんだろうか、それとも…。


相川(早くくっつけばいいと思うんだが)

桜井「もどかしい思いは私も一緒だよ」


と、ソフト部の一件以降、生徒会会計および新マネージャになった桜井が相川の隣に腰掛ける。

しかしなぜわざわざ混んでるA定職のところに並んだんだか。


桜井「だってA定職には苺ムースがついてくるんだよ?」

相川「なんだそりゃあ…」

吉田「んなことより、その一年エースってのはどうなんだ?」

三澤「えーと」

桜井「昨日私と相川君と県君で見てきたけど…」

相川「軽い練習だけだったな。試合自体のデータも、二回しか投げてない。準決勝で負けた桐生院戦にも、出てない」

三澤「…温存?」

相川「かもな。狙いをこの県大会に合わせてきてるなら…目標が桐生院撃破なら考えられる話だろう、と俺は思う。皮肉にも桐生院は霧島に負けたけどな」

桜井「でも、桐生院も部長が急に交代してまとまり始めてるって話だよ」


いろいろごたごたはあったらしいが、準備は万端らしい。

やはりそこらはさすがに名門強豪校といったところか。

噂では一年エース望月の伸びがすごい、とかいろいろと聞くが、まずは目の前の相手だ。


相川「暦法学院一年、岳隼人(がくはやと)古暮廣亥(こぐれひろい)」

三澤「なんか強そうな名前だね」

相川「伸びのあるストレートとカーブを武器に相手を抑える本格派だ。古暮はここまで打率.784の巧打者タイプの主砲。チーム的には守備力を中心にまとまったチームだ。確かに三澤の感想どおり、地味なチームだ…が、個人的にはこういうチームが一番怖い」

桜井「え?なんでですか?…もっとすごいバッターがいてホームランをいっぱい打つ選手がたくさんいるチームのほうが怖くない?」

吉田「俺もそー思うぞ」


入って一週間もたたないマネージャと同じレベルの感想か吉田。

まぁ、これは個人の考えも多少入るとは思うが…と思いつつも相変わらず吉田は苦笑した。


相川「地味なチームがなんでここまで勝ってきてると思う?」

三澤「え?」

桜井「…うーん」

吉田「???」


お前ら。


桜井「やっぱり、とった一点を大事に守ってる、から?」

相川「まぁ正解だな。つまり、そういうことだ」

吉田「どういうことなんだよ相川、もったいぶるなって」

相川「確実なんだよ。打撃は水物なんてよく言うだろ?確かにそういうチームも怖いが、一点を取るのに相手のミスや自滅が期待できないチームはもっと強い」


つまり、勝つための野球ではなく、負けない野球。

暦法はそういうチームだ。


三澤「ってことは…私達も一点を大事にしなくちゃいけない、ってことだね」


対照的に将星はなんとも言いがたいチームだ、良く言えば個性豊か。

悪く言えば、安定性がまったくない。

基本的に吉田含めて、全員守備がうまいわけではない、安定して守れるのは原田、御神楽、真田ぐらいだろう。

ただ原田の守備力の上達には非常にありがたいところがある、二遊間が狭いチームはすべからく強い。


相川「…そう、となるとこの試合のポイントは、おそらくあいつら二人にかかってくるだろう」


席が混んでいたという理由で向こう側に座った、西条、冬馬、そして六条、野多摩の四人。


西条「やっぱ練習の後の飯は上手いで!!」

冬馬「うわっ!汚いな!ご飯食べながらしゃべるな!」

西条「細かいことにこだわんなや!!」

六条「わ、わ、お水がこぼれますよ!」

野多摩「二人とも元気だなぁ〜」




相川「…」

桜井「大丈夫かな、って表情だね」


いや、まぁなんというか、やっぱり頼り無い気がしてきた。

これからはあの二人にとっては試練だろう。

もうストリームやFスライダーの一辺倒じゃ打ち取れない相手もたくさん出てくる。

練習はともかく、試合の中でも新たな戦術を見出さなければ、ここから先は、勝てない。

特に西条は…何かしら必要だろう、何かもう一つあれば一段階上に上がれる。

全国区でも勝負できる、そんな投手になるだろう。

もともとセンスはずば抜けているんだ、やってくれる、と思うが…。




西条「おっしゃ練習いくで!!」

冬馬「はや!!食べるのはや!」

野多摩「胃によくないよ〜?」

西条「うるへー!!ほな俺は行くからな!お前らはゆっくり飯でも食ってろ!!」


ダダダダダッ……!


六条「…あー、行っちゃいました」

冬馬「食器ぐらい返してけ!もー!」

六条「なんだか最近、西条君とても練習熱心ですよね…なにかあったのかな?」

野多摩「…焦ってるだと思う」

冬馬「へ?」

野多摩「…わかんないけど、最近の西条君はそんな感じがするなぁ」

六条「…西条君なりに、降矢さんの抜けた穴を埋めようとしてるんでしょうか」

冬馬(…だからアイツ、最近一生懸命なのかなぁ…苛立ってることも多いし…)









ガチャ。

またドアが開く。

まだ降矢の意識は半ば眠りの中にあった。

ガサガサと毛布の中でうごめいて、相手の声を待つ。


蜜柑「…おはよう、エイジ君。久しぶりね」

ナナコ「…えーちゃん」


おいおいおい。

思わず飛び起きた。


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