目が覚めると、いつもの部屋だった。

それは部屋というにはあまりにも粗雑で、物が無かった。

狭い部屋に押し込められた三段ベッドが両壁に三つづつ、共有スペースは1メートル程度の、ドアへと続くスペース。

壁や床はコンクリートがむき出しで、生ぬるい空気の割りにいやにひんやりとした印象を受ける。

そんな見慣れた、自らの部屋。

暗い。

まだ「電気がつかない」時間だ。

窓がないこの部屋では、時間の動きを知らせるのは天井に備え付けられた粗末な蛍光灯だけだった。

ある日、団員が話してるのを聞いたのだが、ここじゃない所には「空」と「太陽」があるらしい。

昼と夜を繰り返して生きている。

でもそれすらも「彼ら」には必要がなかった。

必要最低限の知識、そして言葉、あとは…。

パッ。

まぶしさに目を細めて、薄いかけタオルを頭からかぶる。

薄すぎるそれでは、光を止めるには話にならなかった。

また今日が始まってしまう、それを「彼」はひどく恐れていた。

『起床時間です。準備を済ませた後、食堂に向かいなさい』

最低限の生活が保障されたここで、彼は育った。

そして今日もヤキュウが始まった。

























241White lies












無言。

20人ぐらいのグループ、年齢は様々だ。

15歳ぐらいの年長者がいると思えば10歳ぐらいの子供もいる、男がいると思えば女もいる、黒人がいると思えば白人がいる。

全員がびっしりと一列に並んでいる。

そこに言葉は一切なかった。

雑多として端に筋力用のトレーニング施設が並んでいて、その真ん中が広く開いていた。

端側に多きな鏡が張っていて全員の姿を映している…彼らの表情に色はなかった。

狭いトレーニングルームで全員が、棒を持って素振りをしている。

カセットから流れる機械的な音声に合わせて、ひどく機械的にそれは繰り返されている。

『197、198、199…』

目の前に黒い衣装を身に纏った壮年の男が一人。

『200』

「やめぃっ!!!!!!!」

男が突然立ち上がり、大声を出した。

それに伴い、少年少女たちがいっせいに動きを止める。

「No.220、No225、No.224、NO229、No.240…残れ。それ以外は休憩」

数字…いや名前だろうか、それを呼ばれた後、数人がひどくおびえた目で下を向いた。

それ以外の子供たちも、はしゃぐこともなく無言で壁際に整然と並び、壁際に座っていく、それは本当にただの「休」であり、「憩」ではなかった。

天井の蛍光灯が白く子供たちを照らしている。

本来であれば、学校に行って同年齢の子たちとはしゃいでるはずの子供たちは全員等しく、まるでマネキンのように、一切動かず、そこにいた。

「五人…貴様ら、もう一度戻りたいのか『あそこ』へ!!」

「…!」

バキィッ!!

男が突然一人の男の子を殴った。

大きな音を立てて床を転がる、痛みをこらえて低い声をもらす。

だが殴られた人間に、皆は一切の関心を示さなかった。

ただ、呼ばれた五人の内、残りの四人が震えているだけだ。

「クズどもめ!!!」

ゴキィッ!!!

「この…!!」






???「やめなさい」

二人を殴ったところで、急に声がかかった、気がつけば入り口が開いている。

そこから一人の長髪の女性と何人かの黒服のガードマンらしき男が入ってくる…もう一人、少女と少年もついてきた。

長髪の女性は二十代前半といったところか。

白衣を着たウェーブヘアー、どこか落ち着いた雰囲気を持っていたが目は恐ろしいほど冷たい。

彼女を見た『彼』はそう感じた。

???「…No.8」

No.8「はっ!!!」

???「これは大事な商品なんだから、傷をつけないでちょうだい。怪我でもしたらどうするの。タダじゃないんだから」

女性が壮年の男をたしなめていた、男の方はそれでもキリっとした目で前を見据えている。

女性は呆れた口調で、後ろにいた二人を促した。

少女の方は赤がかった黒髪で外側に髪がはねていた、年はそこにいた子供たちでは上の方だろう。

少年は冷めたた目をしていて、年の割りにひどく背が大きかった。

???「…君たち大丈夫?」

「…」

「…」

殴られた少女と少年にかけよって傷を見ようとするが、少年たちは顔を逸らした。

???「…この子…博士!」

???「どうしたの、智美」

智美と呼ばれた赤髪の少女は二人の姿を見て驚いていた。

智美「この子達…Dが…」

博士「…なんですって!?」

前に立っていた男を突き飛ばして、博士は二人にかけよる。そのまま体の一部分をしみじみと見て、すぐに後ろの黒服たちを呼んだ。

博士「この子達をすぐにダイジョーブ博士の所に送ってちょうだい」

『はっ!!』

いまだ殴られた場所を庇ってうずくまる少年と少女は黒服たちの背中におぶわれて、どこかへ去っていった。

博士「…そういうこともあるのね」

No.8「これが始めてのケースという訳でも無い、と思いますが」


突き飛ばされていた男だったが、立ち上がって口を挟んだ。

その男をギロリと博士がにらみつける。


博士「…あなた…」

No.8「人間は極限の状態でこそ、目覚めるものです」

博士「だからと言って、人を傷つけていい権利は無いわ!!」

No.8「今更…戯言を…」

男はうつむいて、かかとで床を鳴らした。

No.8「それは偽善じゃないですか?」

男はくくっ、と嫌味そうに笑った。

鼻の下の無精ひげが不快に揺れる。




No.8「他のグループと違って、200シリーズは人ではないんですから」




博士の表情が凍った。

No.8「無いなら作ればいい、と言い出したのは貴方達研究者でしょう。湾岸以来世界中が警戒してるからやりにくくなってしまったもんなぁ」

博士「あなた…」

再び博士の顔に怒気が戻ってきた。

歯がギシリと音をたてる。

隣に立っていた紫色の髪の少年はその対峙をひどく覚めた目で見ていた。

No.8「こいつらは」

男は首だけを動かして、背後の『子供』たちを見つめた。

No.8「目覚めないと価値が無い。…それなら早く死んだほうがマシってものでしょう?」

博士「…!!!」

???「やめろ」

少年が口を開いた。

???「お前の声は虫唾が走る」

男の額に、血管が浮き出た。

No.8「…失礼ですが博士、この子は?」

博士「…私たちの子供のような…ものです」

No.8「…?おやおや、長女を出産してあなたはもう子供は産めない体になったと聞いたのですが」

博士「…」

智美「…やめなさい!!」

No.8「…くくっ、『無いから作った』んですか?」

バキィッ!!

殴り返したのは、隣にいた少年…でなく黒服の男だった。

「…失礼。あまりにも口がすぎるのではないかと、No.8」

No.8「貴様…!!!研究員の犬ごときがシングルナンバーの私に触れるな!!!」

思わずよろめいた男だったが、すぐに殴った黒服に飛びかかった。

ガシィッ!!

しかし、体格が違いすぎた。

すぐに手首を決められ、黒服はNo.8の背後をとる、低いうなり声をあげてNo.8は黒服の男をにらんだ。

博士「鋼君…」

鋼「…やめておけ、私たちはスペシャリストだ」

No.8「く…!!!」

博士「明日から担当教官を変えてもらいます」

No.8「ふん…無駄なことだ。どうせこいつらの指導方針はボスが決めてるんだ」

鋼「…」

博士「ボスが…?」

鋼「本当なのか」

博士「ふん、外で研究してる貴様らに中の事はわからないだろうさ」

鋼「降矢……君って奴は…」

博士「毅君…連絡取れる?」

博士と黒服の男…鋼は少年の方を見た。

毅「…さぁ。あの男ですよ」

鋼「…とりあえず、アポを取ってみましょう、三澤博士」

博士「…そうね」

頷いた後、とりあえず後に続いていた黒服の男たちにNo.8を拘束させ、三澤と鋼もしばらく誰かと電話で連絡を取った後、その部屋を出て行った。

博士「行きましょう、鋼君」

鋼「すぐに責任者が来るから、君たちしばらくここで待っていてくれないか?」

智美「…私がここにいておくから、大丈夫です」

毅「…俺は、親父に」

智美「わかった、それじゃおじさんによろしくいっておいて」

毅少年はこくりと頷いて、鋼と三澤博士についていった。


トレーニングルームに静寂が残された。

明るい四角の部屋、そこには窓も何も無い。

騒動の合間もずっと壁際で静止していた少年少女たち、まるで死んでいるか、人形のようだ。

殴られることに怯えた子達も、震えが止まっているだけでずっと下を向いたまま動かない。

智美はこの状況を恐ろしく感じた。

人間を見ている感じが、まったくしないのだ。

智美「…こんなことになってたなんて」

ひたすらに重い空気が場を支配していた。

自分たちが研究を進めている間に、現場はこんなことになっていたなんて。

それもボスの判断だという、一体どういうことなのだろうか。

智美「…君たち、大丈夫?」

「……はい」

「…はい」

一律に帰ってくる同じ返事。

智美は恐怖を感じていた、これが人間だというのか。

こんなの人間じゃない。

自分たちが…彼ら達が目指してたのは…!


そんな状況は『彼』は呆然と見ていた。

何かが…この瞬間に変わり始めた。

そして、ここから彼の本当の記憶が始まったのだ。







翌日から彼を取り巻く環境は大いに変わることは……なかった。

やはり起きて準備をし、「ヤキュウ」のための練習をし、そして寝る。

それでも変わった事はある。

担当教官が暴力を振るわなくなった事。

それでも暴力をふるわなかっただけで、彼らの『彼』らに対する態度はそんなに変わりはしない、それは人を見る目ではなかった。

それでも。

気づいたときからその環境で生きてきた『彼』にとって、それは普通なのだ。

だから何も思いはしない。

それと、もう一つ。

殴られて帰ってきた二人の様子が少しだけ違っていた、いつもと違って、暇な時間二人はおしゃべりをしていた。

そして口の端をゆがめて、自分達が知らない表情をしていた。

彼はそれを不思議そうに見ていた…人と関わることは悪い事だ、と教えられていた彼にとってそれはひどく新しい物に見えた。

(あれ…誰だっけ…no.220と…)








試合は、十日に一度行われる。

普段彼らが使用するのは、寝泊りしている部屋とトレーニングルーム、そして食堂にトイレぐらいだが、試合をするのはまるでドーム球場ほどもある広さの大きな空間で行われている。

『彼ら』はグループに分かれている、AからJまで。

上のランクは待遇がいいらしいが、実情は知らない。

No.200組は常に下のクラスを占領していた、上手くなると上にいってしまう上に、何故か200たちは覚えが悪かった。

チームプレーや連携もできない。

やはり、何かが足りていないのだろうか。

……作られたから。


キィンッ!!!

この日十三度目のタイムリー。

また今日もコールド負けだろう。

そこに歓声は無い、静かなグラウンドで淡々と試合が行われるだけ。

金属音と乾いたグラブの音。


ただ、そこに今日は少しだけ違っていた。


(…?)

彼は不思議に思った。

いつも無表情な僕らにおいて、あの殴られた少年と少女だけが顔をゆがませていたのだ。

それは彼らの知らない『悔しさ』だった。

殴られた彼女と彼らに何があったんだろう。

彼は淡々と負けた試合よりも、そこが気になっていた。



そんな彼の腰には、青白い光が時たま漏れていた。







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