239因縁の対決






















学生服のズボンとカッターシャツだけでは、事前運動無しで秋も中頃に差し掛かった気温と戦うには少し肌寒い。

それでも二三回ミットに白球を投げ込めば、久しく忘れていた感覚がよみがえってくる。

右肩に熱が灯る。

キャッチャーに背を向けて目を閉じる、大きく息を吸うと。

世界は自分のものになる。

相手が誰かは結局良くはわからなかったが、それでも感謝していた。

自分が我侭を通させてくれることを。

振り向くと金色のバットを担いだ隻眼の少年は左打席に入っていた。



笠原はため息をついた。

何故自分は無理やりにでも止めなかったのか。

大和がこんな合理的でないことを自分から望んだのは初めてだった、あれだけ謙虚で悪く言えば主体性の無い男が。

大和が見せた初めてのわがままに、笠原はどこか人間らしさを感じていた。

そして笠原が勝負を許したもう一つの理由が…。


南雲「左打席、か」

あの夏、あのスイングをしていた奴は左目が前に向く振り方…右打席だった。

その状態でデッドボールを食らい、右目が死角になるから左打席に変えたというならわかりやすすぎる理由だ。

だが、そんなに簡単に打席を変更できるなら世の中楽なものだ、それに片目ではまったく遠近感がもてないだろう。

大和が相手だというのにそれだけのハンデを背負って勝負するというのは、ドン・キホーテだ。

だからこそ笠原も勝負を許したのだ、あの独眼が大和のボールを捉えられる訳がない、と。

バットにボールが当たりさえしなければ、何事も起こるわけがないのだ。




バッターは、不気味なまでに静かだった。

先ほどまで漂っていた荒々しい殺気は消え、代わりに怖いくらいの閑静さがそこにはあった。

まるで、誰もいないように。

しかし大和は動揺しない、すでに多少の相手の動向で心が揺れる投手ではないのだ。

自分の球を自分のままに投げられるレベルの投手である。



威武「…要、どうなる、と、思う?」

南雲「まぁ、常識なら大和さんの白翼をあのハンデで打てる訳はないぜよ」

植田「何言ってるんですか南雲さん、あんな奴に大和さんが打たれる訳がない」

望月「気に食わないが植田に同意見です」

布袋「同じく」

妻夫木「そこが逆に不気味じゃないか?ならわざわざうちに乗り込んでまで勝負する意味が…」

烏丸「…そう、だね。何か考えでもあるのかも、ね」

望月「勝つためにはなんだってする汚い野郎です、何を考えてるかわかりません!」

植田「あんな奴に大和さんが負ける可能性なんて1%も考えたくありません」

三上「な、何かあったの望月君、植田君?」

弓栄「ちょっとした因縁、と思ったほうがいい」

布袋「こいつら二人とも負けず嫌いだからな…」



キャッチャーは大和の指示を待っていた。

ここは大和のリードに任せる…というよりも、大和の球を投げさせてやろうと思った。

なし崩し的で、まだ展開についていけないから、というのもあったが。

そんな周りと対照的に、バッターとピッチャーはあくまでも冷静だった。

周囲はお互いの真意を汲み取れない、と言った雰囲気で落ち着かなかったが、二人に真意などないのだ。


降矢は純粋に、あの時なすすべも無くやられた大和をなんの借りも返さずに勝ち逃げさせたくはなかった、だから一瞬でも早く大和と勝負がしたかった。

大和は、そんな降矢の純粋な勝負動機を肌で感じ取ったから『やる気』になった、それだけだ。

深い理由などない。


ゆっくりと、右足があがる。







手加減など、しない。
















――――ドォンッ。


見えない、ストレート。

白翼と呼ばれる、大和のストレートはジャイロボールではなかったが、綺麗な縦回転により通常のストレートを遥かに上回る威力を秘めている。


国分「ス、ストライクッ!」


急遽球審に回った国分ですら驚いたぐらいだ、ど真ん中に決まったにもかかわらずストライクコールが一瞬、いや二瞬ぐらい遅れた。

これでライオンハートより劣ると本人が言っているから恐ろしい。

すでに完成されたその球は、夏の頃と変わらない威力をいまだ維持していた。


降矢「さすがだな、あの夏と何も変わっちゃいねぇ」


かまえたバットをいったん下げて降矢はくくく、と笑った。

その意図を汲みかねて、大和は瞬間、顔をしかめた。


降矢「でもよぉ、変わってねぇ、ってことは。あの頃より速くはなってねぇ、ってことだよなぁ」


舌を大きく出した野獣的な笑みを浮かべた。

もしかすれば150kmを出せるかもしれないそのボールではあるが―――降矢には確かに見えていた。

見えないボール。

だが、記憶の中の『あの時』よりは随分遅く見える。

そして遠い昔の記憶を手繰り寄せれば、ずっと速い球を何度か見てきた。

降矢の目は確かに大和のストレートを捉えていたのだ。



大和「…」


大和は降矢の言葉に思わず喉を詰まらせた。

確かにあの夏を越えて大和は高校選抜に選ばれ海外にも行って試合をしてきたものの、いままでのような爆発的な成長は見せていない。

むしろプロ入りに備えて無理な練習はせず体をゆっくりと作ってきた、だから実力そのものは目に見えて伸びてはいない。

負け惜しみなどを言う性格ではなかったので、大和はその言葉を素直に受け止めていた。


大和「そう…だね、僕のボールは今の君には見えるみたいだ」

降矢「当てるだけならできそうだ」


だが口にして言うとわずかながらも悔しかった。

それは大和の性格をこえた人間普遍の性だから仕方ない。


降矢「どうした?早く次、来いよ」

大和「…」


大和はゆっくりと振りかぶる。

第二球、右手が頭の後ろからゆっくりと前へ出てくる。

スライダー。







キィィンッ!!!!!!!










誰もが我が目を疑った。

甲子園でも、並み居る強打者をキリキリマイさせてきた大和のスライダーが。

どこの誰かもわからない片目の男に、ファールとは当てられたのだ。



『ざわ…』


にわかに部員たちが騒ぎ出した。

今までたかをくくって勝負を見ていた笠原も思わず立ち上がった。

―――なんだあのスイングは。

経験者から見れば無茶苦茶にしか見えない、腰を大きく捻った降矢独特の打法…サイクロン。

あんな滅茶苦茶なフォームで、あの大和のスライダーを曲りなりにも当てたのだ、しかもまったく足元がぐらつくことなしに。

プロですら通用すると言われているあのほぼ真横にすべるスライダーを。


望月「…な…」

南雲「まったく右打席と同じように振っとるぜよ…まったく、おんしゃたいした奴じゃのぉ」

植田「あのクソ野郎…」


何も成長しているのは自分だけではない、ということか。

しかし、形だけ見れば追い込んだ形となる。

ツーストライク。




降矢「あの頃の俺だと思うなよ」



フラッシュバックする光景。

畜生、と吐き捨てながらも全力で勝負してきた野獣がいた。

コールドで勝った試合なのに、何故か頭の中にはっきりと残っていた。

ヒント一つで思い出すことができた、あの九番。

いったい、この二ヶ月間の間に何があったのだ、とそこまで考えて苦笑した。

なんのことはない、自分だって二ヶ月間で死に物狂いで白翼と黒牙を習得したじゃないか。

ゆっくりと、中空を待っていた視線が目の前の敵にフォーカスしていく。

いや、相手がどうかは関係ない、自分の全力をもってして戦っていく。

それが桐生い―――。

そこまで思って首を振った。

それが、大和辰巳の戦い方だ。




黒い翼が大和の背中から生え、天へと上っていく。

ムービング、黒牙。

打者の手前で動く、『変化するストレート』




大和「―――ヒュッ」


短い息を吐いて、右腕が力強くしなる。


降矢「なめんなよ」









キィィイインッ!!!!!!!!!



『!!!!!』

植田「う!」

布袋「げ!!」

望月「ミートしやがった!!」

威武「ボール、飛んだ!!」

南雲「…!」

牧「馬鹿な…!!」







ボールは大和の横を抜けて、大地を蹴って奥のほうへと転がっていった。

形だけ見れば大和の完全なる敗北だった。



笠原「くだらん」


笠原はどかり、と腰をベンチに沈めた。

額の汗が示すとおり、一瞬ひやりとしたものの、その顔には余裕が戻っていた。

何故なら降矢のボールが勢いよく通過したその場所は、先ほどまでシートノックが行われていた内野手の痕跡が色濃く残っていたから。

つまり、ショートの妻夫木が残したスパイクの跡が無数に残っていたその場所をボールは転がっていったのだ。

そう、平凡なショートゴロ。



植田「な、なんだ驚かせやがって」

妻夫木「まぁ、当てただけでもすごいんじゃねーの?」

烏丸「確かに、ほめてやっても、いいかも、ね」


口々に桐生院の部員に余裕が戻ってくる。

それでも打席の降矢はニヤニヤと笑っていた。

それに大和は底知れぬ恐怖を覚えた。



降矢「顔を立てておいてやったぜ」

大和「…あの一瞬、待ったのかい?」

降矢「よくわかったな」


大和は投げ終わったあともなるべくバッターを観察できるよう顔を残すクセを身につけている。

だから、あの一瞬、降矢がバットにボールを当てる瞬間わずかに力を抜いたのが見えた。

普通に振り切っていれば引っ張った形…そう、セカンドの方向へボールが飛ぶタイミングでボールに当たったのに。


大和「わざとショートに打ったのかい?」

降矢「…いや、それは俺にもわかんねーよ。もしかしたら普通に打っててもファーストゴロだったかもしれねーしな」


降矢は悪びれもなく笑った。

すでに静けさはどこかに去り、荒々しさと棘棘しさが戻っていた。


大和「…僕としては、手を抜かれたみたいで少し残念だけどな」


全力で勝負した、負けていれば今頃自分の精神状態がどうなっていたかわからないからこそ言えたことであるが。


降矢「俺が勝ってたら今頃帰れてねーよ」

大和「…?僕に勝つのが目的だったんじゃなかったのかい?」

降矢「違ぇーよ。テメーを勝ち逃げさせたくなかっただけだ」

大和「…勝ち逃げ?」

降矢「将星の降矢」


降矢ははっきりと言った。



降矢「覚えたか?それが俺の名前だ」



思い出した。

将星高校…青い縦じまのユニフォームを着ていた目の前の男とは、確かに対戦した記憶が頭の中に残っている。



大和「将星高校の…降矢君」

降矢「次は全力で戦わせてもらう…プロだかなんだかしらねーが。俺にはそんなもん関係ねーから」


それでいい。

大和がどこまでも素直な態度だったから。


降矢「後、手を抜いたんじゃねーよ」


だから、降矢も少しだけ真実を語る気になった。


降矢「ボールがよ、バットの手前で変化したんだ。だからゴロになった。…っていうか、ちょっと驚いてよ、動きが止まったのが証拠だ。またもや俺の完敗ってところだな」

大和「…!」

降矢「…らしくねーか。わざと手を抜いたってことにしといてくれや」



降矢はおとなしくバッターボックスに戻ってバットケースにバットを入れなおした。

自分が勝ったはずなのに、なんだか勝った気がしない。

それでも、モヤモヤとしたような苦い感覚は、大和の中にはなかった。

むしろどこか晴れ晴れしい感覚だった。

初めて大和辰巳という男と対戦したからであろうか。






静かに校門へと帰っていく降矢の顔も、対戦してマウンド上から帰っていく降矢を見つめる大和の顔も、晴れ晴れしかったので、誰も降矢を止めるものはいなかった。


降矢「よう、チビ」

望月「…なんだ金髪」

降矢「大和と対戦できるまでに、まずはテメーをぶっ潰す」

望月「やってみな」

植田「テメー…桐生院には俺もいるんだぜ」

降矢「ふん」


鼻で笑うと、降矢は校門へと消えていった。


植田「相変わらず虫唾が走る野郎だ」

望月「殴りかかっていかなかっただけお前をほめてやる」

植田「…その腕折ってやろうか?」

望月「望むところだ」

南雲「ケンカはやめれっちゃ」


南雲は苦笑しつつため息をついた。

将星、か…地区予選は成川に負けたとはいえ、立派に二位で通過してきたチームだ、無名だとはいえ、あなどれはしない。

いずれ甲子園に向けた最後の壁になるかもしれない。






笠原「何をぼさっとしてる、練習を再開するぞ!大和も遊びが終わったならとっとと戻って来い、まったく全力で投げるなどと、肩を壊したらどうするんだ…まったく…」




笠原の愚痴と共に桐生院のグラウンドに大きな声が響き渡った。





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