238来訪
インフルエンザでの学級閉鎖も終わり、桐生院にはいつもの日常が終わっていた。
放課後、秋の夕焼けがグラウンドを照らす。
読売ジャイアンツ、阪神タイガース、蒲公英カイザーズ、頑張パワフルズ、猫手キャットハンズ、オリックスブルーウェーブ、千葉ロッテ、日本ハム、ダイエーホークス。
今年のドラフトで、大和は異例の九球団指名を受けていた。
その後、ニヤリと含み笑いを浮かべたくじ引きを引き当てた老将川澄監督により、頑張パワフルズへと入団が決定していた大和も、グラウンドの端に設置されたベンチからその練習をぼやっと見つめていた。
頑張パワフルズは今のプロ野球が十二球団から十四球団へと変更された時にできた球団である。
昭和から平成の終わりにかけては黄金時代を迎えたらしいが、現在はそのときのメンバーもピークをすぎ、人気も実力も下降を迎えていた。
おそらく今の大和なら入団してすぐに先発ローテーションに加えられてもおかしくはないだろう、それだけパワフルズの投手陣は切迫しており、大和の実力は高かった。
しかし大和はそんなことを気にする人間ではない、拙い自分の実力で野球をやらせてもらえるなら、とあくまでも謙虚な姿勢である。
主体性がないと言えば短所になるのだが、どこまでいっても投手らしくない性格だった。
笠原「なんだ、間の抜けた顔をして」
大和「監督…?」
笠原「暇なのなら球団側に挨拶したりプロの練習でも見てくればいい。春季キャンプに向けて自主練習してもいいだろう」
大和「あはは、それもそうなんですが」
一介の高校生から、プロになる、という実感が未だに沸かなかった。
来年になればすぐに気持ちの切り替えもつくのだろうが、未だになんの変哲も無く授業を受けている感覚に慣れない。
周りは大学進学に向け最後の追い込みだというのに、自分だけがぼんやりと教師の言うことを聞いていた。
笠原「しかしまぁ、堂島には悪いが、綺麗にまとまったな」
大和「……言い方は良くないですが、確かに」
以前の一軍レギュラーだった人間は、あの試合が嘘のように実力がガタガタになっていた。
しかし、練習量や精神的な強さは以前よりも増していた、この分だと後半年鍛えれば、かなりモノになるかもしれない。
特に、烏丸と神緒に関しては元々センスはあったのだ、すぐにでも一軍にあがってくるだろう。
南雲もキャプテンとして、少々頼りない部分はあるものの、うまくまとめている、即席にしては元々こうなるようになっていたかのような錯覚を覚えていた。
笠原「県大会はなんとかなるだろう」
堂島の抜けたキャッチャーの穴は、三上ではまだ物足りない。
しかし元々実力のある捕手も二年生には数多くいる。
投手も望月が駄目でも植田や高井を中心に組んで何とか勝ち抜いていかなければならない。
悪い戦力では、ないと思う。
大和「…?」
笠原「どうした大和」
大和「いえ、何か騒がしくありませんか?」
気づけば、グラウンド方に人だかりができている。
野球部のユニフォームを来た人間も何人かいる、しかしその流れを止めることはできていない。
その人だかりの方から、一人の部員が大和目掛けて走ってきた。
「た、大変です大和さん!」
大和「ど、どうしたんだい?」
「う、討ち入りです!」
なんて時代錯誤な。
笠原はいまだはてなマークを頭に浮かべたまま、大和はきょとんとした顔で、しかし部員の方の顔はあくまでも本気だった。
やがてその人だかりが練習中である野球部のところにまで近づいてくる、その中心にいるのはどうやら長身の男らしい、随分とガタイが良かったのですぐに目に付いた。
金髪を逆立てたような髪型に、左目を覆うように額に包帯を巻き、背中にバットケースを担いでいる。
特筆すべきはその雰囲気の異常さだった。
藤堂に似た鋭い空気を身にまとっているが、それよりも粗暴で荒々しい。
大和は目を細めた。
他の部員はその男を止めようとしていたが、あまりにも男が堂々と歩いてくるので逆にどうすればいいかわからない状態になってしまい、また放課後の珍騒動に外野のギャラリーも集まってきていた。
ここ最近のイベント続きで名門野球部という近づき難いオーラは、桐生院から綺麗さっぱり消えうせていた。
ついに部員も諦めたのか、大和の方に向かってその男を先導していた。
さらに目を細めて男を見つめる。
…見たことがある。
大和の直感がそう告げた、この長身の男、どこかで見たことがある。
大和「…君は」
降矢「探したぜ」
バットケースをその場に投げ捨てて、金色に輝くバットを取り出した。
降矢「もうお前と勝負する機会は無いそうでな。リベンジしにきた」
事も無げにいうその隻眼の男はバットを大和につきつけた。
傍らの笠原は無表情でそのやり取りを見守っていた。
大和は、ベンチからゆっくりと立ち上がる。
大和「リベンジ…?」
降矢「夏やられたんでな、テメーは覚えてねーかもしれねーけどよ」
夏。
そういえば。
決勝の東創家を除いて圧倒的に勝ち進んできた予選大会。
前もって大和の評価は広まっていたのか、どのチームも半ば諦めたように試合を挑んできた。
打者はバットを短く持って当てることに意識をおいて勝負してきた。
だから、余計に印象に残っていたのかもしれない。
あくまでもフルスイングの一発狙いでとんでもないスイングをしてきた打者がたった一人だけいた。
その男がおよそ高校生らしくない風貌だったことも、大和が思い出すには十分なヒントとなりえた。
南雲「おお!おまんは降矢君!」
大和と降矢が同時に声のする方を振り向くと、相変わらず前髪が長い桐生院の新キャプテンが立っていた。
降矢「テメーは、あん時の」
南雲「成川の森田に顔面デッドボールを食らったと聞いとったが、随分な怪我になっちゃるのぉ」
降矢「失明一歩手前だそうだ、完全治癒は絶望だとよ」
南雲「…ほうか」
南雲の声のトーンが落ちた、が表情はやさしいものだった。
南雲「それでも、野球続けとったか」
降矢「テメーこそよく俺のことなんか覚えてたな」
南雲「そりゃーまぁ、あんなスイング見せられたらただものじゃないとは思うぜよ、のぉ大和さん」
大和「…君は、確かあの夏の時の…」
降矢は、む、と顔をしかめた。
予想以上に知名度は高いらしい。
大和「南雲君、知り合いなのかい?」
南雲「夏休みのちょっと前ぐらい、気分転換に海のほうに行った事があってのう、その時に素振りをしてるところ見まして。そしたらあの試合で馬鹿みたいに大降りしとった奴だと」
南雲はからから、と笑う。
―――わしか?わしは南雲要、いうもんやか。最近ここらに来たばっかでのぅ―――
降矢がサイクロン打法を手に入れた要因の一人でもある。
あの試合、降矢も桐生院側のベンチに座っていた前髪の長い男の、異常なオーラに。
そして南雲自身も、名前も知らない弱小高校にあれだけ力強いスイングをする男がいるとは思わなかったから、印象に残っていた。
おまけに、将星といえば、最近真田が急に転校した場所でもある。
南雲「真田は元気にしとるか?」
降矢「さぁな、気に食わない野郎だってことは確かだ」
南雲「確かにおまんとは、合わなさそうじゃのぅ」
また笑う。
南雲の誰彼かまわずに気楽に接することができるところは望ましいところだろう。
降矢「それはともかく、大和。俺はアンタと勝負しにきたんだ」
大和「勝負…?」
降矢「あのクソヤローが、アンタはもう引退したって言うんでな。ならプロとやらに行く前に、最後の決着だ。負ければ大人しく引き下がってやる」
南雲「またおまんも滅茶苦茶な奴だのぅ」
降矢「あの頃の俺だと思うなよ」
笠原「降矢君と、言ったかね」
そこまで黙っていた笠原がようやく思い口を開いた。
降矢「…?なんだオッサン」
笠原「大和はすでにプロ入りが確定した身なんだ。変な事で怪我でもされてはかまわない」
笠原はゆっくりと立ち上がって、自分よりも背丈が高い男をにらみつけた。
笠原「お引取り願おう」
降矢「ああん?テメーには関係ないだろうが」
南雲「ぶわっはっはっは!その勇気だけは立派じゃの!」
妻夫木「それでもキャプテンかテメーは…」
牧「…監督、次の練習の支持は…?誰ですかこの粗暴そうな男は」
真金井「…騒がしいが、何の騒ぎだ」
威武「要、どうした?」
望月「…ああ!テメーは!!」
弓栄「見覚えが、ある」
次の練習指示が一向に来ないのが不思議に思ったのか、練習中の部員全員も騒ぎの元へと駆けつけてきた。
藤堂はいまだ入院中だが、望月はすでに学校に登校だけはしていた、怪我したのが右手ということで授業中は何かと苦戦していたが。
望月「金髪!!なんでテメーがここに!」
降矢「…あん?チビ…そういやぁ桐生院だからテメーがいてもおかしくはないか」
牧「望月君、知り合いかい?」
望月「そんな良いものじゃ決してないです」
植田「…貴様」
降矢「ん?あんときの三流ピッチャーじゃねぇか、元気にやってるか?」
植田「ぐ…!」
笠原は思わず驚いた。
名前も知らないような人物であるにもかかわらずよくよくうちの人間とは面識が多いらしい、もっとも笠原本人もどこかで見たような覚えはあるのだが。
大和「…リベンジ、か」
ぼそり、とつぶやいた。
プロに行く前に何かやり残したことがある、そんな気がいつもしていた。
それは甲子園で優勝できなかったことだろうか。
それとも…。
笠原「ともかく、帰ってくれないか降矢君、騒ぎを大きくしたくはないんだ。どこでスカウトの人や、記者が見ているかわからない。ここで大和が勝負を受けることはこちら側に関してはデメリットにしかならない。それに君もそんな有様ではまともに勝負などできないだろう?」
笠原は降矢のふさがれた方の左目を見つめた。
しかし降矢は笠原の方を一度も振り向くことなく、ひたすらに大和の顔をにらみ続けていた。
降矢「しらねーよ。俺は大和と勝負しに来たんだ」
笠原はため息をついた。
どうやら今年は厄年らしい、もうすぐ終わるからいいものの。
記者やスカウトが来る日でなかったのか救いだろうか、周りにもそんな雰囲気は感じられない、最悪の状態になっても大丈夫だろう、と思っていた。
そんな自分を笠原は不思議に思った、名門監督としてあれだけピリピリと選手を指導していたはずなのに。
笠原(…俺も変わったか)
あの一軍二軍戦以来、笠原の中でも変化がおきていた。
勝負や結果に対して過敏になりすぎるよりも、選手に伸び伸びとさせた方が少年達にとってはためになるのではないか、と。
プロになる、という夢を叶える云々は本人たちがかなえることで、周りが躍起になることではない、走りたいなら背中を押してあげればいいのだ。
堂島を見て、今まで笠原がそうであったことに深く反省したのは、確かな事実だ。
しかし選手を思いやるのも指導者としての役目だ。
笠原「…大和、お前の方からも断ってやれ。こういうタイプはあいまいに濁すと良い事が無いぞ」
大和「―――――わかった、その勝負受けるよ、降矢君」
『えええええええええええええええええ!?』
妻夫木「お、おいおい大和さん」
植田「どういうことですか!?」
望月「こ、こんな奴放っておけばいいんですよ!」
周りの動揺にも慌てることなく、大和はゆっくりと学ランの上着を脱ぎ、カッターシャツの袖をめくりあげた。
大和「植田君、グラブを借りてもいいかな?」
植田「…は、はぁ」
大和「ありがとう」
―――甲子園で優勝できなかったことは、きっと仕方が無かったこと。
仕方が無い。
仕方が無いことではあるけれど、今まで大和は『桐生院』の大和でしかなかった。
桐生院でもなんでもない本当の自分を、いつかどこかで外に出してみたかった。
…そして、一度でいいから、わがままを言ってみたかった。
それだけのことだ。
降矢「そう来ないとな」
ギャラリーが固唾を呑んで見守る中、大和辰巳の高校生活最後の真剣勝負が行われようとしていた。