237結末は影が飲み込む






















四路と呼ばれた少女は、こつん、と乾いた音を立ててにじみよってきた。

笑っている。

だが、酷く冷酷で乾いた笑みだった。


四路「どうするつもり?」

堂島「知れたこと…もう一度チームを組んで一軍にあがる。南雲たちを消すことはできなそうだが、結果さえ出せば」

四路「無駄よ」


少女は会いかわらず笑っている。

見た目は望月よりも小さく、幼い。

高校生というにもあどけない顔であった、女子中学生と言っても過言ではない容貌。

にしては、表情だけが、嘘のように大人びている。

完全に見下された目だった、自分よりも遥か低い少女に堂島は見下されていた。


四路「Dのデメリットを上手くカバーした良い作戦だったは思うけど」

一つ間を置いて。

四路「ひどい男ね」

堂島「何ぃ…」


こちらに歩いてきているはずなのに、何故か距離が変わっている気がしない。

常に四路がずっと向こうにいる感覚がする。


四路「あなたがDを埋め込んだ選手は、全部除去しておきました」

堂島「…な」


除去?

何を言って…。


四路「馬鹿ね、あなた。解毒効果がない毒薬を自分の体で試すと思っているの?」

堂島「病院に入院してるんだぞ!どうやって」

四路「何も知らないのね」


堂島の顔が青くなった。


堂島「繋がっているのか、まさか」

四路「紙ってね、表面をめくるとすぐ裏面が見えるの、ふふ」


まだ四路が近づいている感じがしない。


四路「いらないお金がたくさんかかったのよ、手術費用とかね。ごまかすのにも時間がかかったんだから…諦めなさい。もう桐生院にあなたの居場所はないわ」

堂島「……なら、桐生院を辞めるまでよ!」

四路「それで?どうするの?」

堂島「知れたことよ…上だって実験台は欲しいだろう?なら俺はモルモットを提供し続けるだけだ…高校は桐生院だけじゃない!」

四路「上、ね。おめでたいのね」

堂島「…どういう意味だ」

四路「まだわからないの?おかしいと思わない?」



四路はポケットからきれいに折りたたまれた四つ折りの用紙を取り出した。

堂島にはそれがひどく薄く見えた、かすむぐらいに。

四路はそれをゆっくりと広げていた。


四路「神高博士と繋がっていたとはね」


メールだ。

電子メールがプリントアウトされている。

堂島は血の気が引く音を聞いた。


四路「実験台と評してDのデータを、外部に漏らしていただなんてね。実験室の人はカンカンよ」

堂島「…ど」


どうして。

どこから手に入れたんだ。

あのパソコンは私以外触れることができないんだぞ。


四路「上も怒ってるわ、下された命令は。No.006の活動を永遠に停止する、と」

堂島「なぜだ!!!なぜその紙を持っている!!」

四路「興ざめ」


四路は、色っぽく息を吐いた。

すでに雰囲気も少女から艶やかな淑女のものへと変わっていた。


四路「似てたかしら?」

堂島「……ま、さ…か」

四路「皮肉な話よね、誰も裏切らないように周りを完全に固めたのに、土台が揺らぐなんて」

堂島「あの女…!!」

四路「信じたあなたが馬鹿だった。なんていうとあなたの信条にそぐわないかしら?」




―――ガッ!!!



堂島は、首根っこを押さえつけて少女を壁にたたきつけていた。

身長さのせいで、四路の足は完全に地面から離れていた。

それでも、まったく苦しそうなそぶりは見せなかった。


四路「…かはっ…ふふ…で…?それで、どうするの?」


むしろ余裕であった。

対照的に、堂島の顔面は怒りで赤くなっていた。

息が荒い、目も血走っていた。


堂島「はぁ…はぁ…!何故だ!!何故だ!!96号!!『工作員』にすぎないはずのお前が」

四路「やっぱり、あなたはおめでたいのね」

堂島「…何だと貴様ぁっ!」

四路「"ジャッジメント"、本当に私のこと中学生の女の子だと思った?裏の世界にも通じているくせに」

堂島「…ジャ……!」

四路「あなたに残された道は、”終わる”ことだ…くっ」


手に力を込めると、四路は気道がふさがれたので何もいえなくなった。

それでも目は見下していた。


堂島「貴様を人質にして、本部に殴りこむ」


四路の目は無駄ね、と言っている。

それが堂島の怒りにさらに拍車をかけ―――。











???「見苦しい」


トスンッ。


堂島は前のめりに力なく倒れていく。

その巨体の後ろから現れたのはこれまた長身痩躯の男だった、南雲と同じぐらいあるかもしれない。

黒いコートを着込んだ男が、堂島の頚動脈に手刀を当てていた。

ようやく解放された四路は二三回咳をすると、服の埃をはらった。


四路「間に合ったようね鋼」

鋼「あまり、無理をしないでください。まだ私たちは中学生ということになっているのですから」

四路「あら、あなたは本当にそうでしょう?来年は大東亜でがんばるつもりでしょうに」

鋼「…また、そんなことを…私が間に合わなかったらどうなっていたことか」

四路「あなたなら来てくれるでしょう?」

鋼「……はい」


黒いコートの男は居住まいを正して苦笑した。


四路「それにしても中学生離れした外見ね。大丈夫なの?」

鋼「いまどき中学生で体が完成している選手も多いですよ」

四路「ニューエイジだったあなたといい、彼といい、おおよそ年齢にそぐわないわね」

鋼「あなたもですよ、四路様」


くっく、と四路が笑う。

先ほどまでの奇妙な色気は消え、年齢相応の笑い方だった。


鋼「あまりここにいると問い詰められます。早く行きましょう」

四路「そうね」


鋼はいとも簡単に巨体の堂島を背負った。


四路「冥球島行きかな、和久井くんと同じ」

鋼「…消さないのですか?」

四路「命は大切にするものよ。それにせっかくそこそこ野球できるんだから」

鋼「四路様は人が良すぎます、本来No.224だって処分するはずだったのに、外界を実験上にするだなんて」

四路「…彼は…幸せになって欲しいもの」


鋼は少々複雑な笑みを浮かべた。

それは私見がすぎる。


鋼「妬けますね」

四路「本音かしら」

鋼「いえ、過ぎた言葉でした」

四路「ナナコの脱走もあるし、様子を見ましょう」

鋼「内部の様子は?」

四路「わからないわ、でも徐々にいくしかないわね、まだ時間がかかりそう」

鋼「一つ気になるのが…」

四路「何?」

鋼「副作用を解いた中で、一人だけ意識不明な選手がいましたが…」

四路「…」

鋼「目は覚めたようですが…」

四路「人には、きっと人の道があるわ」




次の日、笠原監督の下へ一枚の退部届けが出された。

それ以来堂島が桐生院に顔を出すことは無かった、どうやら親の都合で急に転校したらしい。

疑問に思わなくも無かったが、あれだけのことをしでかしただけに、ここにはとてもいれなくなったのかもしれない、と笠原は思った。

しかし、気になる点が一つだけ。

秋沢もまた、桐生院に退部届けを出して去っていった。

行き先はわからない。








夕焼けに包まれていた。

市民病院の前は小さな広場になっており、患者達や見舞い人たちの憩いの場にもなっている。

いつまで立っても帰ってこない同室の先輩を探してくるように看護婦に言われたのだ。

赤が世界を包み込む中。

果たして、その男は高台から街を見下ろしていた。

この病院は山の上に配置されており、自然と風景の良い場所もいくつかある。

背中だけでは感情を読むことは、望月にはできなかったが、言われた仕事だけは果たさねばならない。


望月「…藤堂先輩、夕食の時間ですよ」

藤堂「…」


髪の毛をいつものようにオールバックにした男の背中からは、試合の時のようなオーラがあふれ出していた。

常にこの人は研ぎ澄ましているのだろうか。

藤堂は、右肩にヒビが入っていたらしい。

今もギプスをはめて、患部を固定している。

全治には最悪二ヶ月かかると言われていて、秋季県大会予選に間に合うかどうかは微妙、というより絶望的だった。


藤堂「…同情はするなよ」


振り向いたその顔に悲壮感はなかった。

ただ鋭く切っ先を見据えている。


望月「そんな」

藤堂「じゃあそんな顔をするな」


ぴしゃり、と言い放たれる。

言葉遣いだけは怪我していようといまいと厳しかった。


藤堂「同室にいてもお前は俺より怪我が軽いから申し訳ないと思っているのかしらんが、そんな同情はいらん」

望月「…」

藤堂「早く治してグラウンドに行け。それに俺は、後悔はしていない」

望月「後悔?」

藤堂「あのボール、避けようと思えば避けれた」


秋沢が九回に放った、藤堂からのピッチャー強襲のヒット。

あの球、実は避けようと思えば避けることはできた。

現実に『if』はないが、いやに冷静に『体でボールを止めに行ったこと』を覚えていた。


望月「どうして」

藤堂「執念が、恐怖を乗り越えたなら、それは恥じることじゃない」

望月「…」


ごくり、とつばを飲み込んだ。

こんな大怪我を追うリスクよりも、目の前の勝負を優先した。

南雲とは違うが藤堂もまた、勝負師であった。



藤堂「くだらない話だったな、忘れろ」

望月は、いえと小さく首を振った。


望月「忘れません」

藤堂「…好きにすればいい」


土壇場で出る本性こそが、人の本質だとしたら、おそらく望月は到底この男にはかなわないだろう。

すでに世界は赤から青に変わっていた。









これで、桐生院の敗北から始まった一連の騒動は幕を閉じる。

…が、桐生院の秋の試合前の話にはもう一つだけ、事件があった。








数日後。


三上「…あれ、なんですかね?」

烏丸「…?」


桐生院の校門前で、誰かがもめてるのを見て、三上と烏丸は様子を見に行った。

わだかまり、というものは決着さえつけばすっきり治るもので、おそらく堂島のDが負の気持ちをも増幅させていたのだろう。

堂島の消失は誰もが動揺を隠せず、未だに選手たちの心にはもやもやが残っていた。

それでも、元堂島組は、藤堂を除いてそれなりに友好な関係に戻っていた。

元々は同じチームであり、心の底には罪悪感もあったのだろう。

植田の肩含め、一週間の入院だけですでにDの異常からは回復していた。

四路の処置が早かったからだろう。

結局は南雲の「からから」笑いに心をほだされた結果となった。

当然些細な諍いは無いことも無いが。




三上「上杉君だ」


三上は烏丸の制止も聞かず、校門前まで走っていく。

そこには、大柄な男が上杉を払いのけてずんずんと校内に侵入してきた。


上杉「ひ、ひぃい」

三上「ちょ、ちょっと何のようですか」



かなり異様な風景だ。

逆光で顔は見えなかったが、片目に包帯を巻いている。

不気味なのがバットケースを背負っていることだ、もしかして殴りこみだろうか。

名門校なので規制には厳しく、基本的に粗暴な学生はいないのだが、中にはアウトローもいたりする。

その人目当てなのだろうか。



烏丸「君、玄関を通ればいいと言うものではないですよ?見たところここの学生という訳でもなさそうですが」


大柄な男は、目つきの悪い眼球をぎょろりと動かした。






降矢「将星の降矢だ、大和を出せ」






top next

inserted by FC2 system