235一軍戦32ラストダンス






















すべてが収束に向かおうとしている。

堂島の背中は汗で完全にユニフォームが張り付いている。

抗わなければならない、このまま終わる訳にはいかない。

しかし、風も、冷気も、舞い立つグラウンドの砂でさえも、すべてが終わり

に向かっている。

足の底から、そんないやな予感がした。


堂島「…?」


思わず目をこすった。

目の前の男から、白い煙のようなものが出ている。

錯覚だ、錯覚に違いない。

南雲は最早、マウンドの植田しか見据えていなかった。


南雲「…来い」

植田「…」


植田も、南雲の目を見据えていた。

四肢が副作用で悲鳴をあげる中、意識だけがなぜかはっきりしていた。

左目がぐいぐいと、限界を突き破って広がっている気がする。

右肩には、痛みと共にこれまで体験したことのない力が宿っている。


堂島(…ふざけるなよ、植田。貴様らはどこまでも俺の手足にすぎない)


堂島が出したサイン、は。

スライダー。


植田「…」

無言で、頷きも首を振ろうともせずにセットポジションから、ゆっくりと左

足を前にもっていく。

ボールは、投げ出された直後から曲が……らない!


堂島「…植田ぁあっ!!!」





―――ヒュァウンッ。



しかし、ボールは今までにないぐらい伸びてきた。

すでにキャッチャーの堂島ですらも途中から完全に軌道を見失ってしまった



今までの微塵の非ではない、誰もが見えないストレートに驚愕した。

――南雲以外。

南雲「…しっ」





ギィンッ!!!!!!!!




『ファ、ファール!!』


ボールは南雲の足元にゆっくりと転がった。

当てた。



『うおおおおおおおおおおお!!』

『や、やっぱ南雲すげえぞ!!あのストレート当てやがった!!』


南雲は無表情だった。

集中が彼のすべてを支配している、闇に浮かぶ白い球以外はもう何も目に入

っていない。

そこまで来て植田は気づいた。

いつも南雲の両目を隠している長い前髪が、今ないことに。

左右にわけたのか、後ろでまとめてヘルメットをかぶったのか。

普段は目にすることのない、彼の素顔と向き合っている。

予想以上に鋭い目だった、ともすれば藤堂よりも見るものを恐怖させる目つ

きであるかもしれない。

眼球は猫の目のように黒目が縦になっており、充血のせいで赤く見える。

巻き上がってくる威圧感だけで気圧されそうになる。

しかしマウンドを降りるわけにもいかない。

呼吸が荒くなっている。

相当、体の内部の体温が熱いのか、吐き出す息が白い。

自分とそれをつつむ世界のすべてが今植田には正確に認知されていた。






















堂島「植田、マウンドを降りろ」


しかし、植田の近くにまで寄ってきた堂島に気づくことはなかった。

植田の右肩にぽん、と優しく手をおく。

堂島の顔は笑っている、というよりも微笑んでいた。


植田「…?」

堂島「ピッチャー交代だ」






『は…?』

『はぁああああああああ?』

『おいおいおいどういうことだよ堂島ぁ!!』

『ここまで盛り上げておいてそれはないんじゃないの!?』


大和「…無粋だね」

宗「あいつも才能ないな」


周りからのブーイング。

それでも、堂島は微笑み続けている。

植田はまだその微笑の理由を探りかねた。



堂島「逆らうなよ。トップに従えない人間は、いらないんだ」

植田「え…」


やはり、この男はこういう人間なのだ。

頭の奥の鈍痛が悲鳴をあげる。





笠原「キャッチャー交代だ」



堂島が振り返ると、見覚えのある顔があった。

光の加減で、いつもより少し皺がこく見える。

もう灰色に近くなった髭で口元は見えないが、帽子の下から覗く目はかつて

の鋭さを取り戻していた。


植田「!?」

堂島「…?」

大和「か…」

宗「監督!?」

灰谷「お、おいおい、自らかよ」


黒に黄色い字で桐生院のロゴが入ったブルゾンのポケットに手をつっこんで

いる。

何かつぶやくように植田の元へ歩いていき、肩に手を置いた。


笠原「続投だ」

植田「…っ、監督」

笠原「ここまで来たら最後まで自分の好きな球を放れ」

堂島「監督っ!どういうことですか!この試合は私に任せると」

笠原「監督命令、ということじゃ駄目か堂島」


ギラリ、と射抜かれる。

堂島も思わず動きが止まった。

虫の足をもいでいくように少しづつこの老将を弱めていったが、やはりとど

めをさしておいたほうがよかったか。


笠原「使い古された言葉かもしれんがな。お前はまだ若い堂島」

堂島「何を」

笠原「感情に流されて、選手の力も引き出せないようではキャッチャーとし

ても指導者としても失格だ」


堂島は言葉につまった。

初めて。

そう、初めてだった。

自分が桐生院のトップに立ってから、上からものをはっきり言われたのは。

二軍の選手の言葉など、聞く価値もないと流していた。

一軍の選手で自分に意見するものなどいなかった。

そういう風に作り上げてきた。

しかし、やはりこの笠原監督が最後の最後に立ちふさがった。


笠原「江島、マスクかぶれ。キャッチャー交代だ」

堂島「なっ!私は交代する気などありませんぞ!!」

笠原「それこそお前が嫌いな、逆らうこと、わがままなんじゃないのか?」

堂島「違う!!私が交代してどうやってこの一軍を従えるのか」

笠原「わからんか堂島」

堂島「何がだ!」

笠原「今この瞬間だけは、植田と南雲の勝負だ。この勝負が終わればお前が

指揮でも何でもとればいい」

堂島「ふざけるなっ!!」


笠原「ふざけているのはお前だ堂島!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

!」



強風が堂島の横を駆け抜けた気がした。

低い声が、威圧となって人の心を吹き飛ばす。



笠原「下がれ。水を差すなこれ以上」

堂島「しかし!」


ガッ!

醜くも引き下がろうとする堂島の右手はが、つかまれた。


大和「そこまでにしておきなよ」

堂島「大和…!」

宗「おいおい、先輩にも呼び捨てかよ」

神野「本性出てきたんじゃないか?」

堂島「離せぇっ!!!!!」

大和「離さないよ」


その細身からは信じられないくらいの怪力だった。


宗「あれだけ偉そうに言っといて一番けじめがつかないんだなテメェは」

神野「少々買いかぶっていたみたいだ」

灰谷「追い詰められると、人間本性が出るっつー話だが、本当だとはな」


牧「ぐ…堂島様に何をする!!」

国分「乱暴はやめろ!」

妻夫木「おいおい、部外者が口出すのは反則なんじゃねーの?」






笠原「下がれぃっ!!!!!!!!!!」


一喝。

誰もが動きを止めた。


笠原「たかがワンアウトじゃないか。黙って見てやれよ」


すでに笠原はベンチに向けて歩いていっていた。

その背中は、あまりにも大きく、そして多くを語っていた。

誰もが無言のままばらばらと散り始める。

堂島だけがまだ小声でぶつぶつ何かつぶやいていたが、力なく大和と宗に引

きずられていった。


『なんだ…』

『あれだけえらそうにしてたのにな…』

『堂島、格好悪くねぇか?』



笠原「南雲、邪魔はもうない。好きにしろ」

南雲「…」

笠原「聞こえてない、か。恐ろしい男だ」










プレイ、のかけ声。

植田はもう何も考えていなかった。

この瞬間だけは、今目の前のことに集中していた。

不安も期待なにもない。

あるのは、ただボールを投げるということ。







――――っ!!



声にならない声。

夜を駆ける右腕。

植田のラストダンス。

















まるで斬られたかのように、ゆっくりとひざをつく。

行方などどうでもよかった。

ただ一塁ランナーの妻夫木がホームに帰ってくるのを見た瞬間に。








ふっ、と意識が遠くなるのを感じた。















十一回裏、一軍9-10×二軍









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