234一軍戦31相対効果
妻夫木「さて、そろそろ決めてやろうぜ」
背後にいる南雲に、目線だけ向ける。
妻夫木「腹も減ったことだし、な」
見上げた先には、漆黒の空。
時間もおしてきている、まもなく七時だ。
ユニフォームは柄にもなく汚れきっている、認めたくはないが神経もすり減らしてきたせいか、体中に倦怠感がある。
一軍の奴はどうか知らないが…。
二軍のベンチの面々を見回す。
妻夫木(そりゃ、六時間近くも戦ってれば、ねぇ)
皆、やはり疲労の色は隠し切れない。
特に望月と藤堂にいたっては、顔色も悪くなってきている。
それなのに、目だけがギラギラと燃えるように光っている。
不気味なことこの上ない。
南雲「妻夫木」
妻夫木「なに?」
南雲「とどめをさすことが、恐らく、一軍の全員にとっての救いになるはずぜよ」
妻夫木「…ま、別に俺はそういうのはどうでもいいんだけど」
あくまでもマイペースに。
自分の感じるように、動く。
それが妻夫木という男。
妻夫木「まぁ、このままじゃ精神衛生上で良くない」
不気味さに耐えながら野球したくないしね。
マウンド上は、依然として一軍のエースが立ち続けている。
が、ずいぶん様子が変わってきた。
妻夫木「そろそろ、お疲れなんじゃ、ねーの?」
植田「…」
サイボーグかと思われたほどの男が肩で息をしている。
同点に追いつかれたのがそんなにショックだったのかね、と妻夫木は思ったが、真実は植田が堂島への不信感をあらわにしてきたからだ。
負ければ、精神不安定によって体に影響を与える。
別に敗北なんてなくても、精神が不安定にさえなれば。
バシィッ!!!
ボール!!
妻夫木(ふーん…ストレートの威力もだいぶ落ちてきたな)
堂島「ぐぅ…」
歯がゆい。
どうしてしまったというのだ。
なぜ思うように動かない。
だが、堂島がいらだてばいらだつほど、植田に不信感を抱けば抱くほど。
植田もまた、堂島に不信感を抱いてしまう。
不信感は、精神不安定とイコールでつながる。
パシィッ!!
『ボール、ツー!』
妻夫木「どしたい、植田。変化球まで威力なくなってるぜ」
植田「ちぃっ…」
堂島「しっかりせんか植田ぁっ!!!」
妻夫木「お前もついてないねぇ、植田君よ。俺が君なら、今この瞬間このハゲに対して逆ギレしてるぜ?」
植田「そんな…馬鹿なことはしない」
しかし、先ほどよりもボールを握る力は強くなっている。
―――そんなに言うなら、自分が投げればいいじゃないか。
声にもならない声、がどこか奥底から聞こえた。
ゆっくりと、足をあげ、第三球。
妻夫木「挙句の果てに失投かい、見てらんない、ね」
ボールは、ほぼど真ん中。
変化球がすっぽ抜けたのか、打ちごろのスピード。
妻夫木はそれを見逃すほど甘い男ではない。
ッキィイインッ!!!!!!!
植田「くっ!」
闇を切り裂く、金切り音。
けたたましいほど大きい金属音、とざわめくギャラリーの声。
しかし…。
妻夫木「…ちぃっ!!」
妻夫木は舌打ちした。
強打ではあるものの、ファースト牧の真正面へと、ボールは飛んでいく。
運の悪い。
ここにきてヒットを一本損するということは、三本分は損する。
南雲に回して早く決めないと、集中力が切れて疲労が出てくれば層の薄い二軍メンバーの方が絶対的に不利だ。
向こうにはまだ後ろがいる。
もともと一軍だったメンツも、ベンチだった人間も含め、今の植田よりも優れた投手は多い。
妻夫木「え?」
多少、声が乾いていたのは、全力疾走で疲れたからか。
いや、それと足して『驚き』
牧の目の前をボールは通過して行った。
それは、いわゆる。
トンネル。
『オオオオッ!!!』
『先頭打者出たぞっ!!』
『あの名手牧がエラーしただと!?』
堂島は我が目を疑った。
いや、一軍のメンバーの誰もが、その光景を信じることができなかった。
ファーストの妻夫木でさえも。
牧「…?」
目を軽くこする。
なんだ、これは。
視界が極端に薄暗い。
堂島「何を…何をやっているのだっ!!」
バキィッ!!!!
気がついたら、吹き飛んでいた。
右頬に残る、熱い痛み。
殴られた?誰に?
薄暗くてよく見えなかったが、声は、堂島のものだった。
牧「え…?」
ユニフォームの首根っこをつかみあげられる。
堂島「何をしているんだ!ふざけているのか牧っ!!」
牧「??ふ、ふざけては、いません…ぐっ」
堂島「何をくだらない失策を…使えん……クズがっ!」
そのまま、グラウンドに投げ捨てる。
なすがままに倒れた牧は俯いたまま何も言うことはなかった。
牧「…」
妻夫木「クズはテメーだよ堂島」
バッティンググローブははずして、ポケットの中に突っ込んである。
照明が照らした妻夫木の表情は、珍しく怒っているものだった。
妻夫木「見てらんねー、っての。お前、うざいぜ?今、相当」
堂島「部外者は口出ししないでくれ」
妻夫木「部外者…?お前桐生院じゃねーの?」
堂島「うるさいっ!!!!!!!」
最早、そこに理性など一欠けらも残っていなかった。
気に入らないから怒る、子供だ、まるで子供。
妻夫木は呆れ返った。
堂島「貴様に何がわかるっ!!こんなところで、こんなところで躓いてしまえば私はどうなるんだ!!!上手く立ち回った、誰よりも賢い私は、自らの手を汚すことなくここまで来たんだぞ!!!こんなところで躓いてしまえば、四路が私を消すいい口実ができてしまう!!いや、そんなことはどうでもいい、私に埃は似合わんのだ!!誰よりも聡明で、綺麗なままで、思い通りにならなければならないのだ、この世界はっ!!」
独裁者とは。
いろいろなタイプがいる、力を得るうちに自分の力に酔ってしまうもの、自らの正義を信じてやまないもの、欲に目がくらんでしまったもの。
だが、堂島という男は。
すべてを自らの思い通りに動かしたかったから、力を持とうとした。
妻夫木「知らねーよ、そんなの。俺が言いたいのは、もうちょっと回りを見ろってこった」
妻夫木はもうお前と話すことは無いといわんばかりにヘルメットをかぶりなおした。
大体、妻夫木には悪いがそんな説得が通用するはずもない、周りを見れないからこそ、この人間は堂島という独裁者になったのだから。
十一回裏、一軍9-9二軍。
無死、一塁。
夜の訪れと共に、ひっそりとショーを終えるカーテンは降り始めた。
異変。
牧はもうほとんど視力を失っていた、国分は足が震えだしていた。
烏丸も両腕が痺れている、植田にいたっては最早過呼吸で酸欠寸前だった。
堂島の額には、幾筋もの血管が浮き出ていた。
なぜだ、どうして貴様らは恩を仇で返そうとするんだ。
堂島を一番崇拝しているのは、本当は堂島自身だった。
だから、自分の間違いにどうしても気づけない。
Dを与えた時点で、週末へのシナリオは進んでしまっていたのだ。
???「…ま、期待してなかった割には、がんばった方ね。ドミナントの欠点も明らかになったし」
ぎゅ、っと小さい少年が女性の手を握る。
???「どうしたの龍?」
龍「ママ、早くおうち返りたい…」
???「…そうね、もう寒くなってきたし。…いい、龍?あんな人間には間違ってもなっちゃ駄目よ」
龍「…あの黒い人?」
???「そう、周りのことを考えずに自らの野望を貫く生き方は間違ってはいないわ。でもだからといって、周りが見えなくなっては駄目。あの男は短気すぎる…ドミナントの報告だけは助かったけど。それだけ」
熱気溢れるギャラリーの後ろから、温度も風貌も異常なほど浮いている女性が試合を眺めていた。
紫色のウェーブヘアー、化粧は濃く、中年とまではいかないが大人の妖艶な美しさをたたえている。
傍らには同じ髪の色をした、挑発を後ろでまとめた少年。
「神高様、迎えにあがりました」
女性の名前は、神高、と言うらしい。
執事らしきスーツを着込んだ老人がゆっくりと女性の下まで歩いてきていた。
神高「…プロジェクトKは、失敗ね」
「…」
神高「桐生院、かぁ。ネームに負けてるのよ、結局あの男も。くだらないわ、ドミナントを使って選手を再生するというアイデアは面白いけど。デメリットが多すぎる」
また、ぎゅっと少年が女性の服をつかんだ。
龍「……ママ、怖い」
神高「…あら、ごめんなさい龍」
「研究所の人も心配しています、なるべく外出は控えていただきたい」
神高「頭が固いのね。ダイジョーブは野放しらしいのに、私はこの有様よ。情けない話だと思わない?」
「皮肉ですか?」
神高「そんなところ」
堂島の野望はつまりそういうことだ。
桐生院のトップという立場を利用して、すべての選手を最強選手に作り上げる。
優れた選手は、和久井のようにとある場所に送る、ギャラリーを沸かせることができれば、堂島はさらに出世ができる。
いずれは、すべての頂点に立つ、そういうことだ。
仲介役を担っていたのが神高という女性である、この女性はプロペラ団とは関係はないのだが、やはり裏の野球界に通じていた。
堂島は、ニューエイジではない、しかしプロペラ団の一員のようなものである。
ようなものである、というのは堂島自身はプロペラ団の一員としての自覚がなかったからだ、高校生という立場でありながらも親が裏の人間であったために、自然と裏の世界に接する機会は増えた。
だからこそ、そのような方法で野望を叶えようとした。
しかし、裏野球界で活躍できる選手を作り上げたところでどう裏に送り込めばいいか、いわゆる仲介役がいなければ裏と表はつながらない。
それがプロペラ団であり、神高達である。
ギャンブルというものはいつの世界でもある、刺激に飽きれば人は新しい刺激を求める。
人が命をかけて試合することも。
堂島は、だから常にギリギリの線で生きていた。
裏と表の間にいる人間とはそんなものだ、失敗は許されない。
神高「そうそう…人をつける趣味はあまりよくないわよ、プロペラのお嬢さん」
???「…っ!」
学生の中に一人混じっていた男性生徒が振り向いた。
神高「香水を落とし忘れてるわ、男子校の男子学生が香水なんてめったにつけないわよ」
???「…不覚ね。神高さん」
神高「あら?知ってるの?」
???「一応は、これでも一応上の人間とつながる立場なので」
神高「草ではない、ってことね。お嬢さん」
四路「四路、四路智美ですよ、神高燐さん」
神高「あら?名乗っていいの?」
四路「むしろ、知っててもらった方が好都合かと思いまして。いずれ、あなたにも協力してもらうこともあるかもしれませんし」
神高「…あの男みたいになりたいの?」
四路「まさか…堂島…No.4は以前から危険視してましたから。何か理由をつけて処分する理由がほしかったんですけど、自滅、というところですかね」
神高「自滅…言いえて妙ね。まぁ、運命ではあったと思うけど」
四路「運命なんて信じてるんですか?」
神高「信じてるわよ?ロマンチックじゃない?」
四路「…科学者はロマンチストなんですかね、ダイジョーブ博士といい、あなたといい」
神高「現実と向き合ってると、夢をみたくなるのよ」
「神高様」
後ろの執事が少し声を荒げた。
どうやら急いでいるらしかった。
龍「ママ」
神高「ごめんなさいね四路さん、立ち話はまた今度にしましょう」
四路「そうね…ごめんねボク、お母さん待たしちゃって」
龍「…」
神高「それじゃあ…私はモラリストじゃないけれども。望月君や南雲君を見てると、どうも桐生院は裏に馴染みそうにないわ。これで良かったのかも」
四路「裏は裏で生きる人間の話です。それを表とつなげようとするから話がややこしくなる」
神高はそうね、と笑って闇に消えていった。
四路も、男装のためにかぶっていたカモフラージュのための学生帽を深くかぶりなおしてギャラリーに戻っていった。
単純に、物語の結末としてこの試合を見届けたい。
続く藤堂は怪我のために見逃し三振。
結末はやはり、この男にゆだねられたのか。
南雲「…監督?」
ネクストバッターズサークルを立ち上がった南雲の下に、笠原が歩み寄っていた。
笠原「馬鹿げた試合だとは思わないか?」
南雲「…はい」
笠原「しかし、興味深くもあった。名門名門と、勝利にこだわってしまえば、私も堂島のように身勝手な人間になっていたかも知れんな」
南雲「…」
笠原「誰かと誰かが協力して、それは見えなくても、貫けばいい。望月と藤堂は、私にとっても勉強になった」
南雲「監督」
笠原「お前の手で、あの哀れなエースに敗北を教えてやれ。…植田は、きっと、もっとお前の元でなら大きくなる。早く終わらせてやってくれ」
南雲の爪楊枝が天をさした。
十一回裏、一軍9-9二軍。
一死、一塁。
バッター、四番、南雲要。