233女子ソフト部戦17拮抗
真田「いいのか、相川」
無表情のまま真田は隣の相川に問うた。
今、冬馬に代打を送れば、もう将星には投手がいなくなるのだ。
当然その事は相川も百も承知だった…だが。
相川「いいさ、点が入らなければ元も子もないんだ」
すべてを降矢に託した。
四球でもなんでもいい、とにかく塁に出てくれ。
相川は指を組んで祈りを天にささげた。
雪澤「後、ワンナウト…か。君一年の降矢君だろ?惜しいなぁ、もーちょっと早く来てればなんとかなったかもしれないけど、もう99.9%ウチらの勝ちだってば」
ちっち、と人差し指を顔の前で振ってみせる…対する降矢の表情は厳しい、の一言だった。
降矢「うるっせーな」
一言で切り伏せる。
雪澤「…ん?」
降矢「ゴタクは勝負が終わってからでいいからよ、早く来いつってんだ…!」
その地から響くような低い声だけで、背後の村上は震え上がった。
先ほどの真田もこの将星というチームに似つかわしくない雰囲気ではあったが…この男もまた別の意味で将星の野球部員とまったく雰囲気が違う。
凄まじいほどの怒気が顔にガンガン当たっている気がする、混じりっ気無しの純粋なイライラが熱風のように吹き付けている。
馬鹿げてる話に聞こえるかもしれないが、ありえない話かもしれないが、降矢の雰囲気にバッテリーの二人はたった一言で怯えてしまった。
先ほどまで笑みがあった雪澤の顔からもすでにそれは消えている。
村上(こいつは…ヤバイ、なんかヤバイぜ怜)
雪澤(同感だね…あんまり関わりたくないタイプ)
先ほどまでの楽勝ムードはどこへやら、一転して女子ソフト部の守備陣には緊張が走った。
降矢の言葉が、空気が、場の空気そのものを飲み込んでいる。
片方の瞳だけが不気味に光っている。
降矢「一打席こっきりなんだ、あんまり無駄遣いしたくねー。早く着やがれ」
村上のサインに雪澤が頷く。
第一球…ストレート!!
降矢「……!」
―――ズドォッ!!
『ストライク、ワンッ!!』
まずは見送り…!
降矢の右目が、淡く緑色に光り始めているのに誰が気づいただろうか。
少しの間だけ発光して、すぐに収まった。
降矢(速いな、なるほど。苦戦するわけだ)
やはり初見では降矢といえども、ソフトボールの速度にはついてはいけなかった。
いや…目は、ついていっていた。
後は体の反応だ。
打席を外して二、三度スイングを行う。
腰の調子は悪くない…が、反応速度はやはり前よりは鈍い、起きぬけだとこんなもんか。
ぺっ、と唾を地面に吐き捨てて再び打席に向かう、やはりというかなんというかマナーは悪かった。
その様子を見て海部と関都は苛立つと同時に虫唾が走った、こういうマナーの悪い典型的な不良は二人とも大嫌いなのだ。
降矢「よっしゃ、二球目、二球目、ほれ来いよ」
相変わらず、どこから出てくるのかわからないその自信をたっぷりと見せ付けている。
右手でくいくい、と挑発するのも忘れない。
…が、雪澤もムキになるタイプではないので、それには乗らずに怖い怖い、と足場をならしながら心を落ち着けていた。
むしろそれよりも、後ろの二遊間の方が怖い。
海部「雪澤っ!!そんな奴に打たれるなよっ!!」
関都「そうだぜっ!!怜!!そんなクソ野郎に打たれてたまるかよっ!!」
雪澤「むしろ降矢君より後ろの二人が怖いってば」
降矢「ふーん……まだ結構余裕あんだな、お前。上等だ」
雪澤「いやー、そんな事ないよ。降矢君怖いんだもん」
嘘ではない、先ほどの一球目も投げ終わった瞬間に凄まじい気迫を打席から感じた。
ともすれば打たれる、という錯覚的な気分になってしまったほどだ。
証拠に口が軽い割りにまだ雪澤の顔から笑みは消えたままだ。
バシィッ!!!
二球目は外角に大きく外れるボール。
続く三球目、四球目も…これでカウント1-3。
海部「どうしたっ雪澤!!臆することなどないっ!」
関都「そうだぜっ!さっさとやっちまえ!」
雪澤(なんとも気楽だねぇ)
コントロールに自信がないのは自分でもわかっている…が、それだけじゃない。
ぶらぶら、と右手を振る。
雪澤(…駄目だ、びびっちゃってるよ)
はぁーあ、と息をついて天を見上げる。
今までもこういう体験がないわけではない、いわゆる投げると打たれそうって奴だ。
無意識的に体がストライクを投げるのを嫌がってる。
雪澤「でもまぁ、逃げてばっかりもいらんないよね」
ぱしっ、とボールをグラブに勢いよく入れる。
…と、雪澤が打席を見やると、降矢が右目をこすっていた。
相川「そりゃそうだ…片目じゃ遠近感が掴めるわけない」
御神楽「おまけにあれじゃ右目に負担がかかるのではないのかっ?」
冬馬「降矢…!」
別にごみがはいったのではないが、異常にまぶたが重い。
やはり連発はキツイというわけか…降矢は何度も右目を瞬かせた。
降矢(本当にあのアマが言った通り、一打席が限界だな)
すでに残された右目は充血し、真っ赤になっていた。
その異様な風景に、ソフト部は思わず息を呑む。
村上(とりあえず、なるべく低めに投げていく。長打だけは避けたい)
雪澤(おっけー)
1-3、から第五球。
低めに決まるストレート!!
バッテリーはよし、と思った。
いいコースだ、これなら打っても内野ゴロ…。
降矢「サイクロン」
―――ィィン。
音はそんなにしなかった、鋭い余韻だけがすべての人々の耳にわずかに残っていた。
ドス。
そしてボールは外野の後ろ、作られたフェンスの後ろに入った。
蘇我「…え?」
センター越えの弾丸ライナー、蘇我が気づくよりも早く打球は飛び去っていた。
村上「う…うそだろっ!!」
海部「馬鹿な…っ!!」
雪澤「…やられちゃった、かな」
―――同点、ホームラン。
来宮「な、なななんとっ!!いきなり代打で出てきたバッターがなんと同!点!ホームラーーーーン!!!!」
如月「う、うそぉ…こんなことってあるの?!」
森田「やっぱり化けもんだな奴は」
『ウ、ウオオオオオオオオオオオ!!!!』
『ま、まじっ!?信じられないって!?』
『やっぱあの金髪すごいんじゃん!!』
大歓声!
地面が揺れるほどの歓声がグラウンドに響き渡る。
あれだけ絶望的だった空気が一気に蘇った、同点…っ!!!
野球部のメンバーもベンチを立ち上がって喜びをわかちあう。
相川「うおおお!!降矢ーーー!!」
御神楽「ま、まさか初見で打つとはっ!!」
県「さっ、さすが降矢さん!!やっぱりすごいですっ!!」
西条「あのボケやっぱやりやがったかっ!!!ひょーーー!!」
原田「降矢さんはやっぱりすごいッス!!」
大場「ナイスバッティングとですぅーー!」
冬馬「……?」
…が、そのホームランを打ちはなった降矢は打席から一歩たりとも動いていなかった。
バットを竹刀のように前でかまえたまま、静止していた。
一塁に向かって走り出す様子は見られない。
降矢「おい、ちんちくりん!ちょっと…来い」
そして、いきなり冬馬を呼び出す。
いったいどうしたのかわからない冬馬はまた何かあったのか…と不安になって急いでバッターボックスまで歩いていった。
村上「お、おい、お前どうしたんだ?ホームランだぞ」
降矢「…?ああ、入ってたかやっぱり」
村上「入ってたか…ってお前」
冬馬「降矢っ、ど、どうしたの?」
降矢「悪いな、ちょっと手を貸してくれ」
しばらく降矢の右手は何かを探すようにふらふらとさまよった後、べたっ、と冬馬の肩に触れた。
冬馬「んなっ!?」
村上「???」
そのまま何かを探るように下へと伸びていき、ようやく冬馬の左手の手のひらへとたどり着く。
そして、そのままその手をぎゅっと上から握り締めた。
冬馬「ふ、ふふふ降矢っ!?どうしたの?」
降矢「…一塁に案内してくれ」
冬馬「…え?」
村上「お、おいお前もしかして目が…」
降矢「病み上がりにはちょっとな、目が疲れちまった」
そういってニヤリと笑う降矢の右目はしっかりと開いていた。
だがその目に光はさしてはいない。
冬馬「見えてないの?」
降矢「いや、見えてるぜ。俺がホームラン打ってビビってる奴らの顔はな」
冬馬「…うん…じゃ、ほら行くよ」
降矢「ちっ、情けねーところ見せちまったな」
冬馬「ううん、でも大丈夫?」
そのまま冬馬に手を引かれながらベースを一周する降矢。
その様子を歯噛みしながら海部は見つめていた。
ギャラリーはというと、冬馬きゅんのエスコートなんて許せん!!うらやましい!くたばれ金髪!かえれ不良!などというブーイングだらけである。
盛り上がってる割に、同点だというのに喜んでいるのはチームメイトだけという妙な空気の中、降矢はホームベースを踏んだ。
と、同時に冬馬をつかんでいた手を離した。
冬馬「あ…」
降矢「もう見える、手間かけたな」
同時に、チームメイトからの手荒い祝福を受ける。
相川「降矢!よくやった!!」
御神楽「しかし目は大丈夫なのか…?」
降矢「るせーよナルシスト、テメエのびびってるツラなら見えてるぜ」
御神楽「相変わらず減らず口だなっ!」
西条「こんボケぇ!来るのが遅ぇっつー話やねん!いつ目ぇ覚めたんや?」
降矢「今朝…かな。まぁいろいろあってな」
西条「今朝てお前…連絡ぐらいいれろや」
降矢「そこまでするような仲じゃねーだろ?」
西条「…はっは、まぁ確かにな!」
なんにせよ、ついに同点に追いついたのだ!
雨宮は上唇をかんでいた。
雨宮(……雪澤が初見でホームランを打たれるとは……悪い偶然は重なるものだな…)
苛立つと爪を噛んでしまう。
今も気がつけば親指が口にひっついていた。
隣の柏木と柳牛も不安そうに戦況を見つめていた。
マウンド上は内野陣が集結していた、ついに追いつかれてしまった。
何度も絶望に沈めたはずなのに、しぶとく何度でも這い上がってくる、まるでゾンビだ。
雪澤「ごめん、打たれちゃったよ」
珍しく眉毛を下げてしょげている雪澤。
その肩を海部は優しくたたいた。
海部「そういう時もある…まだ、同点だ」
村上「海部の言う通りだって、まだ負けてる訳じゃないんだしさ」
真田「ここからだ」
ネクストバッター、打順は一番に帰って野多摩。
その野多摩、そして二番の御神楽が真田と共に地面に膝をついて輪を作っていた。
野多摩「ここから〜?」
側の二人の鬼気迫る表情に対して、全く空気の読めてない間延びした声。
野多摩は相変わらずぽけぽけした表情でふやんふやんしていた。
真田「………はぁ」
御神楽「気持ちはわかるが、ため息をついている場合ではなかろう」
真田「…そうだな。最終回か…引き分けで終わらすにはもったいない試合だ。しかも相手は降矢のホームランで浮き足立っている」
野多摩「うんうん」
真田「四球…というのもありえる話だ、なるべく追い込まれるまで手は出すな」
野多摩「りょーかいです〜」
真田「…はぁ」
御神楽「とにかく野多摩がランナーに出ないと、だな」
真田「うむ」
果たして…その言葉どおり、カウント2-3からの第七球。
バシィッ!!
『ボール、フォアボール!!』
『オオオオーーーーッ!!!』
雪澤「うげ」
村上「ぐ…!!」
野多摩をフォアボールで歩かせてしまう女子ソフト部バッテリー。
これで二死ながらもランナー一塁…逆転のランナーが塁に出たこととなる…!
『二番、ショート、御神楽君』
御神楽「相川」
相川「…なんだ」
御神楽「なんとかしてみせよう!」
相川「…頼んだぜ!」
七回表、野球部4-4女子ソフト部。
二死、ランナー一塁。
氷上「…追いついてしまったわ…まさか…」
桜井「会長…まだ野球部が負けたら相川君を生徒会にいれようと思ってます?」
あれだけの思い入れを野球部に持っているのだ、例え生徒会に相川君が入ったところでまともな働きをするとは思えない。
忠義に厚い部下を手に入れたところで、こちらの思い通りには動かない。
氷上は悲しげに目を伏せて、口を開いた。
氷上「……いえ、もう、いいですわ。思えば…生徒会に入って欲しいというのは口実だったかもしれませんわ」
野球部が嫌い、暑苦しい男が嫌い、上品でありたい。
別に嘘というわけではないが、それは言い訳でもあった。
入学式の日、すでに頭脳明晰で少し有名になっていた相川を生徒会に誘おうとして。
氷上は目を閉じた。
相川はそんな氷上を事もなく一言で断った、今まで自分の思い通りにならないことはなかった氷上にとっては結構ショックな出来事ではあった。
だから野球部を、相川を執拗に潰そうとした、ただの我侭、だった。
それでも相川は屈しようとしなかった、氷上自身はどこかで親の言いなりになっていたというのに、彼は何者にも屈さなかったのだ。
留学から帰ってきたとき、なんとなくもうすでに相川や野球部に対してもう前ほどの怒りは消え失せていた。
その代わりに、ずっと考えていた相川のことがなんとなく頭から、心から離れなくなっていた。
でも自分には彼と関わる手段がない、だからあの時会議室であそこまで相川に対してつっかかってみせたのだ。
氷上「私は…」
氷上の唇に、桜井の人差し指が重なった。
桜井「それ以上は、相川さんに直接言うべきです」
氷上「…そうでしたわね」
桜井「会長、私、行ってきてもいいですか?」
氷上「…どこへ?三澤さんのところへ?」
桜井「ううん、柚子には吉田君がいるもの」
氷上「でしたら…」
桜井「私だって、相川君の役に立ちたいですから」
カッキィインッ!!
『ワアアアアア!!!!』
御神楽が叩いた二球目は左中間を真っ二つ!!
勢いよくスタートを切った野多摩は三塁も蹴って…!!!
来宮「ホ、ホームイン!!なんと逆転!!!ついに野球部逆転ですっ!!!」
運の良いことにボールがフェンスにあたって真下にほぼ落ちた、これを見てサードコーチャーに立っていた原田は思いっきり手を回したのだ。
ついに、逆転。
相川「よぉーーーっしっ!!」
冬馬「御神楽先輩!!ナイスバッティング!!!」
続く西条は内野ゴロに打ち取られたものの、野球部は五点。
一歩ソフト部をリードしたのだ…っ!!!
海部「まだだ…まだ裏の攻撃があるっ!!」
そう、海部の言うとおり…まだ裏の攻撃がある。
そして打順は二番の足利から…海部に確実に回るのだ。
おまけに野球部は投手の冬馬に対して代打降矢を出したのだ、もうまともにピッチャーをできる選手などいまい。
御神楽「相川…」
真田「さて、どうする相川君」
相川(く…)
やはり、ここはソフト経験のある野多摩にやらせるべきか。
いや…それでも練習のときはまだ冬馬の方がコントロールも球威もあった…その上なにもないとなると、もう防ぎようが…。
桜井「相川君!!」
振り向くと、はぁ、はぁ、と肩で息をしながらひざに手をつく桜井小春の姿があった。
野球部逆転の放送を聴きつけてさらに人数が増えひしめき合う観客の間を押しぬけて野球部のベンチまでやってきたのだ。
アシンメトリに、ぴょこんと跳ねたアホ毛に制服の少女はとんでもないことを言い出した。
相川「…桜井?どうしたんだ?」
桜井「私が…私が投げるよっ!!」
原田「え、ええ!?」
西条「な、なんやと!?」
相川「ほ、本気か?桜井…いや、しかし…お前…」
桜井「ふふ、柚子をソフト部に誘ったのは私なんだよ?…それに、ちょっとだけだけどピッチャーもやってたしね」
西条「やけど…格好はどうすんねん?流石に制服のまんまやと…」
桜「…あ!そうでした…えっとお…体操服、でいいかな?」
真田「…ふん、野球部でない奴が認められるのか?」
相川「交渉するしかない…か」
渋い顔をしながら相川が女子ソフト部側のベンチに向かおうとするその肩を後ろから止められた。
氷上「いいえ、私が認めますわ」
相川「…氷上?」
桜井「会長!?」
氷上「いいから貴方は着替えてらっしゃい」
相川を押しのけて、つかつかと女子ソフト部の部員がそろっているベンチへ向かっていく。
海部「…舞?」
氷上「…野球部はもう投げられるピッチャーがいないそうですわ」
海部「…そう、だな」
海部は少しだけ俯いた。
氷上はなおも続ける、背筋をピンと伸ばした堂々たる姿だった。
氷上「うちの桜井を、野球部のマネージャーにします」
桜井「ええ!?」
相川「お、おい氷上!!」
氷上「それなら野球部の一員と言う事になりますわ、かまわないでしょう?」
海部「…そうか、ようやく素直になることにしたのか、このワガママ娘は」
氷上「貴方には申し訳ないと思ってるわ、晶」
海部「いや…いいさ、ここであっさり逆転したんじゃ観客も盛り上がらないだろうしな!監督!」
雨宮「…ふぅ、いいわ。好きにして」
海部「と、いうことだ…当然、私たちは負ける気は一切ないっ!!」
海部の言葉に、氷上はふっと笑った。
『選手の交代をお知らせしますっ!!ピッチャー、桜井小春っ!!』
七回裏、野球部5-4女子ソフト部。