230一軍戦27勝負はここからだ、と思った方がいい






















九回裏、一軍9-8二軍。

これで終わる、わずらわしい物が消えるのだ。

堂島はレガースの下で呟いた、最終回、一点リードしているのだ。

何も恐れることは無い、今まで追い詰められているような『幻想』にかられ

ていたとはいえ、幻想は幻想にすぎない。

事実は、一軍が一点をリードしているのだ。

試合開始から四時間と半が経とうとしていた、日が暮れるのも早くなってき

たこの季節、すでに夕暮れ空も、東は蒼く変わり始めている。

涼しい風が、体を撃ちつけた。

マウンド上には上がらない、アドバイスなど必要ない。

やれば行けないことは自分でやってもらわなければならない、そして植田な

らおそらく抑えるだろう。

それでもマウンド上で、一切表情を変えない植田は、堂島を多少苛つかせる



自分勝手な話ではあるが…なぜ、お前はそんなに落ち着いていられる?

まるでさっきから慌てている自分が愚か者のようではないが、お前はあくま

でも自分の配下だというのに。



弓生「一点差、と思った方がいい、植田」


バッターボックスに一番の弓生が入った。

左打席、ヘルメットの下のギョロっとした目が植田を睨みつける。

敵からすれば心底不気味なタイプであろう、ただ足が速いだけではない、何

を考えているか、何をしてくるかわからない。


植田「だからどうした」

弓生「お前達一軍は勝っている、と思った方がいい」

植田「…?何を当たり前のことを」


植田の眉が疑問を感じて持ち上がった。

だが弓生は表情を変えない。


弓生「焦る必要なんて、ない、と思った方がいい」


―――コイツ。

睨みつけてるのは表情だけだ、堂島は眼前の男から目線以外の気配が全て自

分に向かってくるのを感じていた。


植田「焦ってなんかいないさ、このまま三つアウトをとって勝つだけだ」

弓生「そう、簡単にいくかな、と思った方がいい」

植田「ほざけ」





―――――――ズ、ダァンッ!!!

弾丸のような微塵が、堂島のミットに吸い込まれた。


『ストライク、ワンッ!!!』





望月「畜生…なんとか出てくれ弓生!!」

三上「結局、あのストレートに対する有効な手段は見つからなかったね…」


そう、植田の失投かそれとも堂島が投げさせる変化球以外では、まだなかな

か植田を完全に捉えることはできていなかった。


上杉「弓生君…!!」

威武「要、お前、どう思う」

南雲「…」


南雲の爪楊枝が、わずかだが上に上がり始めていた。


南雲「植田は1mmたりとも動じてないぜよ。おそらく、失投もせん」

望月「じゃ、じゃあ…」

南雲「問題は堂島ぜよ」

三上「堂島先輩が…?」

南雲「わからんか?弓生は植田と勝負としとるんじゃない、『バッテリー』

と勝負しとるぜよ」


弓生は必死に考えていた。

この回最終回、流れが二軍に来てるとはいえ、目の前の微塵相手ではやはり

追い込まれているのは自分たちのほうなのだ。


弓生(……)


空の向こう側が青い。

夕焼けの赤と交じり合った、薄紫色の雲がゆっくりと流れている。

速いストレートに、有効な手段は無い。

打者にとって一番打ちづらいのは『速い球』なのだ、バットを短く持ってカ

ットしようとしても振り遅れてしまう、それほど打者の手前で鋭く伸びてく

る。

まるで目の前でジェット機が疾走していくようだ。


弓生(ストレート)


だからこそ、皆は堂島のリードを期待して、『変化球』を待った。

だがそれでは根本的な解決になっていない、植田がもし首を振って微塵三連

投なら九回はあっさり終わってしまう。



バシイイッ!!!

『ボール』


二球目は、低めに外れるスライダー。

やはり堂島のリードは府抜けている。

キャッチャーをやったことのない弓生ですらも、もし植田が毎打者微塵三連

投であればとっくに試合は終わっていると思った。


弓生(…自分は、南雲先輩や藤堂先輩ほどのバッティングセンスは無い)


しかしその状況ですらも弓生は見ていて気持ち悪くなるぐらいに冷静だった

、負ければ野球が終わってしまうという状況であっても、汗一つ欠いていな

い。

性格だろうが、そんな弓生に堂島の方が何故かおののいていた。


堂島(なんだこいつ…今の自分の状況わかってるのか?)


だが弓生ははっきりと『一軍が勝っている』といった。

つまり冷静に状況を分析した時点で、一切心が揺らいでいない。


弓生(…スイングスピードを頼りにしていれば、目をつぶって打たない限り

振り遅れてしまう。かといってそんなバッティングでは内野の頭を越すこと

は無い…)


やはり変化球待ちか。

いや、後につながなければいけない。

アウトになるならなるで、何か糸口を見つけ出さなければいけない。

一番打者はそういうものだ、弓生は望月がノックアウトされてからの毎打席

植田の弱点を探り続けていた。

弱点…らしき弱点は見当たらない、あるとすればストレートの印象が強すぎ

て変化球が中途半端に見えてしまうぐらいだ。

だからと言って植田と堂島を信じて変化球を待つのは危険だと思っていた。

しかし、弱点というほどはっきりしたものではないし、もしかしたら全くそ

うでないものかもしれないが、弓生は気になる点があった。

夏のあの試合、大和が投じた消えるストレート『白翼』それはコントロール

に難があるという球だった。

あの時スタンドで観戦していた弓生は、もしの場面で自分ならどう打つか冷

静に試合を見ていた、白翼の場合はコントロールが悪いという欠点を持つが

上に、もう一つの黒牙というストレートと組み合わせることによって事なき

を得ていた。

そしてもともとの大和の変化球もキレ、総合的に能力が高かったから、白翼

の弱点が大和の弱点とはなりえなかった。


バシイッ!!!


『ボール、ツー』



微塵は、正確なコントロールで弾丸のように食い込んでくる。

白翼がピストルだとしたら、微塵はスナイパーライフルだ、威力は同じでも

正確さが違う…その分それ以外が大和に劣っている。

スタミナ…それも植田には関係のなさそうな言葉だった、いまだに息一つ切

れていない、サイボーグかと思うほどの体力だ。

精神的…にもぐらつきそうにない、以前とは違い見違えるほどの集中力だ、

試合中盤からは本当にサイボーグのようだった、一切動じない。


なら、弓生は植田に何を見出したのか。


ドォンッ!!!

『ストライク、ツー!!!』



弓生(…2-2)


『お、追い込まれたぞ』

『やっぱ…二軍はここまでか…』


だが、弓生はやはり動じてはいない。

ここまで、ストレートにバットを一回振って振り遅れただけ。

正確無比なサイボーグ、それに対抗しうるには。



威武「うぐ…」

三上「ああ…追い込まれた」


このまま、成す術なく一アウトをとられてしまう。

ほとんどの皆が、そう思ってしまった――――望月と、布袋を除いて。


布袋「いや、あの野郎、なんか見つけたな」

望月「このままあっさり終わるような奴じゃないからな」

上杉「…えっ?」

布袋「たとえ三振しても、何か見つけてくる、あの無表情野郎は煮ても焼い

ても食えない曲者だ」

望月「突破口…か」




マウンド上の植田は帰ってきたボールを勢い良く受け取り、真下のロージン

バッグに手をつけた。


植田「でかい口叩いていた割にはあっけない」

弓生「…」


無言を貫く。

さらに冷たく強くなってきた風が、ユニフォームを音をたてて揺らした。

もうすぐ、六時…夜がもうそこまで来ている。

終わりだ、三つアウトを取って、終わり…植田は堂島のサインを覗き込んだ



予想していたとはいえ、やはり何故か心に何かが引っかかる。

…第、五球!!!


ビュアッ!!


弓生(チェンジアップ…)


バットを短く持っていた分、ストレートに慣れて一瞬タイミングがずれとい

え、遅いチェンジアップにバットを合わせ、カットする。

キィンッ。

『ファールボール!!』




南雲「あくまでも…決め球にストレートは使わん気かの…」

威武「…堂島、おかしい、植田、かわいそう」

三上「敵に対して言うのもどうかと思いますが…植田君のここまでの失点は

……」


堂島は果たしてこんな捕手であったか?

もう少しマシなリードをしていたはずなのに。

それは……完全に部下が自分に従う、という奇妙な状況と堂島の高すぎるプ

ライドから産まれたもの。

ストレートを連投して怒った堂島は、そのくせストレートを連投し、決め球

にストレートを使うという行為を許せなかった。

植田如きが、自分だけの力で勝つというのが許せなかった、なんという考え

方であろうか、堂島はそれでも考えを曲げようとはしなかった。

致命的なのは、それを注意できる人がいなかった、ということだ。

誰かがもし、植田と堂島の間に入り冷静な言葉を投げかけていれば、何かは

変わっていたかもしれない。

だが、力と代償に力以外を堂島に奪われた一軍が堂島に注意の諌めなど投げ

かけるわけが無い。



弓生(しかし、本当に変化球だけなのか)


それは、堂島の言い分である。

弓生は植田を信じた、植田がストレートを投げてくるのを。



第、六球。

ビシィイッ!!!


弓生(…シュート)


キィンッ!!

『ファール!!』


スライダー、チェンジアップ、カーブ、スライダー。

たて続けざまに、正確にコーナーに変化球を投げてくる植田。


望月「何やってんだ弓生!!変化球を狙え!!」

三上「も、望月君落ち着いて…」


だがあてることだけに専念していた弓生にとって、望月のフォークならとも

かく植田の変化球ぐらいなら当てれないことは無い。


弓生「植田、ストレートは、どうした、と思った方がいい」


弓生はバッテリーに勝負を挑んでいた。

植田だけでも、堂島だけでもない。

もし、植田がストレートを投げれば…決め球にストレートを投げれば。

二軍はピンチに陥ってしまう、そうなれば終わりだ。

だが………もし決め球のストレートをはじき返したのなら、ば。




バシィンッ!!

『ボール!!』


外角スレスレのチェンジアップにも、弓生は手を出さなかった。

四球でもいい、それはそれで自分がランナーに出ることになる。



堂島(何を狙っているんだコイツ…)


やはり決め球にストレートか。

いや…それはやはりない、始めからない、堂島はサインを出した。


植田「…」


植田は首を振らなかった。

それでもさっきから頭の奥底で誰かが喋りかけてくる。


植田「ええい!!!」


第、七球…!!!













キィンッ!!!





『ファール!!!』

弓生「どうした、ストレートを投げて来い、と思った方がいい」

植田「五月蝿い…!」


堂島(あくまでも、俺にストレートを投げさせたいのか?)


堂島は疑問に思った、もしストレートを投げれば二軍は…。

自分のリードと試合と自分のプライド、どれを優先すべきか堂島は迷ってい

た、藤堂のように勝敗で割り切れるタイプではない。



植田「く…」

―――また、変化球かよ―――

サインは、スライダー、内角高め。

―――変化球投げてるから打たれてるってことに気づいてるのか?―――

植田は小さく呻いた。

―――本当に、堂島でよかったのか?―――



植田「うああああああああっ!!!」


ビシイイッ!!!!

スライダー!!!!!








弓生「お前の変化球に、望月ほどの威力は無い、と思った方がいい」






キィンッ!!!

粘る。

あくまでも粘る!!!


ここまで植田が投じた球、八球。

―――ストレートを投げれば、楽になれるぜ―――

馬鹿な、堂島様に逆らえば…。

―――結果を出せばいいんだろう?―――

堂島は、結果だけに満足はできない、結果がともなった経過に満足するタイ

プだ。

―――このままファールを打たれ続ければ、また追いつかれるぞ―――

植田はロージンバッグを強く握り締めた。

―――投手として、お前はそれでいいのか――――


自分の声なのか、望月の声なのか、それともいつか打たれたあの金髪の声な

のか。

堂島がミットをかまえる、弓生はわずかだけで目線を堂島の方に動かした、

堂島のミットは自分の体と離れたところにある。

今までの全打席…弓生は堂島がミットをかまえてから、わずかだけ目線を動

かしていた。

サイボーグ、バッテリーへの勝負、弓生が見つけ出したものは…。














パシィ。

『ス、ストライク、バッターアウトォッ!!!』

グラウンド中が驚いた、変化球を失投したかのような、すっぽぬけたループ

ボールを、弓生はバットも振らず見逃した。

逆をつかれたのか。



抑えたはずの植田、今まで冷静沈着の四文字だった植田の額に何故か汗が走

っている。



望月「ゆ、弓生…」

弓生は別段落ち込んだ様子も無く、いつもの無表情でベンチに帰ってきた。

いや、途中で妻夫木とすれ違う時にわずかだけ、口元を動かした。


弓生「……」

妻夫木「……!」


妻夫木の目が、少しだけ見開いた。

何を言ったのか…。



布袋「弓生、ドンマイだぜ」

弓生「気にするな、か。いや、気にしている、と思った方がいい」

望月「…?」

弓生「確証を得た、と思った方がいい」

三上「ど、どういうこと?」

弓生「後は、南雲先輩にお任せする、自分はストレートを打つ気でしたが、

追い込まれてしまったので」

望月「な、なんだと!?」

上杉「あのストレートを打つ気だったって…?」

南雲「あの状況でストレートを弾き返せば、全てがひっくり返る、そういう

ことじゃろう?」

弓生「そんなところです、と思った方がいい」

布袋「し、しかしよ、算段はあったのか??」


弓生は沈み行く夕日をまぶしそうに見つめた。



弓生「ストレートはきっかり『振りかぶってから3秒』できます。コースは

、植田がしっかり投げれば堂島が構えたミットから、1mmも動きません」




布袋「…何?」

弓生「俺はストレート以外打つ気は無かったが、妻夫木先輩なら塁に出てく

れるはず。…それでも、決着はストレートを打たない限り無い。おそらく、

本当に追い込まれれば、堂島と言えどもストレートを投げさせるでしょう。

逆に投げなければ、それまでの相手と思った方がいい」」




キィイイインッ!!!

耳をつんざく、軽快な金属音。

妻夫木の放り投げたバットが薄紫色の空に舞うと、ボールは警戒に一、二塁

を抜けていく。


『おおおおおおおおおお!!!』

『ランナー出たぞお!!!!!』

いつの間にか、ギャラリーすらも、二軍の声援に回り始めている。




妻夫木(あのバンダナ……嘘みたいなこと抜かしやがったが…侮れない、ね



ボールは堂島が構えた内角低めに、計算どおりにチェンジアップが来た。

これで南雲に回る…後は、チームメイトを信じるしかない、陳腐な言葉だが

今の妻夫木はその一心だった。



藤堂「…バットを振ることは厳しい」



三番の藤堂が保健室から帰ってきた。

すでにいつもの厳しい表情に戻っている。

バットを持って、打席に歩いていく、南雲の方は見ずに口を開いた。


藤堂「二死はきついか?」

南雲「お前らしくないのぉ、『やる』か『やらない』かぜよ?」

藤堂「俺は基本自分しか信用しない…だが、少しだけ気が変わった。お前ら

とプレイしていると、どうもおかしなことを考えてしまう」


藤堂は首を振った。


藤堂「…らしくない、非常に俺らしくないが」













藤堂「――――後は任せたぞ」










九回裏、二死、ランナー二塁。


四番、南雲要。




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