229一軍戦26獅子は死なず
一死、一塁。
一塁上の秋沢は無表情でバッティンググローブを外した。
藤堂「……!」
激痛が走る右肩を抑えながら藤堂はゆっくりマウンドへ倒れこんだ。
―――ド、シャアッ。
土煙が上がる。
望月「とっ…」
妻夫木「藤堂っ!!」
慌ててセカンドの布袋がタイムを取る。
桐生院二軍の選手全員がマウンドでうずくまる藤堂の元へと駆け寄っていく。
望月「藤堂先輩っ!!」
こんな時まで人に弱みを見せたくないのか、藤堂は顔を隠すようにして倒れこんでいる、首筋からは汗が何適もしたたり落ち、荒い息で肩が上下している。
秋沢の打った打球が鈍い音を立てて藤堂の右肩に命中した―――。
打球は跳ね返ることなく、その場にぽとりと落ちた。
弓生「まずいぜ…あの打球速度でもろにあたってやがる…」
布袋「お、おい!担架だ!担架を!」
南雲「しっかりするぜよ藤堂」
藤堂は以前低く呻く以外は何も言葉を発しようとはしない。
右肩がやけに熱いことだけが脳裏に何度も浮かんで消えた。
しめた。
堂島はギャラリーがいなければ指を鳴らしたい気分だった。
ここへ来て藤堂がマウンドから降りるとなるともう二軍に投手をできる選手はいない。
つまり、ほぼ無条件で勝ちが確定する。
しめた。
聞こえないように喉の奥でつぶやいた。
堂島(秋沢…よくやった)
何が何でもいい、流れを変える一撃には変わりは無い。
ぽたりと地面にまた汗が落ちる。
嫌な汗だ、脂汗が肌の奥からにじみ出てくる。
藤堂の顔は痛みで激しく歪んでいた。
絶望…。
誰もが、今までの流れが変わると思った。
弓生「…まずい…これは…」
布袋「藤堂先輩しっかりしてくださいっ!!」
すぐに桐生院の一軍野球部が保健室から担架を持って走ってきた。
白衣をきた保健の先生も一緒に尋常でない様子に驚いている。
「な、何があったの」
南雲「バ、バッターの打球が藤堂の肩に…」
保険医は藤堂の側へ近寄りしゃがみこんだ。
藤堂に何事か話しかけているが、頭の本人は返事を返そうとしない。
「肩を見せなさい」
藤堂「…」
無言を貫いている、痛さで反応できないのか、それとも…。
ユニフォームの上から右肩に触る…そして保険医の表情が一変した。
「こ、これは…すごく腫れて…すぐに保健室へ」
藤堂「触るなァッ!!!!!!!」
ガバァアッ!!!
グラブをはめた左腕で保険医を払いのける!
荒い息のまま、噛み砕くかの勢いで歯を食いしばっている藤堂の形相は、まるで鬼のようだった。
「うわあっ!!」
南雲「お、おい!藤堂!何をするぜよ!」
藤堂「うるせェ…黙ってろ」
何をするのか、呆気に取られるみなの前で左手のグラブを外し、素手になる。
藤堂「う、らァッ!!!」
その足をスパイクで思い切り踏んづけた!
ガツンッ!!!!!!!
望月「!?」
布袋「う…げ…!」
妻夫木「お、おい!何やってんだ!!」
藤堂がゆっくりと足をあげると、左手の甲にはスパイクの跡がくっきり残っていた、そして切れた肌から鮮血の赤が流れ出ている。
藤堂は充血した目で、その惨状をじっと見つめている。
そしてゆっくりと立ち上がった。
藤堂「…痛くねぇ」
「な…何を言って……!!」
藤堂「痛くねぇっつってんだろ!!!」
落ちた帽子を左手で広いかぶりなおす。
藤堂「ちょっとびっくりしただけだ」
威武「藤堂!肩、見せる!!」
藤堂「黙ってろッ!!!!」
保険医が持っていたかばんの中から、冷却スプレーを取り出すと、それをユニフォームの上から乱雑にかけていく。
時折苦痛に顔をゆがめながらも、藤堂はひたすら肩を冷やし続けた。
『お…おい…』
『ああ、肩にモロに当たってたよな…』
『なんつー根性だよ…』
ガヤガヤとギャラリーも騒ぎ出すのか、藤堂は側にいた威武を見上げた。
藤堂「威武、交代だ。ファーストは、俺」
南雲「な…」
妻夫木「おい!まさかお前まだやるってつもりじゃ…」
藤堂「やるさ、当然だろうが」
南雲「その怪我でできると…」
ビュッ!!!
右の拳が南雲の顔のすぐ前に打ち出された。
寸止めされた向こうで、藤堂は顔を横に向けていた。
藤堂「できるかできないか、じゃない。やるんだ」
威武から無理矢理奪い取った馬鹿でかいファーストミットをはめながら、藤堂は一塁へあるいていった。
誰も止めるものはいなかった。
いや、止めることが『できなかった』
それだけ、藤堂の目は、本気そのものだったから。
布袋「た、確かに一塁ならそんなに投げなくてもすむけど…」
三上「で、でも…藤堂先輩が投げれないんじゃ…」
望月「俺が――――――やる」
誰よりも小さいその男は、地面に転がっていたボールを拾い上げた。
布袋「お、お前」
弓生「正気か!?一度ノックアウトされてるんだぞ、と思った方がいい」
望月「藤堂先輩のおかげで十分休めたさ」
そう言って、右肩をぐるぐる回す。
ファースト上の藤堂は何も腕を組んでいた。
南雲「……望月、情けない話じゃが…おまんに頼る他はなさそうぜよ」
三上「だ、大丈夫なの望月君?!」
望月「大丈夫だか、大丈夫じゃないとかじゃない。『やる』んだ。藤堂先輩もそう言ってただろうが」
弓生「…望月」
布袋「お前、らしいな。………任せたぜ」
布袋は右拳を前に突き出した。
望月もそれに呼応するように右拳をそれにあわせ、互いにそれを小突いた。
布袋はへへ、っと笑うとセカンドへ戻っていく。
南雲「……頼むぜよ、望月」
妻夫木「頼りねーが、目は死んでないようだし、な」
三上「よし、望月君。…君が諦めないなら、僕も最後まで諦めない!」
弓生が望月の右腕を取った。
望月「…?」
弓生「………お前なら、やれる」
笑った。
一瞬だけだったが。
望月光は初めて弓生太一郎の笑顔を見た。
みながマウンドに戻っていく中、上杉だけがマウンドにまだ残っていた。
望月「どうした上杉、早く戻れよ。俺はまだやれる、心配するな」
上杉「望月君…僕は、君に謝らなきゃいけない」
望月「…どうして?」
上杉「僕は一人捻くれていた。どうして、みんな上手い中で僕がここにいるんだ、って。僕はいらないんじゃないか、って」
望月「…」
上杉「違うんだ。いらない、いるとかの話じゃない。やる、かやらない、っていう話なんだね」
望月「そうだぜ、上杉」
上杉「ありがとう望月君…もう僕はエラーはしない」
上杉は笑顔を浮かべると外野へと戻っていった。
一人になる。
世界は赤に包まれていた。
試合が始まってから、すでに三時間が経過しようとしている。
泥だらけのユニフォームは白から黒へと変わっている。
大きく息を吸い込む。
バシィンッ!!!
投球練習、大きな音が三上のミットから響く。
大丈夫だ、やれる。
心が折れなければ、試合終了まで負けやしない。
負けやしない!
望月「行くぞオラァッ!!!!!!!」
―――ズドォンッ!!!!!!!!!!!!!
望月は続く六番綺桐に四球を出すものの、七番神緒を全てライオンハートで三振に切って取る。
九回裏、一軍9-8二軍。
二死、一塁、二塁…!!!
神野「…藤堂の野郎、格好つけやがって。ここで選手生命終わらせる気か」
灰谷「そうは言うけど、誰も止めなかったじゃないか」
あれだけの気合を見せられた後に、二軍の選手も一軍の選手もギャラリーですらも藤堂に声をかけようとするものはいなかった。
笠原監督ですらも。
大和「そして…望月君の球威が、わずかだが復活してるね」
疲れが取れたのかどうかはわからないが、真金井、植田の時にはあがっていなかった右腕がしっかりと上がっている。
宗「無茶なことしやがって…。もって後、一、二回だ。フォークも最早キレたもんじゃねぇだろう…。綺桐への変化球全部いまいちだったじゃねーか」
大和「だから、神緒君には全て『ライオンハート』で勝負したんだろう」
宗「綺麗で伸びるストレートは投手に一番負担がかからない投げ方をしてるってアレだろうがよ…それでももう100球以上放ってるんだぜ、望月は…。早いとこ決めないと死ぬぞ」
大和「それよりも…忘れてるかもしれないけど、二軍は今一点リードされてるんだよ」
神野「…そういや、そうだったな」
灰谷「これが流れって奴か…」
ギリ、と堂島の歯がなる。
どうなっているのだ…一度倒れたはずだろうが。
何もかもが計算違いだ!!!!!
地面へ拳をたたき付ける。
堂島「ぐぅ…!」
落ち着け、勝っているのだ。
まだ勝っているのだぞ、一軍は。
八番真金井堯助…一塁、二塁。
ここで追加点をたたき出せば……ぐっと、勝利に手が近づく。
堂島(真金井…頼んだぞ。まだお前の『D』はこの試合一度も出していないはず)
ランナーを背に背負っているものの、ライオンハートの威力はまだある。
望月は右手で球を転がしながら集中力を高めていた。
全身の全てをボールの回転に注ぐために、心の油断は許されない。
フォーク、スライダーはすでにいつもの自分のキレを持っていない。
ライオンハートで勝負するしかないッ!!!!
真金井「…」
あごをかくすまであがったインナーの中で、ごくりと唾を飲んだ。
望月、セットポジションから…第、一球!!!!!
―――ズ、ドォォォォォッ!!!!!!!!!!!!!!!!!
『ストライック!!!!』
『おおおおおおお!!!は、はええええ!!!』
『あれがさっきまで泣いてた奴かよっ!?』
大和「…望月君、なんて男だ…」
灰谷「え?」
大和「この試合が始まるまでは、望月君のライオンハートが決まる確率は50%…博打だったのに。さっきの神緒君から今の球まで、完璧すぎるほどライオンハートを投げきっている」
神野「…何かが変わったのか?」
宗「藤堂が火をつけたのかね」
大和「…いや、集中力だろう。今望月君は、世界の誰よりも集中している。神経の全てを指先に注いでいる…、自分の心を見ている」
しかし、ぽつり、と笠原はつぶやいた。
笠原(……現実はいつも、あっけないものだ)
―――ズガアアアッ!!!!
『ス、ストライクツー!!!』
真金井「…速い」
完璧なまでの振り遅れ、バットがまるでストレートに追いついてこない。
真金井はゆっくりと息を吐いた。
もう一点。
もう一点欲しい。
堂島様が勝利するために。
『D』…夢遊。
その力は…!
三上「行こう!!望月君!!!」
望月「ライオン」
セットから、三球目。
望月「ハァトォオオッ!!!!!!!!!!」
ギャォンッ!!!!!
右腕が風を切り裂いてうなりをあげる。
渾身の、ストレート!!!!!!!
―――夢遊。
その力は。
真金井(……一瞬だけ、全筋力をあげることができる)
ビシィッ、と真金井の両腕に青白い電撃が走った。
三上「!!!」
望月「なんだと!?」
布袋「バント…!」
藤堂「ちぃっ!!!」
真金井の構えはバント。
流石にバントならば、ライオンハートをあてることができる!!
バットが、ボールに…当たる。
真金井「夢遊」
ブオンッ。
そのまま、力づくで、ボールを振り切る。
妻夫木「うえええ!?」
威武「……怪力!」
望月「な、なんて野郎だ!!!」
バントからのスイングで、ボールはレフト方向へ…。
秋沢「よし…!」
烏丸「秋沢!!つっこめ!!レフトの前にボールが落ちるぞっ!!」
追加点が入れば、最早微塵から二点を取るのは無理難題…!
万事休す―――!
藤堂「あきらめるなァアッ!!!!」
ファーストの藤堂は、ボールを追い続けていた。
右肩の激痛に、歯を食いしばりながらも、藤堂は走り続ける。
南雲も、ショートの妻夫木も、セカンドの布袋も、サードの威武も、ピッチャーの望月ですらも一心にボールを追い続けている。
そして、レフトの上杉も…!!!
上杉(誰もが、自分の才能は決まっている)
それでも、誰もが、それ以上を目指してがんばっている。
たとえ体が傷ついても、夢が破れても、心が折れない限りボールを追いかけ続けている。
飛んでいるボールを追う才能なんて、誰もが持っているんだ。
たとえ、何の力の無い、この、僕でも、あきらめないことは、できる!
上杉「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
ズザアアアアアアアアアアッ!!!!!!!
落下地点に向けて、上杉が滑り込む。
『ア、アウト…スリーアウト、チェンジッ!!!』
『ウオオオオオオオオオオーーーーー!!!!!!!!!』
息が荒い。
上杉「はぁ…はぁ…」
ずれたメガネを直すと、偶然かグラブに白い球が入っていた。
上杉「と…捕れてる!!!」
勢いよく立ちあがった。
上杉「やっ…た…捕った…!!捕ったぞ!!!捕ったんだ!!」
この試合…上杉が始めてとった『アウト』であった…!
南雲「上杉ぃっ!!!」
妻夫木「この野郎!!!ナイスファインプレーじゃねぇかっ!!!」
南雲と妻夫木が元気よくベンチに帰ってきた上杉の頭を思いっきりはたいた。
上杉「は、はい!!ありがとうございます!!!」
南雲「…おまんも、大切な一員ぜよ」
布袋「そうだぜ…お前がいなきゃ、今頃二点差だ!!」
弓生「良くやった…と思った方がいい」
ゆっくりと、藤堂が右肩を抑えながらベンチに帰ってくる。
帽子を目深にかぶっているため、表情はわからなかった。
望月と上杉のちょうど間を歩いていく。
去り際に一言だけ、つぶやいた。
藤堂「上出来だ」
最終回九回裏、一軍9-8二軍。
…打順は、一番、弓生から。