225一軍戦22one more sleeping
七回裏、九番サード望月。
ワンストライク、ノーボール。
大和「そういえば…植田君から最初に点を取った時、誰から始まったかと言えば…」
灰谷「望月か」
そうは言うものの、三年生の顔色には色濃く絶望が出ていた…終始無表情か、少し微笑む大和以外。
宗「しかしよ、もうさすがに駄目じゃないか…?」
神野「七回裏で、三点差か。しかも展開が悪すぎる」
掴みかけてた流れを簡単に手放した形となった。
植田相手に、三点差。
でも、と大和が口を挟んだ、すでに傘はたたんで右手に持っている。
大和「今までよりは、そんなに点差が遠くない気がするのも、事実なんだ」
確かに。
最初に六点差が開き、一巡目まで全てストレートで抑えられていた時に比べれば大分植田に対する恐れ、というか威圧は薄れている。
宗「皮肉な話だが、堂島のリードが足を引っ張ってるな」
普段はもう少し良いリードをしたと思ったんだがな、と付け加える。
確かに普段宗が堂島の練習を見ていたとき、または遠征試合で交代した時はもう少しだけ良いリードをしていた気がする。
ただそれは言い換えれば、植田がもしベストピッチングをすれば二軍はまったく打てないということだ。
灰谷「良くも悪くも堂島のリード次第か…」
神野「どうもな、あまり良くはない気がするな」
灰谷「どういうことだ?」
神野「あんだけ図体のでかい堂島の体が今は小さく見えるってことさ」
宗「考えてみれば名門桐生院として、あそこまでギリギリの立場に立たされて試合をしたことは無かったんじゃないか?」
大和「重圧…か」
それは、三年間で十分と身にしみている。
ただ目の前の捕手堂島が、それに耐えうるかどうかはまた別の話だ。
先ほどよりは少し落ち着いたようにも見えるが、やはり堂島の心には「ある虫」が救っていた。
堂島「…」
―――六点差を追いつかれた。
―――点をたくさん取ったのにな。
―――お前のリードが悪いんじゃないか?
―――この三点もどうせすぐに返される。
堂島(黙れ…)
どうしようもないぐらい脳内に罵倒の言葉が浮かんでくる。
今まで堂島は「余裕」を持って過ごしてきた、負けるにしても計算して負けなければいけないと理由をつけて負ける。
勝てる時はあらゆる策を利用して勝とうとする、今日の試合もそうだ。
これだけのDを完璧にそろえて、さらに変化球をまともに投げれない、精神的にまだ隙がある望月を責め、試合は決したはずだった。
どこからおかしくなった?
堂島(何を考えている…もう勝ち越しているんだぞっ!)
今だってそうだ、経験の少ない上杉を責めた。
明らかにチームのムードは悪くなるはずだ、現にさっきも向こうでもめていたじゃないか。
勝てる試合だ、勝つべくして勝てる試合なのだ、流れは引き戻された。
それなのに、この異常な不安はなんなのだ。
それはきっと…予感?
望月(どうしたっていうんだ)
バッターボックスに立った望月は訝しげに背後の男を睨んだ。
先ほどからぶつぶつと独り言を言っては首をふっている。
顔色も悪い上に、厳しい顔をしたままだ。
対照的に、マウンド上の男は涼しい顔だった。
植田「諦めろ望月、さすがに三点…もうお前らに微塵は打たせん」
だろうな、と心の中でつぶやいた。
南雲先輩クラスでもまともに打てない微塵だ。
しかも、もう雨は上がっている。
つまり、それは…。
―――ズドンッ!
『ストライク、ツー!!』
微塵の威力が戻る、ということ。
まったくの振り遅れ、ボールはバットが通過するよりも大分速く高めに構えられたミットにおさまった。
まずいな、と舌打ちをした。
さすがに目は慣れてきたが、だからといって打てる代物じゃない。
しかし、上杉に啖呵をきった手前、簡単に凡退する訳にもいかない。
マウンド上の植田は、逆に三球で決めてやろうと、堂島のサインを覗き込んだ。
?
一瞬、植田は驚いた、顔には出さなかったが目が一瞬大きく開いた。
普通これだけタイミングが合っていなければ、三球目もストレートで押すだろう。
微塵を投げていれば打たれることはないのに、しかし出されたサインは先ほど威武に手痛い一発を浴びたカーブだった。
理解に苦しむことはない、堂島様なりの考えがあるのだろう、とすぐに植田は自分自身を納得させた。
三球目…!!!
望月「!?」
望月は目を疑った、まさかカーブで来るとは思わなかったからだ。
微塵が来るとばかり思っていた望月は思い切り体のバランスを崩してしまう。
望月(カットしてファールにしないとっ…!)
なんとか食らいつこうとして、バットをボールに当てにいく。
コキンッ!!!
さすがにカーブならバットに当てれる…がそのボールはファールゾーンではなく、ピッチャーとサードの間に転がる形となった。
植田「…!」
秋沢「植田っ、俺が刺す!」
ベンチから覗き込んでいた上杉は、やはり大きくため息がついた。
力、というのはいつも圧倒的なものである。
大きい方が勝つものだ、小さいほうがいくら抗ってもそれは無駄だ。
小さい方が背伸びして大きい方に並ぶということはありえないのだ。
なぜ自分がここにいるのか、という半ば開き直った怒りと。
ふがいなさと情けなさで、今にも心がつぶれてしまいそうだった。
見てみなよ、望月君。
君も結局、植田君の前ではこうじゃないか。
『ワアッ!!!!』
歓声。
上杉はうつむいていた顔を上げた。
何が起こったのか、望月はが一塁に走りこんでいたのが見えた。
大和「…へぇ」
灰谷「こんなことがあるとはな」
秋沢の、一塁送球が、暴投となった。
ボールはファースト牧のはるか上を飛んでいった。
その様子を堂島は呆然と見ていた。
堂島(秋沢が、エラー…)
ありえないことだ。
Dがついているくせに、いったい、なぜ。
秋沢本人も不可解な顔をしながら右肩をまわしていた。
その表情には若干の驚きが含まれている。
宗「それよりも、堂島のリードだろ」
神野「あの展開でカーブを投げるか普通…」
宗「目を覆いたくなるぜ、植田を打たせようとしてるのかアイツは」
やはり、どこか堂島のリードがおかしい。
ストレートを信用できないのか。
それは…堂島のくだらないプライドのせいだった。
一度ストレートオンリーの投球で植田を叱ったこと、それがここぞという場面での微塵の連投を躊躇させている。
上杉「…望月君」
一塁上の望月は頭から滑り込んでいた。
雨で泥へと変化したグラウンド、ユニフォームにその汚れがびっしりとついていた。
顔にも水しぶきが跳ねていた。
口に泥が入ったのか、ぺっと、つばを吐くと口をぬぐう。
満身創痍―――。
先ほどまでの全力投球ですでに体は疲労困憊なはずなのに、それでも望月は必死だった、滑り込んででも、一塁でセーフになろうとして生きた。
結果的にはエラーだったけれども、それでも望月は一塁に生きた。
このどうしようもない三点差を振り返ることは諦めている。
だが、試合に負けることは一切諦めてはいない!
望月「はぁー、はぁー」
ベンチの上杉に向かって指を立てた。
上杉の肩がわずかに震えた。
続く一番、弓生は内野ゴロとなってしまうが、二番妻夫木…。
妻夫木「あーいうプレイは勝利が『信条』の桐生院ではあるけど…あんまり無いかも、ね」
爆発している自分の頭をもう一度ヘアバンドで後ろにとめなおす。
いつもの少しふざけたような口調が妻夫木から飛び出した。
ヘッドスライディング、走り抜けた方が早いという理論だけで桐生院では何故かあまり推奨されていなかった。
ユニフォームが汚れることを嫌う、エリート集団。
それでも、望月はどこまでも勝利に貪欲だったということだ。
妻夫木(ふぅん)
少し諦めていたんだけども、と思った。
だが、ああいうプレイを見せられては、いかに妻夫木大輔といえども心にくるものはある。
一死一塁、か。
三点差、ひとつでもつめるために送るか…それとも。
堂島(ぐう…)
引き離しても引き離してもついてくる。
いい加減に諦めろ、と声も荒げたくなる。
もはや自分のリードよりも、相手のしぶとさに苛立つので精一杯だった。
そして、秋沢がエラーしたことも、忘れ去っていた。
妻夫木がなんなく望月を二塁に送り、また得点圏にランナーを進められたことで。
続く藤堂にも内野安打となるヒットを浴び、二死、ランナー、一、三塁…。
キィィィイイイイインッ!!!!
堂島「っ!?」
四番、南雲。
変化球に逃げたリード、ストレート勝負を避けたリード。
植田のカーブを右中間に運ばれる、どうしようもない勝負。
南雲の居合い抜きが、切り裂いた。
『わああああああああああっ!!!!』
望月がホームへと滑り込み、再び差を詰める、二点差…。
上杉は思わず立ち上がってこぶしを握り締めた。
帰ってくる望月が上杉に、にかっと白い歯を見せて笑った。
八回表、一軍9-7二軍
七回裏はその後、威武が凡退し、結局一点で終わる。
もうこれ以上の点差は許されない…!
九番の植田をなんとかサードごろに打ち取り、藤堂は大きく肩を回した。
再び打順は一番、国分から…!
藤堂はロージンバッグを手につけると、勢いよく地面に投げ捨てた。