なんだかんだ言って、自分は必要ない、と思った。
結局戦力にもなっていないし、なによりもほぼ初心者だ。
一応中学でやったことはあるけど、万年補欠だったし。
もしかしたら桐生院でなら、と思ったのは事実だけどそんなに真剣に考えてはいなかった。
厳しい練習でも、なんとなくみんなと連帯感を持っていたかったし、なによりキャッチボールだけでもそれなりに満足できた。
だから、こんなことになるなんて思ってはいなかった。
最初に考えたことは「どうしよう」ということだった。
今の今まで、運が良かったのか悪かったのか、レフトである自分のところにボールが飛んできたことはなかった。
三上がそれを考慮してくれていたのかどうかはわからないが、少なくとも僕は安心していた。
自分以外は全員甲子園で活躍してもおかしくないくらいのスーパープレイヤーだ、変に自分のところにボールが飛んできても不安になるだけだ。
だからこそ、次に考えたことは「捕らなければ」だった。
そして、運命をのろった。
ワンアウトながらも、満塁。
空は晴れ渡っていた、もう秋だというのに顔の横側から射す光がじりじりと熱かった。
先ほどまでの豪雨暴風が嘘のようだ、いや、雨が降ってくれたほうがまだ良かった。
曇っているなら、目を細める必要もなかった、上を向いても苦しくなんてない。
迫り来る瞬間に最後に思ったことは。
―――――まぶしい。
224一軍戦21群青
気づけば、ボールは自分のすぐ足元に転がっていた。
呆然として、何もすることができなかった。
腰が抜けているのか、立ち上がることはできない。
まっすぐ立っているはずなのに、何故か空が見えた。
先ほどまでの雲がまだ残っている、青に白がうすくぼかされていく。
同点だった、満塁だった。
歓声が遠い。
弓生「上杉ぃいい!!」
白黒の世界に色がはっと、戻った。
振り返れば、すさまじい形相でセンターの南雲が走りよってきていた。
その瞬間に、やってしまったんだ、と絶望が体を支配した。
そして、気づいた、景色にひびが入った。
いや、かけていたメガネにひびが入っていた。
弓生「まだだ!!まだ諦めるな!!!」
仰向けに倒れていた自分の横に転がっているボールを拾い上げる。
妻夫木「一年!!ホームだ!!」
深く被った帽子から覗く双眸がホームへと向かう神緒を捉えた。
上杉の顔面に当たってすぐ側に落ちただけに、捕ってくれるとらしくない確信をしていただけに、始めの第一歩が遅れた。
上杉はぴくりともしていなかった、気絶か、わからない。
ただ、すでに走者の二塁が帰還、一塁ランナーの綺桐も三塁を回っていた。
妻夫木の声が聞こえたときには、打ったバッターの神緒も三塁を蹴っている。
弓生「っずあああっ!!!」
渾身の、バックホーム!
藤堂「三上!刺せえっ!!」
レフトから矢のような球が、ストライクでホームへと向かってくる。
三塁ランナーの神緒がホームに迫ってくるのがちらりと視界に入ってきていた、回り込むか、当たってくるか。
逆転されようがなんだろうが、一点も多く入れさせる必要はないっ!!
バシイィイイッ!!
神緒「!速い!」
三上(刺せるっ!!)
弓生の返球が予想以上に速かった。
神緒が、ホーム直前でブレーキをかける。
―――挟んだ!
三上は逃げようと振り返る神緒を見て三塁の望月へと―――。
藤堂「キャッチャー!フェイクだっ!!!」
三上「!!」
投げようとするまさにその瞬間、すさまじい勢いで反転する神緒。
ヘルメットからはみだしたはねた髪が風圧で流れていく。
が…藤堂の一声で踏みとどまった三上が神緒の目の前に立ちふさがる。
神緒「あわててない、か、お見事」
『アウトーーッ!!』
なんとか四点目は防いだ、が…。
大和「再び、三点差か…」
大和の言葉がいやに重くグラウンドに響いた。
弓生「う、上杉!大丈夫か!?と思ったほうがいい!」
レフトではいまだ上杉が倒れこんだままだった、センターの弓生がその肩をゆする。
意識はあるようだが、いやに反応が鈍い…。
弓生「脳震盪か、と思ったほうがいいのか…」
南雲「だ、大丈夫ぜよ!?」
まともだった。
弓生は空を見上げた、太陽が憎いほどに輝いている。
雨雲が味方で、太陽が敵か、普通逆じゃないのか、と一瞬思った。
南雲「太陽が目に入ったんか…」
上杉「う…」
ようやく右手を濡れた自然芝に手をつき起き上がる。
かしゃり、とメガネが地面に落ちた。
弓生「立てるか、と思った方がいい」
上杉は焦点が定まっていないまま、あたりをゆっくりと見回した。
そして、急に涙を流し始めた。
南雲「ど、どうしたぜよ」
上杉「ぐっ…!!」
おそらく、脳裏に「3」の文字が浮かんだのだろう。
自分のミスのせいで、ふがいない自分のせいで、あんなに簡単なレフトフライだったのに、最低でも犠牲フライで一点ですんだはずなのに。
植田の前に、また三点。
しかも、追いついてすぐに取られてしまった。
終わりだ。
上杉「ふぐ…ぐっ…うっ…」
急に弓生と南雲に向かって頭を下げて。
何も喋らずに、うめき声だけをあげていた。
こんなに素晴らしい人たちなのに、こんなに平凡な自分のせいで。
涙があふれてとまらなかった。
正常に帰っただけに、現状の重さが槍のように上杉に深くつきささった。
南雲「まだぜよ」
ぐい、と上杉の短く刈り上げた頭を上に上げる。
長い前髪の奥で二つの光が上杉を射抜いていた。
南雲「取り返すんじゃ」
無理だろう―――。
上杉の目はそう言っていた。
南雲「六点差を追いついたんじゃ、三点差が何ぜよ」
弓生「南雲さん…」
南雲はそれだけ言うと、立ち上がって後ろを向いた。
背中が物語っている。
諦めない。
諦めない。
諦めない!
弓生「立て、九回スリーアウトまで試合は終わらない、と思った方がいい」
センターの弓生も定位置へと帰っていった。
大丈夫だよ。
君のせいじゃないよ。
なぐさめてはくれなかった。
…ただ、ゴールがあろうがなかろうが、歩き続けなければならない、と言われただけだった。
違う。
違うんだ、よ。
君たちみたいな強い人には、僕はなれない…。
上杉がかけなおしたメガネには相変わらずひびが入ったままだった。
役に立たないと思って、外した。
バシィイイイ!!!
『ストライッ、バッターアウッ!!』
その後、なんとか後続の真金井を抑えて事なきを得たが…。
その差、三点。
二軍ベンチにも重いムードが立ち込める。
その様子を見て、思わず堂島の口の端がつりあがった。
堂島「こんなに上手くいく、とはな」
レフトを狙って打て、とは言ったもののこんなに上手くいくとは。
思わず笑いが漏れてしまう、とんだ三点だ。
あまりにも見ていて笑ってしまうほど大きな穴だ、上杉。
他の奴らと比べると惨めになるぐらい実力が違いすぎる。
神緒「上手くいきましたね」
堂島「よくやった神緒」
秋沢「三点…さすがに二軍の奴らも意気消沈したでしょう。
堂島「…してくれると、ありがたいんだがな」
そんなにあっさりした奴らならこんなに苦労せずにすむ。
諦めだけは悪い奴らだ。
七回裏、一軍9-6二軍。
唯一三上と望月だけが、ドンマイ、と笑顔で上杉を迎えた。
二年の面々は厳しい顔だった、上杉を責めるつもりは毛頭ないが、ここからどうすれば勝ちにつながるのか、それを必死に考えていた。
弓生はもともと慰めるようなタイプの人間ではない、布袋はなんと言えばいいか迷ってるうちに上杉に誤られたので機を逃していた。
藤堂は謝るぐらいなら…と思ったが、そんなことをしている余裕もなかった。
あの微塵から、また三点取り戻さなければならない、先ほどは堂島の動揺をうまくついたが、そんなその場しのぎが何度も続くとは思えない。
しかし、それでも沈み込む上杉を見ていると、苛立ちがとまらなかった。
上杉「…」
藤堂「…ちっ!!」
がっ、と首根っこをつかみあげる。
藤堂「いつまでもうだうだうだうだと!!落ち込むのならミスするな!」
南雲「お、おい藤堂」
妻夫木「…」
上杉「……んだ」
藤堂「ああ?」
上杉「僕はあなたたちとは違う!!期待しないでください!!」
バキイッ!!
思わず殴り倒していた。
上杉は殴られたところをかばうふりも見せず、地面に倒れたままだった。
藤堂「余りがいれば、とっくに追い出しているところだ」
南雲「藤堂!やめるぜよ、責めてもなんもならん」
藤堂「じゃあ、お前からこのクソに落ち込むなと言ってやれ!迷惑なんだよ!!」
妻夫木「やれやれ、ケンカか…このチームもここまでかね、今から堂島に謝れば許してもらえるかな」
望月「上杉、仕方ねーよ!」
望月の声だった。
珍しく大声だ。
思わず、全員が望月を見た。
望月「三点がなんだ、俺は六点だ!!…だけど、みんな助けてくれた」
上杉「…望月君」
望月「お前がいなけりゃ、チームは八人だった。そこに加わってくれるだけでも、ぜんぜん精神力が違ったんだ」
望月は大きくバットを振った。
望月「諦めろ、もうやっちまったことは戻らない。諦めろ、諦めて、追いつこう。一人づつ、塁に出ればいい」
もう無理だ。
そう思った瞬間から、先ほどもなんとかなった。
諦める、諦めたふりして。
諦めない。
植田「無駄だ、もう一点も取らせん」
望月「結局俺と同じ点を取られた奴がえらそうに」
―――ズドオォオンッ!!!
『ストライク、ワンッ!!』
七回裏、無死。
九番サード望月。