221一軍戦18カーブを打て!




















ズドォオンッ!!!

「ボール」

初球は、ストレート。

外角低め。

威武はそのひん剥いた目を少し細めた、先ほどより微塵の威力が上がっている。

妻夫木、藤堂に投げている時は横から見ていてもわかるくらいに微塵の威力が落ちていた。

この雨だ、指先が滑るのだろう、しかし先ほどからストレートを投げるときは念入りにロージンをつけている。

ストレートが来るとはわかっているのだ、わかっている、がバットにボールが当たらない。

先ほどの打席も無様な三振だった、ストレートならば打てると思っていたのだが。

打ち込まれて以降、植田はストレートと変化球を効果的に投げ分けてきている、そうなれば変化球が苦手な威武にとっては絶望的だ。

しかし、今は無死満塁…なんとしても、せめて一点ぐらい反さなければならない。



植田「…」


植田が小さく息を吐いて、左足をあげた。






笠原(堂島のリード、か)

降りしきる雨に対して笠原は傘をささないままでいた。

風も激しくなってきている、センター側からキャッチャーへ、もろ逆風である。

果たして天は一軍に味方しているのか、二軍に味方しているのか。

笠原(堂島のリードに精彩が欠け始めている)

先ほどまでは二軍をあざ笑うかのように、微塵と変化球を上手く使い分けていた…が、この回妻夫木にセーフティを決められてから様子がおかしい。

確かに雨で植田のストレートの威力が落ちているのもある。

が、いくらストレートの威力が落ちているのだろうと、リード如何によってはどうとでもアウトを取れるほどの実力を、植田は持っている。

それでは植田の力を一割も発揮させていない。

これならば、あの二軍のマネージャーだった男の方がマシだ。

笠原(焦りか…)

六点差。

六点差あれば勝てる、常識的に野球を知っているものならば六点差はいわば致命傷だ、しかもすでに回は六回を回っている。

しかし。

地道に、嫌になるほど遠い距離を二軍の奴らは歩いてきた。

四点差といえども満塁だ、サイボーグでも無い限りこの場面であがらない選手などいるまい。

だからこそ、緊張していない植田がこのリードではあまりにも不憫だ。





バシィッ!!

『ストライクッ!!!』


カウント1-2、ストレートを二球外したところで変化球をストライクゾーンに入れてきた。

チェンジアップに対して威武は全くタイミングのあっていない空振り。



笠原(確かに、確かにセオリーだ)

ストレートを見せ球にして、変化球で勝負。

変化球が苦手な威武にとっては、間違いの無い采配。

だが笠原は何か予感を感じていた。

このままあっけなく終わってしまうような男ではない。






バシィイッ!!

『ストライクツー!!』

審判の右腕が勢い良く引かれる、威武はスライダーに対してスイングをしなかった、見送りだ。




南雲(あくまでも変化球で勝負するかの)

藤堂(確かに間違っちゃあいないぜ、俺も捕手だったらそうする)


しかし、この場にいる誰もが…リードしている堂島を含めて全員が何かを感じていた。


南雲(堂島にストレートで勝負する勇気があるけぇの)


今の植田ならおそらく失投しないだろう、そして完全な微塵なら威武は三振だ。

だが変化球なら…?タイミングはあわないものの、確かに威武には見えているのだ。

堂島は首を振った。


堂島(迷うことなどないっ!!)


決め球は、カーブ。

植田はゆっくりと頷き横を向いた、そしてゆっくり、ゆっくりとまるで打者を焦らせるように足をあげてモーションに入る。


植田「うおああああああああああ!!!」

威武「……!!!!」



シュ……ッ!

ボールはリリースポイントから山なりの軌道を描いてゆっくりホームベース上に落ちてくる。

威武(見逃す、ストライク)


振るしかない。

瞬きをしようともしなかった、見開いたまま必死にボールにあわせていく。











―――ガキィイイッ!!













ボールは、キャッチャー横の濡れた地面の上を転々と転がっていった。

『ファールボール!!』

堂島(…当てた?)

今まで変化球に対して全くタイミングがあっていなかったはずの威武が…。



妻夫木(へーえ…やるねぇ)

大和(…威武君)


息が荒い。

まさか当たるとは思わなかったから、まだ心臓が跳ねている。

当てれる。

威武「俺…当てれる…打てる…」

今までただの木偶の棒だと思っていた図体が、途端に巨人へと変わる。

堂島は、歯の根が合わなくなっていた。

何故だ、どうしていつもこう計算が狂っていくのだ。

城戸の時も、真田の時も、そして今も。

マウンド上の植田の表情が一切変わっていなかったのが憎くて仕方が無かった。

やめろ、俺をそんな目で見るな。

俺に何を期待している。


威武「堂島、勝負、する」


低い、地から這い出たような響く声が堂島の鼓膜をゆする。

先ほどまでの威武の姿はもうそこにはなかった。

いや、偶然だ偶然…やはりこいつは変化球には、弱い。




















三上「タイム!!!!」


突然、二軍のベンチ側からタイムがかかる。

場の空気が一挙に変わった、緊迫したムードが若干弛緩した。


望月「お、おい三上!?」

弓生「どういうつもりだ、と思ったほうがいい」


威武に向かって走り出す三上を追って、望月、弓生、上杉もベンチを出てきた。

勝負に水を差されたとばかりに、不機嫌な表情で振り返る威武。

望月と弓生は思わず後ずさった…が、三上は動じていなかった。

それどころか、威武の腕を引っ張って堂島から離れるよう指示していた。

流石にあっけにとられた威武は仕方なく三上についていき、二軍ベンチ前でとまった。

ネクストバッターズサークルで座っていた布袋もその場に加わる。


布袋「いったいぜんたいどうしたってんだ三上」

望月「そ、そうだぜ。急にこの流れを止めちまうだなんて…」

威武「お前、俺に、何の用?」

三上「いえ、聞いてください威武先輩」


三上はポケットから小さな手帳を取り出した。


三上「何かのためにと思って、今日向こうに出てくる選手たちのデータを暇な時間ベンチでまとめていたんですが…。堂島先輩はもともと出ると予想していたので、かなりの情報があります」


威武は大きく首をひねった、その動きだけで風が起きそうだ。

太い眉毛の下の目は三上をじっと見つめていた。

風は相変わらず勢いをまし、威武のとがった後ろ髪を揺らしている。

三上は鼻の頭にまかれた包帯を一度こすると、雨に濡れないよう、手をかぶせてページを開いた。


三上「いいですか…威武さん……」


そして口に手を当て、声量を落とす。

輪に集まっていた一年がそれを囲むようにして輪になる。



三上(おそらく、次もカーブで勝負してきます)

威武「…?」

上杉(ど、どうしてわかるんですか!?)

三上(今までの堂島先輩のデータから見ていると……ここぞ、という場面。相手に粘られたとき、決め球と同じ球種で勝負し続けるというクセがあります)


どうも、最初から植田が決め球はストレートで勝負、という印象があるが、そういえば肝心なときはストレートの連投、という気がする。

そういえば、先ほどの藤堂に対しても、カーブを連投していたような…。


弓生(そういえば、そうだな。と思ったほうがいい)

望月(ま、マジかよ)

威武(本当、か)

三上(わかりません、今の堂島先輩は外から見てもわかるほどに動揺しているので違うリードを取るかもしれませんが…冷静じゃないからこそ、普段のクセが出るのではないか、と僕は思います)

南雲「なーんじゃ、おまんら、わしも仲間にいれんか」


と、急にカラカラ笑いながら上杉と望月の間を押しのけるようにして南雲が輪に入ってきた。

まったく堂島と対照的な表情だった、見るものを安心させる笑顔。


南雲(んで、どーいうことかのぉ)

三上(おそらく、堂島先輩はカーブ連投のサインではないかと)

藤堂(良い読みだな、マネージャー)

妻夫木(ほー、なるほどなるほど)


気がつけば二軍メンバーの全員が輪になっていた。

三上は一瞬驚きながらも、威武を含め全員に再びその意を伝えた。


威武(カーブ、狙い、でいいのか)

藤堂(しかし、このデカブツは変化球が打てないんじゃないのか)

南雲(いんやぁ、威武のバッティングセンスはたまげたもんぜよ。打てないことはないと思うんじゃきに…)

三上(威武先輩はタイミングをずらされてガタガタになってしまうから、変化球を打てないタイプですね)

布袋(そういえば…読みを外されて、とかじゃなくてただ単に変化球が苦手って感じですね)

上杉(わかります、僕も変化球が苦手でして…)

望月(上杉とはレベルが違ぇーだろ)

上杉(そ、そうですね…)

弓生(…!いや、そうでもない、と思ったほうがいい)

望月(は?)

弓生(藤堂先輩、南雲先輩、カーブ打ちのセオリーはありますか、と思いますか)

藤堂(セオリー、ね)

南雲(わしゃ、なんとなく打っとるきに、あんまりわからんぜよ)

布袋(カーブ打ち…っていうか、カーブは遅いから当てれるんだよな。だからストレートにあわせて打つっていうか…)

望月(ん!?そういえば、全中の時似たようなこと言ってるやついなかったか?)

布袋(…そーいやぁ…)






―――俺、カーブって打たれへんねん、どないしたら打てるん?―――



布袋(そんな関西弁いたな…)

望月(あん時波野がすっげーわかりやすい答え方したじゃねーか、覚えてるか?)

布袋(…うーん、確か…)










堂島は正直安堵していた。

この嫌な流れを相手が断ち切った、というかわざわざ切ってくれた。

一度自分に落ちつくチャンスをくれた。

マウンドに集まるような真似はしない、そんなことすれば自分が動揺しているのを教えるようなものだ。

マウンド上の植田がまるでランナーがいないかのように落ち着き払って投球練習をしているから。

向こうはなにやら輪になっているが、やはり威武には変化球でいい。

あのファールで慌ててしまったが、落ち着いて考えればあのファールもガタガタにフォームを崩していたではないか。

やはり変化球勝負だ、間違いない。



大きな身体を揺らしてゆっくりと打席に戻ってくる。

雨に濡れた地面がまるで凹んでいくかのような錯覚を覚える。

雨ざらしになったヘルメットをぬぐおうともせずに打席に入る。

風はますます強くなっていた。

ゴウゴウというと音をたてて、上空で旋風をまいている。



堂島「無駄だ」

威武「…」

堂島「人間にはできることとできないことがある」

威武「できない、こと?」

堂島「わずか三分間で百万円を手にすることなど不可能なのだ」


サインを出す。

植田は相変わらず落ち着き払った状態で、ゆっくりとゆっくりと足を上げる。

堂島のサインは?

植田の球種は――――。













山なりを描く、カーブ。


望月「きたあああああああああ!!!」

布袋「カーブだ!!!!!!!!!!!」

南雲「落ち着くぜよ威武!!!」



見える。

見えている。

威武の二つの目は確実に目の前のボールを捉えている。


















望月(カーブ打ちだぁ?)

西条(そうやねん、どうしてもストレート狙ってるとな)

布袋(そんなこと言われてもなぁ…俺はどっちかっていうとカーブの方が得意だしなぁ…)

波野(そういえば…俺こんな話を聞いたことあるぞ?)

西条(なんやねん、それ聞かせてや)

波野(ストレートは相手が振りかぶった瞬間から1.2.3を数えて、振るっていうだろ?…カーブは…)










威武「1、2」
























威武「の」



















波野(―――後はストレートと同じスイングで思い切り振り切ったらいい)







丸太ほどもあろうかという太い腕が風を完全に凪いだ。

ボールは完全にその場から消えうせ…。

空の彼方、グラウンドのはるか向こう側の森の中へと消えていった。




















南雲「あんりゃー…こういうことも、あるもんじゃな」






六回裏、一軍6-6二軍、無死。


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