218一軍戦15雨にも負けず
六回表、一軍6-2二軍。
ついにどす黒い雲から落ちてくる雫の量が増えてきた。
地面が音を立てる、肩はわかるぐらいに濡れている。
だが誰も試合を止めようとはしなかった、ギャラリーも緊迫する試合に見入っていた。
疲労困憊の望月は三塁手に回る、そして三塁の布袋が二塁手に。
降り始めた雨の中、内野陣が再びマウンドに集まる。
藤堂がグラブを口に当てた。
藤堂「サインは、お前が出せ」
三上「…え?」
藤堂「何をぼけっとしてる、さっきのリードを見る限りお前の実力はそう間違ったものじゃないだろう」
望月もうなずいた。
三上「あ、ありがとうございます」
藤堂「礼を言うのは早い」
威武「藤堂…頼む、ぞ」
藤堂「キサマに言われなくてもわかってる」
望月「…」
藤堂「案ずるな、これでもお前が来るまでは俺が大和さんの後を継ぐはずだったんだ」
三上「…球種は?」
藤堂「シンカー、シュート、カーブ3」
存外普通だ、が左右にばらけてるからリードはしやすい。
三上は即座に投球の組み立てを頭の中で思い描いた。
望月「藤堂先輩」
藤堂「もういい、行け。マウンドの責任は、投手が負う」
打者は一番に戻る、バッター国分、五打席目。
うっとおしい雨だ、帽子の粒から耐え切れなくなった水滴が一滴視線を横切って地面に落ちた。
すでに薄い水溜りがいくつかできている。
スパイクで踏みしめると、独特の感触がした。
国分「…」
四点差。
気など抜けるはずもない、一点入れられただけで終わる。
まさに崩壊寸前の旅客機だ。
藤堂はゆっくりセットポジションに構えた、三上からのリードにゆっくりとうなずく。
大和「藤堂君、か」
神野「望月望月って浮かれてたけどよぉ…」
宗「実は、藤堂も実力者だったはず…」
バッターとしての才能がずば抜けているためにどうも印象が薄れがちだが、それでも県の中ならどの高校に行ってもエースとしてやっていけるだけの実力は持っている。
だが、とはいっても望月の後だ。
笠原(…三上の腕の見せどころか)
降りしきる雨の向こうに藤堂の姿が見える。
なぜ望月の後ではつらいのか、自明だ。
望月が入ってきてから、藤堂は自らショートへコンバートしたのだから。
すなわち、それは。
笠原(望月より劣っていた、ということだ)
セットポジションから敵を、打者を見据える。
左足をあげるとそのまま腰を大きくひねった。
国分(トルネード…!)
野茂、というよりは阪神の久保田、巨人の上原を彷彿とさせる上半身をひねるフォームから、第一球。
バシィインッ!!
『ストライク、ワンッ!!』
初球、低めストレート。
間違っちゃいない、と藤堂は思った。
堂島「だがしかし、それは応急処置にすぎない」
一軍ベンチに腰を下ろした堂島は右手をあごに下にそえた。
堂島「望月が投げれなくなったから、藤堂を投げさせた。…確かに藤堂はいい投手だ、それは俺も認める。だが望月と比べると、マシなのはストレートだけだ。それほど望月の変化球はずば抜けている」
そのストレートですらも、先ほど秋沢を打ち取ったボールならば…大和、微塵に並ぶといえる。
応急処置、それはオールオーケーの状態ではないということ。
打者の国分もそれは感じ取っていた。
国分(…いけるな、悪いが望月よりは落ちる)
ストレートですらも。
続けて二球目、三球目は変化球で外してきた、打者の国分からすれば逃げるようにリードするしかない、とここまでの配球は見えた。
国分(だが…なにかさっきから違和感を感じるな…いや、違和感というか、ひどく不愉快な何か…)
三上はその通り、かなり苦心していた。
悪くはない、決して悪くはないのだが、如何せん望月が良すぎた…。
キレる変化球があるから、ストレートの威力をあげることができる。
だが藤堂は良くも悪くも無難だった、お互いとも同様のレベルにある、決してレベルは低くない、だが相手が悪い。
望月相手にあそこまで容易にヒットを連打してくる連中なのだ、望月が動揺していたとはいえ、大和クラスでないとこの打線は抑えるのが難しいかもしれない。
雨の音がやけに耳に障った。
視界に入ってくる一塁ランナーと二塁ランナー、もう少しだけ、せめてこの回だけでも望月には抑えてもらいたかった。
なんせ無死、一塁、二塁だ。
三上(どうする三上信吾…)
考えろ、世の中完璧なんてない。
あれだけ完璧に見えた植田から二点もぎとったではないか。
しかし。
マウンド上の藤堂はいやに冷静だった、これでもかというほど落ち着いてロージンバッグを振っている、表情は相変わらず怒りが焼きついたままだが、決して激しくはない、あくまでも静かに怒気を打者に当て続けている。
国分はようやく自分が感じ続けていた気味の悪さに気づいた、藤堂の目を見た瞬間に一瞬ひるんでしまった自分に、気づいた。
それは、三上も。
藤堂「…」
望月には無かった『凄み』、威圧感。
ヒントはそれだった、三上の脳裏にある希望がわいた。
受け手に回っているから、駄目なのだ。
セットから、トルネードのフォーム…第四球!!!
国分「なっ…なんだと!?」
――――ど真ん中、ストレート。
国分(植田へのあてつけかっ!!)
どう見ても、打ちごろ…みぞ落ちのあたりを通過するストレート!
国分「馬鹿にするなよっ!!」
藤堂「いいリードだ三上、マネージャにしておくにはもったいない」
ガキィッ!!
国分のバットから聞こえたのは予想に反してつまった音だった。
国分「!?」
藤堂はすばやくピッチャー前に転がった球を捕球、先ほど変わったばかりのサード望月へ送球。
藤堂「望月っ!死んでもセカンドへ送れ!!」
望月「まだ死にたくは無いッスね!!」
鉛の右肩を奮い立たせてセカンドベースに待ち構える妻夫木に送る。
『アウトォッ!!!』
さすがに一塁は国分が俊足なので間に合いはしないものの、フォースアウト二つで、一気に二死、一塁二塁。
国分(やられた)
油断した、ど真ん中ストレートなど投げてくるはずが無いのだ。
あの一瞬ボールはわずかに左バッターである国分から離れていくように逸れた…そう、シュートだった。
球速が速い分、騙された、それに植田のあの執拗なまでのストレートが味方である国分の脳裏にも色濃く焼きついていたことも原因のひとつ。
三上(攻めればいいんだ)
簡単な答えだ、逃げるから追い詰められた。
望月をリードしていた時は、どうやって苦手なコースで勝負するかしか考えいなかった、故に打者から逃げるように勝負してしまった。
だが藤堂のあの鋭い視線が、攻めるリードを呼び覚ました。
相手の裏をかき、相手の得意コースをあえて攻め、そして勝負する。
望月の力をうまく引き出していたつもりだったが、もしかしたら三上は自分のデータを過信しすぎていたのかもしれない。
結局ピンチを乗り切ったのは望月自身の実力だ。
藤堂「油断するなよ、三上。反省なら後でしろ、今は目先が敵だ」
二番、セカンド烏丸。
ゆっくりと左打席につく、息をつかせぬ打線が続く。
一回表、抑えはしたもののヒット性の当たりを二本打たれているミートの達人がゆっくりとバットを構えた。
手首が青白く光る、D、「那由多」ヒットコースを無尽に産む根源は手首である、クリップの返しで全ての打球を操作する。
藤堂「…お前か」
烏丸「こうして、戦うとは思いもしなかった、かも。望月君が来たからね」
藤堂「適材適所だ」
烏丸「負けるのが、怖かったんだろ。望月君に、だから自分からマウンドをゆずった」
藤堂「だとしたら?」
烏丸「君は見た目よりずっと臆病者、かも、ね」
バシィンッ!!!!
ストレートが内角厳しいところに決まった。
烏丸「当てるはずないんだ、今の状況じゃ死球に何のデメリットも無い、から、ね」
藤堂「落ちこぼれが、えらそうに」
烏丸の細い目がきっ、と開いた。
植田同様、眼球は完全に血走っている。
烏丸「お前にわかるか、偶然で、俺の人生は変わった、変わったんだ。お前らが俺をさげすみ、笑う姿がどれだけ屈辱だったかわかるか!同じチームで野球していたと思っていた俺が馬鹿だった、所詮他人同士だ」
藤堂「気にしすぎな、だけだ。お前はやっぱ、二軍の方が似合ってる」
烏丸「なんだ、と」
ズバシィイイイッ!!
『ストライクツー!!』
藤堂「一回の失敗で人生終わるなら、人間なんて誰も生き残っちゃいない」
烏丸「お前に俺の何がわかる、んだ!今まで俺は、完全だった、パーフェクトだ!レギュラーだって子供の頃から一度もゆずったことなんてない!桐生院に入っても、俺はお前や南雲、堂島、真田達と実力は変わらないはずだった!!」
藤堂「だが、お前だけ入れ替え試験に落ちた」
烏丸「そう…そしてそのときの相手はお前だった」
二人のうちどちらかが、一軍に残る。
南雲は残り、真田は落ちた。
堂島は残り、威武は落ちた。
そして、藤堂が残り、烏丸が落ちた。
執拗な内角攻め。
十球中死球が二個、それでも藤堂はヒットを一本も打たせなかった。
烏丸「あれ以来…俺は内角の球が一切打てなくなったばかりか、ボールに踏み込むことすら恐れるようになった…だが堂島様は俺に勇気を与えてくれた。怖がることなどない、バットコントロールと選球眼さえあればボールにあたることなど無い、んだ!」
藤堂「違うな」
烏丸「…何?」
雨は激しくなってきていた。
藤堂「内角の球が打てなかったのは、お前がビビったからだろ」
烏丸「―――違うッ!!!」
藤堂「違わない」
烏丸「お前こそ!!望月が来て何故すぐに投手をあきらめた!?マウンドをゆずった!?ショートとして、バッターとして生きようとした!!お前にはプライドがないのか!」
藤堂「そんなもの、一切無い」
藤堂「勝てば、正義」
第三球!!!!
内角、ストレート!!!!
烏丸「馬鹿にするなぁあああああっ!!!」
あの頃の自分ではない。
内角の球など、打ち返せる。
しかも、どの方向にでも。
烏丸「今の俺なら、どこにでも打ち返せるっ!!」
狙うは。
藤堂の顔。
その顔、ぐちゃぐちゃにしてくれる。
それで烏丸の悪夢は、終わる。
カキィインッ!!!!
『オオオッ!!』
灰谷「打ち返したっ!」
神野「が…やべぇ!顔面コースだぞ!!」
雨飛沫を弾けさせながら打球は藤堂の顔に―――。
あたらなかった。
藤堂の顔面の前には、まるで予測したかのようにグラブがあり、その中に白球は納まっていた。
雨の中、烏丸は立ち尽くした。
藤堂「チェンジだ」
烏丸「…何故だ、何故俺が顔面を狙うとわかった」
藤堂「あれだけ挑発されて、狙わない方がおかしい。特に根に持つお前のことだ」
烏丸「…」
藤堂「そういえば、俺があの入れ替え試験で当てた死球も顔面だったか。ヘルメットに当たった分怪我はせずにすんだようだったか」
藤堂はふん、と鼻を鳴らすと振り向きもせずに二軍のベンチへと帰っていった。
六回裏。
依然四点差。
南雲「残り三回…か、ちょっと厳しくなってきたの」
さすがに南雲の顔からも余裕が消えてきた。
それだけ今の植田のピッチングは気迫がこもっている。
だが、この男は違った。
いまだににやついた表情を顔に貼り付けている。
へらへらと、打席に向かった。
二番、ショート妻夫木。
妻夫木「微塵…、白翼ねぇ。大和さんはあの時なんで横濱に打たれたんだっけな…」
記憶を辿るようにして首を二三回振ると、ヘルメット上の雨粒が散っていった。