220一軍戦16きっかけ
妻夫木は初球を見送った後、必死に思い出そうとしていた。
夏、大和たちが勝ち進んだ甲子園での二回戦。
死力を尽くした試合だった、相手も強大な敵であった。
和久井一人…あれだけ大和と互角に渡り合えた投手を妻夫木は今まで見たことが無かった、世界は広い。
そして…波野渚。
大和のストレート…白翼をあれだけまともに打ち返した打者は、初めてだった、それまで妻夫木は大和を打ち砕ける投手などいないと思っていた。
しかし、白翼には欠点があった。
それは『失投』しやすい、ということ、白翼もライオンハートと同じく露草から伝授されたものであったので、根本的な理論は同じ。
リリースする限界まで指を残すことによって爆発的な回転をストレートにかける、それは裏返せばその絶妙なタイミングを逃せばすぐにボールは棒球になるということ。
だからこそ、大和は丁寧にロージンバッグをつけなるべく失投を避けようとし、そして連投を避けた。
一回から連発せずに、重要な局面だけそのストレートで勝負するようにしていたのだ。
ズバァアンッ!!!
信じられない音を立てて『微塵』がミットに飛び込んだ。
残念ながら、マウンド上の敵は一回からこのストレートを連投している。
それはつまり、自覚しうる限り欠点は全く無い、ということ。
そして絶対的な自信を持っているということ。
六回裏。
カウント1-1。
大和「まずいね…」
灰谷「ああ…奴さんますますストレートの威力があがってきてる」
宗はついに耐え切れず右手に持っていたビニール傘を開いた、それだけ雨脚が強くなっていた。
宗「…植田匡人に死角なし…か」
神野「さっきの二点も偶然が重なったみたいなもんだったしな…」
宗「四点は、植田相手じゃ重過ぎるか…」
大和「いや…きっかけだ」
大和はしたたる雨をぬぐおうともせずに、戦況を見つめ続けていた。
きっかけがあればいい、植田はまだ精神的に強いとは言えない。
いくら化け物じみた強さがあるとはいえ、まだ15の少年だ。
先ほどもたった一つの偶然から、まるで砂糖の塊のように崩れ落ちた。
大和「きっかえさえあれば…」
南雲「きっかけ、ぜよ…」
南雲も大和と同じ考えだった、何かきっかけがあれば状況は一変する。
完璧な試合なんてそんなものだ、0-0の試合がホームラン一本で大差がつくこともある。
…というか、そろそろ何かが起こらないとまずい。
このまま植田が最終回まで抑えきるシナリオだって、考えうる未来には確かに存在しているのだ。
南雲「妻夫木ぃ…」
気づけば、その名前を漏らしていた。
呼ばれた打者はいつもよりは多少真剣な顔といえど、相変わらずリラックスしているように見えた。
バシィンッ!!
『ストライクツー!!』
インハイの微塵で追い込まれる、一度打たれてからの植田は全く隙がないように見える。
植田「終わりだ、とっととあきらめたらどうだ」
妻夫木「あきらめるか…あきらめてもいいけどなぁ」
決して無理なんかしない。
妻夫木はいつだってそうだった、無理して、意地になっても自分が悔しいだけだ、相手はのうのうとしている。
熱くなってもいいことなんてない、とっととあきらめる方が人生を楽しむ上で有益だ。
ストレート。
キィイインッ!!!!
なんとかバットをボールに当てる…が当然ボールが前に飛ぶわけも無く。
『ファールボール!!』
堂島「この雨…もう少し勢いが強くなればコールドだ」
背後の堂島が囁いた。
堂島「しかも四点差…くっく、終わりだ。終わりなのだよ、妻夫木」
妻夫木「そうだなぁ…」
しかし妻夫木は相変わらずぼんやりとした言葉しか返さなかった。
集中力が切れているのか、それとも何かを考えているのかは堂島にはわからなかったが、微塵さえ投げればもう三振を取れることはわかった。
迷わずに微塵のサインを出す。
それに頷いてゆっくりと左足を上げる。
植田「終わりだ!!!!」
きっかけ。
妻夫木「打つのは、諦めるかなぁ」
コキンッ!!
堂島「なっ!!」
笠原「なんだと!!」
妻夫木が出したバットにボールは軽く当たって…。
神野「バント!!」
布袋「う、上手い!!」
弓生「しかし、スリーバントだぞ、と思ったほうがいい」
だが、完全に裏をかく形となった、サードの秋沢もまさかこんなところでセーフティをしかけてくるとは思わなかったのか一瞬判断が遅れる。
植田「く、ほざけ!!」
植田が三塁とマウンドの間に上手く転がったボールを捕球しようと、ダッシュでボールに駆け寄る…が。
堂島「取るな植田、秋沢!ファールになる!!」
堂島が駆け寄った二人を右手で制す。
ボールはゆっくりと転がって…。
―――ピタ。
『セーフ!!!』
ギャラリーから歓声が沸く、そういえば久しぶりに出たランナーであった。
しかも、無死で…!!
今のバントがファールにならずにフェアになった。
ただ雨が降っていたから地面がしめった、その分ボールが転がらなかっただけだ。
植田「…」
だけ?
何故か植田は嫌な予感がした、何か大切なことを見落としていないか?
藤堂(面白いことをやってくれる)
一塁上の妻夫木は、そのことに気づいてバントをしたのか。
藤堂はストレートだとわかっていながら植田の微塵に当てることができなかった、バントですら、だ。
上体をぐっと前に傾け、ボールに覆いかぶさるような独特なクラウチングのフォームになる、視線はひたすらマウンド上の植田を睨み付ける。
無死、一塁。
クリーンナップ、三番藤堂。
マウンド上の植田も、キャッチャーの堂島もおそらく気づいていないだろう、微塵をバントで当てられたことに。
些細なラッキーとしか…いや先ほどはそのラッキーから二点入ったので警戒はしているとは思うが、ワンヒットとしてしか捉えていなかった。
それがバントで当てられたということだ。
堂島「植田、落ち着け!偶然は二度も続かん!!」
植田は黙って頷いた、動揺はしていない、落ち着いている。
先ほどの痛い経験から焦っても仕方ないと肝に銘じているのか、藤堂に対しての初球はスライダーで入ってきた。
『ストライクワンッ!!』
堂島(よし…落ち着いているな)
植田の一球目を見て堂島は安堵した、二度あることは三度ある…が植田のこの落ち着きでは先ほどの失態を繰り返すこともないだろう。
植田、セットから第二球。
藤堂(チェンジアップ)
低めに外れてボール、だが際どいところだ。
先ほどの失態が嘘のように落ち着いている…が、藤堂も一切動じない。
藤堂「さっきとはえらい違いだな」
植田「自分の失態ではもう後ろは無いから」
振りかぶって、三球目。
ズバシイイイイイッ!!!
『ストライッツー!!』
カーブ…微塵は投げてこない。
大和「…藤堂君に対して、ストレートを投げないね」
宗「警戒?…しているのか、いや。先ほどの経験からか?」
先ほどの失点、ムキになってのストレート連発が原因だった、失投すればいくら植田のストレートといえども威力はない。
だから堂島は植田に冷静になれ、という点で変化球を要請した。
大和「でも、もし堂島君が藤堂君に変化球で勝負しようと思っているなら、本質を見落としている」
その後、堂島はやはり変化球のみの配球でカウントを2-2とした。
植田は一度も堂島のサインに首を振ることはない。
藤堂は雨でぬかるみ始めていた足場を固め直した。
藤堂「リードは、三上のほうが上手い」
堂島「…何?」
ぼそり、と藤堂がつぶやいた。
それに思わず堂島も反応する。
藤堂「ストレートを打たれたからストレートを投げさせないってのは、わかりやすすぎるんだよ」
堂島「…」
何もわかっていないのは、そちらだろうが、と堂島は思った。
とっくに気づいている、植田のストレートの『威力が落ちている』ことには。
そんな言葉で挑発させようとしているなら、浅い考えだ。
堂島は決め球も当然、カーブを要求した。
連投となるが迷ってはいなかった。
藤堂「偶然は、何度も続かない。が、必然は、何度も何度も続く」
カーブが、曲がり始めた瞬間に、藤堂のバットが白球を捉えた。
藤堂「お前のリードじゃあ、何を投げても、もう終わりなんだよ」
ッキィイィィイイインッ!!!!
布袋「!!!」
望月「う、打った!!!!」
植田の顔のすぐ横を、打球がすさまじい勢いで飛んでいく。
植田「っ!?」
打球が良すぎたか、センター神緒の真正面に飛んでいったので妻夫木は二塁どまりだが、それでも…無死、一塁二塁。
堂島の額を流れ落ちた汗が雨と混じって消えた。
大和「きっかけ…か」
大和は上空の雨を見上げた。
雨で滑るのを恐れてストレートを投げさせなかった堂島、しかしストレートを投げさせないということは、植田の武器を捨てたということ。
何故植田を打てなかったのか。
微塵が打てないからに、決まっている。
大和「変化球に逃げてしまった堂島君は、あの決め球の時にどちらを投げてもおそらく藤堂君のバッティングセンスなら打ち返していただろう」
きっかけ、いや雨の勢いが強くなった瞬間に、全ては始まっていたのだ。
この機会を逃してはならない。
流れというものが存在するならば、今の桐生院に向いているということは間違いない。
追いつかなければならない。
南雲「…行くぜよ」
堂島「…南雲…っ!」
四番、南雲要
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