213意外な伏兵
ことは相川が生徒会との交渉が終わり部室に戻ったときに遡る。
すでに練習は終了しており、各人ともユニフォームから制服に着替え終わっていた…もとい、西条と吉田は相川の「残業」の一言でいまだに走り込みを続けているが。
うえーーって言ってた割りにいまだに外では大声が聞こえる、あの二人は相性がいいんだろうか。
ちなみに将星の練習量はかなり多い。
各人がきっちりと自主トレをこなしてる上に連携守備は入念にやる、人数が少ない分誰もが自分自身に責任を負っているからだ。
めきめきと実力をあげていくのが、目に見えてわかるほどであった。
部室内はほこりの匂いであふれていた、掃除しないと、と三澤が週末の予定を考えた時。
ぎしり、とパイプいすの上で御神楽が足を組んだ。
片手の指だけを神妙な表情で壁にもたれている相川に向ける。
御神楽「結局女子ソフトのルールを全面的に飲んだことになるのか」
相川「まぁな。不利と言っちゃ不利だが…」
御神楽「廃部を免れたのは、大きいな。しかし解せん。何故相川が生徒会に入ることぐらいと引き換えになったんだ」
三澤「…御神楽君はもうちょっと女の子の気持ちを考えたほうがいいよ」
御神楽「はははぁあああーーー!!す、すすすすいません三澤さんっ!」
空中で正座してそのまま座ったまま膝で着地し、地面に頭をつける。
この頃謝りネタがびっくり人間化してきてるな、と相川は苦い顔をした。
相川「俺はごめんだぞ、あんな女の下で働くなんて」
六条「珍しいですね…相川先輩がそんなに女の人を嫌うなんて」
野多摩「天敵?」
大場「そういえば、去年はもめてたとですねぇ」
御神楽「俺たちは直接関わった訳ではないがな」
相川「まぁ、俺と吉田と三澤、あと緒方先生以外はわからんかもしれんな」
三澤「まぁまぁ、でもとりあえず勝てばいいんだよね?あ、梨沙ちゃん、ちょっとこっち来てー。ちょっとだけ球でも磨こう」
六条「はぁーい」
カゴにぎっしりつまった汚れた硬球を、三澤と六条はタオルで磨き始めた。
相川「…勝てば、ね」
御神楽「楽観的すぎるんじゃないか?相川よ。どうも僕はそんな気がする」
相川「俺も多少後悔しているかもしれん、廃部を免れたことに浮かれてたのかもな…」
真田「くだらん。俺はそんなふざけた試合には出ないぞ」
御神楽「まぁそういうな真田、相川のためだと思って」
真田「………ちっ、どうせやらざるをえないんだろうが。…で、女子ソフトはどうなんだ」
相川「実力か?」
真田「勝てない試合をやるほど、俺は間抜けじゃない」
御神楽「明日にでも練習を覗いてみるか、相川よ」
相川「真田は甲子園出場してるからそんなに驚かないだろうが……まあ、桐生院とまではいかないが、少なくとも成川よりは強いぞ」
御神楽「…成川より?」
相川「わからん、競技が違うからなんとも言えんし、守備の連携しか見ていないからな」
真田「それよりも、ソフトボールで試合をするんだろうが。……投手はどうする」
相川「西条は上だからあまり期待できんかもしれんが、冬馬が元々アンダースローだからなんとかなるんじゃないかと」
真田「なんとかなる?…将星の軍師さんがとんだ希望的観測だな」
相川「…結局俺はあの女にのせられた形になるのか」
御神楽「まぁ、相川のせいだけではないだろう」
真田「元を正せば外の馬鹿二人がはめられたのが原因だろう。俺も相川の言うとおり、どうも怪しいとは思うぜ。話を聞く限りな」
相川「思ってるなら力になれよ、沈黙を守りやがって」
真田「くだらん。野球以外のところまで協力する義務はないだろう」
御神楽「相変わらず、協調性の無い男だことだ」
真田「そういうのは本人のいないところで言うんだな」
言葉の割には口調は穏やかだった、真田の表情にもわずかではあるが笑みが残っている。
県や野多摩、大場、吉田、西条のような面々にはいまだ馴染めないが、どうやら相川や御神楽は同じ人種らしい、と真田はこの二人とは口数が増えていた。
もっとも三澤に対する御神楽の態度だけは真田は虫唾が走るらしいが。
この間緒方先生と話したのが機だったのか、なるべく本人も交流を増やそうとはしているらしい。
相変わらず愛想は悪かったが。
相川「じゃあすまないが…明日か、御神楽、真田と一緒に女子ソフトを偵察してきてくれ」
真田「大げさだな。偵察などと」
御神楽「相川、お前はどうするんだ」
相川「大会も迫っているが、ソフトボールで練習するしかないだろう。そのために色々と見ておきたい」
御神楽「わかった、それでは今日は解散か?」
相川「あの馬鹿二人を置いていくのか?」
真田「一向にかまわん」
舞台は翌日に移る、今日はグラウンドを半分に分けて練習している。
真田と御神楽は女子ソフト部が練習するグラウンドの向こう側に。
相川はソフトボールでの練習を監督する。
練習風景の視界のすみで、大きな二つの風船が揺れる、この人は果たして下着をつけているのだろうか。
緒方先生「大変なことになってるみたいだけど…大丈夫?相川君」
相川「大丈夫、とは簡単には言えません…が」
吉田「いくぜぃっ!!」
冬馬「大場先輩っ!」
大場「原田どんっ!!」
原田「ういー、タッチアウトーってなもんスかねぇ」
思ったよりも軽快にボールが内野陣の間を通過している、御神楽の変わりに冬馬がショートに入って実践を兼ねたキャッチボール。
外野同士に西条を加えたキャッチボールもさほど支障がなさそうだ。
もっと難航するかと思ったが、存外チームメイトはこの普段よりもずいぶん重い球に対応していた。
サードで吉田が相川に白い歯を見せて手を振っている。
吉田「相川ぁっ、どうだ、もういいだろー?」
相川「そうだな」
緒方先生「やっぱり氷上さんが帰ってきてまた大変なことになったわね…でも、ごめんね。やっぱり先生達はこの前の事件もあるし野球部を煙たがってるみたいで」
相川「いいです、俺たちは俺たちでがんばるんで。監督にはどっしり構えてもらえれば」
緒方先生「…監督?」
三澤「わあっ、素敵じゃないですかぁ!」
六条「監督ー♪」
相川「いつまでも顧問じゃなんですし、そろそろ監督名乗ってみたらどうです?いい加減野球のルールもわかってきたでしょう?」
緒方先生「私が…監督…」
三澤「緒方監督ぅー♪」
六条「でも先生のほうがしっくりくるって言えばしっくりきますが、ふふ」
相川「よし、いいだろう。とりあえずいったん皆こっちへ来てくれ。問題のピッチングだ」
緒方先生「相川くぅーーーん!!先生感激よぉおーーー!!」
むにゅうっ。
ふかふかっ。
ついに擬音がふかふかへと進化を遂げた。
相変わらずこの牛先生の胸囲は無尽蔵である、というかまだ成長してるんじゃなかろうか。
相川も久しぶりに胸まくら抱擁に顔が一気に赤面した、珍しいショットだ。
緒方監督は目にほんのり涙を浮かべている。
相川「うがあっ!!よ、よせっ!やめろっ!いや、やめてください監督!」
緒方先生「先生感動しちゃってぇ〜〜!」
吉田「何遊んでんだよ相川」
相川「ええいっ!!はぁ、はぁ、遊んでなどいないっ!」
原田「最近、相川先輩のキャラが崩れてきてるッスよね」
大場「こっち側に来るのも近いとです!」
相川「どっち側だ」
冬馬「相川先輩、それより次は何ですか?」
西条「今日は練習指定がないんですねぇ」
相川「あ、ああ…ピッチングだ」
昨日の夜から今日の六時間目の生物まで、相川の頭を一番悩ませていたのはそれだった。
ピッチャーをどうするか。
相手は全国区だ、生半可な球ならバッティングピッチャー同然の打ちっぱなしになってしまう。
こればっかりは実際に投げさせてみないとわからない。
誰がどう言った展開に出るかわからないから、とりあえず全員に下から投げさせてみる。
ちなみに相川自身は昨日家の近くの公園で試したところ、まったく才能がなかった。
投球ネットのところに順番に並ばせる、相川自身もマスクをかぶって膝をついた。
一番吉田「とうっ!!」
相川「球は速いが、ストライクが入らんじゃないか」
吉田「あれ?おっかしーな」
二番西条「せいあっ!」
相川「上に同じ」
西条「せめて上でっ!」
相川「やめとけ、肩を壊すし、フォームも乱れる」
三番県「えいっ!」
相川「…コントロールはいいが、球が普通」
四番大場「ふんっ!」
相川「問題外だ」
五番原田「ほいさっ」
相川「地味だからってキャラを立たせようとして崩壊してるぞ」
駄目だな…予想してたよりも、駄目だ、相川は思わず空を仰いだ。
やはりここはこいつを頼ってみるか…、冬馬を呼ぶ。
相川「ソフト経験は」
冬馬「あ、えっと…俺はリトルリーグだったので…」
期待はできないかもしれない。
まぁいい、と相川は右手をあげた。
複雑な表情だったが、きりっと顔をひきしめ冬馬はふりかぶる。
相川(…ソフトのフォームってふりかぶったっけ)
そこから左手を後ろに回して回転させる、右足を踏み込んでいく。
冬馬「…よっ!」
パシィッ!
しなやかな音でボールはミットに食い込んだ。
思わず皆からおおーっ、と声が漏れる。
相川「ストライクだ」
冬馬「あ、ありがとうございます…」
相川「…だが、ただのストライクだ」
ボールが素直すぎるし、何の変哲もない。
当然ソフトの変化球を投げられる訳もない。
現時点では一番マシなボールだが…これじゃあ足りない。
野多摩「相川先輩〜」
相川「ん?ああ、ど、どうした」
野多摩「僕抜かされてますよぉ〜」
のんびりとした口調で自己主張する。
ふんわりとした髪の毛が揺れる、眠たげに半分閉じられた目からはかわいらしい目が覗いていた。
相川「あ、すまない。…野多摩も投げてみてくれ」
野多摩「はぁーい」
相川「ちなみに、ソフト経験はあるのか?」
野多摩「ありますよぉ」
相川「…え?お、おいおい!それを早く言えよ!」
西条「野多摩、お前ソフトなんかやっとったんか?」
緒方先生「そういえば、部員届けの時に書いてあったわねぇ」
相川「先生…」
吉田「道理で、守備とかがうまいわけだ…」
県「あの肩はソフトで鍛えられたって訳ですね!」
六条「と、いうことは…」
吉田「さぞかしすげえボールが…!」
野多摩「でも、ピッチャーじゃないよ〜?」
皆、昭和のコントばりにずっこけた。
どどーっ!って奴である。
西条だけがオーバーすぎるほどに、吹っ飛んでいた。
西条「期待させんなどあほう!」
野多摩「皆が早口なんだもん」
冬馬「あ、あはは、野多摩君らしいや」
吉田「まぁいいや、一応投げてみな」
野多摩「はぁーい」
てくてくとマウンドに歩いていき、何気に仕草でウィンドミルでボールを放り投げる。
掛け声も、やっ、とかわいらしいものだった。
しかし。
バシィーン。
皆が目を丸くするほどに、快速なボールが相川の元へと到着した。
西条「お、おお!結構いい球投げるんやないか!」
冬馬「ほ、本当だ…」
野多摩「えへへ…」
相川(こいつは、本当によくわからんな)
県「ってことは投手は野多摩君ですか?」
相川「…ま、今のところな。これならリード次第でなんとかなるだろう」
吉田「…」
相川「どうした、吉田」
マスクを脱いでマウンドに戻ってきた相川が、あごに手をあてて眉をしかめる吉田に声をかけた。
さっきからうんうんとうなっている、昨日上半身裸で走らせたので風邪でもひいたか。
吉田「いやさぁ…柚子ってソフトやってなかったっけ?」
三澤「へ?」
突然話をふられたマネージャのポニーテールがかわいらしく揺れる。
ぱちぱちと目をまばたきさせて吉田を見る。
吉田「いやさ、小学校の時やってなかったか?」
三澤「う、うん」
吉田「んで、中学校のときも野球部のマネージャーやってたの途中からだったよな?」
三澤「そうだね…ちょっとだけやってたかな?」
吉田「お前確か結構、小学校のときとかすごくなかったか?なんで辞めたんだよソフト」
三澤「へ!?あ、いや、その、それは…」
吉田「もったいねぇなぁ、ってみんな言ってたしよぉ。なぁ相川」
相川「そういえば、そんなこともあったな」
吉田「確か、桜井も女子ソフトじゃなかったっけ?」
相川「ああ、あいつは確か最後まで三澤のこと引きずってたなぁ、なんで女子ソフトやめたのかどうかって。まぁ、急にきっぱり諦めたけどよ」
吉田「柚子ぅ、お前なんでやめたんだ?」
三澤「あ、あはは、ま、まぁいいじゃない」
吉田「とりあえず柚子にも投げさせてやったらどうだ?」
三澤「はいぃ!?わ、私!?」
吉田「いいじゃねぇか、ほれほれ」
三澤「なんだか、恥ずかしいなぁ」
ジャージ姿のままマウンドへと背中を押しやられる三澤。
西条「なんか今日はえらいダラダラしとるなぁ」
冬馬「ま、たまにはいいんじゃないの」
西条「アホか、大会も迫ってるっていうのに…危機感がたらへんねん」
冬馬「そんなにはりつめてたら切れちゃうんじゃないの?」
西条「じゃかしぃねんボケぇ!お前さっきからつっかかってきよって」
冬馬「べ、別にそんなんじゃないよっ!短気なんだから!」
西条「けっ!」
冬馬「ふんっ!」
緒方先生「あ、あの二人仲悪かったっけ…?」
六条「今ちょっともめてるみたいで…」
県「二人とも変に頑固なところありますからねぇ…」
野多摩「あ、柚子姉さんが投げるよー」
ぐるぐると右腕を回す。
風が気持ちいい、マウンドに立つなんて久しぶりだった。
幼少のころはよくここに立っていたが、めっきり感覚を忘れていた。
すーっと息をすうと、マネージャーの時とは違う何かが体の中に芽生えてくる。
ずっと忘れてた、もの。
三澤「相川君、いくよ」
体は、ずっと覚えてたのに。
ズバァアアンッ!!!
相川は声を発することができなかった。
おいおい。
冬馬のサイドぐらい出てるんじゃないかこれ。
みんなもぽかん、と口をあけていた。
あの吉田でさえも。
ただマウンド上の三澤柚子だけが爽やかな汗をぬぐっていた。
一方。
偵察組の二人は浮かない顔だった。
御神楽「どうした、真田、さっきから口数が減っているぞ」
真田「お前もな」
御神楽「今ほど吉田と西条を憎んだことはない」
真田「負けても別に廃部にはならないんだろう」
御神楽「…わからん、吉田と相川の言い分を聞く限り生徒会ならなにをしてもおかしくはない」
真田「廃部の可能性がゼロ、って訳でもないか。あのお嬢様の気分次第か?」
御神楽「さぁ…だが、これは、少々厳しい戦いになるぞ、相川」