211おはよう可愛いお嬢さん
出血こそ多かったが、怪我はたいしたこと無かった。
皮がすりきれて、摩擦軽い火傷をおったぐらいだ、骨に異常は無い。
一週間もすれば動けるようになるだろう、足に包帯を巻いて相川は診察室を出た。
相川「やれやれ…」
とんだ災難に巻き込まれてしまった。
後は受付をすますだけだ、病院のロビーに並べられた大勢の椅子に腰掛ける。
平日の午前中ということで空間は閑散としていた。
観葉植物と行き来する看護士、老人の姿がいやに目立っている。
「こちらにおられましたか」
相川「…?」
後ろから声をかけられたので振り向いたが、いたのは見慣れないスーツ姿の男。
中年らしく白髪まじりの灰色の頭だった、しかし体は細く縦に伸びている。
白い手袋が黒いスーツに対してひどく映えている。
いや、見覚えはあった、あの橘とかいう老人の車の運転手だ。
名前までは思い出せなかった。
「確か、相川さんと申されましたよね、お嬢さんを助けていただいた」
相川「ああ、はい。橘さんの運転手の方ですよね」
「その節は本当にありがとうございました、お嬢様も目覚められたということで、ついてきていただけないでしょうか?」
相川「え…と」
謝辞でも述べようというのだろうか。
だが相川は心に一抹の不安があった。
…自分がいない間に学校で何が起こってるかわからない。
足の怪我ゆえ、歩くたびに痛みは走るものの松葉杖をしようするほどのものではない。
引きずってでも早めに学校には帰りたいところだ。
何より、携帯の電源がきれたままなのが痛い。
「お願いします、旦那様もぜひとも貴方様に一言お礼を言わなければ気がすまないと」
そう思うのなら自分の足でくればいい、と思ったが病室の孫が気がかりなのだろう。
この運転手の顔もあるし、相川はため息一つついて橘の旦那様にあうことにした。
「ご存知かもしれませんが、橘家は財閥の方でして、お嬢様はそのご令嬢なのです」
ご令嬢ならあんなところを一人で歩かせるな、と思った。
が心を読んだように目の前の中年は切り替えしてきた。
「お嬢様は本日風邪でして、家に帰る途中だったのですが…学校に迎えに行く前にお嬢様が学校を出てしまって…」
ずいぶんやんちゃなのだろうか。
相川はいつものくせで皮肉をいいそうになり、慌てて言葉を濁した。
相川「はぁ…」
「もともと車が嫌いなものですから、おそらく歩いて帰ろうと思ったのでしょう」
相川「車酔いでもするんですか?」
「そんなところです、近頃は物騒なので送り迎えだけはしっかりしたいのですが…」
エレベーターは五階で停止した。
そのまま廊下をまっすぐ歩いていく、どうしてこうも病院というのは独特の空気がするのだろう。
生活臭があるようでないような、人が住んでいる割にホテルのような人のいる感じがしない。
まぁ病院だから、といえば一言で片付けられるのだが。
「旦那様、相川様をお連れしました」
「おお、良く来てくれた」
カーテンで仕切られた個室の前に老人は腰掛けていた。
老人といっても、体が衰えている割に目はギラギラ輝いていて、何か迫力のようなものを感じた。
これが経営者というか財界を支配する人物のオーラだろうか、自分とは格が違う。
橘といえば、三菱、三井、住友の三大財閥に加え、猪狩と並ぶ程の財閥だ。
明治時代は金融業を営み、昭和は世界大戦の軍事需要で一気に財界のトップへと登りつめた。
その後も重工業、商業を中心に展開を続けている大企業の一員である、ニュースによればこの間、電子企業大手ののリーエルの株を買い占めただとか。
この前歴史の授業で習ったのだ。
その人物がただの一般人である自分に頭を下げているものだから、人生わからない。
「君は孫の恩人だ、本当に感謝してる」
相川「や、やめてくださいよ。橘財閥のおえらいさんが、僕に頭をさげるなんて」
「わしは商売上ではゆずらんが、孫の命に関しては別じゃ。瑞希、聖名子、お前たちも来なさい」
カーテンで隠れていたベッドから、ゆったりと一人の少女が姿を現す。
青がかった明るい髪に、ピンク色のぽんぽんがついた髪留め。
相変わらず変な顔の大きなイヌのぬいぐるみを抱いていた。
子供ではあるが整った顔立ち、ぱっちりとした大きな目、将来美人になるだろう。
もう一人はこの子の姉であろうか、利発そうな顔立ちをした少女だった。
身長や顔つきからして、年齢は相川とそう変わらないかもしれない。
こちらも美少女と形容して申し分の無い見た目だった、長い髪を三つ編みのお下げにして肩からたらしている。
聖名子「私は橘聖名子と申します、妹がお世話になりました」
瑞希「……ぺこり」
相川「…ああ、いや、別に僕は…」
瑞希「…おにいちゃん、ありがとう」
ぎゅっ、と瑞希が相川の服の裾をつかんできた。
何故か顔が赤い。
聖名子「まぁ。人見知りの瑞希が」
相川「…えっと」
瑞希「お兄ちゃん…助けてくれた、王子様」
相川「は?」
聖名子「…あっ、ごめんなさい。今この子が見てるアニメで、ヒロインを助ける男の子役がシルバースターっていう王子様で…」
正直話についていけない。
が、この子に悪い印象を持たれていないのは確からしい。
聖名子「えっと…お名前は…」
相川「え?あ、ああ、相川、相川大志です」
聖名子「そうですか、相川さん、本当にありがとうございました」
ふんわりと優しい表情で微笑む。
ダメだ、どうも照れくさい。
こういった気品に満ち溢れた女性のしとやな態度に男性は弱いものだ。
「相川君、もうこんな時間だ一緒に昼食でもどうかね、お礼にご馳走するぞ」
相川「え?あ、い、いや、いいですよ」
聖名子「遠慮なさらないでください、その制服将星高校でしょう?」
相川「は?」
そういえば、先ほどから聖名子が着込んでいるジャンバーには見覚えがある。
っていうかウチの学校指定の服だ。
聖名子「三年C組、橘聖名子です。よろしくね」
偶然とは重なるものだ。
「そうか、聖名子と同じ学校か。氷上のばあさんとこの…」
聖名子「おじいさま、そんな言い方をして失礼ですわ」
「おっと、氷上が理事長をしている学校だったな」
相川「知り合いなんですか?」
いや、知り合いに決まってるか。
氷上のところも理事長やってるぐらいだから良い家に決まってる。
「あのばあさんいまだにわしにチェスで勝つたびに嫌味を言いよるのだ、将棋なら負けんというのに…」
聖名子「まぁまぁ、おじいさま。それより、相川君昼食どうかしら?」
瑞希「…おにいちゃんも、いっしょ」
参ったな、思わずひとりごちた。
相川自身は普段はクールなキャラで通っているが、少し中をのぞけば吉田ばりにお人好しだ。
何よりもこの眼下の少女の潤んだ視線を無視できないのがその証拠だ。
相川(なんとかなる、ってのは希望的観測だろうか)
結局のところ、少女二人と老人の熱い視線に負けて相川はいつもの二十倍は豪勢な昼食をご馳走となることになったのである。
学食のかけうどんが200円だから、訂正、百倍である。
金持ちというものはやっぱり好きになれない、と相川はためいきをつきながら思った。
しかし最近なんでこうも、女がらみのイベント多いのだろう、何か罰当たりなことでもしたのだろうか。
うんうん首をひねれども答えは一向に出てこない。
気づけば放課後になっていたのが、オチである。
「相川様、学校に着きましたよ」
聖名子「それじゃ、相川君。私はみずきのこともあるし、今日は帰るわ」
相川「俺はまだ部活のことが気になるんで…いろいろとご馳走になって申し訳ありませんでした」
聖名子「そんなこと…まだまだお礼したりないぐらいよ、また学校であったらよろしくね。お姉さん相川君の頼みごとなら一つぐらい聞いちゃうわよ」
相川「…はは」
聖名子「ほら、相川君学校に行くんだから、瑞希もう離しなさい」
瑞希「…やだ」
先ほどから、というかもう会った時から瑞希さんはずっと相川の服をつかんだままだった。
いまだにアニメのキャラと勘違いされてるのだろうか。
ちなみに橘老人の方は仕事がある、とかですでにこの場にはいない。
聖名子「ごめんなさい相川君…普段はこの子こんなわがままじゃないんだけど…」
「おとなしいお嬢様が、珍しいですね」
瑞希「おにいちゃん、王子様だもん」
相川(参ったな…)
思わず目を細めてしまう。
いつもの頑丈な男たちならともかく、女の子のしかも子供の手を振りはらう勇気は相川には無かった。
こういう時、降矢とか真田なら容赦ないんだろうなぁ、とちょっと羨ましく思った。
降矢「どけ、邪魔だボケ」
真田「離せガキ」
相川(…真田は悪というよりも、冷静な感じがする)
いやいや、現実逃避してる場合じゃない。
この小さい手を振り払う勇気を出すべきか、それとも他に打開策を。
野多摩「あーっ!」
原田「あ、相川先輩っ!」
相川「ん?」
どうやら、聞き覚えのある声だった。
ふんわりとした少年と、何を思ったか最近坊主の丸刈りにしてキャラチェンジした少年が走ってくる。
原田「く、黒塗り…訳ありッスか??」
野多摩「小さい女の子…相川先輩…ふむむ…誘拐?」
相川「こらこら」
原田「そんなことより大変なんっすよ!!」
野多摩「女子ソフトと、文化祭で試合することになったらしいですよ〜」
ガンッ!!!
思いっきり車に頭をぶつけてしまった、傷がついてなければいいが。
とてもじゃないが中流家庭に弁償できる額ではない。
瑞希「だ、だいじょうぶ!?」
聖名子「大丈夫ですか!?」
相川「…ああ」
いや、体感的にも精神的にも頭が痛い。
やはりあの時、非情にも断って帰れば良かったか…。
相川「それで、吉田の馬鹿はどうしてる」
野多摩「わ、なんで吉田先輩ってわかったんですか〜?」
相川「説明する気にもなれん」
原田「とりあえず勝ったら部費アップで練習スペースアップだから、がんばるぞお前らー!おーっ!ってな感じです、みんなノリいいッス」
相川「………そうかぁ、真田に申し訳ないことしたなぁ」
野多摩「相川先輩どこ見てるんですかぁ?」
聞かないでくれ、天然君。
とりあえずこれからの事を考えないと…。
大富豪のお嬢さんにつきあってる場合じゃない。
原田「っていうかこの子どうしたんッスか??」
相川「いや…それが、俺がその、細かい話は省くがアニメのキャラと勘違いしてるらしい、シルバースターとかいう奴の王子様なんだそうだ。それで離してくれなくてな…」
原田「ふーん……じゃあ、ごにょごにょ」
相川「……ばっ!!お前先輩なめてんのかっ!!」
原田「いいからいいから、それで大丈夫ッスよー」
相川「うぐ…ど、どうしても言わなきゃダメか?」
原田「離して欲しいなら確実ッスよー、大場先輩情報だから間違いないッス」
相川「………み…みずきちゃん」
瑞希「?」
相川「あ、あの、えっと……ぼ、僕は星に帰らなくちゃいけないんだ。だから、その、お、お別れしなくちゃならないんだ……えっと…このままじゃ僕は君に会えなくなる。夜に君を照らす星にな、れないんだ」
瑞希「………おにいちゃん」
聖名子「相川さん…」
相川(屈辱だ…)
ふっ、と瑞希の手が相川から離れた。
相川は顔をトマトのように赤くしてうなだれていた。
瑞希「…おにいちゃん、ありがとう…王子様みたいだったから。でも、王子様にはかわりないよ」
聖名子「瑞希?」
ちゅっ。
イラスト バイ g-pineさん。ありがとー!これはうますぎる><
瑞希「ありがと、おにいちゃん。またね」
聖名子「み、みずき!?」
相川「…………」
「ふふ、それじゃ行きますよ。相川様、ありがとうございました」
ブロロロロと煙を上げて高級車は彼方へ消えた。
ぺしっ、と頬を触ってみると、妙に湿っている。
いや恥ずかしくもなんともないんだが、なんというか照れくさいというか…はっ!
野多摩「相川先輩も、ロリコンだぁ〜」
原田「ほほう」
相川「ちっ、違う!!これはだな!!」
野多摩「大場先輩と、いっしょ?」
相川「断じて否!!!」
原田「ちなみにさっきのセリフはシルバースターで星の王子様が星に帰るときに、地球のヒロインに言うセリフッス、女の子向けのアニメの割には泣けるッスよこれが」
相川「……」
歯軋りするしかない。
吉田「おお!相川じゃないか、いつ帰ってきたんだ?」
相川「全部貴様のせいだっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」