210一軍戦7世界の向こう側
一回の六失点に続き、先ほどは、妻夫木のファインプレーに助けられた二軍先発の望月。
ようやくランナーのいない落ちついた状態から投げることができる、両手でボールをこねながらゆっくりと息を吐いた。
牧「安心…していますか。望月君」
三番、ファーストの牧透(まきとおる)が打席に入る。
生まれつき目が弱く、太陽の光を直接見ると視界が白く包まれてしまうという体質のために、常に太陽光遮断用にサングラスをかけている。
黒ではなくカラー用の特殊なもので、表面は太陽の光に反応して七色に反射する…が今日は曇りなのでその色も落ち着いていた。
牧「九人揃ったと、キャッチャーもいると。これで打たれるはずは無い、と。そう思っていますか」
相変わらずサングラスの向こう側は闇に覆われている。
口元だけがわずかにその表情を示していた。
ス、と左打席に音も無く入った。
三上(さて…どうしようか?)
将星の相川はデータ…相手を調べ、調べつくしてさらに試合でも観察して、最も抑えられる確立が高いリードを行ってきた。
しかし、今の三上には牧のデータこそ少々知っているものの、完全な資料や知識は無い。
三上(牧先輩は…)
ちょうど今年の春、遠征で茨城の名門大東寺高校行った時のことだ。
大和達三年生中心メンバーではあるが、堂島、南雲、真田、牧、藤堂もベンチ入りはしていた。
そしてマネージャーである三上も一年ながら早速スコアラーとして遠征に同行したのだが…。
三上(確か、あの時牧先輩は代打で出たはずだ)
三年生のエース桐原康太(きりはらこうた)、吉良国瑞希(きらぐにみずき)を要する大東寺は茨城県代表として何度も甲子園に出場した経験を持ち、桐生院の練習試合の相手としては申し分の無い強敵であった。
あの後ろで結んだ髪の毛が揺れる度に桐生院のバッターが三振に取られる様は今でも思い出せる。
いくら桐生院と言えど、全国の中では強豪の一校にすぎないのだ。
相手が、悪い。
桐原のストレートは140km後半で、三年生達もバットに当てるのが精一杯だった、大和もコーナーに投げ分ける丁寧なピッチングをしながらも三点を失った。
その試合、確かに牧は八回に代打で出ていた。
データといえばその時のそれぐらいだ、まさか自軍の選手をそこまで詳細に調べておく、というのは一年のマネージャには酷な話だ。
確か、内容は三球三振、桐原のストレートに手も足も出なかったはずだが…。
三上(望月君、外角を攻めよう)
望月(む…)
そのとき、牧は内角のストレートはファールにしたが、外角のストレートにはまるであっていなかった。
目が悪いからかどうかは知らないが、やはりその風貌が独特なだけあって、三上にはその打席がいやに印象が残っていた。
望月は外角スライダーのサインに頷くと、ゆっくりと振りかぶった。
望月「しぃっ!!」
ヒュ―――ククッ!
ボールは打者の手前で鋭く曲がる。
フォークほどではないが、スライダーのキレも望月は相当なものだ。
バシィイイッ!!
三上(よしっ)
三上の読みどおり、スライダーは牧のバットをかいくぐって外角高めに決まる。
まだなんともいえないが、やはり外角は苦手なのだろうか。
牧「スライダー…ですか。植田はストレートだけだ、というのに」
望月「む」
牧「植田もかわいそうですよ。こんな投手にエースの名を甘んじていたのですから」
三上(挑発に乗っちゃ駄目だ、望月君)
望月(わかってる)
落ち着けるための意味合いもあり、ロージンバッグを拾って軽く手になじませて、地面に捨てる。
大丈夫だ、変化球さえきっちり決めれば負ける相手じゃない。
ストレートで勝負すれば負けている、という投手のプライドがあることはあるが、今はそんなことを言っている場合じゃない。
牧「植田はまだ、ストレートだけしか出していません。…あなたはもうほぼ全ての球種を私達に見せています」
くるくる、とバットを器用に回しながらつぶやく。
牧「ま、私達も暇ではないんですよ、この試合…早々に決めさしてもらいますよ」
望月「…言うね」
それでも、桐生院の次期エースとしてのプライドがある。
言われ放題、というのは気に食わない。
望月はゆっくりと振りかぶった。
望月「後で後悔しなっ!!」
咆哮、そして右腕が…!!
ビシュッ!!!
しなるっ!!
牧「―――しませんよ」
投げ放ったボールは、またもや外角スライダー!!
ボールは、左打者の牧からはボールからストライクに切り込んでくる際どい球だっ!!
―――球、だが。
キンッ!!
軽く、本当に軽く、なんでもないことかのようにバットを振りきった。
三上「…なっ」
望月「何いっ!!!」
ボールはセカンド妻夫木でも取れないほどの高いラインを通って、外野の前に落ちた。
牧「後悔なんて
、万に一度も」
相変わらず涼しい顔で、サングラスを右手でカチャリ、と直す…またもや望月はランナーを一塁に背負ってしまうことになってしまった。
苦虫を噛み潰したような顔で望月は一塁の牧を見た。
威武「気に、するな…!」
布袋「望月!ドンマイだ!気にするんじゃねー!」
布袋がグラブを叩いてエールを送る、望月はそれに片手でこたえるも苦笑気味であった。
望月(ち…くしょう、こいつらは…本当になんでもないような感じで軽くヒットを打ってきやがる
)
軽くヒットを打ってくる、当人の望月にはそう捉えられた…が中にはそうも見えてはいない人物が三名。
藤堂(…ふん)
藤堂と妻夫木で横目で、サングラスを直す牧を眺めた。
妻夫木(セリフの割に、読んだのがたまたま当たったって感じだな)
そうでもなければ、あんなに軽々と望月のスライダーを打てる訳が無い。
二人も望月の球を実際に相手にしたことがあったし、一年生にしては…いや、一年生にはすぎるぐらいのすばらしい球を持っていた。
あのスライダーをあれほどなんでもないように打つには、最初からスライダー読みと決めて打たなければならないのだ。
つまり、ラッキーだった、ということだ。
三上も同意見である。
三上「ドンマイ望月君、こっからこっから」
ただ…マウンドの望月だけが腑に落ちない表情を浮かべていた、打たれている…。
足を引っ張っているのは自分なのだ、わかっていてもどうしても焦りを隠せなかった。
堂島「くく…ドンマイ、か。意味をわかっているのか」
浅黒い肌が、右打席に立つ。
不適な笑みを浮かべたまま、足場をならす。
望月(堂島…)
堂島「Don't mind…気にするな、か。そんな勝手な言葉はないよなぁ、望月。一番苦しいのは自分なのに」
一見、望月の肩を持つ言葉だ。
だが今の望月にとって、その言葉は神経を逆撫でするもの以外の何者でもなかった。
藤堂(やらしい野郎だ)
妻夫木(ひたすら望月の精神をなぶってきやがる。相変わらずいけすかねぇ)
やってることがいちいち暗い。
藤堂も妻夫木も快活というタイプではないが、そこまで陰湿ではないのだ。
しかし、今の望月にかける言葉は無い。
自分の力で、流れにのってくれるのを願うしかない、悲しいかな強豪桐生院では、最後は自分の力で立ち上がるしかないのだ。
望月「俺は…最後まであなたを倒すことを考えます」
堂島「…残念だ」
しかし、この嫌な展開ではあるが三上はそれほど焦ってはいなかった。
三上(さっきの一巡を見る限り…)
望月が六点を奪われた怒涛の一軍打者の一巡目を見ながら三上は誰が怖いかを無意識の内におっていた。
とにかく、上位打線、そして秋沢、後は死球等自滅が多いのでなんともいえないのが…。
三上(悪いけど…堂島先輩は大丈夫だ)
堂島先輩は唯一二年の中でも一軍であり続けた捕手だ、そして三上のデータが一番充実している選手でもある。
幾度も幾度もスコアを取り続けたので、その実力はしっかりとわかっている。
何故他の選手のデータが曖昧かと言うと…牧含む、国分、烏丸、真金井、神緒は全くといっていいほど秋の予選には出ていないからだ。
霧島に負けた秋の試合のオーダーは、桐生院で一軍になるはずだった近藤も木村も高井らが出場していた、しかし今は二軍に甘んじている。
だが、先ほども言ったが、堂島のデータはあまりあるほどに揃っている、どのコースが苦手か三上ですら熟知していた。
更に…。
三上(望月君の実力なら、堂島先輩は抑えられる)
四番ではあるが、それほどバッティング能力は高くは無い。
精神的な主柱であるかどうかはわからないが、今の打者が秋沢でなくて心底良かった。
望月(ここは…)
三振、もしくは内野フライ、うまくいけばゲッツー。
とにかく綺麗にアウトを取りたい場面だ。
望月は自信を持って投げ―――。
牧「甘いですよ」
――!!
威武「走っ、た!
妻夫木「野郎!!三上ぃ!刺せ!!」
三上(くっ…!)
ボールはインローのストレート、堂島にとって空振りコースだ!!
…だが!
堂島「勝ちに行く、のは至上命題だ」
コキィンッ!
堂島は両手にバットを持ち替えてボールをうまく転がした。
布袋「うげっ!!」
藤堂(バントッ!)
まさか四番がバントしてくるとは、思いもよらずスタートが遅れる。
だが、勢いが強すぎた。
望月は落ち着いて捕球、二塁は無理だと判断して一塁に送球した。
バシィッ!!
『アウトッ!!』
結果送りバントという形となった。
藤堂「でかい口叩いておいてそれか…堂島!」
妻夫木「四番がバントかぁ…情けないねぇ」
堂島「ふん…」
「口」撃にはなれているのか、堂島は意にも返さずベンチへと戻る。
牧「ふふ…自分を犠牲にしてまでチームを勝利に導こうとする堂島様のすばらしさがわかりませんか」
駄目だコイツは、と藤堂と妻夫木はあきれ果てた、何を言っても無駄だ。
堂島を崇拝してやがる。
だが、結果的にランナーを得点圏に進めた形になっている、そしてバッターは…五番の秋沢。
望月(来たか…)
先ほど望月のフォークを完膚無きまでに打ち返した枯山水との二度目の勝負となる…!
三上(ここを抑えれば…)
藤堂(流れが…)
妻夫木(変わるかね)
自然と内野手の体にも力が入った。
誰もが気づいている、今がこの試合のターニングポイントとなることを。
三上(連投はマズイ)
三上は先ほどの打席に、そのことに気づいていた。
秋沢に同じボールを続けて投げることは、危険以外の何者でもない。
それはこの前の一軍と二軍の入れ替え試験での秋沢の打撃のスコアを三上が取っていたことになる。
特に…同じ球種を続けて投げた時の打率は…実に九割。
恐ろしいのは二年生の中で一番実力を持つ投手…そう、藤堂からそのヒットを放っていることにある。
三上(でも、単純に組み立ててもいけない)
望月(どうする、三上)
鍵はやはりフォークだ。
そのフォークをどこで使うかが…この勝負の鍵となる。
決め球に使うか、見せ球に使うか、三上の判断は。
望月、セットから第一球!!
秋沢(…フォーク)
バシィッ!!
『ストライク、ワンッ!!』
内角高めから、鋭く落ちるフォークでまずはストライクを取る。
手を出してはこなかったが、まずはワンストライクだ。
笠原(さて、どうするバッテリー)
キーとなるはずのフォークを初球に持ってきた三上のリード。
腕を組んで勝負の行方をにらみつけた。
望月の二球目…!
望月「しっ!!」
ビシュッ!!!
高めの、ストレート!!
バシィイイイッ!!
『ボール!!』
惜しい。
高めいっぱいのその球はわずかにストライクゾーンから外れていた。
さらに望月はもう一度ボールを投げ、カウント1-2となる。
…が。
バシィイッ!!!
『ストライク、ツーッ!!』
三上は思い切り手を叩きたかった、内角いっぱいのストレート。
三上(ナイスピッチング、望月君)
さぁ、追い込んだぞ秋沢。
秋沢「…絶望だ」
しかし、秋沢はぼそりとつぶやいた。
秋沢「絶望がお前には必要だ」
望月「何だと…」
秋沢「自分の力の無力を思い知らなければならない」
望月「変わりましたね、秋沢先輩。…前のあなたは、そんな人じゃなかった!!」
秋沢「過去は、遥かに置いてきた。今の自分が、全てだ」
ツーストライクからの、決め球…。
藤堂(来るかっ)
妻夫木(取ってやるぜ)
威武(…)
望月「うおあああ!!」
ボールは綺麗な直線を描いてキャッチャーミットへと向かっていく…。
秋沢(……ストレート?)
しかしっ!!
―――ガクンッ!!!
『オオオオ!』
『落ちたっ!!!』
球種は、フォークッ!!!
望月(決まったっ!)
カキィンッ!!
望月「っ!!」
いや、ボールは内野のファールゾーンを転々としていた。
ファールボールだ。
三上(…ふぅ)
布袋(びっくりさせやがって)
布袋は思わずグラブで汗をぬぐった。
…しかし。
このファールが絶望の幕開けとなるとは…誰も思ってはいなかった。