207ナナコ












六条「結局、西条君が無実で良かったですね」


暮れかけの街を背に、目の前の少女は心からうれしそうに微笑んだ。

その笑みは嘘で着飾った自分と違って、きっと本物の女の子の笑顔なんだろう。

それでも冬馬は自然に笑ってみせた、彼女は自分のことを知っているから。

けど、その笑顔が若干曇りがちだったのは…。


六条「まだ、仲直りしてなんですか?」


降矢のお見舞いにいったあの日、冬馬は西条と些細なことから喧嘩してしまった。

その諍いはまだ解決されていない。

さっきも、相川先輩と一緒に帰ってきた西条に何か声をかけようとして、つい黙ってしまった。

冬馬もそうだが、西条は真の意地っ張りで頑固者だ。

声を掛けたところで無視されるか文句言われるのがオチだ。

それが怖かったから、下を向いてしまった。

唯一の幸運はそれが誰にも気づかれなかったことだ。


冬馬「うん…」

六条「西条君だから、しょうがないといえばしょうがないですけど」


出会った夏からまだ二ヶ月ちょっとだが、密度は濃かった。

その間に彼の人となりは大分わかってしまった、わかりやすい人だし。

そばの電柱にはすでに明かりが灯っていた。

ビルのコンクリートの灰色も、夕日の逆光で黒くにじんでいる。

どこかで子供の声、そしてカラスの声。

世界に夜が向かってきている。


六条「生徒会の人も女子ソフト部の人も野球部を目の仇にしてるみたいだし…降矢さんがいないこん

な時に…」

冬馬「降矢がいないから、かもしれない」


ブレザーのえりを正して、つかつかとアスファルトを踏み越えていく。

普段は置いていかれる歩幅でも、今は同じ速度で歩ける余裕があった。

鞄を肩からかけた帰り道、駅までの道を六条と一緒に歩いていた。

といっても、電車に乗って帰るのは六条だけだが。


六条「降矢さんがいないから?」

冬馬「あいつ怖いから、案外何も言えなかったんじゃない?」


降矢の名前が出た途端に表情に影が落ちた六条を思いやるように、冬馬は冗談っぽく言った。

でもその冗談も、降矢ならあながち嘘でもない気がする。

女とかでも容赦するタイプでもないし。


六条「…ふふ、かもしれませんね」

冬馬「大体あいつが帰ってこないと、俺たちが面倒なだけじゃないか」

六条「そうですか?私は別にかまいませんよ?」

冬馬「……まぁ、別に俺も嫌じゃないけどさ」

六条「優ちゃんも西条君と一緒。素直じゃないんだから」


くすくす、と普段は物静かな彼女が少しだけ声を出して笑う。

心を許してもらってる証拠なのだろうか、だが言葉ゆえに冬馬は苦い笑みを浮かべた。


六条「降矢さんがいない間も学校はありますからね…」

冬馬「でもあいつの家にいったところで、プリントを渡す相手もいないのに」

六条「今日はしょうがないですよ、もう降矢さんの机の中もプリントで一杯になってましたし、そろ

そろ送り届けないと…。郵便受けにでもいれておけばいいんじゃないでしょうか?」

冬馬「あいつの机の中見た??ゴキブリでもわきそうな感じだったよ!プリントだらけでさ、家に持

って帰ってないんじゃないのアイツ…マンガやタバコもあったし…いつか怒られるよ」

六条「そうですか?あれはプリントを詰め込んだ人が悪いと思いますが…」

冬馬「詰め込んだ、人」


降矢の前の席を思い出してみる。

……あ。


冬馬「茜さんだ…」


冬馬きゅん☆ファンクラブ、中心人物は三人いる。

茜美香、藍乃梨香、山吹智香の三名である。

冬馬のファンということは必然的に、冬馬にひどい扱いをする降矢は目の仇である。

つまり。

美香「…あの金髪のプリントなんて適当でいいでしょ」

ぐしゃーーーー。



六条「…降矢さんも、色々と損してますねぇ」

冬馬「自業自得だよ…大体梨沙ちゃんは降矢に甘いよ」

六条「そうですか?前に降矢さんの部屋に行った時も…ぽっ」



そこまでいいかけて少し顔を赤らめる。

それは純情すぎるんじゃないか、と思ったが自分も似たようなものなので閉口。



六条「こほん。その、降矢さんの部屋綺麗だったじゃないですか」



そういえばそうだ。

性格と見た目上、絶対にまともな生活をしていないと思ったのだが、あやつの部屋は小綺麗にまとめ

っていた。

それがまた腹が立つといえば腹が立つのだが…。

しかし、小奇麗というよりもどこか生活感が無い殺風景な内装だった気がする。

…見ていて、少し寂しくなった覚えがある。


冬馬「掃除する手間がないのは、楽だけどね」

六条「ちょっと寂しいですけどね」

冬馬「……あ、着いた」


気がつけば、見慣れた古いアパート。

このぼろっちいアパートの二階が彼の住処だ、もっとも現在は主人が不在だが。


冬馬「ところでさ、郵便受けとか、あるの?ここ」

六条「うーん…」


冬馬も六条も今時の入るのに、ボタンを押せないと入れないようなセキュリティばっちりの高層マン

ション住まいなので、どうも郵便受けがないという発想がなかった。

いったい新聞はどうしてるのだろう。

とりあえず、彼の部屋の前まであがってみる。


六条「あ、なるほどです」

冬馬「このドアの穴に入れておけばいいわけだ」


家主不在のため、当然新聞やら広告やらを取る人はいない。

アパートの一室のドアに付属している小さな穴は新聞やら広告やらであふれていた。

とりあえずここにいれておけばいいか、と冬馬はプリントをいれた封筒を穴に押し込み…。


六条「………」

冬馬「………」




ドアが、わずかに開いている。

隙間から光こそ見えないが、キィキィと静かな音をもらして、わずかな隙間がそこには開いていた。


六条「ど…泥棒さんですか…?」

冬馬「ま…まさか、降矢が閉め忘れただけなんじゃ…」


少し背中が寒くなって、半歩後ずさる。

お互いの方を振り向いたあと、どうすればいいかわからずついおろおろしてしまう。


六条「ど、どうしましょう、警察を呼んだほうがいいでしょうか??」

冬馬「そ、それより中にまだ誰かいるのかな…」


あわあわ、と手をばたばたさせる六条。

……冬馬は隙間から、少しだけ中をのぞいてみた。

黒い物体が遠くに見える…黒い?いや、それは服を着ている。

フードをかぶっているけど…明らかに、『誰かが倒れて』いる。

―――死んでる?






冬馬「うわひゃあああああああああああああ!?!!!!」






ビクーーーーン!!!

悲鳴につられて六条も30cmぐらい飛び上がってしまった。


六条「ひやあああああああああああ!?ど、どどどどどどどうしたんですか!?」

冬馬「だ、だだだだ、誰か倒れてててるよぉ!!」

六条「にゃ、にゃああ!?」

冬馬「ど、どどどどうしよう!?」

六条「とりあえずたすっ、助けないとぉ!」

冬馬「う、うんっ!!」


鞄を放り出して、降矢の家に乱入する。

靴をぬいで一歩を踏み出すとびちゃり、と嫌な感触。


冬馬「うっきゃああああああああああ!!」

六条「にゃあああうううう!?」






冬馬「ちっ、血ぃぃ!?」

六条「あぅあぅあぅ…」


もう、足腰もまともにたたなくなって、匍匐前進で倒れている人影まで歩いていく。

フードの下から、黒い前髪がさらさらと流れていた。

その下にはかわいらしい顔と、長い睫…。


六条「…へ…?」

冬馬「お…女の子?」


















目覚めたら、ずいぶんお腹がすいていた。

だからかわからないけど、いい匂いで目が覚めた。


???「……?」


ぱちり、と目を開けて見回す。

あの暗い檻の中ではない、見慣れない白い壁。


???「……えーちゃん?」

冬馬「あ…目、覚めた??」

???「へ…?」


きょとん、とした目であたりを見回している。

そして目の前にいる、小柄な人間に目を向けた。


???「おねーちゃん、誰?」

冬馬「…………その、えと、お、俺は男」

???「…おにーちゃん?」


かわいらしく首をひねる。

少女は十歳ぐらいだろうか、年相応の可愛らしいしぐさだった。


???「…?」


手がぶらつく。

右手を顔に近づけてみると、やけに丈が長いシャツだった。


冬馬「あ、えーと…」

六条「ごめんね、服は汚れてるから今洗濯してるの」


近くにあったコインランドリーに彼女の服は預けられていた。

今は丈のあわないジャージの下と、長いロングTシャツ。

毒々しい文字があしらわれたシャツのデザインが、あどけない少女とあまりにもミスマッチだった。



冬馬「服はその…悪いんだけど、降矢の服を勝手に借りちゃった」

???「ふ…る…や?」

六条「あ、とりあえず食べる…?お腹すいてそうだったし」


湯気を立てていい匂いをばらまいているお粥…の入った器。

おずおずと、遠慮するように少女を寝かしておいたベッドのそばに奥。


???「ごはん……?食べていいの?」

六条「お腹すいてる?」

???「…うん」


れんげを持つと、勢いよく胃の中に収めていく。


???「あちっ…」

冬馬「あっ」

六条「だ、ダメだよ…ふーふーしないと…」

???「…ふー…?」

六条「さまさないと、ほら、ふーふー…」


こうしてみると、六条は案外面倒見がいいのかもしれない。

普段の気弱さはどこへやら、甲斐甲斐しく少女の世話を焼いている。


???「ありがと…おねーちゃん」


にこり、と笑う。

何故か冬馬と六条は照れてしまった。


冬馬「それにしても…この子いったい誰なんだろう…?」


少女には聞こえないように、耳まで口を近づけてこそこそ喋る。


六条「うーん…降矢さんの妹、でしょうか?」

冬馬「あれ…?降矢って一人っ子じゃなかったっけ?」

六条「わからないです…降矢さんって普段自分のことあまり話しませんし…」

冬馬「ま…まさか、誘拐なんてこと…」

六条「そ、そんな、降矢さんに限って…!」

冬馬「こんな小さい子を部屋に連れ込んで…」

六条「ゆ、優ちゃんっ!」


かちゃん、と固い音。

レンゲを落としてしまったのか、お粥がベッドに散らばっていた。


六条「あ、大丈夫…?」

???「ご、ごめんなさい」

冬馬「い、いいんだよ、ティッシュティッシュ」

六条「ティッシュ…」

冬馬「こらこらこら」


二人とも知識だけは豊富なようで。









???「ご馳走様、ありがとうございました」

六条「お粗末さまでした」

冬馬「あ、えっと…名前、教えてくれないかな?」

???「…私?」

冬馬「う、うん…警察にも連絡しなくちゃならないし…」

???「けーさつ??」

六条「えっと、君は降矢さんの知り合い…?」

???「ふるやさん…?…ごめんなさい、ナナコ知らないです…」

冬馬「ナナコ?ナナコちゃんっていうの?」

ナナコ「うん、ナナコ」

六条「ますます聞き覚えが無い名前ですね」


後はお任せします、と食べ終わった食器をとりあえず一旦片付けにその場を立つ。

ずいぶん慣れたものだ、彼女ならおそらくいいお嫁さんになるのだろう。

…そう思うと、冬馬はちょっと切なくなった、何故だろう。



ナナコ「ふるやさん…知らないけど、ナナコ、えーちゃんに会いに来たの」

冬馬「…えーちゃん?…誰かな?」

ナナコ「えーちゃん、ここの家…さっちゃんに教えてもらった」

冬馬「さっちゃん??」


知らない名前だらけで若干混乱気味だ。

冬馬はうーんと首をひねった。

やはり警察に連絡すべきだろうか…降矢の知り合いにしてもそうじゃなくても、こんなところに女の

子が行き倒れ同然で倒れていたのだから。

体は雨にぬれて冷え切っていたし、私たちが来なければ命も怪しかったかもしれない。


ナナコ「えーちゃん、でもいない……」

冬馬「えっと…そのえーちゃんは、ナナコちゃんの誰なのかな?」

ナナコ「…誰…?えーちゃんは、えーちゃんだよ」

冬馬「う、うーん…その、お父さん?お兄ちゃん?」

ナナコ「…ナナコ、お父さんもお兄ちゃんもいないよ?」


え、と冬馬は目を見開いた。

まずいことを聞いてしまったんだろうか。


ナナコ「でも、おじいちゃんはいるの」

冬馬「あ…そうなんだ」


いよいよわからなくなってきた。

複雑な家庭に生まれたのだろうか。



ナナコ「えーちゃんは、私のこいびとさんだよ」

冬馬「………………………は?」


…こんな小さな子にこいびとさん?


冬馬「あ、あの…さ、そのえーちゃんってここの家の人…?」

ナナコ「うん、さっちゃんがそう言ってた」

冬馬「…えーちゃんって、金髪?」

ナナコ「うん、そうだよ?」

冬馬「………まさか」

ナナコ「この服もベッドもえーちゃんの匂いするし、間違いないよ」











冬馬「ふるやああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」

















???「あ、あまり叫ばれると近所迷惑ですよ…?」


玄関が、開く音。


冬馬「…へ?」

六条「お客様でしょうか…?」

ナナコ「さっちゃん!」


見覚えがある顔だ。

この前病院であったばかりだから。







四路「…こんばんは、冬馬さん」



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