207一軍戦4ハロー
望月はまだ涙の余韻が残っていた。
喉の奥からこみあげるものを必死にこらえる。
情けないが、望月の心にはわずか三十分の間にそれほどのダメージを与えられていた。
しかし。
九人。
定位置に全員がついただけなのに、望月はそれがまるで鉄壁のように見えた。
帽子を深くかぶりなおして少しでも表情をごまかす。
『おい、投手は交代しないのかよー』
『泣き虫ピッチャーじゃどうしようもないんじゃないのー!?』
望月「…」
三上「望月君」
三上が望月の肩を叩く、その表情は笑っていた。
マウンドに集まってきた内野陣が望月に一人一人声をかける。
威武「やれば、できる、がんばる」
藤堂「まずはアイツらを黙らせろ」
妻夫木「同感だな、外野に言われっぱなしなのは不愉快はなはだしいぜ」
布袋「へへ、やっぱ俺は三塁があってるぜ。任せたぞ、三上」
三上「見せてやろうよ。望月光を」
こくり、と望月はうなずいた。
確かに、場の空気が変わった。
笠原はわずかながらの雰囲気の変化に気づいていた。
無謀だ、と思っていた。
やはりいくら実力があろうとも、これは『二軍が負けられるように仕組まれた』試合だったのだ、堂島の狙いはほとんど当たり、脚本はラスト直前まで進んだ。
望月を陥落させることで、「まさか」や「もしかして」をも存在しない勝利を手に入れようとした。
だが、想定外だったのは、三上だろう。
笠原(ここからが、本当の勝負だ)
シナリオなど無粋だ、今の一軍の本当の力を見せてもらおう。
望月には悪いが、ストレートのみでは望月はおそらく桐生院の一軍にも入れない。
速遅、うまく投げ分けることで、その力は加速する。
打線は…二週目の一番国分。
依然塁は全て埋まっている、望月はセットポジションに構えた。
三上は脳裏に文字を並べた、それは今まで三上がマネージャとして気づいたことを書き留めてきたこと。
桐生院全選手を見てきたマネージャであるからこそ、三上は誰よりも桐生院の選手のことを知っていた。
それは、一軍にとっての大きな誤算だった。
バシィッ!!!
『ストライクワンッ!!』
初球、派手な音を立ててスライダーが高めの外角に決まる。
ボールからストライクに入ってくる絶妙な球だ、思わず国分が見逃したことに三上は安心した、まだまだ望月の球威は落ちていない。
望月(…いける)
まだ自分の力は濁っていない、景色に色がつき始めた。
そして涙が、ひき始めた。
国分「そうか…ようやく実力発揮って訳か、面白い」
望月は無言で三上からのボールを受け取った。
国分「望月…お前はスゲェ、スゲェ奴だよ。俺ら一年はずっとお前のことを尊敬してた」
国分「そして、嫉妬してた」
実力主義だとはわかっていた、ここは桐生院だ。
それでも、同じだけ頑張っても何故俺らはでは駄目なんだ。
国分は一年のときから血のにじむような努力を続けてきた、足に関しては一年の中でも抜けていると思っていた。
しかし、ついに今の今まで一軍に選ばれることは無かった。
俺たちは選ばれなかったのか、お前は選ばれたのか。
国分「だが、俺は堂島様に選ばれたんだっ!」
望月「そうかよ…!」
言葉を吐き捨てて望月は右腕を振り下ろした。
ストレート!!
国分「―――!!」
国分のバットは、空を切った。
バシィィイイイッ!!!
『ストライクツー!!』
国分(う…ストレートが、速い!?)
一打席目はまるで棒球に感じたストレートだったが、今のストレートはまるで別の投手が放ったような威力だった。
望月「選ばれたのか、お前は。良かったな」
国分「…ぐ」
望月「俺は、選ばれなかったみたいだよ」
しかし、後悔してない。
選ばれない、選ばれる、それは神様が決めることだ。
それはまるで表と裏のように裏返る。
笠原(…リードの妙か)
同じストレートでも、変化球の後のストレートではまるで威力が違う。
一球目に投げたスライダーが、国分の頭の中のどこかには確かに残っていたのだ。
三上の力が、そのまま望月の力になる。
先ほどから飛んでいた望月への批判も野次も中傷もすでにやんでいた。
三球目。
望月の目は、もう三上しか見ていなかった。
目じりに残っていた最後の涙が遥か後方に飛んでいった。
しかし、もうそれを振り向くことは無かった。
低めのストレートは、そのままのスピードで落下した―――。
国分(フォーク…!)
理解したときには、すでに審判の右手が上がっていた。
『ストライク!!バッターアウト!!』
堂島「ほう…」
終わりかと思ったが、意外とタフだった。
騒がれてもまだ高校一年生だ、心の弱さをついたつもりだったが…。
牧「やはり…徹底的に叩き潰すしかありませんか」
牧は次打者の烏丸にちらりと目線を送った。
ヘルメットを深くかぶった烏丸の表情は伺えなかったが、彼は少し頷くと打席に向かった。
望月(まだワンアウトだ)
望月は自分に言い聞かせた。
27個の内の1個を取ったにすぎない。
それでも、それは1000マイルへの第一歩だ。
二番烏丸がゆっくりと左打席に入る、一打席目は国分との巧みな連携プレーにやられたが、今は徐々にだが望月に冷静さが戻ってきている
。
烏丸「…こんな形で君らとやるとは、ね」
わずかにヘルメットの鍔から覗いた目が望月をにらみつけていた。
烏丸は一年の時は南雲や藤堂、堂島達と共に一軍でプレーしていた、守備力、ミート力は同年代の中でも抜きん出ていた。
だが、それと同時にプライドもまた高かった、そして…繊細だった。
わずか一度、烏丸が一年の時、偶然彼は一軍と二軍の入れ替え試験に失敗し二軍に落ちてしまった、それ以来彼は二度と一軍にあがることは無く、野球部の中でも目立たない存在となっていった。
そこに声をかけたのが、堂島だった。
三上(望月君)
初球は内角低めのストレート、焦ってストライクを取りにいかない辺り、三上の捕手としての技量が見えてきた。
まだ三球だが、すでに望月は三上を捕手として認め始めている。
堂島(烏丸の才能は、ミート力だ)
最盛期はストライクならどこでもヒットへ打ち分けるほどの力を持っていた、だがその精神的な面が彼の成長を妨げていたのだ。
力は心を変える、まだ見ぬ自分へと変貌を遂げる。
堂島(烏丸の『D』は「那由多」…奴がヒットを打てるコースは、星の数ほどある)
ストライクコースなら、まず確実にバットに当てるだけの技術はある!
そして、望月の二球目は…!
烏丸(ストライクだ、ね)
高めのシュート、がわずかに甘く入る!!
逃がすはずも無い。
キィイイインッ!!!
望月「!!」
『ワアアアッ!!』
さらに駄目押しとなるか!小気味良い快音を残して、打球は勢いよく内野の間を…。
バシィッ!!
抜けない。
なんと、打球はノーバウンドでショート妻夫木のグラブに収まっていた。
烏丸「!!」
牧「ランナー戻れ!!ノーバウンドで取ってる!!」
しかし、間に合うはずも無く、妻夫木がセカンドへと送球し…。
『スリーアウッ!!チェンジッ!!』
烏丸「だ…」
堂島「ダブルプレー、だと」
ニッ、と妻夫木が藤堂に笑った。
ふんと、鼻をならして藤堂はそれを見ないようにベンチへ帰っていった。
『オオオオオオ!!』
『やっと面白くなってきたな!』
『いいぞー望月!』
先ほどとはうって変わって、外野が二軍に好感を持ち始めていた。
そう思わせるほど、先ほどの望月とのピッチングとはかけはなれていたからだ。
望月「…三上、俺は」
三上「…」
三上は何も言わずに望月の肩を叩いた。
三上「誰のせいでもないよ」
ピッチャーが全ての責任を背負う必要はないよ、と三上は笑顔でつけくわえた。
望月はようやく安堵の微笑を表情に浮かべた。
一回裏、一軍6-0二軍