206一軍戦3愚か者は晒されて
長い長い一回表。
いまだアウトカウントは一つも取れてはいない。
なのに、早くも望月の投球数は50を越えようとしていた。
満塁から、五番の秋沢に走者一掃のタイムリースリーベースを打たれた後、続く六番綺桐にもタイムリーを打たれる。
依然、無死そしてランナーは一塁。
望月「はぁ…はぁ…!」
布袋(畜生…どうすりゃいいんだ…)
内野の時はアレだけ気安く望月に声をかけれたのに、今は何を言えばいいか、全くわからなかった。
フォークが打たれた。
その事実は望月の自信を根底から覆すこととなった。
正直、布袋は望月のこんな姿を見たことが無かった、そして見ていたくなかった。
バシィッ!!
『ボール、ツー!!』
ストライクが入らない。
入らない。
入らない。
望月(どうして…!)
心の中にどす黒い雲が浮かんでいるのがよくわかった。
それは、不安、自分に対しての失望、そして恐怖。
今までの、望月光は、幻だったのか。
望月「畜生!!」
…!!手が、滑った。
ボールは七番神緒の手首へと命中した。
『デッドボール』
望月「う…」
走者が、無限に増えていく。
望月の顔がぐにゃり、と歪んだ。
もう少しで何か大切なものが壊れそうになった…しかし、それは必死にこらえた。
そうなってしまえば、もう自分がいなくなる気がした。
望月は続く八番真金井にも死球を与えてしまう。
植田「終…わった、な。望…月」
『ボール、フォアボール!!』
九番の植田にもストライクが入らず、フォアボールを与えてしまう。
押し出しでの…最悪の形での駄目押しとなる六点目だった。
望月の心の壁には完全にひびが入っていた、まともな精神状態では到底なかった。
こんなはずは、こんなはずはない。
『おいおい、二軍の投手もうボロボロじゃん』
『つまんねーなぁ、もうちょっとがんばれよ』
『やっぱ二軍の投手だった、ってことじゃね?』
第三者の声が、望月の心に深く突き刺さる。
こんな、こんな状態を経験するのは初めてだった。
屈辱どころではない。
こんなどうしようもない展開に追い込まれて、どうしようもないほどに打ちのめされるなど、晒し者以外の何者でもない。
どうして、どうして自分がこんな目に。
今まで知りもしなかった相手に、まるでいいようにあしらわれて。
その声は他の野球部員にも広がっていく。
「おい…望月ってたいしたことなかったんだな」
「俺も、あんな感じだからもっと凄いかと思ってたけどよ」
「見掛け倒しってことか、やっぱ堂島さんに刃向かったのがそもそもの間違いだったんだよ」
「馬鹿な奴らだぜ」
「あれでどうにかなると思ってたのかよ」
「だっせーな」
「ってか、うざくねー?」
望月の顔は少しづつ歪んでいった。
心が、痛い。
神野「な…なんだよこりゃあ」
神野は驚きを隠せなかった。
周りのムードがどんどんおかしな方向へと向かっていく。
神野「まるで望月一人敵になってるじゃねぇか…」
宗「望月が不利な状況なのにな…」
人は、自分より弱い者、愚かな者を見て安心する。
自分が強者だと思う。
灰谷「いや、望月は一人じゃねぇよ」
大和「…」
確かにそうだ、だがこの急増チームに、果たして仲間を思いやる気持ちがあるのか…大和は眉をしかめた。
なぜ…あのストレートを使わないのだ、出し惜しみして勝てる相手じゃないぞ。
バキィッ!!
そのとき、マウンド上で大きな音がした。
望月「…」
藤堂が、望月の顔を思い切り殴っていた。
藤堂「変われ」
思わず尻をついた望月はなぐられた頬を抑えたまま、呆然とした表情で藤堂を見上げていた。
藤堂「目障りだ、消えろ」
望月「…」
歯の奥で鉄の味がした、口が切れたのかもしれない。
そんなことよりも、望月は今自分がどうなっているのかをもわかってはいなかった。
布袋「と、藤堂さん!!」
慌てて他の選手もマウンドに集まってくる。
南雲「藤堂…」
藤堂「こいつはもう役立たずだ。戦意なんかあったもんじゃない…もう後の祭かもしれんがな」
望月の両目からは、涙がこぼれだした。
威武「も、望月…」
藤堂「消えろ、カスが」
うずくまる望月のみぞおちを蹴飛ばして、藤堂は望月のボールを奪い取った。
望月はまだ呻いていた、そのうちに声に涙が混じり始めた。
ひどく不愉快になった藤堂は、もう一度望月を蹴ろうとして…。
???「―――やめろ!!!」
とっさに誰かが声を上げて、望月と藤堂の間に割り込んできた。
…堂島、だった。
布袋「…!!」
堂島「貴様ら、それでもチームメイトか、情けない!」
藤堂「何ぃ…」
南雲「堂島、おまんどういうことぜよ…」
堂島「どうしたもこうしたもあるか!見ていられるか!よってかかって惨めな者をいたぶるなどと…!!」
堂島の目には怒りが灯っていた。
威武「ど…堂島」
堂島「望月、もうやめよう。こんな試合は無駄だ、何もつらい思いを自分からする必要など無いのだよ」
望月はまだ喋ることができなかった、ときたまわきあがるしゃっくりを我慢するので精一杯だった。
『おい、あいつ泣いてやがるぞ』
『おいおい、マジかよ〜!』
『うわ…それは引くわ…』
『シケたなぁ…もう帰ろうぜ』
堂島「…見たか望月。これが結末だ」
望月「…」
堂島「お前が望んだ結末はこれか。こうなりたくて、私に逆らっていたのか」
望月「……ち……が、う」
堂島「事実は、この有様だ。目を覚ませ望月」
堂島の言葉が、望月にとってはあまりにも暖かすぎた、そして甘すぎた。
望月「…」
やめます。
そう言いかけた時だった。
一人の男が、望月と堂島の前に立っていた。
布袋「…お前」
弓生「…三上」
痛々しい包帯を鼻の頭に巻いた少年が、望月を見下ろしていた。
三上「見てられないよ!!」
三上は布袋のキャッチャーミットをひったくった。
そして望月の顔をしっかりと見据える。
だが、望月は目をそらしてしまった。
三上「望月君!!」
望月の体が、ビクリとふるえた。
恐る恐る三上の方を見ると。
三上は笑っていた。
望月「み…かみ」
三上「諦めないでよ」
諦めて欲しくなかった。
愚かな姿を晒して欲しくなかった。
本当は、三上にとって望月は英雄だった。
いや、どの一年にとっても、レギュラー有望だった望月は英雄視された。
実力しだいで、誰でも栄光を手にすることができる。
三上「望月光は、僕のヒーローなんだ。おかしいよ。ヒーローは絶対に諦めないんだ」
望月「俺は…」
三上「リードは任せて。もう、打たれない…いや、打たせない」
堂島「…三上、もう終わりだ。お前ごときがキャッチャーをやったところで…」
三上「やってみなくちゃわからない!!!!」
ビリッ…と堂島の体に電流が走った。
まだ、こんな奴が…いたのか。
望月を英雄視していたからこそ、三上は、最後の最後まで望月を信じた。
南雲「望月ぃ…」
南雲は望月の肩を叩いた。
南雲「泣くな…大丈夫ぜよ。お前の敵はお前ぜよ。目を閉じて、心に向かって。誰が誰を脅しているのか、考えるぜよ」
藤堂「…」
南雲「藤堂、まだ六点ぜよ」
藤堂「正気か」
南雲「おまんこそ、正気ならもうとっくに勝機はない、と勝負をおりとるはずぜよ」
藤堂は、はっとした。
…だが、答えはあまりにも簡単だった。
藤堂「俺は、堂島、お前みたいな偽善野郎が一番嫌いなんだよ…」
堂島「チャンスを…俺はやろうとしたんだぞ」
藤堂「クソくらえだ」
威武は少し迷ったように南雲の顔を見た。
威武「カナメ…」
堂島「望月をここまで追い込んだのは貴様らだぞ…!」
南雲「堂島、おまんは間違うとらん。ほじゃき…ほじゃきの。おまんのやり方は、やっぱり好きになれんぜよ。悪いの、直感じゃきに。本能には逆らえん」
堂島「望月…こんなところに本当に留まるつもりか…!!」
かの有名な、元大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)の秋山登投手はその頃弱小チームだった大洋でたった一人エースであり続けた。
そして、最下位だった大洋ホエールズを、ついに日本一にまで押し上げた伝説を持つ。
望月がそのことを知っているかどうかは知らなかったが、ここで尻尾をふるにはあまりにも情けすぎた。
弓生「…望月、お前の好きにすればいい、と思う」
布袋「望月。こっから復活すれば格好いいぜ」
上杉「…僕も…望月君には憧れていた…だから」
藤堂「自分の始末は自分でつけろ。できないなら消えろ」
威武「人、やれば、できる」
南雲「前に進むのには勇気がいるぜよ…でも、立ち上がるのには元気さえあれば、誰でもできるぜよ」
三上「僕は、望月君についていくよ。任せて」
おかしい、どうなっているんだ。
自分の作戦は完璧だったはずだ、堂島は現状を確認できずにいた。
わざわざ望月を晒し者にするためにビラをまきギャラリーを集めた、挑発しコントロールを乱した、秋沢に相手を見くびるように言った。
全てが順調だったはずだ。
???「残念だな堂島。世の中たまには不思議なことが起こるもんだ」
三上信吾…線路に置かれた小さな小さな石…だがそのせいで列車は大事故となってしまった。
本来ならゲームセットしているはずなのに、なのに。
妻夫木「まさかマネージャーが出てくるとは思わなかったがな」
藤堂「お前…」
南雲「妻夫木!!」
ニヤリ、と妻夫木は笑った。
妻夫木「同情票も立派な一票だ。約束は守ってやるよ。南雲…俺にもたまには何かに賭けたい時があるってことだ」
望月「…九人…」
一回表、無死満塁、一軍6-0二軍
一番 中 弓生太一郎
二番 遊 妻夫木大輔
三番 二 藤堂拓也
四番 右 南雲要
五番 一 威武剛毅
六番 三 布袋京
七番 左 上杉俊英
八番 捕 三上信吾
九番 投 望月光