205一軍戦2枯山水
無死、満塁。
さほど気温も高くなく、正午だというのに太陽は分厚い雲に隠れてしまっていてあたりはどんよりと暗い。
にも関わらず、すでに望月の額からは幾筋も汗が流れ出している。
暑さではない、重圧だ。
望月(焦ったら駄目だ)
今まで、どんな敵とやった時も緊張はした。
が、今日の一戦はレベルが違う、負けたらその時点で望月の高校野球が終わる、今になって冷静に考えればこんな馬鹿げた話はないだろう。
おまけに、変化球無しという重りつき…ハンデキャップなんてこっちが欲しいくらいだった。
なんて状況だ、ナイフ一つで戦場に飛び出してるようなもんだ。
秋沢「…」
打席の五番サード秋沢はずれかけていた眼鏡をくい、となおした。
望月が知ってる限り、秋沢先輩は良い人だ。
だがそれだけだ、さほど飛びぬけた能力はない、ストレートでも十分に打ち取れる。
だが…。
望月(…なんて威圧感だ)
まるで強豪高校のクリーンナップと対峙してるような気分だ。
目線を交わすだけでじりじりと後ずさりしたくなる。
これ相手にストレートだ、頭でわかってても体が禁止サインをガンガン出している。
―――やめておけ、打たれるぞ。
投手の勘が告げてくる。
…やめておけ、打たれ「うるせぇ!!」
ふっきるかのように、全身をフル稼働してボールを放つ!
内角高め、威力は十分…だが!
バシィッ!!
『ボール!!』
布袋(ち…おしぃ!)
秋沢「…」
望月「…………な、なんだと?」
布袋と望月の感想は全く別物だった。
確かにコースは惜しかった、もう少しでストライクだ。
だが、望月からすれば、完璧なフォームで投げ込んだはずだ、ストライクにならないはずはない球だった。
秋沢「逃げてるのか」
望月「!!」
馬鹿な、逃げる訳が…逃げれる訳がない、後ろは断崖絶壁だ。
だが、今の言葉は望月の心をえぐった。
思わず、自分の右手を見る。
望月(逃げてるだと…)
打たれる。
直球じゃ、打たれる。
体が、予感を告げている。
全力で未来を予知し続けている。
嘘だ!
全ての否定を、振り切ってミットめがけて右手を投げ下ろす!
それはいやに、スローに見えた。
だから、わかった。
ピタ…!
望月「!!!」
キィイイイイイインッ!!!!
打球はものすごい勢いでファーストの上を越える。
二軍全員の表情が凍りついた…が!
『ファールボール!!』
おお〜、とギャラリーからため息が漏れる。
ボールはすでに外野の遥か向こう側をてんてんと転がっている。
ライトの南雲は、その打球を見ながらヒュー、と口笛を吹いた。
南雲(恐ろしい打球ぜよ、フェアだったらランニングホームランものぜ)
さすがに球場並の広さを持っているといっても、桐生院のグラウンドは球場ではない、ほかの部も兼用できるように四角く作られているのだ。
よって、フェンスがない、結果的にファールゾーンが恐ろしく広くなるのだ、ある意味ホームランといっても差し障りない。
ギャラリーはざわざわと打球に騒いでいるが、望月は呆然とした表情で秋沢を見つめていた。
あの、一瞬。
秋沢は確かに一瞬、待った。
待ってから、ストレートだと確信してから振りにいった。
振り遅れて当たり前だ、それどころかそれだけ余裕を持っているのに当てられたのだ。
屈辱的だった、逆に言えば…打とうと思えば…。
秋沢「いつでも…打てるというわけだ」
望月「ぐ…!」
圧倒的な差だ。
かなう訳がない。
バシィッ!!
『ボール!!』
バシィッ!!
『ボールスリー!!』
疲労が右肩に重くのしかかる、まだ四十球も投げていないのに。
滝のような汗をかきながら、望月は肩で息をしていた。
『なんだよ、また押し出しかよー』
『望月も騒がれてた割りにたいしたことねーなぁ』
秋沢「どうした、望月君」
望月(この人、本当に秋沢さんか…!?)
疑問を思えるほど、その構えには自信が満ち溢れていた。
俺はもしかしたら、とんでもないことをしてしまったんじゃないか。
谷の上にかかった一本の綱を渡れると思ってたんじゃないか。
落ちるに決まってるのに、何を信じたのか。
望月の頭の中は、もう野球どころではなかった。
布袋「タイム!!」
と、布袋が大声で手を上げる。
布袋が望月の側まで走っていっても、まだ望月は秋沢の顔を見たまま動かなかった。
布袋「望月、タイムだ」
肩をゆさぶると、ようやく気がついたように布袋の顔を見上げた。
望月「…!…布袋」
布袋はため息をついた。
布袋「フォーク、投げろよ」
望月「は?」
布袋「フォークだ。落とせってんだよ」
望月「ば…何言ってんだ!満塁なんだぞ!!お前が逃したら」
布袋「今、投げないとえらいことになるぞ」
う、と呻いた。
布袋「信じろ」
望月「…」
布袋「信じろよ!終わりだぞ!こんなところで終われるか!」
わかってる、わかってるんだ。
布袋「そんなに俺が信じれないなら、キャッチャーなんかやめてやる」
望月「…」
望月は無言でボールを人差し指と中指の間に挟んだ。
望月「…信じたい相手はお前以外が良かった」
布袋「いや、俺で大正解だぜ」
布袋はニッ、と笑ってキャッチャーミットをはめて戻っていった。
望月も布袋を信じれない訳ではない、フォークを受けようとあざだらけになった布袋の体を短い間とは言え、今まで見てきたのだ。
『プレイ!』
望月「そらしたらボコボコにしてやる」
布袋「その言葉そっくり返してやる」
カウント1-3、第五球!!
望月「取って見やがれ!!!」
二つの指で挟みこむようなにぎりから、うまくリリースする。
秋沢(…フォーク!)
ボールは打者の直前から…そこから一気に落下する。
秋沢「!!」
フォークを読んだ…がその落差は予想していた軌道以上の変化!!
秋沢(…落ち幅が大きい!!)
ブンッ!!!!
秋沢のバットは見事に空を切った。
望月「取りやがれ布袋!!」
布袋「無茶言うんじゃねぇ!!」
ほぼワンバウンドするボールを布袋は体ごと抑えに、ボールに覆いかぶさってしまおうという考えだった、これなら後ろにそらすことはない。
しかし…バウンドの途中で軌道が変わった。
望月(…!イレギュラー!)
布袋(ちぃっ!!)
ボールは予想以上に大きく跳ね…布袋のあごに命中した。
ゴキィ!!
『ぎゃああああ!!』
『お、おいモロじゃねぇか!!』
うずくまる布袋…だがボールは後ろにはそらさなかった。
その場に落ちたボールを拾い上げ、三塁ランナーの烏丸をにらみつける。
『ストライクツー!!』
追い込んだ。
『オオオオオ!!!』
『あ、あれが望月のフォークか!!』
『すげー落ちたぞ今!!』
望月(し…心配かけやがって)
毒舌とは裏腹に望月は内心ほっとしていた。
フォークなら…やはり打ち取れる。
フォークなら、打たれない!!
布袋(大丈夫だ、三振を取れるぜ!!)
ああ、と望月は頷いた。
フォークだ。
望月はホームプレートをまたいだ。
堂島はくく、と笑った。
堂島「フォークか…若いなバッテリー。それじゃあ、駄目だ。秋沢は今無の境地にいる。かの京都の庭園形式『枯山水』は、自然と自らとを一体化することで無の境地に立つために作られた。見えざるものを見、聞こえざるものを聞くためにその表現は求められたのだ」
望月(打ち取れるっ!)
フルカウントからの勝負は当然…フォーク!
堂島「秋沢は無と一体化することで、極限までの集中力を生み出す。先ほどの落差を寸分狂いたがわず覚えているほどにな」
ボールは外角高め。
秋沢「…枯山水」
そこからストライクゾーンに落ち『カッキィィンンンンッ!!!!!!!』
望月「―――!!」
布袋「なっ!!」
堂島「……秋沢に二球連続同じ球を投げるのは…自殺行為だ」
一回表、無死三塁、一軍4-0二軍