202騙し合い


























信じがたい話だった。


氷上「残念ながら証拠は掴んでいるんですの。ばらされたくなければ、勝負を受けなさい。チャンスをあげる、と言っているんですわよ。このままこの事実を白日の元にさらしても私はかまわないんですから」



慈悲のつもりだろうか、いやそうじゃない。

事実をばらしてそれを武器に野球部を解散させれば、野球部にも氷上にも非難の目がいくだろう。

事実を報道する記者もうらまれないわけではない。

それよりも、大勢の生徒の前で正々堂々と勝負させる。

その上敗北すれば野球部解散だ、どちらが氷上にとって有利に働くかは考えなくてもわかる。

だが、まずその『事実』事態が疑わしかった。


相川(性別を隠してまで野球をするメリットがあるか)


しかし絶対に言いきれない、という可能性も相川の頭の中にはあった。

何故なら疑わしい奴がいないでもないのがうちの野球部にはいるからだ。


氷上「ふふ…」


不適な笑みが癪にさわる。

しかし相川はポケットに突っ込んでいた手を出しはしない。

不気味なほどに慌てるそぶりは見せない。


相川「ありえない話を盾にしても、無駄だぞ」

氷上「ありえる話だから、言っているんですわよ」


表情は変わらない。

ここまではっきりと断言されると逆に相川の方が焦ってきた、何故なら向こうは理事長の娘だ。

どうとでも理由をつければ生徒の秘密を知れないこともないとはいいきれない。

ポケットの中で握り締めた手はいつのまにか汗ばんでいた。



相川「事実だという証拠を見せてみろ」


こうなれば頭脳戦だった。

どうにかこうにか、凌いでみせる。

そして今日会議に出席したのが吉田でなくて本当に良かった、こんなくだらないところで部を潰してたまるか。


氷上「ふふ…山田さん」


会話は思わぬ方向にとんだ。

さっきのカメラ小娘は相川達の緊張した雰囲気に黙っていたが、突然話題を振られたことに驚いて声をあげた。


山田「ひゃ、ひゃい!?」

氷上「掴んでいるのでしょう、その証拠を」


コイツ、やはり敵だったか。

相川は山田を睨んだ、それにひるんで下を向く。


山田「あ、えーと、その」

氷上「写真があるんでしょう、女が男だと偽っている決定的な写真が!」

山田「ま、まぁ」


相川の脳細胞が疑問をあげる。

…おかしい。

氷上の態度に対してどうもこう、山田が困惑するんだ。

もし仮に氷上の掴んだ証拠が山田の写真だとすれば、すぐに山田はそれを提出するはずだ。

それを提出しない、となると、どうも怪しい。


氷上「何をぐずぐずしているんですの!?」

相川「悪いが、合成写真なら俺は本気で怒るぞ」

山田「ひ、ひぃ〜〜!」



まるで蛇に睨まれた蛙のごとく固まる山田。

やはり、利はこちらにある。

おそらく山田が氷上に持ち込んだ写真の情報は「ガセ」だ。

大方この女、イベントを立ち上げて儲けようとでもしたんだろう。

うちの文化祭は出し物が一定料金を学校に納めれば、後はその出し物の主催者たちで山分けできる。

以前、金欲しさか幾人かの女生徒が水着喫茶というキャバクラまがいのものをやって、他校の男子達から多量に金を巻き上げたとか。

もちろん、その時は厳重な注意とそれなりの処罰があったらしい、それ以来出し物は教員達がいちいち確認するようにしている。


山田「に、逃げるが勝ち〜〜!!」


と、突然脱兎のごとく逃げ出した山田。

廊下の端に消えて行くその姿を二人は黙って見ているしかなかった。

振り向いたとき、氷上の端整な顔立ちが少しゆがんでいた。


相川「悪いが、この話は無かった事にしてもらおう」

氷上「…くっ、私は諦めないですわよ!」





















山田「…んー…」


空を見上げていた。

ようやくあの緊張した空気から逃げ出した、という安堵感があった。


山田(さて、どうしようかなぁ)


相川の目論見は大方当たっており、やはり山田はイベントで一儲けしようと考えていた。

そろそろデジタルなカメラが欲しいお年頃なのである。



山田「やっぱ偽造とか…んー、駄目だ。相川君なら一発で見ぬきそうだもんなぁ」


確証は無いが自信はあった、相川の目はひたすらまっすぐだ。

それでいて時にぼやけたりするから女心をくすぐるのかもしれない、人気があるはずだ、と思った。

それにしても、どうしたものか。

考えも無しに氷上にでっちあげた訳じゃない、そういう噂があったのだ、野球部の一人は女の子だという。

たしか冬馬とか野多摩とか…どっちかだったかは忘れたが、どちらも中性的…いやどちらかというと女性的な柔和な顔立ちで、おまけに体も華奢だ。

写真で見たときは山田自身も普通に驚いた。

だが、本人が男という限りは男なのだろう、証拠はどこにもない。

ただ、あるとすれば学校にあると思ったのだ、生徒名簿か、家族か。

氷上の噂は色々と聞いていた、男子野球部を潰すためなら手段は問わないらしい、おそらく汚い手でも使って無理やり調べ上げてくれれば目論見は思惑通りだったのだ。

だがまさか理事長の娘がこっちに頼るとは…予想外だった、それほど頭の良い女という訳でもないのか。

山田はいわゆる、子悪魔、という言葉がぴったりだ。

可愛い子ぶって、裏では色々と考えている。

諦めた訳ではなかった、色々とまだ作戦はある。

野球部には悪いが高性能デジカメのためなら、なんでもやる。



山田「周りから潰していくかなぁ」



よっと、と立ちあがって胸元のポケットからメモ帳を取り出す。


山田「相川大志……かなりの、強敵、っと」


野球部にとって一番の幸いは、この山田に相川が当たったことだった。















同土曜日の午後。

西条は走っていた。

風を切り、学校の外周沿い、海へと向かう大きな坂を駆け下りる。

機嫌は悪かった、午前中にもめたばかりだったからだ。



西条「はっ、はっ、はっ」



冬馬の態度があまり気に食わなかった。

それは些細なことだったんだけれども、元々あの敗戦以来西条はずっと機嫌が悪かった。

だから冬馬の物言いにかちんときたのだ、自分は好意から降矢の意思を尊重したのにかかわらず、向こうがいきなり自分のことを薄情だと言ってきたのだ。



西条「降矢が、お見舞いにこられて、喜ぶわけ、あるかい」



将星の中で降矢という男の本質を心で一番理解しているのは多分西条だろう。

ただ怖いという印象しか抱かせない降矢に対し、西条はどこかで降矢の抱える「何か」を感じ取ったのかもしれない。

降矢のそれは右腕を失ってさまよっていたあの頃の苛立ちや絶望ににた感覚だった。



西条「…」



イライラするときは、全力疾走や全力投球をするとスカっとする。

それでも、どうしてもあの敗戦が頭に浮かんでしまうのだ。

誰が悪いわけでもないから、理由の無い敗北に余計腹が立った。

何かがおかしい。

それは何か歯車がかみあわなくなった感じ。

完全に分裂はしていないが、将星の誰もがバラバラになっている気がする。

気がついていないだけだ、いつもならいつでも一緒にいる一体感があった、それは自分だけかもしれないが。

それが今日はどうもバラバラな気がする。



西条「しゅっ」



大きく息を吐いて、くだりきった坂から信号を青の間に全力で渉る。

将星高校のある市は決して都会とはいえない、のどかな高級住宅地が駅近辺にはあつまっている。

が、一歩山の方へ向かうと、古風な建物や畑が顔を出す、まばらではあるが、それは時の流れがそこだけ止まっているかのように感じさせるときがある。


茨城県の方へ向かうと、海がある。

西条は海辺へと駆け抜ける道が好きだった。

左右に広がるものは自然とわずかな一軒家、その間を全力で駆け抜ける。

まるで自分が世界で一番速いものに思えてくる。

自分はもっと速くならねばならなかった。

左腕の制球力は奇跡的である、と自覚はしている。

制球力をつけるコツを覚えていたとは言え、利き腕ではない方の腕にもかかわらずわずか二ヶ月そこらでなんとかものになる制球力をつけれたのは神がかりだった。

それほど自分には野球のセンスがあったのだろうか、それともためていた熱意が爆発した努力のおかげか。

どちらにせよ、現状は維持しなければならない、来年の今頃には県下でトップの投手と呼ばれるほど成長しなければならない。

救ってくれた緒方先生には恩があった、チームメイトとも気があった。

なんとか自分に野球を思い出させてくれた将星を、甲子園に自らの手で連れて行きたい。

そして、もう誰にも負けん。








ざざ、っと波の打ち寄せる音が耳に心地よい。

終点にたどり着いた、これ以上進もうと思ったら泳ぐしかない。

潮風が側を抜けると、汗が少しひく気がした。

海の匂いは嫌いではなかった、マウンドの独特の匂いには劣るが。



西条(…ちっ)



やっぱり帰ってきたら冬馬に謝ろうかと思う。

だがどこかでそれを拒む自分もいることもわかる。

大人しく引っ込む性格ではないことは自分が一番わかっている。

そして現状つまらないケンカでもめている場合じゃないことも、良くわかっていた。



???「…あ……あぶない」」

西条「あん?」




ゴキンッ!

振り向いたとき、ものすごい衝撃が西条の側頭部をつきぬけた。



西条(…きょ、今日は厄日かぁ!?)


しびれる痛みの中、西条はその場に倒れこんだ。







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