197「1%」→「∞」
橋森重矢…後にパワフルズの監督となり日本一を達成する男である。
また、黄金時代の四番打者であり、本塁打王も幾度か取り、MVPにも選ばれたことのある選手。
だがここ最近は怪我に泣かされ、年も含め引退説が流れるようになり、本人もやる気を失ってしまっていた。
パワフルズの黄金時代はこの橋森が入団しとことによって始まったといっても過言では無いだろう。
沢村賞三度のエース神下に加え、投手陣の層も厚く、野手も三割三十本打者が五名いるという驚異的な強さで、平成も広島、ヤクルト、そして巨人を抑え90’〜93’とパワフルズは三度ペナントを精した。
しかし…その後は低迷。
エース神下はFA、他の選手も引退し、残されたのは橋森と古葉という選手二人だけになった。
万年Bクラスの烙印を押され、リーグのお荷物的存在になっていった。
そしていつの日か負けることになれ、選手達の目の色は薄れていった…。
話を戻そう。
マウンド上はエース上原。
独特の腰を大きく捻るオーバースローから第一球。
唸るような音を立てたストレートが外角高めに鋭く走る。
バシィィッ!!!
『ストライクワンッ!!!』
橋森「無理だ…無理に決まってる。今日の上原の最速が何キロ出てると思ってんだ…151だぞ…。プロ新入りのしかもドラフト六位で最近一軍に上がってきた奴が打てるはずがねぇんだ」
ドバァアアアア!!
『ストライクツー!!!』
たった二球で追いこまれた、低目のストレート、手を出したところで内野ゴロが関の山。
吉光(厳しいところ投げてきやがるぜ…)
流石に先輩が方が打てないはずだ。
外から見てるのと打席に立つのとじゃ天と地ほどの差だ。
何よりさっきから体全身に上原選手のオーラがびんびん当たってくる、それだけでもう萎縮しそうなものの、吉光は必死に絶えていた。
吉光(ちっ、打っても内野ゴロでも…手を出さなきゃ何もならないぜ)
「ほ、ほらもう追いこまれちまったじゃねーか」
古葉「…吉光君」
橋森(そうだ…もう神下も、菱久利さんも奥田さんも美山さんも、本居さんも…全盛期時代の選手はもう俺と古葉以外いないんだ。…もうパワフルズは、俺のパワフルズは…もう終わっちまってんだ)
軽くロージンをつけ、二三度、手を振る上原。
おそらく決め球のフォークで来るだろう。
吉光(粘れるか?…いやカットの技術なんか俺にはさらさらねー)
吉光は考えた。
こんな場面はプロに入ってからしょっちゅうだった、二軍といえど自分より力のある選手ばかり。
そんな中で吉光を一軍に押し上げてきたものは。
吉光(やっぱり…俺の足に頼るしかねぇ)
ちら、と自分の右足を見る。
試合前の練習でも調子は悪くなかった、むしろ絶好調だ。
パワフルズのホームグラウンド頑張スタジアムはこのご時世珍しい自然芝だ。
内野にはしっかりと土のグラウンドが整備されている、これが良い。
吉光にとって、走るには絶好のタイミングと言えた…が。
『おっと、バッター吉光、ここで一旦手をあげてタイミングをとります』
打席から離れて二三度スイングする。
吉光(二軍だったら、転がしてバントヒットなんてのは何度もできたが…果たしてプロの、しかも今年のセ・リーグ覇者に通用するか…)
おまけに上原投手のあの球威だ、下手にバントなんかすれば当てそこなって浮いてしまう可能性も高い。
慎重に行くにしても、ツーストライク、スリーバントになっちまう。
吉光(…どうしたもんかな)
橋森「無理だ…無理に決まってる。上手く転がしたとしても今日の向こうのサードは名手川相選手…どう転んでも、無理に決まってる!!」
古葉「…何をそう、そこまでムキになってるんですか重矢」
橋森「む、ムキ?」
古葉「貴方自身、彼に重ねているんじゃないですか?今の自分の姿を」
橋森「どうしてだ」
古葉「…『絶対に無理だ』…と思いこんだ方が人間楽なんですよ、勝てない勝負に対しては」
橋森「…」
古葉「いつからか挑戦を辞めたのは年老いた自分の現状を知るのが嫌だったから。…最初から無理と思って勝負に挑めば負けても傷つかないですみます、プライドは」
古葉「ただ、それはアスリートとして失格です」
『さぁ、吉光打席に戻って試合再開です。どうでしょう、解説の美山さん?今日の上原の調子は』
『いやぁ、近年稀に見るぐらいですよ、今日の球の走りは。何かきっかけでも無い限り、打つのは難しいでしょう』
神経をバットの先に集中する。
そして、上原の三球目!!
球筋は高め…がそこからワンバウンドして落ちる――フォーク!!
バシィィィイ!!!
橋森「み、見送った!!」
「見逃し三振かよ!?」
『…ボール!』
しかし球審の手は動かなかった。
どうにもこうにも生き延びた、少なくとも2‐1よりはまだ吉光に救いの光が見えた。
何故なら、今の球は完全に上原が自信を持って投げたボールだったからだ、例え意識していなくても、無意識の内に審判の微妙な判断は投手の感覚を鈍らせていく。
今の球がボールなら、もう少しストライクゾーンに置かなければならない。
ただ、吉光もたまたま見逃したわけではなかった。
吉光(…よし)
見えていたのだ、フォークは。
グングン手前で伸びてくるストレートよりは、まだ幾分かまだスピードの落ちるフォークの方が見える。
それぐらい今日の上原のストレートは走っていた。
…吉光は覚悟を決めた。
吉光(ストレートなら100%無理、フォークなら99%無理)
人生、挑戦なんてそんなもんだ。
1%に賭けるか賭けないかに、全てを乗せる。
そして吉光は、上原の性格に全てを賭けた。
『今日の上原選手なら…完全主義、つまりもう一度フォークで、三振を狙いに来る』
吉光「…」
上原「…」
二度、首を振る。
そして頷く。
ストレートなら…確実に負けるが…!
上原「しぃっ!!!」
ゴォッ!!!!
ボールは…………フォーク!!
吉光(しかもさっきよりも、若干遅い。コントロールに重心を置いてきてる!)
つまり…さっきのフォークよりも威力は落ちる、したがって…!!
コキンッ!
橋森「!!!!」
古葉「当てた!!」
『よ、吉光カウントツーワンからスリーバント!!!』
しかし打球はサード側に少々強く転がる。
川相「浩二の完全試合…こんなところでつぶさせるか!!」
『川相捕球!!流石にモーションが速い!!』
すでで拾ってそのままファーストへとスローイング!
だが…!!吉光の方もすでにファーストベースの一歩手前まで駆け抜けている!
吉光「んなろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
ダンッ!!
『バシィッ!!』
ファーストベースを踏むスパイクと、ファースト清原のキャッチャーミットの音は、ほぼ同時!!
吉光「セーフに決まってんだろうがっ!!」
「あ、アウトか!?」
橋森「…いや、セーフだ!!!」
『ワアアアアアアア!!』
橋森の予言通り、審判の手は真横に開いた。
『吉光内野安打ーー!!ここで上原の完全試合、ここで途切れましたーー!!』
上原「…ぐっ」
川澄(…!牙城にヒビが入ったか…?)
『一番、サード五島、背番号7』
橋森「おい五島!!抑えられんじゃねーぞ!ルーキーごときに遅れを取るんじゃねぇ!プロの面子台無しだぞ!」
五島「わ、わかってますよ!」
マウンド上では、捕手の村田が上原に駆け寄っていた。
村田「気にするな浩二、今日のお前は絶好調だ。たまたま転がるところが悪かっただけだ」
上原「はい、わかってます」
村田(とはいうものの…心配だな。投手ってのはこういう時から崩れるときがあるからな…)
『さぁ、六回裏一死、ランナー一塁。上原セットポジションから第一球!…ボール!!』
『…どうも先ほどの上原君とは少し球筋が変わってきましたね』
村田(まずいぞ…明らかに力が入りすぎてる)
バッテリーは焦っていた、そして焦ると意識も薄くなる。
『上原、第二球…おおっとファーストランナーの吉光走った!!』
吉光(馬鹿野郎!あんだけリードとらせてくれるなんて、俺を甘く見るのも体外にしやがれ!)
吉光はキャッチャーに投げるそぶりさえさせずに、悠々とセカンドベースに滑り込む。
『吉光盗塁成功ーー!』
『バッテリー、焦ってますね。これはいけません、ノーマークでしたよ』
上原(ちっ…失念していたっ…!)
村田(しかもあの金髪…あの足の速さ、まるで全盛期のヤクルトの飯田さん並だぞ!)
パワフルズベンチでも、先ほどの諦めきったムードは少しづつ薄れていっていた。
人間はかすかな希望が見えると、良くも悪くも『欲』が顔を見せる。
0%の心に『もしかして』が生まれる。
川澄(今日の試合…もしかすると、来季のパワフルズを変える試合になるかもしれん…!)
完全にマウンド上先発上原は冷静さを欠いていた。
五島に対して、カウント1-2から投じた四球目…!
『な、なんだーー!?セカンドランナー吉光、三盗だぁ?!暴走か!?』
村田「さ、三盗だと!?なめやがって!!!刺してやるルーキーが!!」
しかし、村田が三塁に投げるはずのそのボールはキャッチャーミットには入らなかった。
変わりに、鋭い打球がセカンド仁志の頭上を抜けて行く。
『五島!痛烈なクリーンヒットぉ!!もちろん吉光は三塁を回って本塁へ生還!!!!パワフルズ、なんとか一矢をむくいました六回裏!!』
橋森「…う、嘘だろ。今日の上原から、五島があんなヒットを打てる訳…。五島の今季の打率は.253だぞ…」
川澄「1%に勝てば、次の確率は十倍にも三十倍にも膨れ上がる。試合とはそういうものだ」
橋森「か、監督…!」
川澄「橋森、お前は室伏との賭けに負けた。……今日はいつもの中途半端なスイングでなく、思いきり振って来い。いいな」
橋森「……」
『二番、ライト森田』