196「1%」
ちらほらと空席が目立つのは自軍側。
それは、仕方ない。
何故なら今日の試合はいわゆる消化試合だからだ。
しかしそれでもパワフルズ監督、川澄猛人の機嫌はいつもに増して悪かった。
向かい側の一塁側ビジター観客席のオレンジ軍団の方が数が多い。
上に、現在のスコア状況がその怒りを倍増させた。
カツーンッ!!!
また威勢のいい音が目の前のグラウンドから聞こえてきた。
ワァァアアアア!!!
『抜けた!右中間を抜くタイムリーだ!一塁ランナーの村田、二塁ランナーの仁志もホームイン!二岡クリーンヒットー!この回ジャイアンツ三点目ーー!!!』
盛り上がる歓声と半比例するように、パワフルズ投手コーチの林は小さくなっていった。
ため息を二つついてブルペン行きへの電話をかける。
林「俺だ、先発の村井がもう駄目だ。そっちで使える奴いるか?……藤原?山瀬?…うん、うん。…わかった、準備させてくれ」
川澄「…」
川澄はイライラを抑えきれていなかった。
監督とは常に冷静でいなかればいけない、と言う者もいるが、この男は感情を隠そうとはしない。
横目で林投手コーチをにらむと、目でマウンドへ行け、と合図した。
吉光「…五回で6‐0…やっぱ今年の巨人は半端ねぇな」
吉光もまた、この現状には納得できないでいた。
いくら相手が今年のセ・リーグの覇者とはいえ、こう目の前でボコスカ点をとられれば、たまったもんじゃない。
原井「しかし、若手にはチャンスだろうに」
横で帽子を深くかぶりなおした男が言った。
吉光「べ、別に俺は」
原井「馬鹿か、こういう試合だからこそ自分のチャンスを待つんだ。プロってのはそんなもんだ。自分のことだけ考えてろ。そうしないとすぐに俺みたいになっちまうぞ」
原井は去年ロッテを解雇された内野手だ、守備要因としてパワフルズに来たがとんと出番がなかった。
吉光「…」
県「…ああ、また点入れられちゃいました…」
バックネット裏では県もさえない顔だった。
吉光は出てこないし、試合はといえば序盤から巨人が常に試合の主導権を握っていた。
一回裏先制は高橋由のソロホームラン、その後も犠牲フライ、タイムリーで得点を重ねあっという間に六点のもの差がついた。
県「…」
県の頭に『何か』がフラッシュバックした。
この光景は、見覚えがある。
今季下位の弱小チームと、セ・リーグの覇者の強豪。
そう、夏に県は同じ経験をした…パワフルズ側として。
県「桐生院」
そうだ、この絶望的な状況はあのときの決勝戦そのものだった。
投げれば打たれ、立ち向かっても抑えられ、全く何も出来ずに差だけが開いていく。
気づけばこの点差…まさに今日の試合はあのときの決勝戦だった。
隣のミッキーも不安そうな目で試合を見つめていた。
ミッキー「アキラ…このままで終わるのか?」
六回裏、巨6‐0パ
『八番、センター斎藤、背番号23』
一塁側ベンチはさめきっていた。
うなだれた者、ぼーっとしている者、試合後のことを話し合う者。
そして、何か言い様の無い苛立ちをかかえている者。
橋森「…やれやれ今日も負けか」
福屋「…」
古葉「今年ももう終わりですねぇ…」
『ストライクバッターアウッ!!』
さまざまな思惑がベンチにうずまいていた。
自然と口数は少なくなっていった。
吉光(…これが、プロって奴かよ)
近頃はずっとそんなことを考えていた。
アマチュアの一流が集まるのがプロのはずなのに、現状はこれだ。
確かに負けることに慣れなければ、135試合も戦うには心が壊れてしまう。
しかし負けに慣れてしまっては、一生勝つことなんかできはしない。
「おい、吉光」
そのとき先輩の一人が話しかけてきた、小声で、だ。
話しにくい話なのだろうか、吉光はあらたまった。
吉光「は、はい」
「お前さ、この後どうする?」
吉光「こ、この後?…寮に帰って…あ、その前に居残り練習ッスかね」
は?というような不思議な顔を先輩はした。
「何言ってんだよ、もうシーズンも終わりだろ。今の内に遊んでおかないとどうするんだ?」
吉光「遊ぶ?…って」
「わかんねー奴だなぁ、飲みにいくんだよ。可愛い女の子がいる店知ってるぜ」
吉光「…はぁ」
「なんだリアクション薄いな、お前。嫌だっつーのか?」
…昔、パワフルズは黄金時代ということを聞いたことがあった。
しかしこのような輩がいる限り、一生優勝なんてできっこないだろう。
川澄「…吉光。九番のところで代打だ、振ってろ」
と、そのとき川澄監督の怒号が聞こえてきた。
吉光「う、うぃっす!!」
「…ちっ、しゃーねー、また後で話すからな」
吉光「…」
ふ、とネクストバッターズサークルに向かう前に吉光は振り向いた。
吉光「先輩、賭けをしないッスか?」
「…カケ?」
吉光「もし、俺がヒットを打てば残って俺と練習してもらいます。もし打てなかったらその店で奢りましょう」
「おお!面白い乗った!!」
???「…その話、俺ものろう」
横から随分と低い声が聞こえてきた。
「げ…む、室伏さん」
室伏哲司、後に42歳の最長年齢で最多勝と最多奪三振を達成する鉄人である。
固く真一文字に結ばれた口からは、すでに厳しさと風格のオーラが漂っていた。
顔通り性格も厳しく、誰よりも娯楽を嫌うストイックな人間だ、それなのに彼は口を挟んだ。
室伏「…もしお前がヒットを打てばこの試合、俺が投げてやろう」
吉光「…は、はい?」
「な、なに言ってんすか室伏さん!明日先発なんじゃ…」
室伏「かまわんさ。それより、お前も賭けるんだ」
「は、はぁ?」
室伏「…もしコイツが打てば、この試合。勝ちに行くぞ」
シンッ、と場は凍りついた。
少し遠くまで響く声で室伏が言ったからか。
監督も無表情ながら、耳がぴくりと動いた。
橋森「な、何言ってるんだ室伏。6‐0で、相手は巨人だぞ!?」
「しかも今季は絶好調のエース上原ときてる、新人が打てる訳ねーだろ」
「どうしたんだよ室伏そんなキャラじゃないだろ?お前」
「今日は負け試合だぜ?消化試合だし、あがく必要なんかない。とっとと終わらせて…」
そこまで言ったところで、うっ、とつまった。
室伏の鋭い眼光が言葉の主を捕らえていた。
室伏「このままじゃ来年も負ける、ということだ」
また場の雰囲気が変わった。
橋森「おい室伏!!お前若手のクセに生意気ぬかしてんじゃねーぞ!」
「言っていいことと悪いことがあるんだろうが!」
室伏「怒った、ということはどこかひっかかるところがあるんでしょうが」
「ぐぬっ…!!」
室伏「熱くならないでくださいよ、プロでしょう。俺は賭ける、と言ったんです。さっきも言ったように向こうの先発は上原、しかも日本シリーズに向けて調子は絶好調、吉光が打てる確率は1%でしょう」
吉光「…」
室伏「そんなもんなんですよ、うちが優勝できる確率は」
川澄「室伏ぃ!!」
ついに監督からも怒りの声が飛んだ。
室伏「怖がって逃げたままじゃ、結果なんて出ない」
橋森「…」
「…」
古葉「いいじゃないですか、その話のりましょうよ」
橋森「なっ!こ、古葉!?何こんな若手の言う事本気にしてるんだ!」
「そ、そうッスよ!馬鹿馬鹿しい、今日の巨人に勝つだなんて天地がひっくり返っても無理ですよ!」
古葉「…そうですかねぇ。重也、君が若い頃は今の室伏君とそっくり同じ目でしたよ。…それが負けがかさむ内に、いつのまにかそんな風になってしまった」
橋森「…」
室伏「…監督、俺はもし負けるとしても吉光が打てば投げますよ。1%に賭けなければ、パワフルズは変わらない」
林「お、おい室伏!?お前明日先発だろ!?」
室伏「吉光。頑張れよ。お前が…何かを変えるかもしれない。…行け」
吉光「う、うぃっす!
室伏は、吉光の方を一瞥してブルペンへと下がって行った。
そして、吉光もネクストバッターズサークルへと向かって行った。
川澄「…全く、相変わらずとんがった小僧だ…若い頃のお前にそっくりじゃないか、なぁ橋森」
橋森「…」
川澄「前年度五位のパワフルズが優勝して…黄金時代を築いて…それがたった一回の二位で何もかも変わっちまった。エース神下は移籍、代打の切り札の菱久利は引退。…お前等全員まるで夢を見てたみたいにやる気をなくしちまったよ」
その言葉はまるで冷たい小川のように橋森の心を浸した。
川澄「俺ももう年だ。後何年指揮をとれるかわからん、お前ももう若くない引退も近いだろう。…だがこのまま終わっちまうのはあまりにも寂しくないか?」
『九番、投手外居に変わりまして、吉光、背番号99』
県「ああ!!」
ミッキー「で、出てきたネ!!!」
いやに背中が重たくなった気がした。
賭ける、だなんて余計なこと言ったかな、吉光は舌を弱く噛んだ。
二三回屈伸をしてから、ゆっくりと足場を固める。
巨人、上原‐村田バッテリーは少し驚いた顔をした。
上原(…新人さんですね)
村田(ま、この点差だ。向こうも来年のことを考えているんだろう。気負うこと無い、今日のお前なら完全試合だってできるぜ)
上原(言い過ぎですよ)
ここまでの球数68、奪った三振すでに九個、そしてここまでランナーに塁を踏ませないパーフェクトピッチングである。
それぐらい今日の上原は良かった、ストレートに加えフォークが信じられないくらい落ちる。
謙遜はしたものの、上原自身も完全試合の予感はしていた、それぐらい調子が良かった。
まさしく新人の吉光がこの上原を打つ確率は室伏の言う通り、1%に満たなかった。
川澄「だからこそ、賭ける。吉光が打つ確率より、俺達が優勝できる確率の方がよっぽど高いと俺は思うぞ」
吉光「っしゃあ!吉光晃、勝負するぜ!」