196流されないぜ
藤堂「堂島と死ぬか、俺達と生きるか、選べ」
狭いトイレの中で藤堂の低い声がいやに無機質に響いた。
妻夫木の腕を完全にロックしている威武、そして南雲も妻夫木に攻め寄る。
妻夫木「…どっちもごめんだね」
だが妻夫木は横を向いて吐き捨てるように言った。
藤堂「何ぃ…?」
妻夫木「ここでお前らについても、二軍強制退部はもう六日後だ。自分たちでもわかっていないのか?お前らはもうすでに、崖っぷち…いや、棺桶に片足つっこんでるようなもんなんだぜ?今更何をしたって無駄なことだ」
威武「無駄、ない。やれば、かならず帰ってくる」
妻夫木「甘いな、世の中常に長いものには巻かれるもんだ」
妻夫木はゆっくりと南雲に目線を向けた。
妻夫木「出る杭はうたれる。お前らも堂島にとりいって、一軍にあげてもらった方が得策だと思うがな」
南雲「…」
妻夫木「悪いな藤堂、俺はお前と違って堂島にばれるようなヘマは死んでもしないぜ」
藤堂「…ゲスが」
藤堂はその拳を振り上げたが、南雲がその右腕を瞬間的に掴んでいた。
藤堂「どういうつもりだ」
南雲「暴力はいかんぜよ」
藤堂「それ以外にコイツを引き入れる方法に何があるってんだ!!」
キィィンッ、と耳鳴りがする。
しかし南雲は表情一つ変えずに妻夫木の方に向き直った。
妻夫木「仲間同士でもめてるような所じゃ、何を企んでるか知らんが無駄無駄」
南雲「妻夫木ぃ、わしらは九人を集めて一軍…堂島に試合を申し込もうと思ぅとるんじゃ」
妻夫木「試合?」
南雲「そう、勝ったら…一軍と二軍総入れ替え…少なくとも二軍の強制退部は無しっちゅー話でな」
妻夫木「…」
一瞬黙った後、妻夫木はこらえきれずに笑い出した。
妻夫木「うはっはっは、ば、馬鹿か貴様ら!あの堂島がそんな条件飲むと思ってんのか?!」
ぐい、と妻夫木の上着の襟を掴む。
いつも長い前髪で隠れている南雲の目が一瞬光った。
南雲「―――笑うな」
妻夫木「う…!」
南雲「堂島が二軍の廃部を決めたのは『実力のない者は野球部にいらない』という桐生院野球部の基本理念にのっかったもの。…ならば、二軍が勝てばその理念をくつがえす。二軍を潰す正統な理由がなくなる」
妻夫木は、南雲の目を始めて見た。
そして、そのあまりの鋭さに言葉を失った。
妻夫木(こ、こ、こいつ。普段温厚なふりしやがって…やはり桐生院はどいつもこいつも一癖も二癖もある野郎だらけだ)
妻夫木が大人しくなったのを確認して、南雲は手を離してまたにぱっと笑った。
もう目はいつものように閉じているような細目になっていた。
南雲「ほじゃき、九人集めて堂島に勝負を挑めば…」
妻夫木「ま、待てよ。堂島だぜ、そんなこと突っぱね…」
藤堂「監督に頼めばいい、監督命令なら逆らえないだろう」
威武「監督、俺らと同じ。まだ堂島の言う事に不審、抱いてる」
妻夫木は絶句した。
確かに…監督はまだ堂島のことを良くは見ていないはずだ。
こいつら一体どこまで掴んでいて、どこまで知っているのか。
妻夫木「お前ら…本気か?」
南雲「マジぜよ」
威武「…」
藤堂「俺はこんなところで終わる訳にはいかない」
……。
しばしの静寂、そして外の虫の声。
妻夫木「…俺は別に現状でもなんら不満はないんだ。二軍が潰れようが、俺は一軍だからな」
藤堂「貴様…!」
妻夫木「正論だろ?お前らだってわかってるはずだ」
―――桐生院は仲良しこよしじゃない、人の為に野球をやってるんじゃないんだ。
りりりり。
桐生院は山の中にあるというのは前途したが、そのせいで夜ともなると灯りがなくなると何も見えなくなるぐらい田舎だ。
もちろん自然の声がたくさん聞こえてくる。
そんな音に囲まれながら、望月はさっきの言葉を頭で繰り返す。
望月「元、キャッチャー?」
三上「うん、もちろん桐生院に来て戦意喪失しちゃったけどね」
堂島さんはすごいプレイヤーだから、と笑う。
望月はそんな三上が何故笑えるか理解できなかった。
でもきっと、三上には三上にしか見えない景色があるのだろう。
望月「プレイは…できるのか?」
三上「一応…でも肩も弱いし、僕ができるのはキャッチングぐらい。でもブルペン捕手でももっと機敏に動ける人は多いしね、マネージャーぐらいしかできないよ」
望月「…へぇ、知らなかったな、三上にそんな過去があるだなんて」
三上「そんな大げさなものじゃないよ〜」
そういって望月にボールを返す。
確かに球を投げるフォームは綺麗とはいえなかった。
このフォームで思い切り投げても、セカンドまで届くのが限界だろう、少し強いチームに公式戦で当たれば、走られたい放題になるかもしれない。
悔しいが、堂島の方が一枚も二枚も上手だった。
堂島の長所は、リードが上手いこと。
そして、決して肩はよくないしキャッチングも上手くないが、ボールを捕ってから二塁までに投げる間隔が通常捕手よりもかなり短いこと。
今堂島を上回る捕手は桐生院にはいないだろう。
だが、望月は今の三上を見て素直に思った。
望月「でもさ、お前の方がキャッチングは上手いよな」
三上「へ?」
望月「キャッチングだよ、堂島より上手いってことさ。あの人は俺の暴投をまともにとれたことなんてなかったんじゃないか?」
???「―――自分のミスを、人のせいにする。それじゃ……二軍に…落ちても、しかた、ない」
ザワアッ!!
鳥肌がまるで波の様に望月の肌を駆け回る。
威圧感が押し寄せた方向には、あの男がいた。
望月「う、植田…!!」
桐生院のロゴが刻まれた、漆黒のジャンバーを身に纏っていた。
目には相変わらず不気味な光をたたえて、ゆっくりとこちらに向かってくる。
植田「あれだけ、昼間忠告した……のにな…」
三上「う、植田君?」
植田のただならない雰囲気に驚いたのか、三上は思わず声をかけた。
だがそれが植田の何に触ったのか。
―――バキィッ!!
望月「!!」
いきなり植田は三上の鼻面を裏拳で思い切り殴った。
三上「うげ!?」
望月「な、何しやがる!」
鼻血がぼたぼたと落ちてグラウンドにシミを作る、おさえてもその鮮血は止まろうとしない。
三上「う、ううう」
望月「お、お前三上にいきなり何しやがるんだ!!!」
植田「……マネージャー…ごときが…エースに…軽々しく…声をかけるな。…それと…堂島様…に…逆らっている…奴と…軽々しく……話していた…罰だ」
望月は違和感を覚えた。
喋り方が…おかしい?
短い言葉ならすらすらと饒舌になる植田なのに、長い言葉になると考えているような沈黙の時間が増えてくる。
植田は殴り飛ばした三上を気にも留めずに望月に歩み寄ってくる。
思わず望月は構えるっ!
植田「…別に、お前を殴るつもりはない」
望月「…?」
植田「コイツは…野球部にいる資格のない『諦めた』者だ。殺そうが…価値も罪もない…だが…お前は…違う……なぜ…堂島様…に…つか…ない。勿体無いとは…俺も思う…その…才能…を自分…で、潰す、つもり、なのか」
望月「生憎だな、俺はああやって自分ひとりでチームが動くような奴と一緒に野球するつもりはないんだ!」
植田「…やはり、お前は…桐生院らしく…ない。確かに…桐生院は…誰もが一人…一人でする。…だが…一人では限界がある…うえに…トップに一人…強大な、人が。いれば…分裂も防ぐ事が…できる」
望月「知らねぇよ!桐生院らしかろうが違おうがな!裏で支えているマネージャーを殴り飛ばすような奴と俺は一緒に野球をするつもりはない!!」
植田「理解できない」
望月「俺はな…エースだった。中学の時もな。調子に乗ってた、お前みたいになってたときもあった!だが、だがよ!気づいたんだ、一人で野球しても…」
―――お前は一人じゃない、そうだろ。望月。
望月「…一人でも野球しても勝てないんだ。布袋にも言われた」
植田「理解できない。投手…俺も、お前も……ピッチャー…孤独、孤独だ。結局…自分が打たれなければ……負けることはない、野手は……投手を支える為に…存在。お前だってそうだ…本当は、心のどこかで、……見下ろしているんだ…」
望月「んだとぉ…」
植田「ピッチャーのマウンドが…何故、高いか…知ってるか?…他の…全員を、見下ろすためさ」
りりりり。
虫の音が、遠くで鳴っている、夏の終わりを告げる。
南雲「人の為に野球、か。それは、おかしいぜよ、妻夫木」
妻夫木「…ふん、お前らだってわかってるだろ」
南雲「野球は元々『娯楽』だ。高い技術のプレーで人々に興奮と満足を与えるための物。…それが、いつの間にか勝つためのものに摩り替わったんぜよ。最初はきっと、誰も彼も投げたボールを当てることに夢中になっていただけだろうに」
威武「…野球、楽しい」
南雲「確かに、仲良しこよしでわしらはやっていない、人の為にもやっていない。だからお前がわしらに力を貸さないのは良くわかる。…じゃあ、おんしゃ、なんの為に野球しとるぜよ?」
妻夫木「…俺?」
南雲「そうじゃ…なんとなくか?なんとなく野球やってて桐生院にこれた奴はおらんはずじゃ。それこそ、この桐生院はここまでレベルは低くない。」
南雲は威武の方に首を傾けた。
威武「俺、野球、楽しい、だからもっと、楽しくやる」
続いて藤堂の方にも。
藤堂「…これなら、この競技なら頂点を目指せると思ったからだ」
南雲「理由がなくやってる奴もおる。ただ理由がなけりゃ、桐生院に来れるまでレベルは高くならないぜよ。…おんしゃ、なんじゃ。『堂島に操られる為に野球をやっとる』んか?そうじゃない…人間、監督が上にいたとしても、自分で動いて野球するから、始めて達成感も満足感も、楽しさもあるんじゃ!わしらはロボットじゃない。そんな桐生院を、わしはぶっ壊したい。…今のままなら、部員の多くが、不幸になるぜよ」
妻夫木「…」
ふっ、と息を吐いた。
妻夫木「大げさな話だな…自分に関わっていないことなら、流せばいいのに」
威武「…」
藤堂「ふ、ふふ…その考えは嫌いじゃないが…今は別だ。痛い目を合わせてでも協力してもらう」
藤堂は再び拳を振り上げた。
それを遮るように妻夫木は人差し指を立てた。
妻夫木「後六日、ある。その間に、八人集めて、一軍と勝負する所までに状況を持って行け。そうすれば…お前らについてやることを考えてやらなくもない」
南雲「ほ、本当か!?」
妻夫木は三人の脇をすり抜け、何も言わずにトイレのドアを開けた。
妻夫木「…南雲、お前の言う事も一理あるよ。『人に操られて』野球やってたんじゃ、暇つぶしも暇つぶしでなくなっちまう」
バタン。
ドアが閉まった。
突然、植田の後ろに、大きな影が現れた。
布袋「確かに…マウンドは高い、高いな」
植田「…!!貴様、いつの間…に!」
振り向けばすでに弓生も三上を介抱していた。
布袋「望月も。確かに俺達のことを見下ろしていたこともあった、だが気づいたんだ」
望月「きっと…マウンドが高いのは、バッターだけじゃなくて、ずっと遠くまで。助けてくれる皆を、見やすくしてくれるように、高くなってんのさ」
弓生「監督の受け売りだがな、と思った方がいい」
望月「う、うるさい」
布袋「植田…俺達はお前みたいな操り人形には絶対にならないっ」
植田「ふん…理解できない…何も考えず…行動だけしていれば…楽だ…楽ですむ」
望月「…何も考えず行動してたら、きっと脳味噌かわききっちまうよ!」
植田も、劣勢と見たのかグラウンドを後にしようと後ろを向いた。
植田「…まぁ……貴様らが何をしようとも……しばらくすれば…堂島様の邪魔をするものは…何もなくなる」
―――二軍強制退部まで、後五日間。