194神風800
少し傾いた日が廊下沿いの窓から差し込み、地面に影を作る。
ロッカールームからグローブを脇に挟んで出てきた吉光と呼ばれた男がそこにいた。
生え際の黒さが目立つ金髪をヘアバンドで後ろにまとめて、目はまるでハスキー犬のようにぎらぎらと光っている。
ガラの悪さでは降矢で慣れたとは思っていたが…。
ユニフォームを着ていなければどこからどうみても街のチンピラだろうその姿に県は思わず腰を抜かしてしまった。
前門の虎、後門の狼…いや、前門の巨体、後門のチンピラ、県はあわあわと口を上下に動かすしか出来ない。
ミッキー「Oh!アキラー!」
福屋「お!コイツ!?」
しかしミッキーはひるむことなく、するりと巨漢に掴まれた襟元を上手く外して背後の男に飛びついた。
吉光「ミッキーでかくなったな!向こうの3A以来かぁ!?」
ガシガシ、と腰に抱きついたミッキーの頭を荒々しくなでる吉光。
ミッキー「アキラはさらに悪そうな奴になってるネー!」
がはは、と笑いあう二人。
県は呆気にとられるしかできなかった。
ミッキー「サンシロー!紹介するよ!ヨシミツアキラ!ボクのマスター…シショーネ!」
吉光「大袈裟だな、ちょっと向こうで走り方教えてやっただけじゃねぇかー。それにしても随分遅かったなミッキー。もうすぐ練習始まっちまうから、あんまりレクチャーできねぇぞ?」
ミッキー「sorry!sorry!ちょっとサンシローと走ってたから遅くなってたネ」
吉光「サンシロー?」
ギラリ、と鋭い目玉が県に向く。
思わず背筋がピーンと伸びてしまった。
ミッキー「Don't worry!サンシロー! アキラ顔の割には良い奴ヨー」
吉光「一言余計だっつの!」
県「あ、あうあうあうあうあう」
福屋「どういうことだ、説明してくれ吉光」
吉光「ああ、福屋さん。ちょっと今コイツの親父がこっちに来てましてね、その間のお守をちょっと頼まれてるだけなんスよ。練習時間の間だけなら、ちょっとコイツと遊んでやってもいいッスかね?」
福屋「遊ぶってお前なぁ…」
さっきから福屋と呼ばれているユニフォームに身を包んだ大柄な男…福屋、どこかで聞いたことが。
そしてぴん、と県の頭の上に電球がついた。
県「う、うわー!し、知ってる!もしかして頑張パワフルズの四番福屋花男さんですか?!」
福屋「ん?」
吉光「なんだお前、今更気がついたのかよ」
ミッキー「県知ってるのカ?」
県「知ってますよ、今年の本塁打王じゃないですか!」
相川や吉田ほど野球に興味が無い県ではあったが、流石に福屋レベルになると野球をやってる人は知っていて当たり前の人間になるようだ。
余談だが、県の住んでいる地域ではローカルテレビチャンネル…いわゆる58chではたまにパワフルズ戦がテレビ放映されている。
関西圏の読者は、36chのサンテレビボックス席を思い浮かべてもらえばわかりやすい(関西圏以外の人ごめんなさい)
福屋「…ま、チームが勝てないとな」
今年のパワフルズは八位中七位、と成績が振るってはいなかった。
その順位に加え消化試合な現在、今日の客もほとんどがビジターの巨人ファンが多かった。
吉光「じゃー俺も知ってるけ?」
県「へ?……………えーと」
ミッキー「あははは!やっぱりまだまだ吉光はマイナーネ」
吉光「っかしぃなー、向こうのハイスクールから鳴り物入りで入団したって結構話題なんだがなぁ…」
福屋「ドラフト六位ギリギリにひっかかった奴が何を言うか、今年はしかもほとんど二軍暮らしだろうが」
吉光「でも、シーズン終盤とはいえ今は一軍ですよ!」
福屋「…あのなー、今の成績考えて見ろよ。橋森さんも腰を痛めて中々振るわないし、神下さんもFAでダイエーに行っちまうしな。黄金時代が終わった今、川澄監督はすでに若手育成に力を注いでるんだよ、今目立たないとお前この先一生目立たないぞ」
吉光「む…」
福屋「ファンとの交流も大事だが、お前がどうして一軍にいるか、良く考えろよ」
そう言うと巨漢福屋は、のしのしと階段を上がってグラウンドへと上がって行った。
吉光「福屋さん良い人なんだけど、説教くさくなるのがたまに傷だぜ」
ミッキー「今のオッサン日本では有名なのカー」
吉光「福屋さんはまだ21だぞ…」
ミッキー「…oh god…」
県はびくびく震えていた。
今日はなにかと周りの目が厳しい日だ、そういえば朝の血液型占い選手権最下位だったなぁ。
しかしものめずらしい景色に目を配ることは忘れない。
グラウンドから見た球場はテレビで見る以上にもっと大きくて、何か圧倒されてしまった。
???「おや…?彼らは誰だい、吉光君」
吉光「あ、古場さん。ちょっと俺の知り合いでして」
県(わ、わ、テレビで見たことある人がいっぱいですよ…)
ミッキー「?」
古場「隠し子か、なにかかい?」
吉光「まさか」
がはは、と笑う吉光。
どうやら見た目は降矢でも中身は随分と違うようだ。
そういえば降矢にはミッキーにも吉光さんにもない、何か暗い影があるような気がする。
吉光「ちょいと、こいつらにレクチャーがありましてね、それが終わったらすぐ帰らしますよ」
古場「レクチャー…?」
ぴくり、と古場の眉があがり、それまでの温厚な表情が少し雰囲気を変えた…がすぐに戻った。
古場「…そういえば、プロの指導禁止はもう緩和されたんでしたっけね」
吉光「?」
古場「昔はプロが子供達に個人的指導をすることは禁止されていたんですが、つい二年前かそれが緩和されて堂々と指導できるようになったんですよ」
吉光「???」
古場「…あ、吉光君は高校までアメリカにいたんでしたっけ、スイマセン変なことを言って」
吉光「は、はぁ」
古場「…君達が未来の日本野球を背負えるように応援しているよ」
そう言うと古場はバッティングケージへと向かって行った。
ミッキー「なんだか変な人ネ」
古場「ばーろぉ、古場さんは超良い人だぞ、べらんめぇ」
県「でもプロの指導禁止は聞いたことありますね、以前コーチがクビになったとかどうとか、相川先輩の本で読んだことがあるような…」
吉光「とと、時間がねぇんだった、俺もプロだからな、それに監督に見つかると大目玉だ、川澄監督は激厳しいからな…。三十分ぐらいしか時間が取れねんだ、ミッキー悪いな」
ミッキー「大丈夫よ、元々アキラの顔を見るだけに来たのにワガママ聞いてもらえて嬉しいヨ」
吉光「ま、ミッキー王子のことは首脳陣には話してあるから一応納得はしてもらってるがな…でよぉ、さっきから気になってたんだが、そいつは誰だ?」
県「あ、ぼ、僕ですか!?」
ミッキー「サンシローは My Friendヨ!」
吉光「ふーん、それで一緒に連れて来たって?」
ミッキー「まずかったカ…?」
しゅんとなるミッキー、表情がわかりやすい少年だ。
吉光「だはは!べらんめー。この吉光がんなこと気にするわけねぇーだろ!アメリカンも下町も心は海のように広いんだぜ、これが人情って奴よ!」
すぐに表情を輝かせるミッキー。
ミッキー「サンキューアキラ!」
吉光「んー、じゃあまぁ、自己紹介しとくか。2000年度ドラフト六位入団の頑張パワフルズ、吉光晃だ、よろしくなサンシロー」
と、フレンドリーに差し出してくる手、しっかりと握り返すとその手は大きくごつごつしていた。
県(僕とそんなに背丈変わらないのに、すごくがっしりした体系だなぁ…)
ミッキー「ちなみにアキラはハイスクールはアメリカで、特別選抜して3Aの選手としても出たネ」
吉光「いやー」
思わず照れる吉光。
ミッキー「あんまり活躍してなくて落ち込んでるときにボクと出会ったんだけどネー」
吉光「お前も速く走れないとか言って凹んでたじゃねぇか!」
県「あ、あの、時間いいんですか?」
吉光「のわー!そうだった…で、なんだミッキーレクチャーして欲しいことがあるって」
ミッキー「…速く走る方法を教えてほしいネ!」
吉光「ストレートかつシンプルな問いだなあ、おい」
吉光は少々渋い顔をした。
吉光「お前十分速いじゃないか、ミッキー」
ミッキー「違うね!アキラのあの走り方を教えて欲しいヨ!」
吉光「あの走り方?」
ミッキー「…日本に行く前の最後の試合の事ネ…」
その日はいやに暑い日だった。
練習試合としょうして組まれた、特別試合。
体格も良くなければ、技術もない吉光は決してすばらしい選手とはいえなかった。
だが…その試合の五回裏、3‐0とリードされて、死球で出塁した先発投手の代わりに代走として吉光は一塁ベースを踏んだ。
吉光は「打球が転がれば」前に走る、と心に決めていた。
今まで、走れるチャンスはあったのにことごとく逃していた。
最後の最後まで走らないままじゃ、日本で福本豊が現れるまで世界記録を保持していた伝説的祖父と、下町の神風の名が泣くぜ!
カキィンッ!
一番打者が弾き返した球は、吉光の頭上を越えて、ライトとセンターの間に落ちた。
その光景に誰もが目を疑った。
その打球はほぼセカンドベースよりのライナー打球だったはずなのに『すでに吉光はその打球の下まで駆けていた』のだ。
一部のファンがひしめき合う中で、ミッキーは驚きのあまり立ちあがった。
アキラの中で何かが変わった―――。
あの夕暮れのグラウンドで泣いていた吉光はすでにどこにもいなかった。
走ると心に決めた瞬間、足の鎖は解き放たれた。
吉光「うあああああああ!!」
今までの思いきりの悪さが嘘のように吉光はセカンドベース上を稲妻のように駆けぬけた。
その姿を見て慌てたライトは慌ててサードへと送球…がその球が大きくそれる。
吉光はそれを見逃さずノンストップでホームへと突入した。
そのワンプレイがミッキーの、そしてたまたま試合を観戦していたパワフルズのスカウトの目にとまった。
ミッキー「それまでアキラは足が速いだけで、スタートを切る勇気がなかった。でもその日から吉光は嘘のように変わったネ。その試合続けて内野安打二つに盗塁を一つ決めて、一気に有名人になったネ」
吉光「うんうん、懐かしい伝説よのぉ」
…スタートを切る勇気…。
それは県が一番欲しいものだった。
ミッキー「でもネアキラ!」
吉光「ん?」
ミッキー「…ボクも必死にスタートを切る勇気を出したネ!盗塁も決められるようになったし、チームのレギュラーにもなれたね!」
ミッキーも決して野球が上手いわけではなかった、ただ走るのが好きなだけ。
しかし吉光と出会って捕球技術、打撃技術を学び元々の足の速さを活かして、ジュニアハイスクールのベースボールクラブのレギュラーとなるまでになった。
ミッキー「でも…どれだけベースを走り抜けても、あの日のアキラの残像には決して追いつけないよ」
吉光「…」
県「…」
県は始めてミッキーの真剣な表情を見た。
彼はアスリートだ、昼間見た県を突き放すほどのスピードを持ちながらも、まだ上を見て走っている。
吉光「…よし、ベースラン練習はちょっとできねぇから…そうだな。今ここ、ネクストバッターズサークルから、あそこのファールポールまで走って見ろ」
ミッキー「うん、わかったね」
吉光「サンシロー君もな」
県「え、ぼ、ボクもですか!?」
ミッキー「サンシローも速くなりたいんだロ!走ろうネ!」
県「う、うん…」
なし崩し的に県も観念して吉光のレクチャーに加わることとなった。
吉光の手が大きく上がった。
吉光「よーい、ドン!」
ドンッ!!!
県「!!!!」
県は目を疑った。
自分がスタートダッシュをきった瞬間にすでにミッキーは自分の前方を行っていた。
0.1秒の加速度の差が二秒後には100Mの開きになる、ファールポールに近づくに連れどんどんとその背中は拓いていった。
県(く、くそぉっ!)
吉光「お、流石ミッキー。まーた速くなりやがったなアイツ」
遠く彼方に砂塵を巻き上げる二人。
吉光「…にしても、あのおかっぱおぼっちゃんは一体なんなんだ?……ミッキーは『直線』距離だけだと俺並に速いのに……」
吉光「食らいついてやがるぞ…」
ミッキー(はぁっ、はあっ!流石に本気を出したらサンシローと言えどついてこれないネ!)
先ほどのおいかけっこを見る限りあの速度で息が上がる…つまり全力疾走なら、本気の自分にはついてこれない。
だがその考えは振り向いた瞬間に砕かれた。
県「はぁっ!はぁっ!はぁっ!」
ミッキー「!!」
差はスタートダッシュの瞬間の開きのまま動いていなかった。
それは、単にスタートを切る技術がミッキーの方が速かっただけのこと。
吉光「トップスピードだけなら、互角だ…」
県は降矢に感謝していた。
毎日毎日のように一番遠い場所まで缶コーヒーを買いにいかされるパシリ生活は、つい最近まで続いていた。
それは降矢なりの嫌味だったのだが、県はそれを好意と受け取っていた。
そして、そのパシリが県の奥底のポテンシャルに灯りをともしたのだ。
ダンッ!!!
しかし、互角では差が埋まらないのも技術。
ファールポール下のフェンスに続く白線に先に手が触れたのはミッキーだった。
ミッキー「はぁーっ!はぁーっ!」
県「ぜー、ぜー」
吉光「おー!ごくろー、歩いて帰ってきていいぞー」
ふらふらになりながら吉光の元に戻る二人。
吉光「お前等めちゃめちゃ足速いなあ…予想以上だったぜ」
ミッキー「はぁ、はぁ」
吉光「スピードだけなら、俺と変わらねぇ」
県「はぁ、はぁ…」
吉光「だが…お前等の言う通り、速いだけじゃ…野球じゃ生き残れねぇ」
県「!」
ミッキー「アキラ!どうすればいいネ!」
吉光「野球はF−1じゃねぇ。直線距離を駆ける競技じゃねぇんだ」
うなずく二人。
吉光「まずは、ベースランタイムをきっちり計ってみろ。ただ走るだけじゃなくてな」
ミッキー「や、やってるよそれくらい!」
それすらやっていなかった県は少し落ち込んだ。
吉光「次にスタートを切る勇気…ミッキーは備わってるがサンシロー君はまだまだだな」
県「―――!」
吉光「だが…これは、今のその一瞬走る決意をした瞬間に変われる。後は反復練習だ。サンシロー君ならすぐミッキー並のスタートを切れるだろう。そして、最後に…」
ミッキー「最後に…」
吉光「プロ野球は陸上競技じゃねぇんだ、塁間をどれだけ早く走り抜けられるか、だ。そこにはさまざまな要素が含まれる、投手の裏もかかなけりゃならない、そして塁間最速理論は…」
吉光「一瞬の瞬発力となだらかなブレーキに、ある」